「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第24回

土渕信彦


24-1.「大ガラス」東京ヴァージョン
1970年代後半の瀧口の活動では、「大ガラス」東京ヴァージョン(図24-1)のについて触れないわけにはいかない。これはデュシャン「大ガラス」のレプリカを制作するプロジェクトで、東京大学の横山正助教授(現東京大学および情報科学芸術大学院大学名誉教授)が、同大学の創立100周年の記念事業の一つとして発案したものだった。「大ガラス」のレプリカとしては、ウルフ・リンデによるストックホルム・ヴァージョン(61年)、リチャード・ハミルトンによるロンドン・ヴァージョン(66年)に続く、世界で3番目のものということになる。

図24-1 東京ヴァージョン図24-1
デュシャン「花嫁は彼女の独身者達によって裸にされて、さえも」東京ヴァージョン(1980年)
(西武美術館・高輪美術館「マルセル・デュシャン展」図録、1981年より転載)


76年頃には、瀧口・東野芳明の両名が監修に当たるとの条件のもと、ティニー・デュシャンから再制作の許可が下りたようである。前回言及したティニーからの瀧口宛て手紙(「檢眼圖」の献呈に対する77年2月21日付けの礼状)のなかでも、次のように記されている。

I’m very excited by Mr. Tadashi Yokoyama(university of Tokyo)’s proposal, especially, if you and Tono are going to supervise it. I know you will keep in touch with me and let me know what happens.”「東京大学の横山氏の提案に、わくわくしています。あなたと東野さんで監修し、様子を知らせてくださいね」(土渕意訳)

この条件ないし要請は、多摩美術大学の教授を務めていた東野芳明にとっても好都合だっただろう。早速、横山・東野の両氏を中心に東大と多摩美の院生・学生たちによる準備グループが組織され、デュシャンのメモの読解や材料の分析などの作業が開始された。78年には正式にデュシャン「大ガラス」制作実行委員会が発足し、制作資金の募金活動も始まった。完成したのは80年春となった(図24-2)。

図24-2 展示風景図24-2
東京ヴァージョンの展示風景
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部駒場博物館のホームページより)


上に引用した手紙を書いていた77年初め頃にティニーの念頭にあった瀧口の姿は、米国での再会の際の、「われながらよくぞ小康を保った」(「自筆年譜」1973年の項)という姿だったのだろうし、現にマルティプル「檢眼圖」を完成し贈ってくれたのだから、瀧口が元気でいると思っていたとしても止むを得ないだろうが、すでに健康状態はかなり悪化し、外出もままならなくなっていた。全体の会議に出席することができたのは、東野の回想によれば、1回限りだった(「瀧口修造と東京版『大ガラス』」みすず、1979年9-10月。以下、この回想に拠る)。制作スタッフが西落合の部屋を訪ねて助言を仰ぐこともあったようだが、結局、完成を見届けることなく、79年7月に瀧口は他界した。デュシャン研究の先駆者・第一人者による導きを失って、スタッフは大きな喪失感を覚え、プロジェクトの進行自体も危ぶまれたそうである。


24-2.「シガー・ボックス」

このときに東野をはじめ制作スタッフが想い起したのが、上の会議に出席した際に瀧口が携えていた木製の箱だった。会議での発言に当たって、瀧口が箱の中のメモを参照し確認していたため、当時から注目を集めていた。この箱とメモが通称「シガー・ボックス」である(図24-3)。東野が瀧口に直接確認したところ、箱は荒川修作から贈られた葉巻の箱で、その中には「大ガラス」の再制作について思いついたことをメモして入れているというのだった。「デュシャンが<グリーン・ボックス>や<ホワイト・ボックス>を作った故事にならい、自分もいつかこれらのメモ入りの箱を、オリジナル作品として売ってもいい」と、笑っていたそうである。

図24-3 シガーボックス図24-3
瀧口修造「シガー・ボックス」
(千葉市美術館「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展図録より転載)


瀧口の没後、綾子夫人から借り出してメモを解読したところ、すでに前述した二つの先行事例が在るなかで、3番目のレプリカを制作する意義や目的について、本質的で多面的な考察が含まれていることがわかり、その後の作業進行の大きな指針となった。とりわけ「制作当時の作品に出来るだけ近づける方向で、新しい出来たてのLarge Glassを再製作[ママ]してみる」という考えは、瀧口自ら「平凡だが、妥当な仕方」と位置付けているとおり、レプリカ制作の基本的な方針とされた。

なお、晩年の瀧口(または綾子夫人)が記念品などを入れていた葉巻の箱にはもう一つ別のヴァ―ジョンがある。「シガー・ボックス」と区別して、「シガー・ボックス(TEN-TEN)」(図24-4)と呼ばれる。中に入れられているのは以下のような品々で、個人的な色彩を濃厚に有しているように思われる。

図24-4 TEN-TEN図24-4
瀧口修造「シガー・ボックス(TEN-TEN)」
(千葉市美術館「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展図録より転載)


・アンドレ・ラフレー挿絵『マルセル・デュシャンの生涯』LA VIE ILLUSTRÉE DE MARCEL DUCHAMP avec 12 dessins d’André RAFFRAY(ポンピドゥー・センター、1977年)2冊。瀧口宛てティニー・デュシャンの献呈署名入り(図24-5)、および東京ローズ・セラヴィ宛てマドリン・ギンズの献呈署名入り(図24-6)。
・1969~70年頃の綾子夫人の日記帳1冊(文庫本大のノートブック。おもに瀧口入院中の看病の記録として使用したものと思われる)
・マドリン・ギンズからの絵葉書 など

図24-5 ティニー・デュシャンの献辞図24-5
ティニー・デュシャンの献辞


図24-6 マドリン・ギンズの献辞図24-6
マドリン・ギンズの献辞


つちぶちのぶひこ

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20160913_takiguchi2014_III_14瀧口修造
「III-14」
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:18.5×13.9cm
シートサイズ :18.5×13.9cm


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