藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第10回

ジョージ・オーウェルの『1984』は有名なディストピア小説ですが、歴史が絶え間なく書き変えられていく=アーカイブが改竄され続けていく国家が描かれています。消してしまうことは勿論、現在の政治状況に合わせて不都合な事柄は何度でも書き直されてしまう。これは単なる焚書よりも恐ろしいことです。一体いつの記述が本来書かれたものだったのかが分からなくなってしまうのです。自分が信じていたこと、前提としていたことが常に脅かされる状態にあるということは、自分の存在自体も脅かされる状態にあるということです。主人公であるウィンストン・スミスは文書管理の部署に属し、政府の指示に基づいた文書の改竄・破棄を担当しているわけですが、そのような仕事に従事する主人公が、システムに抗おうとして密かに記述=自らの存在を確認するものとしてのアーカイブ化を始めるというところは象徴的です。『1984』が書かれたのは70年近く前ですが、同じようなモチーフは現在に至るまで書き継がれています。6月号『新潮』掲載の絲山秋子「新月とマリンバ」には、記録が抹消され、音のみが歴史を伝える手段となっている近未来(?)が描かれていました。これだけ記録やデータが溢れている時代ですが、大きなシステムに飲み込まれて歴史が消えてしまうことへの不安が募っているのでしょうか。
建物は歴史をどのように伝えるでしょう。
秋田の雄勝町にある白井晟一設計の雄勝町役場が取り壊しの危機にあるということで、6/11に行われたシンポジウム「雄勝町役場を考える」を聞きに行ってきました。
シンポジウム前に役場を見学したところ、白井建築に対して持っていた「重厚な闇の空間」というイメージを払拭するような、明るい軽やかな空間が役場2階に広がっていました。ドーリア式の楕円柱や独特の曲線をえがく手摺など、“白井晟一らしい”と思うような要素もちりばめられていますが、むしろ明快なモダニズム建築の要素の方を強く感じます。この建物が竣工したのは1956年。白井晟一にとって初の鉄筋コンクリート建築です。建物をRC造にするにあたっては、議会の強い希望があったようです。小さな町の役場に鉄筋コンクリート造は分不相応だと援助を拒否されながらも、かつての火事の経験から不燃建築をとの思いを貫き、戦後民主主義の始まりとなる会議場を擁する役場が誕生したわけです。町の人びとの熱意に白井も応え、当時の標準よりも費用を抑えた坪単価での実現となったそうです。ベルリンでは人民戦線運動に与していたという白井がデザインした、あの開かれた明るい空間は、民衆へと開け放たれた政治の象徴のつもりではなかったかと感じてしまいます。ガラスで仕切られた部屋の内部の見通しはよく、談合や密談を許さないための構成になっているかのようなのです。一方で、時代に迎合するのではなく永遠のものとしての建築をつくろうという意志が、ドーリア式の柱に現れているようでもあります。
現存する30件ほどの白井建築のうち、10件は湯沢地域にあるといいます。戦後初の作品である羽後病院も湯沢に実現しました。白井が戦中に縁あって家財道具を湯沢に疎開していたことがきっかけで戦後に仕事を依頼されたようですが、単に縁があったというだけでは済まされないほどの数の建築をこなしています。シンポジウム登壇者の松隈洋教授は、白井は湯沢に育てられた建築家だと言います。そして勿論、湯沢が白井に育てられた側面もあるでしょう。

DSC05387旧雄勝庁舎、2016年6月筆者撮影


雄勝町役場も一度は取り壊しが決まったと報道されています。焚書ならぬ近代建築の焚築(?)は至るところで行われていますが、それはまさに歴史を抹消することです。今回白井晟一とこの建物を巡る歴史を少し知り、改めてその思いを強くしました。

「白井晟一 湯沢・雄勝6作品群を遺す会」が発足しています。フェイスブックのチェックをどうぞ↓
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ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。

●今日のお勧め作品は、安藤忠雄です。
20160622_andou_25_drawing2
安藤忠雄
「Koshino House」
2015年
紙にクレヨン、コラージュ
イメージサイズ:20.7×61.0cm
シートサイズ:23.6×63.6cm
サインあり

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