森本悟郎のエッセイ その後・第20回

東松照明(1930~2012) (5)稀代の編集家として


写真が絵画と大きく異なる点のひとつに、オリジナルプリントとともに印刷物である写真集も作品として認められていることである。画家は画集を作品とは言わないだろうし、だれも認めないだろう(もっとも版画はいささか様相を異にするようだが)。なぜか? それは、絵画は1枚の作品に作家の世界観や哲学を表現できるが、外界をフレーミングし記録するというストレートな写真の方法ではそれがまことに困難で、数によって表現するほかないからだ。1冊の写真集、1回の個展が1枚のタブローと考えられないだろうか(とはいうものの、もちろん単純に比較できるものでない)。ちなみに東松さんは「群写真」という概念を提唱している。
そんな事情から、写真家は写真集や展覧会の構成に傾注し、編集能力に長けた写真家も当然現れる。東松さんはその代表といえよう。60年に及ぶ写真家としてのキャリアの中では、一過性のテーマやモティーフも、長いスパンで撮り続けたシリーズもあり、その撮影対象はありとあらゆる事象や事物にわたっている。それをひとつのテーマやシリーズにまとめるのは、ほかでもない「編集」の力である。
「写真は、選択の連鎖で成り立つメディアアートである。カメラとレンズを、感光材料を選ぶ。被写体を選択する。広がる空間の部分を選んで切り取る。日時を定め、光や風を選ぶ。対象との距離を選び、アングルを選ぶ。そしてシャッターチャンスを選ぶ。コンタクトプリントから数点選んで引き伸ばし、更にその中から一点を選んで、展示作品ができあがる」(「『時を削る』東松照明の60年」西日本新聞2010.7.5)という言葉からも、東松さんが写真というメディウムを扱うにあたって、編集の重要性を認識していたことがわかる。
1967年の出版社・写研設立は編集者としての東松さんを印象づけたが、ぼくには2000年に長崎から始まった展覧会の「マンダラ(曼荼羅)」シリーズにこそ編集者・東松照明の神髄を見る。開催地にゆかりのある膨大な写真アーカイブから、時間や空間の文脈を離れ、一つひとつの写真が喚起するイメージの連鎖によって構成される展覧会である。このような展覧会を可能にするものこそ編集の力である。自身の作品を的確に読み取り、連続と断続、親和と違和を巧みに組み合わせる力技は、とても感性レベルの話ではない。
学生時代すでに『カメラ(CAMERA)』への投稿で土門拳や木村伊兵衛を唸らせるような技量を身につけていた東松さんに必要だったのは、何をどう撮るかではなく、撮ったものをどう提示するか、だったのではないか。東松さんにとって大切なのは社会へのアウトプットであり、その最大の武器となったのが編集力だった。しかもその編集力たるや、写真集や展覧会を超えて、オルガナイザーの自己編集力とでもいうべき広がりと深さを人的交流として見せたのである。編集力を創造に、表現にまで高めた写真家は東松さんひとりではない。しかし東松さんを凌ぐ写真家も思い当たらないのである。
もりもと ごろう

森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。

●今日のお勧め作品は、小野隆生です。
20151128_ono_200809_10小野隆生
「空の塗り残し」
2008年
テンペラ・画布
80.0x60.0cm
サインあり


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