長く画廊の仕事をしていると、以前売った作品が再び戻ってきたり、また逆にはるか以前に買い逃して地団駄踏んだ作品がひょんなことから入手できたりする。
美術作品というのは、絶えず流通し、新たな所蔵者(コレクター)のもとへを旅をしているのでしょう。

ご紹介するドミニコ・ベッリの油彩「宇宙の恋人たち」は、今から7年前の2009年に開催した「生誕100年・未来派―ドメニコ・ベッリ展」に出品した作品です。

この年は奇しくも詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが起草した「未来主義創立宣言」が発表されてちょうど100年、イタリア未来派の画家、ドメニコ・べッリ(1909~1983)の生誕100年という記念すべき年だったにもかかわらず、未来派関連の展覧会は日本ではほとんど開催されなかった記憶があります。
それに腹を立てて開催したわけではまったくなく、たまたま旧蔵者からまとめてベッリの作品を買い取ることになり、ことの成り行き上展覧会をしたというわけです。
まったく勝算なしで開催した展覧会でしたが、意外や意外、完売でした。
そのとき売った一点が再び私たちの手に戻ってきました。
ベッリ「宇宙の恋人たち」
ドメニコ・ベッリ Domenico Belli
GLI AMANTI OEL COSMO 宇宙の恋人たち
1970
油彩
94.0x67.0cm Signed

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

ドメニコ・ベッリ(Domenico Belli)
1909年ローマ生まれ。1929年ジャコモ・バッラのアトリエに入り、未来派の活動に参加。ローマの「ブロッコ・ディ・フトゥルシムルタニスティ(未来同時主義者集団)」でアウグスト・ファヴァッリ、ブルーノ・ターノらと活動する。ヴェネツィア・ビエンナーレ(1930,32,34,36)、未来派航空絵画展(1933~38)、ローマ・クアドリエンナーレ(1935,39)、ウンベルト・ボッチョーニへの未来派的オマージュ展(1933,ミラノPesaro Gallery)他に出品。1934年~42年A.G.ブラガリアがディレクターを務めたテアトロ・デッレ・アルティ(芸術座)において、広報・舞台美術を担当した。戦後もプラート・15人の未来派芸術家展(1970)など未来派展に出品を続け、1983年ローマ近郊のラヴィーノで没。
belli_atorie
ベッリ(右)のアトリエ、1930年代
※Enrico Crispolti (a cura di), Casa Balla e il Futurismo a Roma, Roma, 1989より


画商というのは入ってきてしまった作品については、たとえ何の知識を持たなくても一夜漬けでもいいから、客を説得するだけの情報を集めねば商売にならない。
実に因果なというか、いい加減というか(トホホ)。

このときも日本中の美術館や未来派の研究者たちに電話を掛けまくって、作家のことを調べたのですが、どなたも詳しいことはご存知なくて往生しました。

ところが亭主の悪運たるや凄いもので、太田岳人さんというイタリア未来派の気鋭の研究者にめぐり会ううことができました。
それについては、太田岳人さんの「ドメニコ・ベッリ展によせて」と、その文末につけた「画廊亭主敬白」をお読みください。