突然携帯が鳴った、石山親分からである。
親分「石山です、そろそろワタヌキさんと相談しなけりゃあならないね」
亭主「はっ、いつでも飛んでまいります(と携帯に最敬礼)」
建築家・石山修武先生のホームページ スタジオGAYAは中身の濃いこと、ほぼ毎日更新される「日記」のスピード感が半端ではありません。
慌てて世田谷村日記を開けたら、どうやら西の方へ旅行していたらしい。
いつものことながら、勝手に再録引用させていただきます。
<>内が日記の引用です。
<昨夜遅く、東京に戻った。たった三日間の小さな旅だったが、実に多くの事を考えさせられた。
2、2月20日夜は第四回教育遺産世界遺産登録推進国際シンポジウム交流交歓会。
(中略)
5、2月22日は早朝宿で食事をとり、海沿いの道を一人歩いて日生駅まで。日生より電車を乗り継ぎ、午前中に大阪に辿り着いた。
6、安藤忠雄事務所へ。久し振りに再会した。用件を片付け、サラリと色々な話しを。又新しく建てたガラス張りの小箱から、電車が走るのを視たりで、そのデザインは面白かった。まだまだ新しいアイデアがあるな。
6、「歩かなアカンで」と説教されてしまった。本来のエネルギーが又、みなぎってきているようだ。この男不死身だな。
7、一段落して、さあ歩こうとばかりに梅田まで歩いた。かなりの速足で大変であった。「歩かなアカンで」と再び。JR近鉄を乗り継いで田原木へ。空腹であったが駅前に食堂もなく、エイヤと歩き始めた。「歩かなアカンで」に素直に従ったのである。確か渡辺豊和さんの自邸は寺川の土手沿いにあった筈だと、寺川の土手を目指す。
8、地図をたよりにどんどん歩いた。土手は梅が咲き誇り、その香織が一番良かった。
ようやく記憶の中の渡辺豊和自邸「餓鬼舎」が見えて来たときはホッとした。コンクリートやり放しの壁はいい具合に古びていた。
『異形の建築』(改題、国書刊行会、今初夏発刊に、1870年代にポツリポツンと輩出した建築群について小論を書き足した。それで、今、再びの「餓鬼舎」訪問となった。)
10、この文章では当時大阪の三奇人と言われてもいた安藤忠雄にも触れている。安藤忠雄は今や世界の安藤であり、一方の渡辺は今や忘れ去られようとしている。が現実である。が、それは俗世での事。わたくしは渡辺建築は安藤建築の成功の裏に隠れてはいるが、とても日本の近代建築史上では重要であると考えている。日本の近代には数々の意味ある、謂わば敗者がある。勝者だけが歴史を作り上げているわけではない。決然とした敗者にだって重要な意味がある。安藤忠雄だって謂わば名もなき非エリートから、力づくで、渾身の力で這い上がった男である。
11、敗者は敗者であると認めたうえでこそ、敗者は復活もするのである。「時」はそれ程、つまり勝者が勝ち続ける程に単純ではない。
12、渡辺豊和は元気そうであった。「あんまり遠くはおっくうでな」と足が弱っていると聞いていたが、会えて良かった。
色々と話しはしたが忘れた。まだ昔話をする為にワザワザ奈良迄訪ねる程の間抜けではない。
「死ぬ前に石井和紘が訪ねてきたんよ」と意外な事も聞いた。石井和紘は自分が敗者であるのをマザマザと知っていた。それでどうしても訪ねてみたかったのであろう。
13、こんなに歩けるのなら東京くらいは出れるんじゃないか。国書刊行会『異形の建築』出版記念パーティとやらをやらかしてヤローと決めた。奈良訪問にはそんな目的もあったのである。出版記念パーティなぞ笑わせるぜと考えていたが、出来れば今度はやりたい。死んだ毛綱モン太のためにも、やるべきだと考えてはいた。渡辺豊和が出席できるならば、やる意味もあるだろう。
14、「渡辺さん、歩かなアカンヨ」とすぐに安藤を真似て、別れの言葉をやらかした。
チョッと無理して、ここ迄やって来て良かった。冬の田んぼの中の径を歩く、遠くに生駒山の姿が中々によろしかった。
京都まで近鉄で出て、そして新幹線に乗って東京へ。昼飯を喰いそびれていたのでサンドイッチをほおばりながら、ウトウトしながらの帰路であった。
15、日生からの帰路は実感として、実に良く歩いた。深夜、烏山に辿り着いた。>
(石山修武 世田谷村日記 より)
--------------------------
癌と闘っている安藤さんの「歩かなアカンで」、もちろん健康を気遣っての言葉でしょうが、
70年代の建築界の暴れん坊だった安藤、石山、渡辺、石井、毛綱さんたちのこしかた行く末を思うとなんだか意味深い。
夏には 『異形の建築』も刊行されるようで、楽しみです。
さて、相談事とは何だろう・・・・・・・
画廊は次回企画の準備でばたばたしていますが、壁面にはル・コルビュジエと安藤忠雄作品。
安藤忠雄「舟と顔(仮)」
1973年 カンバスに油彩
45.0×134.5cm
signed
ル・コルビュジエ
《ユニテno.4》
1965年 銅版
イメージサイズ:41.6×31.3cm
シートサイズ:57.1×45.4cm
Ed.130 signed
ル・コルビュジエ
《雄牛#6》
1964年 リトグラフ
イメージサイズ:60.0×52.0cm
シートサイズ:71.7×54.0cm
Ed.150 signed
石山修武
《それでもあるユートピア》
2004
紙に水彩・他
57.0x76.0cm
Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2016年3月より日曜、月曜、祝日は休廊します。
従来企画展開催中は無休で営業していましたが、今後は企画展を開催中でも、日曜、月曜、祝日は休廊します。
◆「アートブックラウンジ Vol.01“版画挿入本の世界”」
会期:2016年3月9日[水]~3月17日[木] ※日・月・祝日は休廊

今回より日・月・祝日は休廊しますので、実質7日間の会期です。
同時開催:文承根展
●ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサートのご案内
第1回「独奏チェロによるJ.S.バッハと現代の音楽~ガット(羊腸)弦の音色で~」
日時:2016年3月19日(土)18時~19時
出演:富田牧子(チェロ)、木田いずみ(歌)
プロデュース:大野幸
曲目:J.S.バッハ、クルターク・ジェルジュ、ジョン・ケージ、尾高惇忠
*要予約=料金:1,000円
予約:メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com
親分「石山です、そろそろワタヌキさんと相談しなけりゃあならないね」
亭主「はっ、いつでも飛んでまいります(と携帯に最敬礼)」
建築家・石山修武先生のホームページ スタジオGAYAは中身の濃いこと、ほぼ毎日更新される「日記」のスピード感が半端ではありません。
慌てて世田谷村日記を開けたら、どうやら西の方へ旅行していたらしい。
いつものことながら、勝手に再録引用させていただきます。
<>内が日記の引用です。
<昨夜遅く、東京に戻った。たった三日間の小さな旅だったが、実に多くの事を考えさせられた。
2、2月20日夜は第四回教育遺産世界遺産登録推進国際シンポジウム交流交歓会。
(中略)
5、2月22日は早朝宿で食事をとり、海沿いの道を一人歩いて日生駅まで。日生より電車を乗り継ぎ、午前中に大阪に辿り着いた。
6、安藤忠雄事務所へ。久し振りに再会した。用件を片付け、サラリと色々な話しを。又新しく建てたガラス張りの小箱から、電車が走るのを視たりで、そのデザインは面白かった。まだまだ新しいアイデアがあるな。
6、「歩かなアカンで」と説教されてしまった。本来のエネルギーが又、みなぎってきているようだ。この男不死身だな。
7、一段落して、さあ歩こうとばかりに梅田まで歩いた。かなりの速足で大変であった。「歩かなアカンで」と再び。JR近鉄を乗り継いで田原木へ。空腹であったが駅前に食堂もなく、エイヤと歩き始めた。「歩かなアカンで」に素直に従ったのである。確か渡辺豊和さんの自邸は寺川の土手沿いにあった筈だと、寺川の土手を目指す。
8、地図をたよりにどんどん歩いた。土手は梅が咲き誇り、その香織が一番良かった。
ようやく記憶の中の渡辺豊和自邸「餓鬼舎」が見えて来たときはホッとした。コンクリートやり放しの壁はいい具合に古びていた。
『異形の建築』(改題、国書刊行会、今初夏発刊に、1870年代にポツリポツンと輩出した建築群について小論を書き足した。それで、今、再びの「餓鬼舎」訪問となった。)
10、この文章では当時大阪の三奇人と言われてもいた安藤忠雄にも触れている。安藤忠雄は今や世界の安藤であり、一方の渡辺は今や忘れ去られようとしている。が現実である。が、それは俗世での事。わたくしは渡辺建築は安藤建築の成功の裏に隠れてはいるが、とても日本の近代建築史上では重要であると考えている。日本の近代には数々の意味ある、謂わば敗者がある。勝者だけが歴史を作り上げているわけではない。決然とした敗者にだって重要な意味がある。安藤忠雄だって謂わば名もなき非エリートから、力づくで、渾身の力で這い上がった男である。
11、敗者は敗者であると認めたうえでこそ、敗者は復活もするのである。「時」はそれ程、つまり勝者が勝ち続ける程に単純ではない。
12、渡辺豊和は元気そうであった。「あんまり遠くはおっくうでな」と足が弱っていると聞いていたが、会えて良かった。
色々と話しはしたが忘れた。まだ昔話をする為にワザワザ奈良迄訪ねる程の間抜けではない。
「死ぬ前に石井和紘が訪ねてきたんよ」と意外な事も聞いた。石井和紘は自分が敗者であるのをマザマザと知っていた。それでどうしても訪ねてみたかったのであろう。
13、こんなに歩けるのなら東京くらいは出れるんじゃないか。国書刊行会『異形の建築』出版記念パーティとやらをやらかしてヤローと決めた。奈良訪問にはそんな目的もあったのである。出版記念パーティなぞ笑わせるぜと考えていたが、出来れば今度はやりたい。死んだ毛綱モン太のためにも、やるべきだと考えてはいた。渡辺豊和が出席できるならば、やる意味もあるだろう。
14、「渡辺さん、歩かなアカンヨ」とすぐに安藤を真似て、別れの言葉をやらかした。
チョッと無理して、ここ迄やって来て良かった。冬の田んぼの中の径を歩く、遠くに生駒山の姿が中々によろしかった。
京都まで近鉄で出て、そして新幹線に乗って東京へ。昼飯を喰いそびれていたのでサンドイッチをほおばりながら、ウトウトしながらの帰路であった。
15、日生からの帰路は実感として、実に良く歩いた。深夜、烏山に辿り着いた。>
(石山修武 世田谷村日記 より)
--------------------------
癌と闘っている安藤さんの「歩かなアカンで」、もちろん健康を気遣っての言葉でしょうが、
70年代の建築界の暴れん坊だった安藤、石山、渡辺、石井、毛綱さんたちのこしかた行く末を思うとなんだか意味深い。
夏には 『異形の建築』も刊行されるようで、楽しみです。
さて、相談事とは何だろう・・・・・・・


1973年 カンバスに油彩
45.0×134.5cm
signed

《ユニテno.4》
1965年 銅版
イメージサイズ:41.6×31.3cm
シートサイズ:57.1×45.4cm
Ed.130 signed

《雄牛#6》
1964年 リトグラフ
イメージサイズ:60.0×52.0cm
シートサイズ:71.7×54.0cm
Ed.150 signed

《それでもあるユートピア》
2004
紙に水彩・他
57.0x76.0cm
Signed
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●ときの忘れものは2016年3月より日曜、月曜、祝日は休廊します。
従来企画展開催中は無休で営業していましたが、今後は企画展を開催中でも、日曜、月曜、祝日は休廊します。
◆「アートブックラウンジ Vol.01“版画挿入本の世界”」
会期:2016年3月9日[水]~3月17日[木] ※日・月・祝日は休廊

今回より日・月・祝日は休廊しますので、実質7日間の会期です。
同時開催:文承根展
●ときの忘れもの・拾遺 ギャラリーコンサートのご案内
第1回「独奏チェロによるJ.S.バッハと現代の音楽~ガット(羊腸)弦の音色で~」
日時:2016年3月19日(土)18時~19時
出演:富田牧子(チェロ)、木田いずみ(歌)
プロデュース:大野幸
曲目:J.S.バッハ、クルターク・ジェルジュ、ジョン・ケージ、尾高惇忠
*要予約=料金:1,000円
予約:メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com
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