新連載・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第1回
今月から新たに連載をさせていただきます。私は長野県諏訪という山深い地で生まれ、上京するまでの18年間を過ごしました。そこでの体験がいかに自分自身をかたち作り、影響し、あるいは作用しているのかを記憶をさかのぼりながら綴ってみたいと思っています。果たしてどの方向に話が進むのか、自分でも予測できないままですが、どうか、おつきあいの程、よろしくお願い致します。
6年ほど前から木製の4x5カメラ(エボニー)を携えて、故郷の山を撮るようになった。まずは冬からそれを始めた。
きっかけは些細なことだった。撮影を始めるさらに4、5年ほど前までさかのぼる。ある冬の日、帰省していた私は実家から歩いたところにある日帰り温泉に向かった。公営で安い上に畳敷きの休憩所などもあって、時々利用していた。遠くから来た観光客も時折いて、いつもかなりの賑わいをみせている。
そこからの帰り道、見慣れた目の前の光景が違って見えた。時間は午後3時くらい。西日が目の前のカラマツ林に当たっていた。ふと樹の幹そのものが発光しているように見えた。驚いた。西日が幹に対して90度に近い角度からだったので、あたかも内側から銀色に光っているかのように見えたのだ。そのとき、限られた時間帯だけどもそんなふうに見える瞬間があることを知った。
その後、時折、そのときの光景を思い出した。さらに、あれを写真に撮れないだろうかと次第に考えるようになった。
そして4x5のカメラ、モノクロフィルムという組み合わせで撮影することに決めた。あの日見た、内側から発光する樹の肌を求めて。そのために、まずはオンボロの中古の軽自動車を地元で30万円ほどで買った。そして、久しく使っていなかったカメラを引っ張り出して、車に積んだ。急激にフィルムからデジタルへの移行が増すばかりの頃だ。時代に逆行するのはもちろん自覚していた。
小林紀晴
「Winter 01」
2014年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
14x11inch
Ed.20
冬の山には複雑な思いがある。それは、もしかしたら、私一人だけのものではないのかもしれない。雪の降る地方に生まれ育った者は多かれ少なかれ似たような思いを抱いているのではないだろうか。
乱暴な言い方になるが、私は冬の山が好きで嫌いだ。葉を落とした林は、ほかの季節には見ることができないほどに山肌が露呈される。雪が降れば真っ白で確かに幻想的なのだが、それは短い時間のことで、枝に降り積もった雪がとけて落ちてしまうと、地面に根雪だけが白く残る。白と黒だけの世界になり、ほかの色をすべて失う。曇った日など、余計その印象が強くなる。凍み上がり、足元から山の頂までが凍えた色でつながり結ばれると、幼いなりに絶望的な気持ちになることがあった。
閉ざされた盆地の底で、そんな風景ばかりを眺めて来た気がする。手や足の指先にできた霜焼けの「痛がゆい」感覚と何故か重なりもする。痛いのだが、かゆい。かゆいのだが、痛い。好きなのだけど、嫌い。嫌いなのだけど、好き。やはり似ている。
その感覚を一度、思い切り外側に吐き出してみたい、直接触れてみたいという思いが、冬の山を実際に写真に撮る行為とつながったのかもしれない。
おそらく間違いないのは、それらの「痛がゆい」風景が私の奥深くに刻まれているということだ。人格とか性質を形成していく過程で大きく作用しているはずだ。
幼い頃、その風景に対してある直感があった。端的にいえば、「死の匂い」ということになる。
(こばやし きせい)
■小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。
●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
今月から小林紀晴さんにエッセイを連載していただくことになり、小林ファンの亭主としては望外の喜びです。
2012年1月27日に原茂さんのプロデュースで開催した「第8回写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング」にお招きしたのがきっかけですが、昨年久しぶりにお目にかかることができ、来年の個展とブログへのエッセイ執筆をお願いした次第です。
亭主がファンとなったのは写真でではなく、雑誌に連載していた小説を読んでからでした。信州の田舎に育った若者がやがて東京に出て写真学校に通いだす、生き生きとした文章に目をみはりました。
写真家としての小林さんについては飯沢耕太郎さんのエッセイ「日本の写真家たち」第7回をぜひお読みください。
写真家との出会いをつくってくれた原茂さんに心より御礼を申し上げます。
◆新連載・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
今月から新たに連載をさせていただきます。私は長野県諏訪という山深い地で生まれ、上京するまでの18年間を過ごしました。そこでの体験がいかに自分自身をかたち作り、影響し、あるいは作用しているのかを記憶をさかのぼりながら綴ってみたいと思っています。果たしてどの方向に話が進むのか、自分でも予測できないままですが、どうか、おつきあいの程、よろしくお願い致します。
6年ほど前から木製の4x5カメラ(エボニー)を携えて、故郷の山を撮るようになった。まずは冬からそれを始めた。
きっかけは些細なことだった。撮影を始めるさらに4、5年ほど前までさかのぼる。ある冬の日、帰省していた私は実家から歩いたところにある日帰り温泉に向かった。公営で安い上に畳敷きの休憩所などもあって、時々利用していた。遠くから来た観光客も時折いて、いつもかなりの賑わいをみせている。
そこからの帰り道、見慣れた目の前の光景が違って見えた。時間は午後3時くらい。西日が目の前のカラマツ林に当たっていた。ふと樹の幹そのものが発光しているように見えた。驚いた。西日が幹に対して90度に近い角度からだったので、あたかも内側から銀色に光っているかのように見えたのだ。そのとき、限られた時間帯だけどもそんなふうに見える瞬間があることを知った。
その後、時折、そのときの光景を思い出した。さらに、あれを写真に撮れないだろうかと次第に考えるようになった。
そして4x5のカメラ、モノクロフィルムという組み合わせで撮影することに決めた。あの日見た、内側から発光する樹の肌を求めて。そのために、まずはオンボロの中古の軽自動車を地元で30万円ほどで買った。そして、久しく使っていなかったカメラを引っ張り出して、車に積んだ。急激にフィルムからデジタルへの移行が増すばかりの頃だ。時代に逆行するのはもちろん自覚していた。

「Winter 01」
2014年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
14x11inch
Ed.20
冬の山には複雑な思いがある。それは、もしかしたら、私一人だけのものではないのかもしれない。雪の降る地方に生まれ育った者は多かれ少なかれ似たような思いを抱いているのではないだろうか。
乱暴な言い方になるが、私は冬の山が好きで嫌いだ。葉を落とした林は、ほかの季節には見ることができないほどに山肌が露呈される。雪が降れば真っ白で確かに幻想的なのだが、それは短い時間のことで、枝に降り積もった雪がとけて落ちてしまうと、地面に根雪だけが白く残る。白と黒だけの世界になり、ほかの色をすべて失う。曇った日など、余計その印象が強くなる。凍み上がり、足元から山の頂までが凍えた色でつながり結ばれると、幼いなりに絶望的な気持ちになることがあった。
閉ざされた盆地の底で、そんな風景ばかりを眺めて来た気がする。手や足の指先にできた霜焼けの「痛がゆい」感覚と何故か重なりもする。痛いのだが、かゆい。かゆいのだが、痛い。好きなのだけど、嫌い。嫌いなのだけど、好き。やはり似ている。
その感覚を一度、思い切り外側に吐き出してみたい、直接触れてみたいという思いが、冬の山を実際に写真に撮る行為とつながったのかもしれない。
おそらく間違いないのは、それらの「痛がゆい」風景が私の奥深くに刻まれているということだ。人格とか性質を形成していく過程で大きく作用しているはずだ。
幼い頃、その風景に対してある直感があった。端的にいえば、「死の匂い」ということになる。
(こばやし きせい)
■小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。
●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。

〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
今月から小林紀晴さんにエッセイを連載していただくことになり、小林ファンの亭主としては望外の喜びです。
2012年1月27日に原茂さんのプロデュースで開催した「第8回写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング」にお招きしたのがきっかけですが、昨年久しぶりにお目にかかることができ、来年の個展とブログへのエッセイ執筆をお願いした次第です。
亭主がファンとなったのは写真でではなく、雑誌に連載していた小説を読んでからでした。信州の田舎に育った若者がやがて東京に出て写真学校に通いだす、生き生きとした文章に目をみはりました。
写真家としての小林さんについては飯沢耕太郎さんのエッセイ「日本の写真家たち」第7回をぜひお読みください。
写真家との出会いをつくってくれた原茂さんに心より御礼を申し上げます。
◆新連載・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
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