森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」第3回

「泡沫芸術家の選挙戦」

 騒動という点では、秋山祐徳太子の都知事選立候補というパフォーマンスがあった。秋山は75年と79年の2度都知事選に立候補している。彼の場合、はじめからハプニングの一種と割り切っていた。実際に有名にしたのもこの一件だろう。
 秋山は武蔵野美術学校彫刻科卒業後、工業デザイナーとして大手電機メーカーで働き、グリコのトレードマークを真似た「ダリコ」(*はじめはグリコだった)なる「ポップハップ」(*本人命名らしい)で注目された。60年代には、一時「万博破壊共闘派」にも加わり、万博の太陽の塔、目玉男(*万博粉砕を叫ぶ)の真下を全裸で走って物議をかもしたダダカン(糸井寛二)やゼロ次元とも行動をともにしている。


e9cde6b8d77ac0873d8f37644e875ece秋山祐徳太子
「ダリコのハプニング」
1970
行為芸術


 京都大学バリ祭や池袋における「万博粉砕ブラック・フェスティバル」全裸行動により、1969年7月、ゼロ次元、小山哲男らとともに「猥褻物公然陳列罪」で逮捕されてもいる。また、「いなばの白うさぎ」(1970 監督:加藤好弘)ロケで愛知・五色園、博多のスナック、新宿セバスチャン(*加賀見政之運営)、九十九里浜などをフルチンで駆け抜ける氏の姿がきっちり記録されてもいる。

ゼロ次元平田実 
[ゼロ次元 加藤好弘監督「いなばの白うさぎ」]
1970
九十九里浜にて


秋山祐徳秋山祐徳太子
教育ハプニング「二宮金次郎」
1978年頃
東大赤門前・本郷


 私は氏に幾度かお会いし雑談も交わしているが、はじめて出会ったのは新宿にあったギャラリー「マットグロッソ」1974年、でだった。このギャラリーはのちに狛江市長選に立候補した岩城義孝という方が経営しており、秋山祐徳太子の「ブリキの彫刻展」を開催していてその時に出会った。
 私は当時ムサ美の学生で、いうなれば先輩だったのだが、そのときはサンフランシスコのヒッピー旅行から帰国したばかりで、今日でいうノイズの走りのようなバンドをやっており72年に故・間章プロデュースの「新潟現代音楽祭」(新潟市体育館)でデビューしていた。72~74年は70年にベーシストがよど号事件に連座した裸のラリーズや灰野敬二在籍のロスト・アラーフと行動をともにしていた時期でもあった。マットグロッソでは日本で2番目にアンディ・ウォーホル個展を開き(*73年)、そのときに仲介したのがのちの「霧の芸術家」中谷芙二子であった。私自身も同ギャラリーでミュージック・コンクレート形式のサウンド・パフォーマンスを行ったこともあった。

1974マットグロッソギャラリー・マットグロッソの筆者(1974)。「絶滅しつつある鯨に関するミュージック・コンクレート」より。
撮影:今泉洋


自由空間2「自由空間 新潟現代音楽祭 狂気と解体」(1972)NHK総合テレビで全国放送。左がプロデューサー・間章、右がディレクターの佐藤元彦。森下泰輔の即興グループ「Yellow」は、吉沢元治、三上寛、ロスト・アラーフ、マジカルパワー・マコ、ブラディ・サーカス(竹田和夫)、ファー・アウトと共演した。村八分は出演予定だったが来なかった。NHKの画像を複写。


新潟現代音楽祭1972年4月29日「自由空間 新潟現代音楽祭」にて即興演奏を行う森下泰輔。
NHKより


 当時はまだハタチになったかならないかくらいの年齢であって、前衛の動きは逐一理解し、場合によっては新宿あたりで目撃もしてきたが、その頃は60年代前衛芸術がおおむね峠を過ぎていた時期だった。新世代は、サイケデリックを経てノイズに至り、むしろヒッピー・コミューンのアナーキーな原始共同体や音による感覚の解放を目論んでいた。ちなみにマットグロッソとはブラジルの秘境の名であり、命名したのは当時そこで働いていた国際芸術センター青森初代館長で現・青森県立美術館パフォーミングアーツ推進実行委員会委員長の浜田剛爾である。浜田はマットグロッソにいって気球をあげるプロジェクトのための資金集めに奔走中であった。

「ねえ、秋山祐徳太子の彫刻、買わない?」
一回りも年が違いそうな私にいきなりそう聞いたので驚いた。こちらは、そんな金があるはずもないようなフーテン美大生である。
 秋山はこの頃ブリキの彫刻制作に本格的に取り組んでいた。
 その彼が、ハプニングの総決算として臨んだのが都知事選立候補だ。
 前衛芸術家の選挙への立候補はなにも秋山ばかりではなかった。ネオダダの紅一点(*平岡弘子は第3回展より参加)だった岸本清子(*岸本とは83年に遭遇している元・ジャックの会のマツオキヨシが銀座・奥野ビル地下にオープンしていた「銀座美術クラブ」でだった。そのとき岸本はすでに晩年だったが、作品はすべて少女漫画であった。私は日本独自の概念としてガーリーアートというものを想定しているのだが、この時の岸本の影響があるのかもしれない。彼女はフェミニストであって、男権的美術シーンにアンチな意見であった)も1983年の参議院選に東郷健が党首の雑民党から立候補したことがある。私はその時の選挙演説を拝聴しているが、世間の地獄を一手に引き受け幸せに導く「地獄の使者」と名乗り、「核戦争前夜の現在、階層ピラミッドがあるために人々は幸せになれない。セックスは氾濫しているがエロスは地に落ちている。お金、情報メディア、科学テクノロジーの三種の神器に使われているのでは人類は精神的に充足できない」などと、かなり過激な一般有権者にはちんぷんかんぷんな演説をしていた。
 大体、当時この手の候補者は選挙の主流派ではなく「泡沫候補」といわれ、前出・東郷健らが常連だった。
秋山はそこから自ら「泡沫性」なる美術用語をも造語していたほどだ。秋山にいわせれば「泡沫芸術家」とは、ただの「奇人変人」ではなく、
「自分はストレートを投げているつもりでも、ズレていっちゃう。しかもそれに気づかない。自分ではズレてないと思っているんだよ」(秋山祐徳太子 「泡沫桀人列伝」2002年、二玄社刊 P217)
それだけ単に奇をてらっている芸術家よりは偉大なのだそうだ。
この人はかなりダンディな方でモーニングやシルクハットなどもよく着こなしていた。

 今回はその2度目の立候補の際(79年)のポスター作品の話をしたい。このポップなちょっとリキテンスタインを思わす網点の肖像画は、アンディ・ウォーホル体験でも書いたが、友人(といっていいのかどうか分からないが、同志だったのかもしれぬ)の世を忍ぶ仮の街頭似顔絵師にして実態はコンセプチュアル・アーティストの栗山豊作なのだった。

栗山7栗山豊
「Fever! Akiyama 秋山祐徳太子都知事選ポスター」
1979
紙にオフセット印刷


akiyama poster1秋山祐徳太子
1979年もう一枚の都知事選ポスター


栗山8jpg自作「セルフポートレイト」(1993 キャンバスにアクリル 550×455mm)を持つ栗山豊


 私が栗山とあったのは77年で、それから毎週のように飲んでいたので、「秋山祐徳太子の選挙を応援するんだ」と嬉々としていっていたのを思い出す。先日亡くなられた室伏鴻が青山に出していたバーではとりわけよく飲み現代美術を語り合った。
 栗山は秋山の選挙の私設応援団を引受け、経済的にきついのに自費でポスターまで印刷した。
「79年、私の第二次都知事選の折には、彼は自費で選挙ポスターを作ってくれた。金がかかるのでもちろん白黒である。それで充分で今や栗山さんの作品として全国各地の美術館にコレクションされている」(秋山祐徳太子 前出「泡沫桀人列伝」p82「路上のウォーホル」)
 いずれにしても、この2度にわたる都知事選立候補は美術パフォーマンスとして秋山祐徳太子を有名にしたし、戦後アート史のひとつの事件だったことは疑う余地はない。

栗山は様々な人の手形(*街頭の手相鑑定にヒントを得た作品)をエディションプリントにした「HAND MAP」シリーズや各種メールアートなどコンセプチュアルな作品も多数あるのだが、今思うと、むしろお祭りで全国行脚する的屋、フーテンの寅さんを地でいった街頭似顔絵という民衆芸術とハイアートである概念的なポップアートを連絡していたのが特殊だったかと思っている。(敬称略)

栗山3栗山豊
「HAND MAP Yutaka Kuriyama Right Hand」
1986
紙にコピー
ed.10


栗山2栗山豊
「似顔絵ストリート」
1990年代
上質紙に木炭、ペン


もりした たいすけ

森下泰輔「戦後・現代美術事件簿」
第1回/犯罪者同盟からはじまった
第2回/模型千円札事件
第3回/泡沫芸術家の選挙戦
第4回/小山哲男、ちだ・ういの暴走
第5回/草間彌生・築地署連行事件
第6回/記憶の中の天皇制
第7回/ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
第8回/アンディ・ウォーホル来日と“謎の女”安斎慶子
第9回/性におおらかだったはずの国のろくでなし子
第10回/黒川紀章・アスベストまみれの世界遺産“候補”建築

■森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。'80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディア・アート美術館ZKMに収蔵。'90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。個展は、2011年「濃霧 The dense fog」Art Lab AKIBAなど。Art Lab Group 運営委員。2014年、伊藤忠青山アートスクエアの森美術館連動企画「アンディ・ウォーホル・インスパイア展」でウォーホルに関するトークを行った。

●今日のお勧め作品は、秋山祐徳太子です。
20151018_aikyama_05_sankaku秋山祐徳太子
「三角男」
1989年
ブリキ彫刻
H27x11.5x11.5cm
台座の裏にサインと年記あり


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