リレー連載
建築家のドローイング 第2回
エティンヌ・ルイ・ブーレー(Etienne Louis Boullee)〔1728―1799〕

彦坂 裕


 エティンヌ・ルイ・ブーレーは、巨大幻想(メガロマニア)の建築計画案をもって知られるフランス革命期のヴィジオネールである。

ブーレー「死者の塔」E.L.ブーレー Etienne Louis Boullee
「死者の塔」


 彼にはもちろん幾つかの邸宅の実作もあるのだが、晩年のほぼ二十年近くに描いたと思われるこれらの建築案(ブーレーの図版には実のところ年代の不詳のものが多い)は、建築史上でも比類なきほどの異貌をたたえている。晩年のほぼ二十年といえば革命(一七八九年)がちょうどあいだにはさまっているのだが、王党派として糾弾されるという憂き目には会うものの、それはトータルとしての彼のキャリアを崩壊させるほどのものではなかった。革命後もこの律義な教育家は、以前の王立建築アカデミーの機能に代わる学士院の要職に就いていたのである。
 このあたりが、当時の建築教育の大立物ジャック・フランソワ・ブロンデルに同じく師事していた宮廷建築家クロード・ニコラ・ルドゥーと異なるところだろう。失脚から投獄という失意の中でユートピアを捏造し続けたルドゥーのように彼は呪われた存在ではなかった。むしろその輝かしい足跡によって、ブーレーは祝福されていたとさえいってもよいのだろう。だが、そんなことは少なくともここでは本質的な問題ではない。彼らがともどもにこの時代の痛みを体現してしまったことには変わりないのだから。
 時代の痛み、しかしそれにしてもこれほどまでに激しい痛みはかつてなかったのではあるまいか。皮肉なことに、それは「理性によって真実を探求する」というこの時代特有なヴェクトルによって一層苛烈なものになったのだ。芸術と同じく建築も研究、批評の対象になるや、建築家はこれまでにないほど広範なイマジネーションを獲得するに至ることになる。エジプトが、古代ギリシアが、イタリア・ルネッサンスが、中国が、建築家の製図板の上を浸食し始めてきた。遠い世界が直截的に現実世界と結ばれる。
 「………だが今や全てが変ったのである。その理由はほとんど理解できないだろう。昔はギリシア・ローマ建築はほとんど尊重されず、冷たい、単調なものと考えられていた。ところが今では、古代の作品や異国のそれを模倣することが流行となったのである。室内装飾に中国の奇怪なものを模し、建築に古代エジプトの重々しい様式をまね、他の国々がフランスに従うことを期待するまで至った。ゴシックの再紹介もそう遠くないように思われる。室内装飾においては、世紀のへだたりが、わずか30年以前のそれと現在の様式とをわけるように思われる」とブロンデルの『建築教程』(一七七一~七七)は語っている。

ブーレー「図書館の内観」E.L.ブーレー Etienne Louis Boullee
「図書館の内観」



 時代はまさに近代の揺籃期だった。
 イマジネーションの跳梁にもかかわらず、この時期の建築に見られる奇態-観念論争から際限のない折衷主義、そしてメガロマニアは、むしろこれまで建築の秩序そのものを支えていた何ものか、それを前世紀から発展し続ける科学精神によって「失った」、いや、というより、その「不在」に立ち会うことを余儀なくされたうろたえの身振りでもあったといえなくもないだろう。これは理性の光が煌々と照らし出してしまった建築の成立基盤のアイデンティティの不確かさを、恣意的な尺度に彩られた「理性」によって解消せんとする矛盾律、それを真向から引受けねばならぬ痛みなのである。
 18世紀も後半にはいると、充血したバロックの空間は、もはや完全に、より理知的な新しいタイプの空間に置き換えられた。この空間は視覚上の興奮や衝撃を根幹に据えてはいない。高度に組織化されていたり、有機的に統合されてもいない。それはブーレーの図版にも明らかなように、自律的なフォルムをもつ建築が茫漠とした、あるいはタブラ・ラサに近いといってもいいランドスケープの中にただ布置されているのである。
 石棺の形をした戦士の墳墓、錐形もしくはピラミッドの死者の塔、底辺の長い三角形の立面をもつ共同墓地、細長いジグラッドをした灯台、スケールの肥大化・脱臼化のみに関心が注がれたような数々の市民建築(市門、市壁、スタジアム、裁判所、図書館、メトロポール、公会堂、美術館、要塞、それにオペラ劇場)、さらに死の神殿では実に巨大建築が沈みかけ、まさに埋没せんばかりの光景の演出といった力業までが見出せるのだ。そして常にそこに回帰してゆく球形をしたニュートン記念堂……。パリの国立図書館に寄贈された約百点のこれら素描の表現と、また同時にそのレパートリーにもまずは注目しておくべきだろう。
 エジプトのモニュメントが、あるいはローマの巨大施設がそうだったように、ブーレーは根源的な形態を選びとる。彼にとって幾何学はいわばアルファベットであり、第一言語であった。この幾何学がもたらすプレーンな表面からは不必要な装飾が周到に排除される。ブーレーはこれを「豊饒なる不毛」といういささかパラドキシカルな言い廻しで語った。単明さがはらむ詩、とでもいえようか。そして人像列飾や列柱の執拗な反復、それに糸杉の列植が施されることで、尋常ならざるスケールのマッスが鮮明に浮かび上がるのだ。低く、しかもロマンティックにたれこめた雲の背後から逆光で、ときとして足元の篝火によって、そのシルエットはメランコリックな様相を呈してくる。おそらくこの修辞がブーレーをして「陰影の建築」家と呼ばしめる由でもあると思われるのだ。

ブーレー「ニュートン記念堂」E.L.ブーレー Etienne Louis Boullee
「ニュートン記念堂」
Projet de cenotaphe a Isaac Newton - Vue en elevation 
(1784)


 とりわけ重要なことは、外観自体が建物の目的を表わすべきだという、当時のプログラムが明瞭にここにも垣間見られるということだろう。見る者に強い印象を与えるために、建物はそれぞれ「性格」(カラクテール)を備えること、そのことによって市民社会の本質的な部品として建築を社会的コンテクストへ投錨することが可能になるのである。それは個性という新たな美の認識カテゴリーにも対応していた。建築は、こうした手立てによって、レパートリーに展開されるのである。革命期のヴィジオネールたちが、建物の性格に応じてイデアルタイプ(理念型)を創作するパトスにとり憑かれたのも偶然ではない。と同時にこの時代に顕著な百科全書的な分類とある意味ではパラレルな現象でもあったのだ。

ブーレー「スタジアム」E.L.ブーレー Etienne Louis Boullee
「スタジアム」



 ブーレーの場合は、しかし、ひときわ雰囲気上の偏向を受けていた。彼が語らしめたものは建物の用途や目的それ自体というよりも、むしろ自然の概念であった。それも原理化され法則化された理神論のうちに垣間見ることのできる自然にほかならなかった。図版を見るがよい、ブーレーの計画案は他のヴィジオネールのそれから際立って崇高な効果が醸し出されている。のみならずそこにはどこかしら黄泉の主題が漂っているのを感じないわけにはいかないだろう。黄泉とは抽象的な法則が君臨する王国を想起させる。言うまでもなく、彼は、無限の中に法則を見出す理神の権化ニュートンの偉大な讃美者だったのである。
 死の建築は同時に建築の死(従来の建築諸規範の解体)の隠喩でもあった。孤高のポーズをとりながらも、だがそれは決して一人で屹立しているのではなく、むしろ世界という膨大なタブローの関係空間に冷やかに接合されていく、それは理性のとりうる一つの究極の形態にほかならなかった。
 幾何学への傾斜はブーレーの弟子J・N・L・デュランにも引継がれるのだが、その意味内容は全く異ってゆく。以後、幻想的なともいえる個性はいっさい払拭され、透明で退屈な効率の力学が建築を席巻していったのである。実は、近代の経済合理主義的な空間はここにその端緒を見出すことになるのだ。

(ひこさか ゆたか

*現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.91』(1983年4月1日発行)より再録
*作品画像は全てエミール・カウフマン著・白井秀和訳『三人の革命的建築家 ブレ、ルドゥー、ルクー』(1994年 中央公論美術出版)より

■彦坂 裕 Yutaka HIKOSAKA
建築家・環境デザイナー、クリエイティブディレクター
株式会社スペースインキュベータ代表取締役、日本建築家協会会員
新日本様式協議会評議委員(経済産業省、文化庁、国土交通省、外務省管轄)
北京徳稲教育機構(DeTao Masters Academy)大師(上海SIVA-CCIC教授)
東京大学工学部都市工学科・同大学院工学系研究科修士課程卒業(MA1978年)

<主たる業務実績>
玉川高島屋SC20周年リニューアルデザイン/二子玉川エリアの環境グランドデザイン
日立市科学館/NTTインターコミュニケーションセンター/高木盆栽美術館東京分館/レノックスガレージハウス/茂木本家美術館(MOMOA)
早稲田大学本庄キャンパスグランドデザイン/香港オーシャンターミナル改造計画/豊洲IHI敷地開発グランドデザイン/東京ミッドタウングランドデザインなど

2017年アスタナ万博日本館基本計画策定委員会座長
2015年ミラノ万博日本館基本計画策定委員会座長
2010年上海万博日本館プロデューサー
2005年愛・地球博日本政府館(長久手・瀬戸両館)クリエイティブ統括ディレクター
1990年大阪花博大輪会出展総合プロデューサー

著書:『シティダスト・コレクション』(勁草書房)、『建築の変容』(INAX叢書)、『夢みるスケール』(彰国社)ほか
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