森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」第6回

「記憶の中の天皇制」

 冒頭でご報告です。当連載第4回に登場した増山麗奈がこのたび社民党公認で参院選予定候補者になった。増山は以前から岸本清子とどこか類似点があったと思うのだが、選挙戦に立候補とはまさにシンクロニシティだ。

masuyamarena東スポ12月17日号「母乳芸術家直撃」
東京スポーツ2015年12月17日号


 さて、いままでも天皇に言及するアートが話題なってきたけれども、実際は天皇礼賛アートのほうが多く作られてきた。そこを指摘する評論家は少ないのだが、そのことは前置きにとどめることとする。
 リトマス試験紙としてのアート。アートが現行の価値観もしくは権威より規制・排除されるか否かでその芸術性の一定の水準を醸し出しているという考え方。現行政は昨年のヴェネチア・ビエンナーレ的エンヴェゾー的権力批判芸術をもはや受け入れること不能となったのではないか。そうした反体制(*これは反体制ではなくアフリカに至るまで現在の旧第三世界で民主化後に当たり前となった表現形式であるのだが、日本で記述するときは便宜的に反体制アートという)こそが体制から排除される真正の芸術である、という可能性についての問題である。少なくとも日本現代美術に言及したMOMAや他のニューヨークでの展覧会テクストなどを見る限り海外が形成しているアート概念と国内のそれは相当に乖離している。
 なぜ乖離するのか? 日本人が心地よいと思う芸術形式ではないからだろう。すると日本人が心地よいと思う芸術は本当に芸術なのかといった本質的懐疑論にぶち当たることになる。
 あるいは日本という国は真の民主化たりえたのか? といった根源的問題にまで到達する。また、民主的人間というものが存在するとすれば日本人の心性はそれに合致しうるものなのかどうか、というのが前提としてある。

 天皇をめぐるアートシーンを詳細に分析した書物は、まず「天皇の美術―近代思想と戦争画 」(菊畑茂久馬著 1978年 フィルムアート社刊)があり、最近ではアライ=ヒロユキ著「天皇アート論」(2014年 社会評論社刊)という優れた論考がある。
 天皇賛美芸術で近代のものといえば、ひとつは横山大観の富士山シリーズがあるだろう。霊峰富士の形に象徴的に変換しているものの、天皇の礼賛に帰する表現だといえよう。当時、御真影は恐れ多い存在でとても勝手に描写できるものではなかったことは菊畑の書物に詳しい。明治政府は当初、天皇の肖像画をキヨッソーネ、ウゴリーニ、五姓田芳柳、高橋由一に描かせその複写写真を喧伝したが、写真から描かれたそれらは決して生気に満ちていたとはいいがたい。(*例外としてキヨッソーネはスケッチをもとにコンテ画を描いたが)わざとイコン化して御真影の神格化をはかったともいえようか。

横山大観横山大観
「神国日本」
1942
足立美術館蔵


五姓田義松「御物 孝明天皇御肖像」五姓田義松
「御物 孝明天皇御肖像」
1878(明治11年)
宮内庁蔵
五姓田義松は昭憲皇太后の肖像画も描いている。


高橋由一「明治天皇」高橋由一
「明治天皇御肖像」
1879(明治12年)
油彩
135.5×104.5cm
宮内庁蔵
内田九一撮影の写真をジュゼッペ・ウゴリーニが写した油彩画をもとに描かれたもの。


 現代美術で天皇主題と捉えられるものには、池田龍雄の1950年代の作品や60~70年代にかけての山下菊二の天皇制シリーズなどを代表にあまたある。山下の場合、1995年にも回顧展において、天皇制を主題とした作品展示を美術館側が自粛するなどの経緯が見られた。反対にこれを堂々と展示して物議を醸したのは98年の「加害/被害」展(板橋区立美術館)でだった。ただしこれらは、天皇=裕仁であって、複雑な国家体制をたどった昭和という時代の特殊性をまた天皇に反射させたものでもあるだろう。

山下菊二山下菊二
天皇制シリーズ「弾乗りNo.1」
1972
紙にシルクスクリーン
73.0×51.5cm
写真提供:日本画廊
「表現の不自由展」(表現の不自由展実行委員会刊)図録 p12より複写


池田龍雄池田龍雄
「にんげん」
1954
昭和天皇のいわゆる「人間宣言」を主題としている。


 2014年、光州ビエンナーレで朴政権から展示禁止・撤去の憂き目にあった洪成譚は、ここ数年、東アジアのヤスクニズム・シリーズを展開しており、15年にもブレヒトの芝居小屋、原爆の図 丸木美術館で展示された。洪の場合、靖国における植民地支配と戦後の連続性をとらえ「ナチズムに比するファシズムの温床であり、ヤスクニズムはアジア全域にぬぐいがたい影響を及ぼしたままだ」という主張の絵画芸術である。この主張自体はましてや旧弊の国家主体を激しく取り戻そうとしている現政権下では、国公立美術館が表立って擁護できかねる問題ではあるのだろう。洪は韓国・日本の両権力を相手どり超離れ業を演じてもいる。光州ビエンナーレ特別展で洪の作品が展示拒否にあった際には後出の大浦信行は抗議文を燃やした紙を「遠近を抱えて」に貼り込み特別展に展示している。

ヤスクニズム展洪成譚
「東アジアのヤスクニズム」展チラシ
2015


 だが、天皇を主題としたアートにおいて、戦後の代表的事件といえば、やはりその大浦信行の場合だ。まず、連作版画「遠近を抱えて」弾圧事件、富山県立近代美術館で起こった発端をおさらいすれば、1986年6月4日、富山県教育警務常任委員会で、4月まで同美術館企画展「’86 富山の美術」で展示され購入・寄贈を受けた大浦信行作品を与野党議員が「不快、非常識」と追及、その後、富山県神社庁、県民会議、右翼団体らの抗議によって同作品・図録を非公開としたものだ。全国の右翼300人くらいが街宣車40数台を連ねて県庁と美術館に押しかけてきたという。93年同作品は売却、図録も残部は焼却された。まさに焚書である。

大浦信行1大浦信行
《遠近を抱えて》I
1982~85
紙にシルクスクリーン、リトグラフ
57.0×77.0cm


大浦信行2大浦信行
《遠近を抱えて》VI
1983~85
紙にシルクスクリーン、リトグラフ
57.0×77.0cm


 ちなみに長澤伸穂はこの事件に材を取り抗議と思しきインスタレーション「摂氏233度」(1996)を展開した。これは華氏にすると451度で、ブラッドベリの同名の焚書に関する小説の題名でもある。前回の森村泰昌ヨコトリが同主題を問題にしたが、そこでは焚書・検閲の主問題がむしろ詩的・文学的解釈に流れ、抽象的に終始したが、長澤のものは焚書に対するストレートな問題提起であった。   
 大浦支援者は控訴したが、結果、00年10月、最高裁への上告棄却により決着している。「象徴として制約を受ける」との見解は表現の自由を大きく退行させた。
 これが同作第一次事件であるが、続いて2009年に第二次大浦事件が勃発する。「アトミックサンシャインの中へin 沖縄 ─ 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」展はニューヨーク、東京・代官山を経て4月に沖縄で開催された。沖縄県立博物館・美術館では、同作品が館長主導ではずされたのだ。「病んでいる果実ははずしたらどうか」との発言もあったという。
 同企画自体、独立キュレーターの渡辺真也によるが、彼はこの検閲に抗議せずに従った。主題が「9条と日本」にあっただけに第一次のときとは次元が異なる。表現の自由、思想の自由は知の現場における美術館にしてこうした暗黙の圧力に継続的にさらされ続けているといえよう。
大浦作品を見てみると、思想的に「反天皇」といった匂いはしない。ニューヨーク時代荒川修作のアシスタントだったという大浦は、むしろポップアーティスト、ローゼンクイストのコラージュのように無関係なものを並列・構成して制作している(*シュルレアリスムの大前提)。彼の内なる日本人としての自画像、という制作意図はほぼ正しいといえよう。では、どこが引っ掛かったのか?
 尾形光琳、レオナルド・ダ・ヴィンチ、マルセル・デュシャンマン・レイ、ボッティチェリなどの名作の引用とともに、複数の裕仁像と裸婦、原爆、刺青などが散りばめられている点であろう。ここには近代日本が回避したいおぞましいもの、不気味なもの(*それこそが近代からみた私たちの肖像であるにもかかわらず)の意匠が裕仁像と併記され並んでいる。近代国家化を急ぎ名誉白人足らんとした国家的矛盾が露呈している。また、御真影を悪戯に切り刻むのは「不敬だ」という相も変らぬ保守史観が垣間見える。2013年にも山本太郎議員が園遊会で陛下に直接手紙を渡した行為に対し「不敬だ」との論調があったことも記憶に新しい。現在では不敬罪などというものはないはずだ。(*仮に取り戻そうとするリバウンド運動が近い将来これを復活させるのだとしても)。
 第二次大浦事件のときキュレーター渡辺真也は、審美的側面に立って意見を述べたが、現在のアートシーンは昨年のヴェネチア・ビエンナーレのエンヴェゾーによるディレクションを見るまでもなく、審美的側面よりも社会的・公共的・歴史的側面にむしろスポットがあてられているのだ。直近の、ジョグジャカルタ・ビエンナーレも「社会に深く関わる アート=ソーシャリー・エンゲイジド・アート」が中心であってむしろ東南アジアでこうした傾向は増大してもいる。わが国の美術批評界も社会的・公共的表現を単に審美的にいまだに解釈する段階で停止していることは否めない。島国であったためこの国の「自己撞着」「被害妄想」は想像以上にDNA上にインプリントされているのでそこから抜け出すことがまた困難なありさまだといえようか?
 そのことはわが国の起源に関する性向に起因しているとしても現在のただ審美的なアート観のみでは世界に巻き起こる民主的思想としての芸術観には追いつかないのではないか? もうひとつ天皇制をめぐる公共美術館の規制・検閲的側面を帯びた“事件”は、1994年に川崎市市民ミュージアムで起きた「ファミリー・オン・ネットワーク」展中の大榎淳作品で起こっている。これは明仁天皇・皇后両陛下と皇太子夫妻のコピー機で複製した写真に目線を入れ、バナーとインタラクティブな表現装置を介して、個人と天皇という二重の“実体もしくは非実体”を抽出させる作品だったが後援の富士ゼロックス、市民ミュージアムの双方から皇太子夫妻が転写されたバナーを巻き上げて見えなくするという形で検閲されている。富士ゼロックス側は「政治的作品は避けるように」といっていたという。また、こうした問題の背景としては宮内庁や文化庁の構造、天皇陛下自身が現代アートをどうとらえているか、ということもあるだろう。
 川崎市市民ミュージアムは第三セクターであるため、市民の反論に対しては検閲当事者の意見が強い。

大榎淳 川崎天皇家の画像を使用した大榎淳作品
「Dissipative Local Area Network」
1994
川崎市市民ミュージアム
撮影:前田敏行
神奈川新聞より複写


 天皇に関し筆者も平城遷都1300年祭で作品を展示した。再建された大極殿の借景という概念を用いてサイトスペシフィックなインスタレーションを提示した。このイベントは天皇制とも深く結びついている。とどのつまりは実体が把握できないエンペラーの歴史は、是非双方から見たとしても神話的存在であってわたしたちはもっかのところ現世的には借景する以外ないのではないのか、というメタレベルからの思いも一部にあった。(敬称略)

森下泰輔「借景・大極殿」森下泰輔
「借景・大極殿」
2010
サイトスペシフィック・インスタレーション
LED 鉄パイプ 発電機
1200×h450×d500cm
平城宮跡・奈良


もりした たいすけ

森下泰輔「戦後・現代美術事件簿」
第1回/犯罪者同盟からはじまった
第2回/模型千円札事件
第3回/泡沫芸術家の選挙戦
第4回/小山哲男、ちだ・ういの暴走
第5回/草間彌生・築地署連行事件
第6回/記憶の中の天皇制
第7回/ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
第8回/アンディ・ウォーホル来日と“謎の女”安斎慶子
第9回/性におおらかだったはずの国のろくでなし子
第10回/黒川紀章・アスベストまみれの世界遺産“候補”建築

■森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。'80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディア・アート美術館ZKMに収蔵。'90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。個展は、2011年「濃霧 The dense fog」Art Lab AKIBAなど。Art Lab Group 運営委員。2014年、伊藤忠青山アートスクエアの森美術館連動企画「アンディ・ウォーホル・インスパイア展」でウォーホルに関するトークを行った。

●今日のお勧め作品は、イリナ・イオネスコです。
20160105_ionesco_25_p-d-15イリナ・イオネスコ
「Porte Doree 15」
1972年(1998年プリント)
ゼラチンシルバープリント
9.8x14.4cm
Ed.10
サインあり


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