いよいよ明日11月28日から開催する「戦後の前衛美術'50~'70 PartII S氏&F氏コレクションより」の出品作品を順次ご紹介します。
前回は1番から25番までを掲載しましたが、本日は26番末松正樹から52番サトウ画材カレンダーまでをご紹介します。
作品の詳細、コンディション等については遠慮なくお問い合わせください。
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ロットNo.26
末松正樹
瀬木慎一詩集『子供の情景』カバーデッサン4枚組
1954年
水墨、朱墨、スケッチブック
Image size: 19.0x27.0cm
サインあり
1954年
水墨、水彩
Image size: 18.3x26.0cm
1954年
水墨、水彩
Image size: 18.5x26.5
1954年
鉛筆、チョーク
Image size: 18.0x26.0cm
■末松正樹 Masaki SUEMATSU(1908-1997)
1908年新潟県に生まれる。1933年逓信省東京中央電話局に就職し、そのかたわら日本に紹介されはじめたノイエ・タンツなどの前衛舞踏に関心をもち、舞踏家とも交友するようになる。1936年瀧口修造が中心となって組織された「アヴァンガルド芸術家クラブ」に参加。1939年パリに渡る舞踏家に同行して渡欧。大戦中のフランスで抽象絵画を描きはじめる。帰国後は自由美術家協会、主体美術協会で活躍する。フランス美術の紹介、映画字幕の仕事でも知られ、マルセル・カルネの名作の邦題になった「天井桟敷」の訳語も創造した。1954年に再びヨーロッパへ渡る。フランスのプロヴァンス地方を訪れたことが契機となり、それまでの半抽象的な群像表現から、光を意識した色彩による流動的な抽象表現へと画風が変化した。
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ロットNo.27
菅木志雄
「作品2」
1981年
シルクスクリーン
50.5x65.0cm
Ed.100
裏面にサインと限定番号あり
■菅木志雄 Kishio SUGA(1944-)
岩手県生まれ。多摩美術大学油画科で学ぶ。在学中に斎藤義重と高松次郎に影響を受け、「もの派」グループの中心メンバーとなる。視角を操作する絵や立体作品の制作と同時に素材を使った《積層空間(1968)》のような作品制作を始める。1967年第11回シェル美術賞展1等賞受賞。1968年椿近代画廊で初個展。1970年第5回ジャパン・アート・フェスティバル大賞を受賞。ギャラリーのみならず、東京都現代美術館など各地の美術館で個展を開催する。海外での発表(1973年パリビエンナーレ、1986年ポンピドゥー美術館、1994年グッゲ ンハイム美術館等)も多い。夫人は詩人・小説家の富岡多恵子。
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ロットNo.28
千住博
(ノベルティ)
陶版画、彩磁プレート(深川製磁制作)
25.5x20.7x1.5cm
版上サインあり
■千住博 Hiroshi SENJU(1958-)
1958年東京都に生まれる。日本画家。1982年東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業。1987年同大学院後期博士課程修了。
代表作のウォーターフォールは1995年ヴェネツィア・ビエンナーレ絵画部門で名誉賞を受賞。
1998年より大徳寺聚光院の襖絵制作にとりかかり、2002年の伊東別院完成に引き続き、2013年京都本院の襖絵が完成。
2010年APEC JAPAN 2010首脳会議にて現代日本画による会場構成を担当。
2011年軽井沢千住博美術館がオープン。
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ロットNo.29
タイガー立石
「Last Dance」
1986年
シルクスクリーン
Image size: 25.8×38.9cm
A.P.
サインあり
■タイガー立石 Taiga TATEISHI(1941-1998)
1941年福岡県に生まれる。本名、立石紘一。1963年武蔵野美術短期大学卒業。本名で読売アンデパンダン展に出品し、時計や玩具などの工業製品と、木切れなどの自然物を対比させてパネルに貼りつけた「共同社会」で一躍脚光をあびる。1964年中村宏と「観光芸術研究所」を設立。100号の絵を掲げたまま東京駅を一周する「路上歩行展」などを行う。1968年絵画と漫画の両方を自由に行き来するため、タイガー立石と改名。翌年ミラノに移住。オリベッティ社にデザイナーとして在籍する傍ら、漫画のコマ割に着想を得て、ストーリー性や時間的要素を画面に取り入れた「コマ割絵画」を発表し、ヨーロッパ各地で個展を行う。1982年に帰国。1990年立石大河亞と再改名する。
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ロットNo.30
高松次郎
『レコード盤宇宙』論
中原佑介・文
高松次郎・画
1979年
オフセット+手彩色(色鉛筆)
Image size: 19.5x14.6cm
Ed.365
サインと年記あり

■高松次郎 Jiro TAKAMATSU(1936-1998)
1936年東京都に生まれる。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。在学中は小磯良平に師事。赤瀬川原平、中西夏之と前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」を結成、街頭ハプニングなど数多くのパフォーマンスを実践し反芸術的な活動を展開する。1964年頃から画面に人間の影だけを描き、実在物と虚像のあり方を問いかける「影」シリーズを開始。作品はインスタレーションから絵画、彫刻、壁画、写真、映画にまで及ぶ。1968年に『第23回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展』で『カルロ・カルダッツオ賞』受賞。また1973年には『第7回サンパウロ・ビエンナーレ』、1977年に『ドクメンタ6』に出品するなど、国内外において発表を続け人気を集めた。1960年代以降の日本におけるコンセプチュアル・アートに大きな影響を与えた。
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ロットNo.31
高山登
「遊殺 II」
1975年
シルクスクリーン
Image size: 51.3x36.2cm
Ed.50
サインあり
■高山登 Noboru TAKAYAMA(1944-)
1944年東京都に生まれる。1970年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。創形美術専門学校講師、東京藝術大学美術学部非常勤講師、宮城教育大学教育学部美術教育科助教授などを務める。1990年から1年間文部科学省在外研究員としてニューヨークに滞在する。
「枕木」や鉄、ワックスなど物質感の強い素材によって、特定の場所を緊密な空間へと造りかえるインスタレーションを行う。展示空間や環境を深く考察した上で行われるその造形は、1960年代末から今日まで一貫している。また地域に根ざした野外展の企画、参加を含む多彩な発表活動も行う。
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ロットNo.32
タジリシンキチ
(作品)
1957年
リトグラフ(チョーク)
Image size: 20.0x36.0cm
A.P.
サインあり
■タジリシンキチ Shinkichi TAJIRI(1923-2009)
田尻慎吉。1923年アメリカカリフォルニア州に生まれる。日系アメリカ人。1936年に家族でサンディエゴに移住。サンディエゴで彫刻家のドナル・ホールドと知り合い、彫刻の手ほどきを受ける。その後パリ、ドイツで暮らし、最後にオランダに落ち着いた田尻はコスモポリタンとして常に矛盾を抱え、それを彫刻、写真、絵画、映像などで表現した。オランダ国籍を持ち、戦後オランダ彫刻の前衛的芸術家の一人。
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ロットNo.33
谷川晃一
「PATTERN 1~10」ハガキ10枚組
1964年
手彩色、ハガキ
Image size: 14.2x9.2cm
S氏宛て名は谷川自筆
宛名面
「可接続連載絵画は、保存を要求する。これは日常的方法の個性化と同時に既成品のオブジェ化ないしパロディ化ではなく、私自身の観念の視覚化に於ける創造パターンの既成化の目論みであります。
次号あるいは前号と天地左右を接続させることに依りあなたのコレクションは大きく育ちます。
PATTERN MAKER 谷川晃一」
メールアートの一種ですが今回の中でも異色の作品です。あの谷川先生がこのようなコンセプチュアルな作品をつくっていたとは・・・・・
ロットNo.34
谷川晃一
(作品)
1963年
水彩、デッサン
Image size: 17.0x34.0cm
サインあり
■谷川晃一 Koichi TANIGAWA(1938-)
画家・美術評論家。1938年東京都に生まれる。中学2年で画家を志す。以来さまざまな副業につきながらも独学による制作を続ける。1968年より批評活動を開始。1988年に伊豆高原へ転居。伊豆高原では作品にも海や樹木や鳥などの要素を加えて、「陽光礼讃」への傾向を強める。さらに自身の芸術思想の実践として 「伊豆高原アートフェスティバル」を立ち上げ、以来20年を超えて各回動員数5万人を誇る文化イベントを成功させる。
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ロットNo.35
利根山光人
「森」
1982年
リトグラフ
Image size: 39.0x53.5cm
A.P.
サインあり
■利根山光人 Kojin TONEYAMA(1921-1994)
1921年茨城県に生まれる。早稲田大学を卒業し、召集・入隊を経て終戦を迎える。戦後、ストラヴィンスキーの音楽に触発された前衛絵画を油彩で制作する一方で、母校から払い下げられたリトグラフの印刷機をつかって版画の制作を開始。1950年代末にメキシコを訪れ見たマヤ文明に衝撃を受け、その古代文明をモチーフとした制作を開始。それ以後も度々メキシコを訪れ、生涯に亘って古代文明からの示唆を現代社会や現代人への問いかけとして描き続ける。メキシコを題材とした情熱的な作品を数多く残し、太陽の画家と呼ばれた。
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ロットNo.36
野間佳子
「Ririere」
1959年
版画
Image size: 20.0x15.0cm
E.A.
サインあり
■野間佳子 Yoshiko NOMA(1934-)
1958年~61年まで、グループJUN展開催(沢田重隆、篠原有司男、田名網敬一らと)。1964年第4回東京国際版画ビエンナーレ展出品。東京国立近代美術館に作品が複数収蔵されている。
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ロットNo.37
浜口陽三
「びんとくるみ」
1959年
銅版メゾチント
Image size: 30.0x44.0cm
Ed.50
サインあり
■浜口陽三 Yozo HAMAGUCHI(1909-2000)
1909年和歌山県生まれ。1927年東京美術学校塑像科に入学するが、梅原龍三郎の助言により1930年中退、渡仏し、途中2年間ニューヨークにも滞在するが、1939年までパリで油彩画と銅版画を独学する。1953年再び渡仏、1955年頃よりカラーメゾチントによる制作を始める。1957年第1回東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞、同年サンパウロ・ビエンナーレで日本人初の大賞を受賞。その後もリュブリアナ、クラコワの国際版画ビエンナーレで受賞。
1981年にサンフランシスコに移住、翌年には北カリフォルニア版画大賞展でグランプリを受賞、エンサイクロペディア・ブリタニカの「メゾチント」の項目で、「20世紀の半ばの最も名高い、孤高ともいえる主導者」、「カラーメゾチントの新しい技法を開拓した作家」と紹介される。その高度な技術から生まれる繊細で静謐な作風は、他の追随を許さず高く評価されており、今日、世界の代表的銅版画作家の一人として広くその名を知られています。1996年に帰国。
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ロットNo.38
早川重章
(作品)
1991年頃
水彩、紙
26.0x20.6cm
サインあり
■早川重章 Shigeaki HAYAKAWA(1924-)
1924年山梨県に生まれる。1944年日本美術学校に学ぶ。1955年自由美術家協会会員になる(1961年退会)。1968年に渡米、1977年帰国。鎌倉と八ヶ岳のふたつのアトリエで制作活動を続け、現在に至る。1991年山梨県立美術館、2004年神奈川県立近代美術館をはじめ、個展、グループ展多数開催。絵画を中心に立体作品も多数手がけ、ミニマル・アートや抽象表現主義など、さまざまな要素を批判的に咀嚼しつつ、独自の世界を展開している。
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ロットNo.39
針生鎮郎
「河童と女」
1984年
水彩、スケッチブック
Image size: 26.0x17.0cm
サインあり
■針生鎮郎 Shizuo HARIU(1931-1998)
1931年東京都に生まれる。1957年東京藝術大学油画科卒業。大学卒業後は独立美術協会を中心に発表を続けた。卒業の翌年の1958年、第26回独立展で独立賞を、その翌年は独立優秀賞を受賞。独立美術協会は1981年に退会。その後は大学の同期だった作家・稲葉治夫、松本英一郎、豊島弘尚らとともに1960年に作ったグループ「新表現主義」で発表を続けた。ユーモラスな形態の中に赤や緑などの強い色彩と厚塗りのマチエールによるイメージを盛り込み、重厚な世界を展開。人間像をモチーフとする作品を主に制作した。
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ロットNo.40
平賀敬
(作品)
1988年
シルクスクリーン
Image size: 36.0x43.0cm
Ed.120
サインあり
■平賀敬 Key HIRAGA(1936-2000)
1936年東京都に生まれる。1959年立教大学経済学部卒業。1965年渡仏。以後パリを拠点にヨーロッパの画廊、美術館で意欲的に作品を発表する。1968年工藤哲巳とともにパリ五月革命に奔走。1977年パリのアトリエを引き払い帰国。2005年箱根湯本にある晩年の住まいが「平賀敬美術館」としてオープンした。神奈川県立近代美術館、東京国立近代美術館、ニューヨーク近代美術館など、国内外の美術館に作品が収蔵されている。
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ロットNo.41
福田繁雄
(作品)
1976年
シルクスクリーン
Image size: 35.0x24.0cm
E.A. サインあり
■福田繁雄 Shigeo FUKUDA(1932-2009)
1932年東京都に生まれる。グラフィック・デザイナー。少年時代を岩手県二戸市で過ごす。
東京オリンピックや大阪万博へと日本が向かっていた時期に、デザイナーとして活動をスタートする。1972年ワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレで金賞を受賞。1975年「ポーランド戦勝30周年記念国際ポスター・コンペ」で最高賞を受賞するなど、国内外で広く活躍する。
明快な単純化、軽快なユーモアのセンス、そして視覚による伝達への関心に根ざす錯覚や錯視を利用した視覚トリックを用いた作風で知られる。福田のこうした特質は、グラフィック・デザインだけではなく、立体作品や著作にも強く表れている。
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ロットNo.42
松崎真一
(作品)
油彩
14.0x9.5cm
額裏にサインあり
■松崎真一 Shinichi MATSUZAKI(1910-1979)
1910年福井市生まれ。
昭和4年早稲田実業を卒業、福井県織物同業組合に勤めるが、同僚に横山千勝がおり、土岡秀太郎の知遇を受け、油絵を描きはじめる。
昭和7年第2回独立展に荒島岳をえがいた『風景』が初入選。田中佐一郎、須田国太郎に師事、独立展に出品を続ける。
昭和18年第13回独立展の『禿鷹』『禿鷹の一族』で独立賞受賞。昭和22年独立会会友、昭和27年独立美術協会会員となる。
戦前戦後を通じて、福井の美術界の中心的役割を果たし、戦後は小野忠弘とともに福井の美術界を代表する画壇の双璧として活躍。
また多くの後進を育て、独立の個性あふれる画業を展開する。
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ロットNo.43
松崎鐘美
(作品)
1976年
油彩
33.5x24.5cm
サインあり
■松崎鐘美 Kanemi MATSUZAKI(1950-2005)
1950年洋画家松崎真一の子息として生まれる。1966年福井県美術展に初出品ながらも初受賞し、以降連続5回受賞。同年の第34回独立美術協会展でも初入選を果たし、1972年のNHK総合テレビ「美術界展望12人」の1人にも選出される等その活動は初期より注目を集める。その後プロの画家として活動を始め、県内外で多数の個展を開催する一方、独立展への出品は約20回に及んだ。作品は抽象表現、具象表現、線や色面を多用した表現、モノトーン表現等多様に変遷。2004年自宅兼アトリエを改装し、私設美術館を開館。妻で画家の松崎紀美代、父真一の作品などを展示した。
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ロットNo.44
松澤宥
『松澤宥ψ(プサイ)の函』
1983年 造形社 発行
監修:ヨシダヨシエ、デザイン:芦澤泰偉、英訳:成田英明
30.6x30.2cm
Ed.350 サインあり
■松澤宥 Yutaka MATSUZAWA(1922-2006)
1922年長野県に生まれる。
1946年早稲田大学理工学部建築科卒業。
1964年に「オブジェを消せ」という啓示を受け、言葉のみを使った芸術を展開。概念芸術家としての活動を始める。言葉を主体とした作品制作の他、メールアートやパフォーマンスなども行なう。1970年から1980年までは、美学校にて講師となり講座「最終美術思考工房」を開催した。コンセプチュアル・アートの先駆者の一人として、欧米にもその名を知られる。塩尻在住時代の草間彌生が頻繁に訪ね、師と仰いだ現代美術家である。
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ロットNo.45
三井永一
「現実の方へ」詩付き
1956年
ペン画、水彩、紙
Image size: 25.0x29.0cm
サインあり
ロットNo.46
三井永一
(作品)
1958年
ペン、紙
Image size: 23.5x35.0cm
サインあり
■三井永一 Eiichi MITSUI(1920-2013)
1920年山形県に生まれる。春陽会洋画研究所に学び、木村荘八、岡鹿之助らに師事する。油絵、版画、ガラス絵など幅広く制作。挿絵画家としては柴田錬三郎、 横溝正史、 永井荷風らの作品を手掛ける。展覧会多数開催。1971年講談社出版文化賞(さしえ部門)受賞。
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ロットNo.47
三宅一生
『秋冬コレクション・カタログ』ポスター8枚組
1988年
オフセット
Image size: 42.0x29.0cm
サインあり







三宅一生
『春夏コレクション・カタログ』ポスター7枚組
1988年
オフセット
Image size: 42.0x29.0cm
サインあり






■三宅一生 Issey MIYAKE(1938-)
ファッションデザイナー。1938年広島県に生まれる。多摩美術大学卒業。在学中からコレクションを発表しており、第1回は1963年に発表された「布と石の詩」。卒業後パリに渡り、1966年ギ・ラロッシュのアシスタントとなる。バレンシアガの元で働くことを望んでいたものの、1968年バレンシアガが引退したため、その一部を引き継いだジバンシーでアシスタント・デザイナーに就任する。1970年帰国し、「三宅デザイン事務所」設立。
1971年ニューヨーク市内のデパートに「イッセイ・ミヤケ」のコーナーを開設した。「1枚の布」をコンセプトにした新しいファッションの世界を展開。独創的なデザインは世界でも認められている。1988年プリーツ・プリーズ(PLEATS PLEASE)を発表。1984年毎日ファッション大賞大賞受賞。2010年文化勲章受章。
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ロットNo.48
吉仲太造
(作品)
1958年
紙にアクリル
Image size: 28.5x37.5cm
サインあり
■吉仲太造 Taizo YOSHINAKA(1928-1985) 京都生まれ。早くから画家を志し、小学校卒業後に京都市立美術工芸学校を受験するが、小児麻痺により左足が不自由であったため不合格となる。1946年のちの行動美術京都研究所となる京都人文学園絵画部に入所し、画家としての第一歩を踏み出す。1952年に上京し岡本太郎の呼びかけで美術家の国際交流と連帯をめざしたアートクラブに参加。1955年には前衛作品を結集させ新たなう ねりを生み出そうとしていた岡本の招きにより、二科会第九室に出品。43歳でうつ病を発病して以後は、無彩色のキャンバスにシルクスクリーンを用いて静物などの映像を浮かび上がらせる作品や、無駄な要素をそぎ落として白い絵具を主とした作品へと移行していった。病により56歳で歿したが、1999年渋谷区立松濤美術館と京都市美術館で「戦後美術を読み直す 吉仲太造」が開催されるなど、再評価の声が高い。
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ロットNo.49
脇田愛二郎
「(赤地の線)」
シルクスクリーン
Image size: 30.0×34.5cm
Ed.25 サインあり
■脇田愛二郎 Aijiro WAKITA(1942-2006) 静岡県生まれ。父は画家の脇田和。1964年武蔵野美術大学本科西洋学科卒業。その後渡米。1969年のニューヨークでの個展から国際的な評価を集める。彫刻、モニュメント、さらに環境アートの分野で意欲的に活躍。その作品は各地で発表設置され、ニューヨーク近代美術館、カーネギー美術館などにも所蔵されている。また家具をはじめとするデザイン活動も多岐にわたる。
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ロットNo.50
渡辺豊重
「ショーガール」
1976年
油彩、アクリル
16.5x13.0cm
サインあり
ロットNo.51
渡辺豊重
(作品)
1979年
アクリル、板
5.3x12.5cm
サインあり
■渡辺豊重 Toyoshige WATANABE(1931-)
1931年東京都に生まれる。1950年代後半から難波田龍起や田中岑に師事し、1962年初個展を開催。以降、1960年代前半のモノトーンに近い抽象画、鮮やかな色彩や奇妙なかたちが登場する1970年代、金地に描かれた黒が印象的な2009年以降の鬼シリーズなどを展開。油彩、水彩、版画、彫刻等、様々な様式を変遷しながらも、一貫して生き生きとした生命力溢れる造形と鮮やかな色彩を特徴とする。
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ロットNo.52
池田満寿夫、勝呂忠、中西夏之、早川重章、馬場彬、吉仲太造
「サトウ画材カレンダー」6点組
1985年
シルクスクリーン
49.0x69.0cm
版上サインあり
池田満寿夫
勝呂忠
中西夏之
早川重章
馬場彬
吉仲太造
■池田満寿夫 Masuo IKEDA(1934-1997)
1934年旧満州国生まれ。1945年、終戦により母と郷里の長野市に戻る。1952年高校を卒業し上京、版画家デビュー。1960年、62年、64年の東京国際版画ビエンナーレ展での連続受賞につづき、1966年の第33回ヴェネツィア・ビエンナーレでは版画部門の国際大賞を受賞。一躍、世界のスターへの道が開かれる。しかし高い評価に甘んじることなく常に自己変革による自由な変貌をくり返す。
その後も日本を代表する版画家として東京とニューヨークを拠点に制作を続けるかたわら、小説家としても活躍し1977年には芥川賞を受賞。帰国後は、熱海市に居を構え、作陶から立体造形への関心を深めるなど表現の幅を広げる。
■勝呂忠 Tadashi SUGURO(1926-2010)
1926年東京都に生まれる。1950年多摩造形芸術専門学校(現多摩美術大学)絵画科を卒業。同年、自由美術協会を退会した村井正誠、山口薫、小松義雄らによって進められていたモダンアート協会創立に参加。1961年イタリアに留学、油彩画のほかモザイク画を学ぶ。1963年帰国。渡欧前は対象を幾何学的な形の集合体として把握し、それらをいったん解体してから再構成する具象画を描いたが、渡欧後は抽象表現を試みるようになる。1973年再び渡欧。トルコ、ギリシャ、イタリア、フランス等を旅行する。1980年代初頭から様々な色調の黄土色を基調とする背景に、布で全身を覆った人物立像を想起させる幾何学的形態を平板な黒い色面で表した画風へ転じる。又、舞台美術や装幀も手がけ、 1954年から描いた早川書房刊行のポケット・ミステリーの表紙原画がある。以後、三田文学表紙(1956年~1958年)、エラリー・クィーンズ・ミステリ・マガジン(創刊号から1965年まで)などの表紙原画を手がけ、斬新洒脱な画風で注目を集めた。
■中西夏之 Natsuyuki NAKANISHI(1935-)
1935年東京都に生まれる。1958年東京藝術大学絵画科油画専攻卒業。大学時代の同窓に高松次郎、工藤哲巳、磯辺行久などがいる。1963年高松次郎、赤瀬川原平らと「ハイレッド・センター」を結成、銀座の街頭や画廊などで日常に懐疑を突きつける多くのイベントを実践した。1960年代から舞踏家の土方巽と交流をもち、周辺の瀧口修造や澁澤龍彦、シュルレアリスム系の画家や詩人たちと親交する。1965年の暗黒舞踏派公演『バラ色ダンス~澁澤さんの家の方へ』、1968年の『土方巽と日本人―肉体の叛乱』で主要な舞台美術・装置を手がける。、笠井叡や山海塾らとも協働を重ねる。近年はフランス・リヨン国立歌劇場での舞台美術を担当した。
初期には砂を用いた絵画、連作廃品を溶接した作品、アクリル樹脂で身辺の事物を封じ込めたコンパクトオブジェなど物質的な要素の強い作品を制作。1960年代後半からは「絵画」の制作を主軸とし、1970年代からは白、紫、黄緑といった色を基調とする油彩の平面作品を発表。
■早川重章 Shigeaki HAYAKAWA(1924-)
1924年山梨県に生まれる。1944年日本美術学校に学ぶ。1968年渡米。1977年帰国。鎌倉と八ヶ岳のふたつのアトリエで制作活動を続け、現在に至る。1991年山梨県立美術館、2004年神奈川県立近代美術館をはじめ、展覧会多数開催。絵画を中心に立体作品も多数手がけ、ミニマル・アートや抽象表現主義など様々な要素を咀嚼しつつ、独自の世界を築き上げている。
■馬場彬 Akira BABA(1932-2000)
1932年東京都に生まれる。1955年東京藝術大学油画科卒業。同年から佐藤友太郎が銀座に開設したサトウ画廊のマネージメントを担当。1981年の閉廊まで企画に携わり、自身の制作活動と並行しながら重要な作家を展覧会として幅広く取り上げる。1984年~1986年までドイツに滞在。初期から、平板な色面の幾何学的イメージをモチーフに色と形が画面に作り出す調和を模索した。吉仲太造、深沢幸雄らとともに戦後の抽象絵画の主要な作家のひとりとして活躍。
■吉仲太造 Taizo YOSHINAKA(1928-1985)
京都生まれ。早くから画家を志し、小学校卒業後に京都市立美術工芸学校を受験するが、小児麻痺により左足が不自由であったため不合格となる。1946年のちの行動美術京都研究所となる京都人文学園絵画部に入所し、画家としての第一歩を踏み出す。1952年に上京し岡本太郎の呼びかけで美術家の国際交流と連帯をめざしたアートクラブに参加。1955年には前衛作品を結集させ新たなう ねりを生み出そうとしていた岡本の招きにより、二科会第九室に出品。43歳でうつ病を発病して以後は、無彩色のキャンバスにシルクスクリーンを用いて静物などの映像を浮かび上がらせる作品や、無駄な要素をそぎ落として白い絵具を主とした作品へと移行していった。病により56歳で歿したが、1999年渋谷区立松濤美術館と京都市美術館で「戦後美術を読み直す 吉仲太造」が開催されるなど、再評価の声が高い。
◆臨時ニュース
5月16日のブログでもご紹介した遠藤新設計の「加地邸」が明日の午前中だけ公開されます。
秋の加地邸公開について (11月28日(土)10時~12時)。
近くの神奈川県立近代美術館葉山館で開催中の若林奮展とあわせご覧になったらいかがでしょうか。
◆ときの忘れものは2015年11月28日[土]―12月5日[土]入札による「戦後の前衛美術'50~'70 PartII S氏&F氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。

1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏と、同じく50年代から現代美術を蒐集してきた国際派の経済人F氏のコレクションから78点を入札方式で頒布します。
【出品作家】
相笠昌義、朝倉摂、粟津潔、池田龍雄、池田満寿夫、伊藤憲治、猪熊弦一郎、井上公雄、岩中徳次郎、岡田謙三、金子國義、鴨居羊子、柄澤斉、川端実、北代省三、絹谷幸二、小紋章子、斎藤隆、佐野繁次郎、嶋田しづ、末松正樹、菅木志雄、勝呂忠、千住博、タイガー立石、高松次郎、高山登、タジリシンキチ、谷川晃一、利根山光人、中西夏之、野間佳子、馬場彬、浜口陽三、早川重章、針生鎮郎、平賀敬、福田繁雄、松崎真一、松崎鐘美、松澤宥、三井永一、三宅一生、吉仲太造、脇田愛二郎、渡辺豊重、
ピエール・アレシンスキー、マッツ・グスタフソン、クールバック、クリッパ、J.F.ケーニング、ジャン・コクトー、P.スーラージュ、チャイルズ、マーク・トビー、Y. Neiman、バルテュス、カレン・バーバー、フェイト、ジャン=ミシェル・フォロン、ルチオ・フォンタナ、デイヴィッド・ホックニー、マリノ・マリーニ、ジョアン・ミロ、J.メサジェ、ピエト・モンドリアン、ユヌス、ロバート・ラウシェンバーグ、S.ロディヨン、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー、S.Hdliku
前回は1番から25番までを掲載しましたが、本日は26番末松正樹から52番サトウ画材カレンダーまでをご紹介します。
作品の詳細、コンディション等については遠慮なくお問い合わせください。
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末松正樹
瀬木慎一詩集『子供の情景』カバーデッサン4枚組
1954年
水墨、朱墨、スケッチブック
Image size: 19.0x27.0cm
サインあり

水墨、水彩
Image size: 18.3x26.0cm

水墨、水彩
Image size: 18.5x26.5

鉛筆、チョーク
Image size: 18.0x26.0cm
■末松正樹 Masaki SUEMATSU(1908-1997)
1908年新潟県に生まれる。1933年逓信省東京中央電話局に就職し、そのかたわら日本に紹介されはじめたノイエ・タンツなどの前衛舞踏に関心をもち、舞踏家とも交友するようになる。1936年瀧口修造が中心となって組織された「アヴァンガルド芸術家クラブ」に参加。1939年パリに渡る舞踏家に同行して渡欧。大戦中のフランスで抽象絵画を描きはじめる。帰国後は自由美術家協会、主体美術協会で活躍する。フランス美術の紹介、映画字幕の仕事でも知られ、マルセル・カルネの名作の邦題になった「天井桟敷」の訳語も創造した。1954年に再びヨーロッパへ渡る。フランスのプロヴァンス地方を訪れたことが契機となり、それまでの半抽象的な群像表現から、光を意識した色彩による流動的な抽象表現へと画風が変化した。
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菅木志雄
「作品2」
1981年
シルクスクリーン
50.5x65.0cm
Ed.100
裏面にサインと限定番号あり
■菅木志雄 Kishio SUGA(1944-)
岩手県生まれ。多摩美術大学油画科で学ぶ。在学中に斎藤義重と高松次郎に影響を受け、「もの派」グループの中心メンバーとなる。視角を操作する絵や立体作品の制作と同時に素材を使った《積層空間(1968)》のような作品制作を始める。1967年第11回シェル美術賞展1等賞受賞。1968年椿近代画廊で初個展。1970年第5回ジャパン・アート・フェスティバル大賞を受賞。ギャラリーのみならず、東京都現代美術館など各地の美術館で個展を開催する。海外での発表(1973年パリビエンナーレ、1986年ポンピドゥー美術館、1994年グッゲ ンハイム美術館等)も多い。夫人は詩人・小説家の富岡多恵子。
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千住博
(ノベルティ)
陶版画、彩磁プレート(深川製磁制作)
25.5x20.7x1.5cm
版上サインあり
■千住博 Hiroshi SENJU(1958-)
1958年東京都に生まれる。日本画家。1982年東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業。1987年同大学院後期博士課程修了。
代表作のウォーターフォールは1995年ヴェネツィア・ビエンナーレ絵画部門で名誉賞を受賞。
1998年より大徳寺聚光院の襖絵制作にとりかかり、2002年の伊東別院完成に引き続き、2013年京都本院の襖絵が完成。
2010年APEC JAPAN 2010首脳会議にて現代日本画による会場構成を担当。
2011年軽井沢千住博美術館がオープン。
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タイガー立石
「Last Dance」
1986年
シルクスクリーン
Image size: 25.8×38.9cm
A.P.
サインあり
■タイガー立石 Taiga TATEISHI(1941-1998)
1941年福岡県に生まれる。本名、立石紘一。1963年武蔵野美術短期大学卒業。本名で読売アンデパンダン展に出品し、時計や玩具などの工業製品と、木切れなどの自然物を対比させてパネルに貼りつけた「共同社会」で一躍脚光をあびる。1964年中村宏と「観光芸術研究所」を設立。100号の絵を掲げたまま東京駅を一周する「路上歩行展」などを行う。1968年絵画と漫画の両方を自由に行き来するため、タイガー立石と改名。翌年ミラノに移住。オリベッティ社にデザイナーとして在籍する傍ら、漫画のコマ割に着想を得て、ストーリー性や時間的要素を画面に取り入れた「コマ割絵画」を発表し、ヨーロッパ各地で個展を行う。1982年に帰国。1990年立石大河亞と再改名する。
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高松次郎
『レコード盤宇宙』論
中原佑介・文
高松次郎・画
1979年
オフセット+手彩色(色鉛筆)
Image size: 19.5x14.6cm
Ed.365
サインと年記あり

■高松次郎 Jiro TAKAMATSU(1936-1998)
1936年東京都に生まれる。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。在学中は小磯良平に師事。赤瀬川原平、中西夏之と前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」を結成、街頭ハプニングなど数多くのパフォーマンスを実践し反芸術的な活動を展開する。1964年頃から画面に人間の影だけを描き、実在物と虚像のあり方を問いかける「影」シリーズを開始。作品はインスタレーションから絵画、彫刻、壁画、写真、映画にまで及ぶ。1968年に『第23回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展』で『カルロ・カルダッツオ賞』受賞。また1973年には『第7回サンパウロ・ビエンナーレ』、1977年に『ドクメンタ6』に出品するなど、国内外において発表を続け人気を集めた。1960年代以降の日本におけるコンセプチュアル・アートに大きな影響を与えた。
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高山登
「遊殺 II」
1975年
シルクスクリーン
Image size: 51.3x36.2cm
Ed.50
サインあり
■高山登 Noboru TAKAYAMA(1944-)
1944年東京都に生まれる。1970年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。創形美術専門学校講師、東京藝術大学美術学部非常勤講師、宮城教育大学教育学部美術教育科助教授などを務める。1990年から1年間文部科学省在外研究員としてニューヨークに滞在する。
「枕木」や鉄、ワックスなど物質感の強い素材によって、特定の場所を緊密な空間へと造りかえるインスタレーションを行う。展示空間や環境を深く考察した上で行われるその造形は、1960年代末から今日まで一貫している。また地域に根ざした野外展の企画、参加を含む多彩な発表活動も行う。
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タジリシンキチ
(作品)
1957年
リトグラフ(チョーク)
Image size: 20.0x36.0cm
A.P.
サインあり
■タジリシンキチ Shinkichi TAJIRI(1923-2009)
田尻慎吉。1923年アメリカカリフォルニア州に生まれる。日系アメリカ人。1936年に家族でサンディエゴに移住。サンディエゴで彫刻家のドナル・ホールドと知り合い、彫刻の手ほどきを受ける。その後パリ、ドイツで暮らし、最後にオランダに落ち着いた田尻はコスモポリタンとして常に矛盾を抱え、それを彫刻、写真、絵画、映像などで表現した。オランダ国籍を持ち、戦後オランダ彫刻の前衛的芸術家の一人。
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谷川晃一
「PATTERN 1~10」ハガキ10枚組
1964年
手彩色、ハガキ
Image size: 14.2x9.2cm
S氏宛て名は谷川自筆

「可接続連載絵画は、保存を要求する。これは日常的方法の個性化と同時に既成品のオブジェ化ないしパロディ化ではなく、私自身の観念の視覚化に於ける創造パターンの既成化の目論みであります。
次号あるいは前号と天地左右を接続させることに依りあなたのコレクションは大きく育ちます。
PATTERN MAKER 谷川晃一」
メールアートの一種ですが今回の中でも異色の作品です。あの谷川先生がこのようなコンセプチュアルな作品をつくっていたとは・・・・・

谷川晃一
(作品)
1963年
水彩、デッサン
Image size: 17.0x34.0cm
サインあり
■谷川晃一 Koichi TANIGAWA(1938-)
画家・美術評論家。1938年東京都に生まれる。中学2年で画家を志す。以来さまざまな副業につきながらも独学による制作を続ける。1968年より批評活動を開始。1988年に伊豆高原へ転居。伊豆高原では作品にも海や樹木や鳥などの要素を加えて、「陽光礼讃」への傾向を強める。さらに自身の芸術思想の実践として 「伊豆高原アートフェスティバル」を立ち上げ、以来20年を超えて各回動員数5万人を誇る文化イベントを成功させる。
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利根山光人
「森」
1982年
リトグラフ
Image size: 39.0x53.5cm
A.P.
サインあり
■利根山光人 Kojin TONEYAMA(1921-1994)
1921年茨城県に生まれる。早稲田大学を卒業し、召集・入隊を経て終戦を迎える。戦後、ストラヴィンスキーの音楽に触発された前衛絵画を油彩で制作する一方で、母校から払い下げられたリトグラフの印刷機をつかって版画の制作を開始。1950年代末にメキシコを訪れ見たマヤ文明に衝撃を受け、その古代文明をモチーフとした制作を開始。それ以後も度々メキシコを訪れ、生涯に亘って古代文明からの示唆を現代社会や現代人への問いかけとして描き続ける。メキシコを題材とした情熱的な作品を数多く残し、太陽の画家と呼ばれた。
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野間佳子
「Ririere」
1959年
版画
Image size: 20.0x15.0cm
E.A.
サインあり
■野間佳子 Yoshiko NOMA(1934-)
1958年~61年まで、グループJUN展開催(沢田重隆、篠原有司男、田名網敬一らと)。1964年第4回東京国際版画ビエンナーレ展出品。東京国立近代美術館に作品が複数収蔵されている。
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浜口陽三
「びんとくるみ」
1959年
銅版メゾチント
Image size: 30.0x44.0cm
Ed.50
サインあり
■浜口陽三 Yozo HAMAGUCHI(1909-2000)
1909年和歌山県生まれ。1927年東京美術学校塑像科に入学するが、梅原龍三郎の助言により1930年中退、渡仏し、途中2年間ニューヨークにも滞在するが、1939年までパリで油彩画と銅版画を独学する。1953年再び渡仏、1955年頃よりカラーメゾチントによる制作を始める。1957年第1回東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞、同年サンパウロ・ビエンナーレで日本人初の大賞を受賞。その後もリュブリアナ、クラコワの国際版画ビエンナーレで受賞。
1981年にサンフランシスコに移住、翌年には北カリフォルニア版画大賞展でグランプリを受賞、エンサイクロペディア・ブリタニカの「メゾチント」の項目で、「20世紀の半ばの最も名高い、孤高ともいえる主導者」、「カラーメゾチントの新しい技法を開拓した作家」と紹介される。その高度な技術から生まれる繊細で静謐な作風は、他の追随を許さず高く評価されており、今日、世界の代表的銅版画作家の一人として広くその名を知られています。1996年に帰国。
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早川重章
(作品)
1991年頃
水彩、紙
26.0x20.6cm
サインあり
■早川重章 Shigeaki HAYAKAWA(1924-)
1924年山梨県に生まれる。1944年日本美術学校に学ぶ。1955年自由美術家協会会員になる(1961年退会)。1968年に渡米、1977年帰国。鎌倉と八ヶ岳のふたつのアトリエで制作活動を続け、現在に至る。1991年山梨県立美術館、2004年神奈川県立近代美術館をはじめ、個展、グループ展多数開催。絵画を中心に立体作品も多数手がけ、ミニマル・アートや抽象表現主義など、さまざまな要素を批判的に咀嚼しつつ、独自の世界を展開している。
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針生鎮郎
「河童と女」
1984年
水彩、スケッチブック
Image size: 26.0x17.0cm
サインあり
■針生鎮郎 Shizuo HARIU(1931-1998)
1931年東京都に生まれる。1957年東京藝術大学油画科卒業。大学卒業後は独立美術協会を中心に発表を続けた。卒業の翌年の1958年、第26回独立展で独立賞を、その翌年は独立優秀賞を受賞。独立美術協会は1981年に退会。その後は大学の同期だった作家・稲葉治夫、松本英一郎、豊島弘尚らとともに1960年に作ったグループ「新表現主義」で発表を続けた。ユーモラスな形態の中に赤や緑などの強い色彩と厚塗りのマチエールによるイメージを盛り込み、重厚な世界を展開。人間像をモチーフとする作品を主に制作した。
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平賀敬
(作品)
1988年
シルクスクリーン
Image size: 36.0x43.0cm
Ed.120
サインあり
■平賀敬 Key HIRAGA(1936-2000)
1936年東京都に生まれる。1959年立教大学経済学部卒業。1965年渡仏。以後パリを拠点にヨーロッパの画廊、美術館で意欲的に作品を発表する。1968年工藤哲巳とともにパリ五月革命に奔走。1977年パリのアトリエを引き払い帰国。2005年箱根湯本にある晩年の住まいが「平賀敬美術館」としてオープンした。神奈川県立近代美術館、東京国立近代美術館、ニューヨーク近代美術館など、国内外の美術館に作品が収蔵されている。
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福田繁雄
(作品)
1976年
シルクスクリーン
Image size: 35.0x24.0cm
E.A. サインあり
■福田繁雄 Shigeo FUKUDA(1932-2009)
1932年東京都に生まれる。グラフィック・デザイナー。少年時代を岩手県二戸市で過ごす。
東京オリンピックや大阪万博へと日本が向かっていた時期に、デザイナーとして活動をスタートする。1972年ワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレで金賞を受賞。1975年「ポーランド戦勝30周年記念国際ポスター・コンペ」で最高賞を受賞するなど、国内外で広く活躍する。
明快な単純化、軽快なユーモアのセンス、そして視覚による伝達への関心に根ざす錯覚や錯視を利用した視覚トリックを用いた作風で知られる。福田のこうした特質は、グラフィック・デザインだけではなく、立体作品や著作にも強く表れている。
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松崎真一
(作品)
油彩
14.0x9.5cm
額裏にサインあり
■松崎真一 Shinichi MATSUZAKI(1910-1979)
1910年福井市生まれ。
昭和4年早稲田実業を卒業、福井県織物同業組合に勤めるが、同僚に横山千勝がおり、土岡秀太郎の知遇を受け、油絵を描きはじめる。
昭和7年第2回独立展に荒島岳をえがいた『風景』が初入選。田中佐一郎、須田国太郎に師事、独立展に出品を続ける。
昭和18年第13回独立展の『禿鷹』『禿鷹の一族』で独立賞受賞。昭和22年独立会会友、昭和27年独立美術協会会員となる。
戦前戦後を通じて、福井の美術界の中心的役割を果たし、戦後は小野忠弘とともに福井の美術界を代表する画壇の双璧として活躍。
また多くの後進を育て、独立の個性あふれる画業を展開する。
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松崎鐘美
(作品)
1976年
油彩
33.5x24.5cm
サインあり
■松崎鐘美 Kanemi MATSUZAKI(1950-2005)
1950年洋画家松崎真一の子息として生まれる。1966年福井県美術展に初出品ながらも初受賞し、以降連続5回受賞。同年の第34回独立美術協会展でも初入選を果たし、1972年のNHK総合テレビ「美術界展望12人」の1人にも選出される等その活動は初期より注目を集める。その後プロの画家として活動を始め、県内外で多数の個展を開催する一方、独立展への出品は約20回に及んだ。作品は抽象表現、具象表現、線や色面を多用した表現、モノトーン表現等多様に変遷。2004年自宅兼アトリエを改装し、私設美術館を開館。妻で画家の松崎紀美代、父真一の作品などを展示した。
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松澤宥
『松澤宥ψ(プサイ)の函』
1983年 造形社 発行
監修:ヨシダヨシエ、デザイン:芦澤泰偉、英訳:成田英明
30.6x30.2cm
Ed.350 サインあり
■松澤宥 Yutaka MATSUZAWA(1922-2006)
1922年長野県に生まれる。
1946年早稲田大学理工学部建築科卒業。
1964年に「オブジェを消せ」という啓示を受け、言葉のみを使った芸術を展開。概念芸術家としての活動を始める。言葉を主体とした作品制作の他、メールアートやパフォーマンスなども行なう。1970年から1980年までは、美学校にて講師となり講座「最終美術思考工房」を開催した。コンセプチュアル・アートの先駆者の一人として、欧米にもその名を知られる。塩尻在住時代の草間彌生が頻繁に訪ね、師と仰いだ現代美術家である。
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三井永一
「現実の方へ」詩付き
1956年
ペン画、水彩、紙
Image size: 25.0x29.0cm
サインあり

三井永一
(作品)
1958年
ペン、紙
Image size: 23.5x35.0cm
サインあり
■三井永一 Eiichi MITSUI(1920-2013)
1920年山形県に生まれる。春陽会洋画研究所に学び、木村荘八、岡鹿之助らに師事する。油絵、版画、ガラス絵など幅広く制作。挿絵画家としては柴田錬三郎、 横溝正史、 永井荷風らの作品を手掛ける。展覧会多数開催。1971年講談社出版文化賞(さしえ部門)受賞。
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三宅一生
『秋冬コレクション・カタログ』ポスター8枚組
1988年
オフセット
Image size: 42.0x29.0cm
サインあり








『春夏コレクション・カタログ』ポスター7枚組
1988年
オフセット
Image size: 42.0x29.0cm
サインあり






■三宅一生 Issey MIYAKE(1938-)
ファッションデザイナー。1938年広島県に生まれる。多摩美術大学卒業。在学中からコレクションを発表しており、第1回は1963年に発表された「布と石の詩」。卒業後パリに渡り、1966年ギ・ラロッシュのアシスタントとなる。バレンシアガの元で働くことを望んでいたものの、1968年バレンシアガが引退したため、その一部を引き継いだジバンシーでアシスタント・デザイナーに就任する。1970年帰国し、「三宅デザイン事務所」設立。
1971年ニューヨーク市内のデパートに「イッセイ・ミヤケ」のコーナーを開設した。「1枚の布」をコンセプトにした新しいファッションの世界を展開。独創的なデザインは世界でも認められている。1988年プリーツ・プリーズ(PLEATS PLEASE)を発表。1984年毎日ファッション大賞大賞受賞。2010年文化勲章受章。
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吉仲太造
(作品)
1958年
紙にアクリル
Image size: 28.5x37.5cm
サインあり
■吉仲太造 Taizo YOSHINAKA(1928-1985) 京都生まれ。早くから画家を志し、小学校卒業後に京都市立美術工芸学校を受験するが、小児麻痺により左足が不自由であったため不合格となる。1946年のちの行動美術京都研究所となる京都人文学園絵画部に入所し、画家としての第一歩を踏み出す。1952年に上京し岡本太郎の呼びかけで美術家の国際交流と連帯をめざしたアートクラブに参加。1955年には前衛作品を結集させ新たなう ねりを生み出そうとしていた岡本の招きにより、二科会第九室に出品。43歳でうつ病を発病して以後は、無彩色のキャンバスにシルクスクリーンを用いて静物などの映像を浮かび上がらせる作品や、無駄な要素をそぎ落として白い絵具を主とした作品へと移行していった。病により56歳で歿したが、1999年渋谷区立松濤美術館と京都市美術館で「戦後美術を読み直す 吉仲太造」が開催されるなど、再評価の声が高い。
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脇田愛二郎
「(赤地の線)」
シルクスクリーン
Image size: 30.0×34.5cm
Ed.25 サインあり
■脇田愛二郎 Aijiro WAKITA(1942-2006) 静岡県生まれ。父は画家の脇田和。1964年武蔵野美術大学本科西洋学科卒業。その後渡米。1969年のニューヨークでの個展から国際的な評価を集める。彫刻、モニュメント、さらに環境アートの分野で意欲的に活躍。その作品は各地で発表設置され、ニューヨーク近代美術館、カーネギー美術館などにも所蔵されている。また家具をはじめとするデザイン活動も多岐にわたる。
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渡辺豊重
「ショーガール」
1976年
油彩、アクリル
16.5x13.0cm
サインあり

渡辺豊重
(作品)
1979年
アクリル、板
5.3x12.5cm
サインあり
■渡辺豊重 Toyoshige WATANABE(1931-)
1931年東京都に生まれる。1950年代後半から難波田龍起や田中岑に師事し、1962年初個展を開催。以降、1960年代前半のモノトーンに近い抽象画、鮮やかな色彩や奇妙なかたちが登場する1970年代、金地に描かれた黒が印象的な2009年以降の鬼シリーズなどを展開。油彩、水彩、版画、彫刻等、様々な様式を変遷しながらも、一貫して生き生きとした生命力溢れる造形と鮮やかな色彩を特徴とする。
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池田満寿夫、勝呂忠、中西夏之、早川重章、馬場彬、吉仲太造
「サトウ画材カレンダー」6点組
1985年
シルクスクリーン
49.0x69.0cm
版上サインあり






■池田満寿夫 Masuo IKEDA(1934-1997)
1934年旧満州国生まれ。1945年、終戦により母と郷里の長野市に戻る。1952年高校を卒業し上京、版画家デビュー。1960年、62年、64年の東京国際版画ビエンナーレ展での連続受賞につづき、1966年の第33回ヴェネツィア・ビエンナーレでは版画部門の国際大賞を受賞。一躍、世界のスターへの道が開かれる。しかし高い評価に甘んじることなく常に自己変革による自由な変貌をくり返す。
その後も日本を代表する版画家として東京とニューヨークを拠点に制作を続けるかたわら、小説家としても活躍し1977年には芥川賞を受賞。帰国後は、熱海市に居を構え、作陶から立体造形への関心を深めるなど表現の幅を広げる。
■勝呂忠 Tadashi SUGURO(1926-2010)
1926年東京都に生まれる。1950年多摩造形芸術専門学校(現多摩美術大学)絵画科を卒業。同年、自由美術協会を退会した村井正誠、山口薫、小松義雄らによって進められていたモダンアート協会創立に参加。1961年イタリアに留学、油彩画のほかモザイク画を学ぶ。1963年帰国。渡欧前は対象を幾何学的な形の集合体として把握し、それらをいったん解体してから再構成する具象画を描いたが、渡欧後は抽象表現を試みるようになる。1973年再び渡欧。トルコ、ギリシャ、イタリア、フランス等を旅行する。1980年代初頭から様々な色調の黄土色を基調とする背景に、布で全身を覆った人物立像を想起させる幾何学的形態を平板な黒い色面で表した画風へ転じる。又、舞台美術や装幀も手がけ、 1954年から描いた早川書房刊行のポケット・ミステリーの表紙原画がある。以後、三田文学表紙(1956年~1958年)、エラリー・クィーンズ・ミステリ・マガジン(創刊号から1965年まで)などの表紙原画を手がけ、斬新洒脱な画風で注目を集めた。
■中西夏之 Natsuyuki NAKANISHI(1935-)
1935年東京都に生まれる。1958年東京藝術大学絵画科油画専攻卒業。大学時代の同窓に高松次郎、工藤哲巳、磯辺行久などがいる。1963年高松次郎、赤瀬川原平らと「ハイレッド・センター」を結成、銀座の街頭や画廊などで日常に懐疑を突きつける多くのイベントを実践した。1960年代から舞踏家の土方巽と交流をもち、周辺の瀧口修造や澁澤龍彦、シュルレアリスム系の画家や詩人たちと親交する。1965年の暗黒舞踏派公演『バラ色ダンス~澁澤さんの家の方へ』、1968年の『土方巽と日本人―肉体の叛乱』で主要な舞台美術・装置を手がける。、笠井叡や山海塾らとも協働を重ねる。近年はフランス・リヨン国立歌劇場での舞台美術を担当した。
初期には砂を用いた絵画、連作廃品を溶接した作品、アクリル樹脂で身辺の事物を封じ込めたコンパクトオブジェなど物質的な要素の強い作品を制作。1960年代後半からは「絵画」の制作を主軸とし、1970年代からは白、紫、黄緑といった色を基調とする油彩の平面作品を発表。
■早川重章 Shigeaki HAYAKAWA(1924-)
1924年山梨県に生まれる。1944年日本美術学校に学ぶ。1968年渡米。1977年帰国。鎌倉と八ヶ岳のふたつのアトリエで制作活動を続け、現在に至る。1991年山梨県立美術館、2004年神奈川県立近代美術館をはじめ、展覧会多数開催。絵画を中心に立体作品も多数手がけ、ミニマル・アートや抽象表現主義など様々な要素を咀嚼しつつ、独自の世界を築き上げている。
■馬場彬 Akira BABA(1932-2000)
1932年東京都に生まれる。1955年東京藝術大学油画科卒業。同年から佐藤友太郎が銀座に開設したサトウ画廊のマネージメントを担当。1981年の閉廊まで企画に携わり、自身の制作活動と並行しながら重要な作家を展覧会として幅広く取り上げる。1984年~1986年までドイツに滞在。初期から、平板な色面の幾何学的イメージをモチーフに色と形が画面に作り出す調和を模索した。吉仲太造、深沢幸雄らとともに戦後の抽象絵画の主要な作家のひとりとして活躍。
■吉仲太造 Taizo YOSHINAKA(1928-1985)
京都生まれ。早くから画家を志し、小学校卒業後に京都市立美術工芸学校を受験するが、小児麻痺により左足が不自由であったため不合格となる。1946年のちの行動美術京都研究所となる京都人文学園絵画部に入所し、画家としての第一歩を踏み出す。1952年に上京し岡本太郎の呼びかけで美術家の国際交流と連帯をめざしたアートクラブに参加。1955年には前衛作品を結集させ新たなう ねりを生み出そうとしていた岡本の招きにより、二科会第九室に出品。43歳でうつ病を発病して以後は、無彩色のキャンバスにシルクスクリーンを用いて静物などの映像を浮かび上がらせる作品や、無駄な要素をそぎ落として白い絵具を主とした作品へと移行していった。病により56歳で歿したが、1999年渋谷区立松濤美術館と京都市美術館で「戦後美術を読み直す 吉仲太造」が開催されるなど、再評価の声が高い。
◆臨時ニュース
5月16日のブログでもご紹介した遠藤新設計の「加地邸」が明日の午前中だけ公開されます。
秋の加地邸公開について (11月28日(土)10時~12時)。
近くの神奈川県立近代美術館葉山館で開催中の若林奮展とあわせご覧になったらいかがでしょうか。
◆ときの忘れものは2015年11月28日[土]―12月5日[土]入札による「戦後の前衛美術'50~'70 PartII S氏&F氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。

1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏と、同じく50年代から現代美術を蒐集してきた国際派の経済人F氏のコレクションから78点を入札方式で頒布します。
【出品作家】
相笠昌義、朝倉摂、粟津潔、池田龍雄、池田満寿夫、伊藤憲治、猪熊弦一郎、井上公雄、岩中徳次郎、岡田謙三、金子國義、鴨居羊子、柄澤斉、川端実、北代省三、絹谷幸二、小紋章子、斎藤隆、佐野繁次郎、嶋田しづ、末松正樹、菅木志雄、勝呂忠、千住博、タイガー立石、高松次郎、高山登、タジリシンキチ、谷川晃一、利根山光人、中西夏之、野間佳子、馬場彬、浜口陽三、早川重章、針生鎮郎、平賀敬、福田繁雄、松崎真一、松崎鐘美、松澤宥、三井永一、三宅一生、吉仲太造、脇田愛二郎、渡辺豊重、
ピエール・アレシンスキー、マッツ・グスタフソン、クールバック、クリッパ、J.F.ケーニング、ジャン・コクトー、P.スーラージュ、チャイルズ、マーク・トビー、Y. Neiman、バルテュス、カレン・バーバー、フェイト、ジャン=ミシェル・フォロン、ルチオ・フォンタナ、デイヴィッド・ホックニー、マリノ・マリーニ、ジョアン・ミロ、J.メサジェ、ピエト・モンドリアン、ユヌス、ロバート・ラウシェンバーグ、S.ロディヨン、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー、S.Hdliku
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