小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第7回
写真集『森花 夢の世界』
(図1)
『森花 夢の世界』
石川真生×吉山森花
(未来社 2014)
今回紹介するのは写真集『森花 夢の世界』です。タイトルに示されている通り、一連の写真は、沖縄の写真家、石川真生(1953-)がアーティストの吉山森花(1989-)が語った「奇妙で、過激で、セクシー」な夢の内容に触発され、吉山が夢の場面を演じ、それを石川が撮影するという共同作業で作り出されました。
それぞれの写真に添えられた説明文には、夢の内容にとどまらず、吉山の感情が綴られており、写真集の所々で挿入される吉山の手によるイラストは、刻みつけられたり、引き裂かれたり、増殖したり、ほかの生物と合体したような身体(図2)や、分裂したような顔(図3)が、紙面全体を覆うような線で描かれています。恐怖や不安に取り憑かれ、強迫観念を抱く心情がそのまま視覚化されたようなイラストと、吉山がカメラの前で演じた場面の写真、説明文の言葉が相互に混じり合い、「夢の世界」が複合的に描き出されています。
(図2)
吉山森花のイラストレーション
(図3)
吉山森花のイラストレーション
後書きの中で吉山が述べているように、彼女が「奇妙で、過激で、セクシー」な夢を見る背景として、幼い頃から抱いていたという「世の中に存在していることに対する罪の意識」や、「常に誰かに監視されていて、人を殺してしまう映像が頭の中に流れた」という強迫観念、「恐怖を感じずに自分を殺すにはどうしたらよいのか」とつねに考え自傷を繰り返していたという経緯があります。このような鬱屈した想念が色濃く投影された夢の世界を、実際に演じて写真に撮られることで、吉山は「生きている実感がする」ようになったとも述べています。石川との共同作業による作品制作を通して、吉山は自身の内面を解放し、自身を客観視する視点を得ることができたのかもしれません。
この作品のなかで用いられている「演じる」という要素は、石川の他の作品にも取り入れられています。たとえば、さまざまな背景や思想信条を持つ人たちが日本国旗を用いてその人自身、日本人、日本という国を表現するパフォーマンスを行って撮影した『日の丸を視る目』や、琉球国から現在にいたるまで大国に翻弄されてきた沖縄の歴史を、様々な場面ごとに友人や知人が演じて「再現」して撮影した写真をつなぎあわせた「大琉球写真絵巻」(現在進行中のプロジェクト)があげられます。石川は、「演じる」という要素を取り入れることで、写される人それぞれに具わる想像力や表現力を解き放ち、写真の中にそれを受けとめることによって、人と社会との関係を浮かび上がらせるような作品世界を生み出しています。
このような「演じる」ことを取り入れた石川の作品のなかでも、『森花 夢の世界』は、吉山森花に焦点をあわせて生み出されたものであるだけに、曝け出された彼女の身体性や感情が作品の要になっています。ポーズや衣装、とくに独特なメイクによって強調された目の表情――時には睨みつけ、見開き、挑発し、恐怖や苦しみを訴えるような――は、強烈な印象を残します。また、撮影された室内の空間や屋外の景色は、それぞれの場面での彼女の心境を反映し、沖縄という土地と彼女の関係を映し出したものとして読み解くことができます。
(図4)
表紙の作品
(図5)
ハンガー
ハンガーのアンテナをつけて情報を集める狂った女。
表紙(図1)の装丁にも使用されている作品(図4)では、取り壊されたバスルームでバスタブの中で寝そべりながら、瓦礫やスプレー缶、壁に書き散らされたグラフィティに囲まれ、瓦礫を貪り口から血を流しており、苦しみや混乱、攻撃性がないまぜになった心理が場面全体に表出しています。(図4)と同様に閉塞的な室内空間の中で心理状態が表現された作品として、「ハンガー」(図5)があります。頭にラップをまきつけ、ワイヤー製のハンガーを填め、階段の踊り場で這い回るようなポーズをしています。「ハンガー」(図5)のように、身のまわりにあるものや環境に衝動的に反応するようにして、自分の内面を曝け出すような吉山の身体表現は、「ポール」(図6)においても際立っています。学校の制服(社会からの抑圧や強制を表わすものとして、作品の中で頻繁に登場する要素)を着て、海辺のポールによじ登り、右手に煙草を持って、誘うような視線をカメラに向けながらポールを舐める姿は、エロティックで挑発的です。
(図6)
ポール
高校生の女の子がポールのかっこよさに惚れてしまい、毎日学校帰りに港に立ち寄っては愛しあっている。
(図7)
食卓
私を食べている日本人、特に東京の人。私はたくさん食べられて苦しかった。
(図8)
米兵
戦争中にアメリカ兵に助けられた日本人の女の子
内側に潜む狂気や暴力性、性的な欲望などを、吉山一人で演じた作品に加えて、他の登場人物と共演して作り出された場面の中では、夢の内容は人間関係や家族、政治、歴史など社会的な側面に関わって、より具体的に描き出されています。「食卓」(図7)では、家族が食事をする食卓の上に裸で横たわり、お腹から内臓が引きずり出されるような状態になっている様子は、グロテスクで、ブラックユーモアを帯びながら、沖縄の視点から見た日本に対する批判的なメッセージに充ちています。
「米兵」(図8)では、裸で顔にガスマスクを装着した状態で、海の浅瀬に立つ男性に抱きかかえられており、「戦争中にアメリカ兵に助けられた日本人の女の子」という説明文と相まって、第二次世界大戦や、沖縄と米軍にまつわるさまざまな問題、米兵による暴行事件などを連想させ、背景に広がる青い海や空の下に横たわる歴史や現代の差し迫った問題が暗示されています。「食卓」(図7)と同様に、吉山が裸で演じることによって、夢の中の出来事にとどまらず、現実に差し迫った問題のありようが鮮明に浮き彫りにされていると言えるでしょう。
(図9)
両親
両親にとって私は足かせであり、両親は私にとって何も見てくれないうえに、私を縛りつける人間だった。
(図10)
妊婦
母体の中に入って母親に守ってもらいたい私の願望。
海辺は、吉山が生まれ育った場所、ルーツとしての沖縄を象徴するような場所であり、彼女が抱える根源的な欲求や問題を表わす舞台になっています。「両親」(図9)は、砂浜で男性と女性が足にロープを括り付け、それぞれ別の方向に向かって歩いている後ろ姿と、そのロープを首に巻きついて、二人と背中合わせになって苦しげな表情を浮かべる制服姿の吉山が、抜けるような青空と強い光の元に写し取られており、親子関係の葛藤が文字通り白日の下に晒されています。このような葛藤を抱えながらも、「妊婦」(図10)では、「守ってほしい母体」として、海を背景に佇む妊婦のお腹にすがりつく姿には、吉山が抱く、家族や生まれ育った土地、沖縄への複雑な感情が重なり合わされているようにも思われます。
『森花 夢の世界』は、「夢の世界」という極めて個人的、主観的なヴィジョンや感情を出発点としながらも、沖縄という土地の固有性のみならず、人がそれぞれに生まれ育ち、生きる社会の複雑さを提示していることに、石川と吉山二人の表現力が発揮されているのではないでしょうか。

9月21日から25日の会期で、「石川真生 大琉球写真絵巻」展が名護市民会館中ホールで開催されます。展覧会の開催に向けて制作費・会場費のカンパも募集しています。詳細は石川真生のブログ及びFacebookページをご覧下さい。
(こばやし みか)
●今日のお勧め作品は、エドワード・スタイケンです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第32回をご覧ください。
エドワード・スタイケン
「Brancusi, Voulangis, France」
1922年頃(1987年プリント)
ゼラチンシルバープリント
33.2x27.0cm
Ed.100
裏にプリンターと遺族のサインあり
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◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
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写真集『森花 夢の世界』

『森花 夢の世界』
石川真生×吉山森花
(未来社 2014)
今回紹介するのは写真集『森花 夢の世界』です。タイトルに示されている通り、一連の写真は、沖縄の写真家、石川真生(1953-)がアーティストの吉山森花(1989-)が語った「奇妙で、過激で、セクシー」な夢の内容に触発され、吉山が夢の場面を演じ、それを石川が撮影するという共同作業で作り出されました。
それぞれの写真に添えられた説明文には、夢の内容にとどまらず、吉山の感情が綴られており、写真集の所々で挿入される吉山の手によるイラストは、刻みつけられたり、引き裂かれたり、増殖したり、ほかの生物と合体したような身体(図2)や、分裂したような顔(図3)が、紙面全体を覆うような線で描かれています。恐怖や不安に取り憑かれ、強迫観念を抱く心情がそのまま視覚化されたようなイラストと、吉山がカメラの前で演じた場面の写真、説明文の言葉が相互に混じり合い、「夢の世界」が複合的に描き出されています。

吉山森花のイラストレーション

吉山森花のイラストレーション
後書きの中で吉山が述べているように、彼女が「奇妙で、過激で、セクシー」な夢を見る背景として、幼い頃から抱いていたという「世の中に存在していることに対する罪の意識」や、「常に誰かに監視されていて、人を殺してしまう映像が頭の中に流れた」という強迫観念、「恐怖を感じずに自分を殺すにはどうしたらよいのか」とつねに考え自傷を繰り返していたという経緯があります。このような鬱屈した想念が色濃く投影された夢の世界を、実際に演じて写真に撮られることで、吉山は「生きている実感がする」ようになったとも述べています。石川との共同作業による作品制作を通して、吉山は自身の内面を解放し、自身を客観視する視点を得ることができたのかもしれません。
この作品のなかで用いられている「演じる」という要素は、石川の他の作品にも取り入れられています。たとえば、さまざまな背景や思想信条を持つ人たちが日本国旗を用いてその人自身、日本人、日本という国を表現するパフォーマンスを行って撮影した『日の丸を視る目』や、琉球国から現在にいたるまで大国に翻弄されてきた沖縄の歴史を、様々な場面ごとに友人や知人が演じて「再現」して撮影した写真をつなぎあわせた「大琉球写真絵巻」(現在進行中のプロジェクト)があげられます。石川は、「演じる」という要素を取り入れることで、写される人それぞれに具わる想像力や表現力を解き放ち、写真の中にそれを受けとめることによって、人と社会との関係を浮かび上がらせるような作品世界を生み出しています。
このような「演じる」ことを取り入れた石川の作品のなかでも、『森花 夢の世界』は、吉山森花に焦点をあわせて生み出されたものであるだけに、曝け出された彼女の身体性や感情が作品の要になっています。ポーズや衣装、とくに独特なメイクによって強調された目の表情――時には睨みつけ、見開き、挑発し、恐怖や苦しみを訴えるような――は、強烈な印象を残します。また、撮影された室内の空間や屋外の景色は、それぞれの場面での彼女の心境を反映し、沖縄という土地と彼女の関係を映し出したものとして読み解くことができます。

表紙の作品

ハンガー
ハンガーのアンテナをつけて情報を集める狂った女。
表紙(図1)の装丁にも使用されている作品(図4)では、取り壊されたバスルームでバスタブの中で寝そべりながら、瓦礫やスプレー缶、壁に書き散らされたグラフィティに囲まれ、瓦礫を貪り口から血を流しており、苦しみや混乱、攻撃性がないまぜになった心理が場面全体に表出しています。(図4)と同様に閉塞的な室内空間の中で心理状態が表現された作品として、「ハンガー」(図5)があります。頭にラップをまきつけ、ワイヤー製のハンガーを填め、階段の踊り場で這い回るようなポーズをしています。「ハンガー」(図5)のように、身のまわりにあるものや環境に衝動的に反応するようにして、自分の内面を曝け出すような吉山の身体表現は、「ポール」(図6)においても際立っています。学校の制服(社会からの抑圧や強制を表わすものとして、作品の中で頻繁に登場する要素)を着て、海辺のポールによじ登り、右手に煙草を持って、誘うような視線をカメラに向けながらポールを舐める姿は、エロティックで挑発的です。

ポール
高校生の女の子がポールのかっこよさに惚れてしまい、毎日学校帰りに港に立ち寄っては愛しあっている。

食卓
私を食べている日本人、特に東京の人。私はたくさん食べられて苦しかった。

米兵
戦争中にアメリカ兵に助けられた日本人の女の子
内側に潜む狂気や暴力性、性的な欲望などを、吉山一人で演じた作品に加えて、他の登場人物と共演して作り出された場面の中では、夢の内容は人間関係や家族、政治、歴史など社会的な側面に関わって、より具体的に描き出されています。「食卓」(図7)では、家族が食事をする食卓の上に裸で横たわり、お腹から内臓が引きずり出されるような状態になっている様子は、グロテスクで、ブラックユーモアを帯びながら、沖縄の視点から見た日本に対する批判的なメッセージに充ちています。
「米兵」(図8)では、裸で顔にガスマスクを装着した状態で、海の浅瀬に立つ男性に抱きかかえられており、「戦争中にアメリカ兵に助けられた日本人の女の子」という説明文と相まって、第二次世界大戦や、沖縄と米軍にまつわるさまざまな問題、米兵による暴行事件などを連想させ、背景に広がる青い海や空の下に横たわる歴史や現代の差し迫った問題が暗示されています。「食卓」(図7)と同様に、吉山が裸で演じることによって、夢の中の出来事にとどまらず、現実に差し迫った問題のありようが鮮明に浮き彫りにされていると言えるでしょう。

両親
両親にとって私は足かせであり、両親は私にとって何も見てくれないうえに、私を縛りつける人間だった。

妊婦
母体の中に入って母親に守ってもらいたい私の願望。
海辺は、吉山が生まれ育った場所、ルーツとしての沖縄を象徴するような場所であり、彼女が抱える根源的な欲求や問題を表わす舞台になっています。「両親」(図9)は、砂浜で男性と女性が足にロープを括り付け、それぞれ別の方向に向かって歩いている後ろ姿と、そのロープを首に巻きついて、二人と背中合わせになって苦しげな表情を浮かべる制服姿の吉山が、抜けるような青空と強い光の元に写し取られており、親子関係の葛藤が文字通り白日の下に晒されています。このような葛藤を抱えながらも、「妊婦」(図10)では、「守ってほしい母体」として、海を背景に佇む妊婦のお腹にすがりつく姿には、吉山が抱く、家族や生まれ育った土地、沖縄への複雑な感情が重なり合わされているようにも思われます。
『森花 夢の世界』は、「夢の世界」という極めて個人的、主観的なヴィジョンや感情を出発点としながらも、沖縄という土地の固有性のみならず、人がそれぞれに生まれ育ち、生きる社会の複雑さを提示していることに、石川と吉山二人の表現力が発揮されているのではないでしょうか。

9月21日から25日の会期で、「石川真生 大琉球写真絵巻」展が名護市民会館中ホールで開催されます。展覧会の開催に向けて制作費・会場費のカンパも募集しています。詳細は石川真生のブログ及びFacebookページをご覧下さい。
(こばやし みか)
●今日のお勧め作品は、エドワード・スタイケンです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第32回をご覧ください。

「Brancusi, Voulangis, France」
1922年頃(1987年プリント)
ゼラチンシルバープリント
33.2x27.0cm
Ed.100
裏にプリンターと遺族のサインあり
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