藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第9回
残された、或いは期せずして残ってしまった資料を収集・保管していくこともアーカイブの面白いところですが、意図的に資料を蓄積していく試みもあります。
アメリカ国立公園局が行っているHistoric American Buildings Survey(アメリカ歴史的建造物調査、略称HABS)は、1933年から継続されているアメリカ全土の歴史的建造物の記録調査で、まとめられた記録資料はアメリカ議会図書館で保管・公開されています。プレ・コロンビアンの遺跡から20世紀の建物まで、またフランク・ロイド・ライトの作品のような有名建築から街角の食料雑貨店まで、選定された建物について調査員が定められたガイドラインに従って実測して図面を起こし、歴史的背景を文書に記述し、写真家が写真記録を撮りおろします。1969年からはHistoric American Engineering Record(アメリカ技術遺産記録、略称HAER)として橋などの土木技術の記録が、2000年からはHistoric American Landscape Survey(アメリカ歴史的ランドスケープ調査、略称HALS)が加わり、現在では4万件に及ぶ記録が蓄積されています。建築の記録資料群としては世界最大級といいます。聞き取りをした2013年には、実測は手で測るだけではなく、主にレーザースキャナを用いて行われているとのことでした。近年では図面や写真を基にCGも制作され、youtubeで公開もされています。国の事業ですから基本的に資料はパブリックドメインです。もちろん研究者にも使われていますし、消失した建物をこの記録を基に復元した例もあるようです。
議会図書館での研修中にはこれら資料の整理にも携わりました。年に数回公園局から移されてくる資料は既に州別に分かれて番号がふられています。これらを図面、写真、文書に分けて記録・保管し、カタログ化された情報や画像データは議会図書館のウェブサイトを通じて公開されます。毎年記録は蓄積されていきますが、公開までの道筋がシステマティックに出来上がっているため、記録されてから利用できるようになるまでも速やかです。
興味深かったのは、このプロジェクトが元々フランクリン・ルーズベルト政権下で始まったということでした。ご存知のようにルーズベルトはニューディール政策で大恐慌からの立ち直りを図りましたが、同時に国民へのアメリカの歴史文化に対する理解促進にも熱心でした。ニューディール政策の一環として、公共事業促進局(WPA)は失業した芸術家たちを雇用する「フェデラル・ワン」プロジェクトを行っています。HABSプロジェクトを通じては、恐慌で職を失った建築家たちに調査員としての仕事を与えると共に、建国して150年ほどの若い国家であるアメリカの文化資源を意図的に蓄積していったわけです。いかにも公正に歴史を記録しているようにみえるこの資料群は、まさにアメリカ的な文化戦略を体現しているように感じられました。大切なものだから記録するというだけではなく、反対に重要なものとして記録することで、歴史的価値、更には文化の拠り所が創造されていく。
昨年来日していたアフリカのブルンジ共和国の映画監督レオンス・ンガボ氏が、ブルンジのアーカイブについて興味深い話をしていました。ブルンジの歴史を描いた作品を制作するために資料となる映像を探したが国内にはなく、ベルギーのアーカイブに見つけたというのです。度重なる植民地化・内戦で政権が変わる毎に前政権の資料は破棄されたため、歴史的資料の蓄積がないのだそうです。ブルンジの公用語はルンディ語とフランス語でしたが、近年は英語も加わったそうです。ブルンジではこれからどのような歴史をどのように記録していくのでしょう。数百年後にその記録が権威をもったものになることを考えると、記録する者の責任は重大です。
国家の起源や歴史を覆すようなアーカイブを扱うようなことは、そうそうないかもしれません。しかし大なり小なりアーカイブに関わるにあたっては、それだけの覚悟を持っていたいものです。
アメリカ国立公園局制作のスペースシャトル「ディスカバリー」CG
アメリカ議会図書館のHABS/HAER/HALSのページはこちら↓
http://www.loc.gov/pictures/collection/hh/
アメリカ国立公園局制作のCG映像はこちらから↓
https://www.youtube.com/user/HDPNPS
(ふじもと たかこ)
■藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。
●今日のお勧め作品は、磯崎新です。
磯崎新
「ドローイング」
紙に鉛筆
11.5x34.2cm Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました。
・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。
残された、或いは期せずして残ってしまった資料を収集・保管していくこともアーカイブの面白いところですが、意図的に資料を蓄積していく試みもあります。
アメリカ国立公園局が行っているHistoric American Buildings Survey(アメリカ歴史的建造物調査、略称HABS)は、1933年から継続されているアメリカ全土の歴史的建造物の記録調査で、まとめられた記録資料はアメリカ議会図書館で保管・公開されています。プレ・コロンビアンの遺跡から20世紀の建物まで、またフランク・ロイド・ライトの作品のような有名建築から街角の食料雑貨店まで、選定された建物について調査員が定められたガイドラインに従って実測して図面を起こし、歴史的背景を文書に記述し、写真家が写真記録を撮りおろします。1969年からはHistoric American Engineering Record(アメリカ技術遺産記録、略称HAER)として橋などの土木技術の記録が、2000年からはHistoric American Landscape Survey(アメリカ歴史的ランドスケープ調査、略称HALS)が加わり、現在では4万件に及ぶ記録が蓄積されています。建築の記録資料群としては世界最大級といいます。聞き取りをした2013年には、実測は手で測るだけではなく、主にレーザースキャナを用いて行われているとのことでした。近年では図面や写真を基にCGも制作され、youtubeで公開もされています。国の事業ですから基本的に資料はパブリックドメインです。もちろん研究者にも使われていますし、消失した建物をこの記録を基に復元した例もあるようです。
議会図書館での研修中にはこれら資料の整理にも携わりました。年に数回公園局から移されてくる資料は既に州別に分かれて番号がふられています。これらを図面、写真、文書に分けて記録・保管し、カタログ化された情報や画像データは議会図書館のウェブサイトを通じて公開されます。毎年記録は蓄積されていきますが、公開までの道筋がシステマティックに出来上がっているため、記録されてから利用できるようになるまでも速やかです。
興味深かったのは、このプロジェクトが元々フランクリン・ルーズベルト政権下で始まったということでした。ご存知のようにルーズベルトはニューディール政策で大恐慌からの立ち直りを図りましたが、同時に国民へのアメリカの歴史文化に対する理解促進にも熱心でした。ニューディール政策の一環として、公共事業促進局(WPA)は失業した芸術家たちを雇用する「フェデラル・ワン」プロジェクトを行っています。HABSプロジェクトを通じては、恐慌で職を失った建築家たちに調査員としての仕事を与えると共に、建国して150年ほどの若い国家であるアメリカの文化資源を意図的に蓄積していったわけです。いかにも公正に歴史を記録しているようにみえるこの資料群は、まさにアメリカ的な文化戦略を体現しているように感じられました。大切なものだから記録するというだけではなく、反対に重要なものとして記録することで、歴史的価値、更には文化の拠り所が創造されていく。
昨年来日していたアフリカのブルンジ共和国の映画監督レオンス・ンガボ氏が、ブルンジのアーカイブについて興味深い話をしていました。ブルンジの歴史を描いた作品を制作するために資料となる映像を探したが国内にはなく、ベルギーのアーカイブに見つけたというのです。度重なる植民地化・内戦で政権が変わる毎に前政権の資料は破棄されたため、歴史的資料の蓄積がないのだそうです。ブルンジの公用語はルンディ語とフランス語でしたが、近年は英語も加わったそうです。ブルンジではこれからどのような歴史をどのように記録していくのでしょう。数百年後にその記録が権威をもったものになることを考えると、記録する者の責任は重大です。
国家の起源や歴史を覆すようなアーカイブを扱うようなことは、そうそうないかもしれません。しかし大なり小なりアーカイブに関わるにあたっては、それだけの覚悟を持っていたいものです。

アメリカ議会図書館のHABS/HAER/HALSのページはこちら↓
http://www.loc.gov/pictures/collection/hh/
アメリカ国立公園局制作のCG映像はこちらから↓
https://www.youtube.com/user/HDPNPS
(ふじもと たかこ)
■藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。
●今日のお勧め作品は、磯崎新です。

「ドローイング」
紙に鉛筆
11.5x34.2cm Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」はしばらく休載します。
・杉山幸一郎のエッセイ「幸せにみちたくうかんを求めて」は毎月10日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」は終了しました。
・小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
・八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
・小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
・スタッフSの「海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は終了しました。
・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は終了しました。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」と合わせお読みください。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・中村茉貴のエッセイ「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイや資料を随時紹介します。
・「オノサト・トシノブの世界」は円を描き続けた作家の生涯と作品を関係資料や評論によって紹介します。
・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
・「現代版画センターの記録」は随時更新します。
今までのバックナンバーの一部はホームページに転載しています。
コメント