亭主が入院中、気になって仕方なかったのは、先ず商売のこと。<画商の敵は病気と怪我>とつくづく思い知らされました。
画廊で皆さんが作品を買って下さるのは<売り子>がいるからで、本人がベッドの上じゃあ、売りも買いもできません。3月は記録的売上げ減で社長のご機嫌はすこぶる悪い。
次にこのブログのことでした。
いくつかの連載の終了を受けて、新たな執筆陣を再編する作業が進行中だったのですが、おかげさまで小林紀晴さんはじめ執筆をお願いした皆さんには、快く引き受けていただき、2016年も充実した内容で「毎日更新」ができそうです。
明日4月5日からは、ときの忘れものでは初登場の方の新連載が始まります。
前任の石原輝雄さんの推薦です。異例なことですが、私たちはまだお会いしたことも、電話でお話しすらしたことがありませんがいただいた第一回の原稿は素晴らしい内容で、亭主も興奮しています。どうぞご期待ください。
ツァイトの石原さんの葬儀のあと、京都の石原さんが3月11日のご自身のブログに書かれたものを再録させていただきます。亭主の事故は3月12日でした。
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石原悦郎さんの葬儀告別式が営まれた3月5日(土)は、奇しくもギャラリーときの忘れものでの連載『マン・レイへの写真日記』最終(第24回)の日、式場はときの忘れものと目と鼻の距離、綿貫不二夫さんとお会いしたので、悦郎さんの功績や人柄について話ながら画廊まで戻った。綿貫さんと悦郎さんとのお付き合いは長く、画廊のブログでも追悼の言葉を寄せておられる。わたしが写真のコレクションを始めた頃、ギャラリー16で『PRINT COMMUNICATION』誌でのインタビュー記事での悦郎さんの発言を読んで、「うなった」のを覚えている。時代に先駆けたツァィトのスタートだったけど、共感を持てるので違和感はひとつもなかった。綿貫さんは『ツァイト・フォト 石原悦郎さんを慎む』としてオマージュをブログに書いておられ、その中で
「石原さん、なぜ写真のギャラリーなんですか」と聞いたら、「ワタヌキ君、銀座に画廊は400軒あるんだ。ボクが普通の画廊を開いたら401番目からのスタートだよ。誰もやっていない写真のギャラリーを開けば、ボクはその日からナンバーワンだからね。」、いかにも石原さんらしい答えでした。あれから38年、見事に初志を貫いて「写真」を美術作品に押し上げ、日本の写真界に一時代を築いた功績は永く記憶されるでしょう。オープンの年に私たちが石原さんにインタビューした記事を、追悼の心をこめて再録します。
そして「石原さんにもらった作品」と云うヴォルスの写真をブログに掲げておられる。お邪魔したときの忘れものでの壁面は、マン・レイへのオマージュとなっていて、加えてマン・レイによるジャン・コクトーの肖像と『ミスター&ミセス ウッドマン』の版画が並べられていた。
石原悦郎へのオマージュ
綿貫不二夫氏
ときの忘れもののブログでは、写真評論家の飯沢耕太郎氏の追悼文『石原悦郎──写真をアートにした希代のギャラリスト』を3月9日に掲載、わたしの『マン・レイへの写真日記』第9回での「ダニエル画廊」も合わせて紹介して下さった。悦郎さんへの追悼文、業績評価の仕事がいくつも準備されていると思うが、葬儀告別式の会場で示されていたのは粟生田弓さんによる『写真をアートにした男~ツァィト・フォト・サロン石原悦郎物語~』(仮題)、小学館から夏頃に刊行されると云う。早く読んでみたい、悦郎さんが生きているような本になっているだろうな。
マン・レイと宮脇愛子さんとの交流については、ブログの中に書きましたので、読んでいただけると嬉しく思いますが、展覧会の折のスナップ写真を追加にアップしておきます。ブログでは写真点数の制約を受けないので楽しく選ばせていただきましたが、公開を躊躇したり、年月日がはっきりしない場面も多く、自主規制も含め今後の課題が残りました。個人の趣味、楽しみで撮った写真を公開するには、まだまだ年数が必要であるのかもしれません。また、コレクションを始めた23歳からさかのぼって38年(2012年まで)間を、24章の作品と出来事でたどり、人生史の側面(これが全面に出ているかな)も濃厚かとも思います。
改めて2014年4月5日公開の第1回「アンナ 1975.7 東京」からのテーマを再録しておきます。
2回「シュルレアリスム展 1975.1 京都」
3回「ヴァランティーヌの肖像 1977.12 京都」
4回「青い裸体 1978.8 大阪」
5回「ダダメイド 1980.3 神戸」
6回「プリアポスの文鎮 1982.6 パリ」
7回「よみがえったマネキン 1983.7 大阪」
8回「マン・レイになってしまった人 1983.9 京都」
9回「ダニエル画廊 1984.9 大阪」
10回「エレクトリシテ 1985.12 パリ」
11回「セルフポートレイト 1986.7 ミラノ」
12回「贈り物 1988.2 大阪」
13回「指先のマン・レイ展 1990.6 大阪」
14回「ピンナップ 1991.7 東京」
15回「破壊されざるオブジェ 1993.1 ニューヨーク」
16回「マーガレット 1995.4 ロンドン」
17回「我が愛しのマン・レイ展 1996.12 名古屋」
18回「1929 1998.9 東京」
19回「封印された星 1999.6 パリ」
20回「パリ国立図書館 2002.11 パリ」
21回「まなざしの贈り物展 2004.6 東京」
22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008.12 京都」
23回「天使ウルトビーズ 2011.7 東京」
24回「月夜の夜想曲 2012.7 東京」
ときの忘れもののサイトに入っていただければ、いつでもお読みいただけますので、お楽しみ下さい。
●今日のお勧め作品は、石原さんの愛するマン・レイです。

マン・レイ
《鍵穴》
1970年
銅版
イメージサイズ:21.5×19.3cm
額装サイズ:57.0×46.8cm
Ed.50 他に E.A.70
サインあり
レゾネNo.17 (Studio Marconi)

マン・レイ
《ジャン・コクトー》
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:28.5×21.5cm
額装サイズ:44.0×36.5cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
画廊で皆さんが作品を買って下さるのは<売り子>がいるからで、本人がベッドの上じゃあ、売りも買いもできません。3月は記録的売上げ減で社長のご機嫌はすこぶる悪い。
次にこのブログのことでした。
いくつかの連載の終了を受けて、新たな執筆陣を再編する作業が進行中だったのですが、おかげさまで小林紀晴さんはじめ執筆をお願いした皆さんには、快く引き受けていただき、2016年も充実した内容で「毎日更新」ができそうです。
明日4月5日からは、ときの忘れものでは初登場の方の新連載が始まります。
前任の石原輝雄さんの推薦です。異例なことですが、私たちはまだお会いしたことも、電話でお話しすらしたことがありませんがいただいた第一回の原稿は素晴らしい内容で、亭主も興奮しています。どうぞご期待ください。
ツァイトの石原さんの葬儀のあと、京都の石原さんが3月11日のご自身のブログに書かれたものを再録させていただきます。亭主の事故は3月12日でした。
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石原悦郎さんの葬儀告別式が営まれた3月5日(土)は、奇しくもギャラリーときの忘れものでの連載『マン・レイへの写真日記』最終(第24回)の日、式場はときの忘れものと目と鼻の距離、綿貫不二夫さんとお会いしたので、悦郎さんの功績や人柄について話ながら画廊まで戻った。綿貫さんと悦郎さんとのお付き合いは長く、画廊のブログでも追悼の言葉を寄せておられる。わたしが写真のコレクションを始めた頃、ギャラリー16で『PRINT COMMUNICATION』誌でのインタビュー記事での悦郎さんの発言を読んで、「うなった」のを覚えている。時代に先駆けたツァィトのスタートだったけど、共感を持てるので違和感はひとつもなかった。綿貫さんは『ツァイト・フォト 石原悦郎さんを慎む』としてオマージュをブログに書いておられ、その中で
「石原さん、なぜ写真のギャラリーなんですか」と聞いたら、「ワタヌキ君、銀座に画廊は400軒あるんだ。ボクが普通の画廊を開いたら401番目からのスタートだよ。誰もやっていない写真のギャラリーを開けば、ボクはその日からナンバーワンだからね。」、いかにも石原さんらしい答えでした。あれから38年、見事に初志を貫いて「写真」を美術作品に押し上げ、日本の写真界に一時代を築いた功績は永く記憶されるでしょう。オープンの年に私たちが石原さんにインタビューした記事を、追悼の心をこめて再録します。
そして「石原さんにもらった作品」と云うヴォルスの写真をブログに掲げておられる。お邪魔したときの忘れものでの壁面は、マン・レイへのオマージュとなっていて、加えてマン・レイによるジャン・コクトーの肖像と『ミスター&ミセス ウッドマン』の版画が並べられていた。
石原悦郎へのオマージュ
綿貫不二夫氏ときの忘れもののブログでは、写真評論家の飯沢耕太郎氏の追悼文『石原悦郎──写真をアートにした希代のギャラリスト』を3月9日に掲載、わたしの『マン・レイへの写真日記』第9回での「ダニエル画廊」も合わせて紹介して下さった。悦郎さんへの追悼文、業績評価の仕事がいくつも準備されていると思うが、葬儀告別式の会場で示されていたのは粟生田弓さんによる『写真をアートにした男~ツァィト・フォト・サロン石原悦郎物語~』(仮題)、小学館から夏頃に刊行されると云う。早く読んでみたい、悦郎さんが生きているような本になっているだろうな。
マン・レイと宮脇愛子さんとの交流については、ブログの中に書きましたので、読んでいただけると嬉しく思いますが、展覧会の折のスナップ写真を追加にアップしておきます。ブログでは写真点数の制約を受けないので楽しく選ばせていただきましたが、公開を躊躇したり、年月日がはっきりしない場面も多く、自主規制も含め今後の課題が残りました。個人の趣味、楽しみで撮った写真を公開するには、まだまだ年数が必要であるのかもしれません。また、コレクションを始めた23歳からさかのぼって38年(2012年まで)間を、24章の作品と出来事でたどり、人生史の側面(これが全面に出ているかな)も濃厚かとも思います。
改めて2014年4月5日公開の第1回「アンナ 1975.7 東京」からのテーマを再録しておきます。
2回「シュルレアリスム展 1975.1 京都」
3回「ヴァランティーヌの肖像 1977.12 京都」
4回「青い裸体 1978.8 大阪」
5回「ダダメイド 1980.3 神戸」
6回「プリアポスの文鎮 1982.6 パリ」
7回「よみがえったマネキン 1983.7 大阪」
8回「マン・レイになってしまった人 1983.9 京都」
9回「ダニエル画廊 1984.9 大阪」
10回「エレクトリシテ 1985.12 パリ」
11回「セルフポートレイト 1986.7 ミラノ」
12回「贈り物 1988.2 大阪」
13回「指先のマン・レイ展 1990.6 大阪」
14回「ピンナップ 1991.7 東京」
15回「破壊されざるオブジェ 1993.1 ニューヨーク」
16回「マーガレット 1995.4 ロンドン」
17回「我が愛しのマン・レイ展 1996.12 名古屋」
18回「1929 1998.9 東京」
19回「封印された星 1999.6 パリ」
20回「パリ国立図書館 2002.11 パリ」
21回「まなざしの贈り物展 2004.6 東京」
22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008.12 京都」
23回「天使ウルトビーズ 2011.7 東京」
24回「月夜の夜想曲 2012.7 東京」
ときの忘れもののサイトに入っていただければ、いつでもお読みいただけますので、お楽しみ下さい。
●今日のお勧め作品は、石原さんの愛するマン・レイです。

マン・レイ
《鍵穴》
1970年
銅版
イメージサイズ:21.5×19.3cm
額装サイズ:57.0×46.8cm
Ed.50 他に E.A.70
サインあり
レゾネNo.17 (Studio Marconi)

マン・レイ
《ジャン・コクトー》
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:28.5×21.5cm
額装サイズ:44.0×36.5cm
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