リレー連載
建築家のドローイング 第3回
ジャン・ジャック・ルク-(Jean-Jacques Lequeu)〔1758-1826〕

八束はじめ


 いつの世でも不遇な人物というものはいるものらしい。ことにフランス革命というような人類史上に残る大事件が世の明暗を分けた時代においてはである。革命の大義がどうであろうと、「暗」の部分に追いやられた人々の中には時代の犠牲者と呼ぶしかない人々が少なからず出てくるのは止むを得ない。ジャン・ジャツク・ルクーの場合の不運は大革命の勃発時に、彼が30才そこそこの建築家であったことである。つまり、この天分に恵まれた人物はようやくその建築家としてのキャリアを築き始める端緒についたばかりであった。建築家という職能には、とりわけこの時代にあっては、国家権力あるいはその支配層との結びつきを保つという実務家としての仕事が宿命的に含まれている。逆にその権力の敵から見れば、建築家は大なり小なり体制派=反革命と映ずるのは当然の成り行きである。フランス大革命期は建築言語の上でも革命的な地殻変動をもたらした。不幸はこの政治革命と建築芸術の革命とが、密接な関係をもちながらも、決して等身大に重なり合わなかったということにあった。芸術革命の遂行者たちはしばしば政治には反動と見なされたし、実際それは必ずしも根拠のないいいがかりであったわけではない。前回とりあげられたブレはフランス・アカデミーの名声ある教授の座を一時追われかかった。ブレとしばしば比較されるクロード・ニコラ・ルドゥは投獄されギロチンにかけられる寸前までいった。しかし革命時にブレは61才、ルドゥは53才であった。ブレは既に最も重要な仕事を果たし終えていたし、ルドゥはその不遇な晩年を奇書ともいうべき版画による作品集「芸術、風俗、法制との関係から見た建築」に没頭することしか許されなかったとはいえ、その晩年は長いものではなかったし、革命前にはその完全な開花期の直前で断ち切られてしまったとはいえ、世に名声を謳われるには十分の作品群を残し得た。対してルクーは重要な仕事をするには若すぎた。偉大なジャック・ジェルマン・スワロ(パリのパンテオンの建築家)の甥フランソワ・スワロの下で幾つか行った設計はともあれ好評であり、郷里のルーアンでは王立アカデミーの準会員に推されるなどして、未来は希望と夢に溢れていたが、この準備段階は体制派のレッテルを貼られるには十分であっても、建築家ルクーの名を後世に残すにはあまりにも熟す期間が少なすぎた。大革命はこの若い建築家のキャリアを無慈悲に断ち切った。ルクーは役所のしがない製図工や測量事務所の仕事で糊口をしのぐことで後半世を送った。遺されている自画像は、如何にもこの人物の不運を象徴するかのように風釆の上らぬ、およそルドゥの肖像に見られるような輝かしい才気とは縁のなさそうなルクー像を伝えている。

Jルクー「ベルビューの寄合所」J.Jルクー Jean-Jacques Lequeu
「木こりのためのトルコ風の家」


 だが、実際には、やがて歴史の忘却の闇からルクーの名が再び浮上し、先輩のブレやルドゥと共にヴィジオネール(幻視者)という、この自画像のイメージにはおよそ似つかわしくない呼称を冠せられるに至らしめたものは、実にこの日陰の後半生に育まれた妄想によってであった。実生活での悲惨を補うかのように、実現とは全く切り離された自慰行為として画かれたルクーのドローイングの数々――それも生活の糧を得るために二束三文で売りに出されなくてはならなかったのだが――は、おそらく建築史上で最もファナティックな夢想に数えられるものである。

Jルクー「牛小屋」J.Jルクー Jean-Jacques Lequeu
「牛小屋」


 ブレやルドゥ、あるいは他のヴイジオネールたちにしても、その呼称にふさわしく、彼らのドローイングは前例のないほどに夢想的ではあった。ブレは当時の建築物を単純性と偉大性という啓蒙期の美学の中心的概念の象徴とさせたし、ルドゥは通例の建築の文法を著しく誇張した話法によって解体した挙句に、如何に強い性格を建築がまとい得るかを示してみせた。だがブレの巨大妄想にせよルドゥの「語る建築」にせよ、ドローイングはそれを果たさせぬ技術的、経済的、社会的環境への補償行為に過ぎなかった。そうした条件さえ許すならばそれは実現し得たのである。事実ルドゥは革命前に少なからぬこうた「奇作」を実現している。しかもルドゥはそのドローイングの殆んどを版画(エッチング)とさせている。それは作品集として数多く印刷し世に流通させるための手段であった。しかし孤独な妄想者ルクーにおいては事情は全く違う。彼の方は美しく彩色された絵画として残した。もはや社会への流通性は、その底辺に生きるだけがせい一杯の夢想家にとっては問題とならぬかのように。そしてこのドローイングは全くドローイングだけの世界である。現実に建つべき建築の姿が紙の上に残されたという性質のものではない。先輩ヴイジオネールの亜流に過ぎぬ作品のいくつかを別にすれば、ルクーのドローイングにあらわれる「建築」は、むしろ「建築風」なモチーフを借りた寓話とでも呼ぶべきものであった。18世紀から19世紀にかけては、建築においては純正な形式とされた古代ギリシアの建築様式の範例に忠実に従おうとする新古典主義が主流を形成していく過程に対して、異郷趣味に侵された折衷主義の享楽的な誘惑が纏わりついていく時代であった。ブレやルドゥは独創的なイメージによって規範性を超克しながらも、基本的には古代の偉容に憧憬した建築家たちである。彼らはその建築的なイメージをうつろい行く時間の進行の外部に置こうとした。それに対してルクーでは、様々の時代、様々の様式の断片がむしろ何の規準も脈絡もないままに選ばれているばかりか、動・植物などの不思議なモチーフがそれらと異様な形で結びつけられている。そこにはブレ、ルドゥのような偉容は全く欠如している。偉容を付与すべき典拠性、あるいはこの時代に好まれたことばでいえば単純性といったものはルクーには見当らない。一生日陰で過した不遇の身にはそのような晴れがましさは似つかわしくないといわんばかりである。古典建築様式も引用されるが、それはその本来の偉容を示すためというよりは、むしろパロディ化されるため、他のイメージによって浸喰されるためだが、これはいわゆる折衷主義とも違っている。何故なら折衷主義の殆んどは、むしろ単純で安定したイメージを流通させるために様々の様式を借りてくるだけに過ぎないからである。例えばクルーとほぼ同時代のイギリスの建築家ジョン・ナッシュが皇太子(後のジョージ4世)のために建てたブライトンのロイヤル・パビリオンはイスラム・ムガール風のネギ坊主のようなドームをもった建物であり、その中で彼はフェイクのヤシの木を配したが、それは単純な異郷趣味を満足させるためだけのものであって、オーセンティックな規範への背反はあったとしても、そのイメージは誰にでも分かりやすく流通し得るものであった。そこでのナッシュはいわばコマーシャルな建築家であって、現代の日本でも多く見られるコロニアル風のプレファブ住宅だとか、民家調の店舗だとかのデザイナーと本質的に変る所は何もない。しかしルクーの場合は全く様相が違っている。コマーシャルなイメージが安定した連想システムを梃子としているのに対して、ルクーの仕褂ける連想のからくりははるかに不安定で混乱した意表をつくような性質のものである。例えばエジプト趣味はルクーのとりわけ好んだモチーフの一つだが、それにも拘らず「イシスの神殿」にはゴシック的な装飾が施されている。牛乳の搾取場と題されたドローイングは簡素な古典様式のベースメントの上にロンバルディア・バンドと呼ばれるロマネスクの城砦のディテールが施され、その上に中国風の屋根を冠した小パビリオンが載っている。それらのつながりを示すものは何もない。辿られるべき文脈は欠落している。その上にルクーのシンボリズムには実はフリーメイソンの秘教的なそれもが忍ばされている。そのコードを読み解いていくとまたそこには別の意味がかくされている、という風なイメージの迷路がそこには形成されているのである。こうした異様だが美しい、謎めいたドローイングは死期の近しいことを悟ったルクー自身によって国立図書館に、50年間の密閉という条件つきで、寄贈された。その後のこの不運な人物の経緯を知っている者は誰もいない。

Jルクー「木こりのためのトルコ風の家」J.Jルクー Jean-Jacques Lequeu
「ベルビューの寄合所」


やつか はじめ

* 現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.92』(1983年5月1日発行)より再録
*作品画像はエミール・カウフマン著・白井秀和訳『三人の革命的建築家 ブレ、ルドゥー、ルクー』(1994年 中央公論美術出版)より

八束 はじめ Hajime Yatsuka
建築家・建築批評家
1948年山形県生れ。72年東京大学工学部都市工学科卒業、78年同博士課程中退。
磯崎新アトリエを経て、I983年(株)UPM設立。2003年から芝浦工業大学教授。2014年退職、同名誉教授。
代表作に白石市情報センターATHENS,
主要著書に『思想としての日本近代建築』。

*画廊亭主敬白
2015年11月から連載(再録)をはじめたリレー連載「建築家のドローイング」(毎月24日に掲載します)は、今から33年前、亭主が主宰していた現代版画センターの機関誌『PRINT COMMUNICATION 』に、当時まだ新進気鋭の建築家だった彦坂裕さんと八束はじめさんに交替で執筆していただいたものです。
全部で15回ありますが、今回再録にあたり、お二人に了解をとったところ、快く受けていただきました。再録にあたっては誤字脱字以外は最小限の修正しかしていません。画像については、当時の編集スタッフがお二人の蔵書から複写したのですが、今回は新たに画像を他の文献から集める予定です。
第二回エティンヌ・ルイ・ブーレーと今回(第三回)ジャン・ジャック・ルク-については、エミール・カウフマン著・白井秀和訳『三人の革命的建築家 ブレ、ルドゥー、ルクー』(1994年 中央公論美術出版)から引用させていただきました。
同書は、三人の建築家たちが20世紀の近代建築の先駆的な存在として評価されるきっかけとなった重要な文献ですが、お二人の執筆はその邦訳が刊行される10年も前のことでした。
今月と来月の第3回、4回は八束はじめ氏の執筆でお送りします。

●今日のお勧め作品は磯辺行久です。
磯部行久レリーフ磯辺行久
「ワッペン」
1962年
レリーフ、木
28.1x40.4x4.6cm
Signed

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