夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第七回◇怪鳥ロプロプとコラージュ―イメージの幻視者マックス・エルンスト

怪鳥ロプロプがわが書斎に降り立ったのは、いつのことだっただろうか。「ロプロプ」とは言うまでもなくシュルレアリスムの巨人マックス・エルンストが創造した想像上の巨大な怪鳥のことである。マックス・エルンストがまだ十代だったある夜、最愛の友人の桃色インコ「オルネボム」が死んだ。翌朝、父親が妹ロニの生まれたことを伝えると、オルネボムの精気が妹に乗り移ったような錯覚に陥り、エルンストは気絶してしまうほどのショックを受けたという。以後、「鳥」のイメージはエルンストの中で、生涯「死と再生」のイメージのシンボルとして繰り返しコラージュや絵画などの作品に登場する。怪鳥ロプロプはエルンストの青春期の悲劇的な出来事の中で生まれた暗黒のフェニックスであったといえよう。

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マックス・エルンストのコラージュロマン『百頭女』(1929年)の中では、「鳥類の王」である怪鳥ロプロプがパリの街燈に夜の食事を運ぶシーンも登場する。


マックス・エルンストが再発見した幻視的コラージュ。まったく関係のない図版を切り貼りし、デペイズマン(異化作用)によって、不思議で異様な世界が再構築される。エルンストによれば、デペイズマンとは「デペイゼ(=追放する、異国に追いやる、環境をかえる)という動詞から来る言葉で、事物を日常的な関係から追放して異常な関係のなかに置き、ありうべからざる光景をつくり出す行為」。異なるイメージの衝突により、非日常的な異世界が立ち現われる。エルンストの言う「詩的火花」の発火装置がコラージュの断片に仕掛けられている。「そこでは、すべての事象は暗い因襲の檻から解き放たれ、<自己>は無化し、軽々と匿名の大気に溶けいっている」(『すべての因襲から逃れるために』武満徹)。想像力は解き放たれ、一枚のコラージュから何千もの物語が生まれる。作品を見るものが想像力を自由に駆使することによって、作者と共同で創造の一部の担い手になると言ってもよいだろう。
コラージュを偏愛するようになったのは、「合理」がすべてを采配する会社組織に属しているころだったように思う。内なる自由な精神生活さえ「常識」や「合理」によって規制される窮屈な状況に辟易していた時、精神を一瞬にして異世界へと誘うエルンストのコラージュの世界に出会った。現実逃避ではなく精神の解放をもたらす、シュルレアリスムという形而上の桃源境への入り口の鍵を手に入れたのだった。
エルンストの絵画論『絵画の彼岸』(河出書房新社 巌谷國士訳 1975年)によると、「1891年4月2日午前9時45分、マックス・エルンストははじめて感覚の世界と接触した。かれは母親がワシの巣のなかにおき、7年間ワシによってはぐくまれた卵から出てきた」と鳥人エルンスト誕生について記している。エルンストが生まれたケルン近郊はローマ帝国の植民地で、魔術道士コルネリウス・アグリッパの出身地。東方の三博士の遺骨が祀られたカテドラルもある。エルンストの生誕地ケルン近郊のブリュールには純潔を守り命を絶った1万千もの処女の骸骨が修道院に飾られているという。エルンストの生地周辺には魔的な雰囲気が醸成されていた。エルンストはノヴァーリスやヘルダーリンなどのドイツロマン派やホフマンやルソー、ドストエフスキーなどを耽読していた。
コラージュのイメージの原型となる幻覚的体験をしたのはエルンストが7歳の時だった。はしかにかかり熱にうかされてベッドから見える木の羽目板の模様が異様な眼玉や鼻、鳥の頭などに見えたという。エルンストはこうした幻覚的ビジョンを雲や壁のしみなどから意図的に引き起こすのが悦楽的な行為だったようだ。エルンスト自身、こうした幼児の体験が「霊感や啓示の過程と直接結びつく、デッサンや絵画における二、三の技術的可能性(フロッタージュ、コラージュ、デカルコマニー)を探求させた」(『絵画の彼岸』)としている。イメージの見者エルンストは偏執狂的ともいえる超視力への欲望について「わたしの眼は、外部から襲い掛かる驚異的な世界だけでなく、わたしの若い夢のなかに執拗かつ規則的にほとばしり出ては消えてゆく、あの神秘的で不気味なもうひとつの世界に渇えていた。<はっきり見ること>はわたしの神経の安定のための必然的要求となった。そして<はっきり見る>ためには、ただひとつの手段しかなかった。視野に入ったものすべてを紙に定着すること。デッサンすること」(『ラインの回想』マックス・エルンスト-『美術手帖1960年6月号 特集マックス・エルンスト』のエッセイ「幻視の芸術家」大岡信より)だったと分析する。
エルンストによると、コラージュの発想が生まれたのは1919年のある雨の日のこと。「ライン川のほとりにあるとある街にいるとき、人類学や微生物学、心理学、鉱物学、古生物学 などの教室用実験材料を載せたある挿絵入りカタログをたまたま苛立って眺めていると、そのページから次々と妄想が生まれた」(『絵画の彼岸』)という。異なるイメージ同士の不意の出会いが「私のもっとも秘密の欲望を露呈するドラマと化した」(同)。挿絵入りカタログから生まれた奇怪な妄想のイメージ。エルンストの奇想天外、魔訶不思議な暗黒の情景に筆者は憑りつかれたのだった。

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マックス・エルンストの『百頭女』と『慈善週間または七大元素』のドイツ新版(Zweitausendeins 1975年 ミュンヘンの古書店で入手)

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エルンストのコラージュロマン『百頭女』から


夜の女王が闇を支配する。ありとあらゆる日常の反転、想像力の陰画の風景。怪鳥ロプロプが生息する夜の世界。エルンストのコラージュロマンは夜の物語である。「・・・この瞬間、夜の町は忽然として、その冷たい魚の肌のやうな新鮮さと、本源的快楽と恐怖を取り戻すだらう。暗い濃厚な情緒に咽喉元までたっぷり涵されながら、彼がゆくあらゆる町角は、殺意のある口をあんぐりとあけている。その晩彼が會った夜は、正しく本物の夜なのだ」(『美の襲撃』三島由紀夫 講談社 1961年)。夜の想像力の支配者エルンストの『百頭女』はまさに殺意に満ちた百鬼夜行の異様な「本物の夜」の情景を魔術的コラージュで描いた暗黒ロマンであった。シュルレアリスムは夜につくられたのである。こうしたコラージュロマンは『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』(1930年)、『慈善週間または七大元素』(1934年)へと続く。パリのポンピドゥーセンターに展示されているエルンストのコラージュを何度も見る機会があったが、あらゆる角度から目を凝らして見ても、紙を貼り合わせて作られたもの(パピエ・コレ)には見えないほど精巧に作られ、すべてをエルンストが描いたように思われた。

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エルンストのコラージュロマン『百頭女』から

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『慈善週間または七大元素』(1934年)から


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『慈善週間または七大元素』(1934年)から


エルンストの作品の中でも特に惹かれるのが『七つの微生物』(SEPT MICROBES, LES ÉDITIONS CERCLE DES ARTS 1953年)。オスカー・ドミンゲスが始めたデカルコマニーの手法によって生成されたミクロコスモスの中に広がる広大な想像宇宙。10cm四方から極小の5mm四方まで様々な大きさに貼られた絵と詩的なメッセージ。微小な絵に描かれた雄大な想像のミクロコスモスの大地。この本の紹介を見て、オリジナルがどうしてもほしくなり、フランスの古書店から取り寄せた。

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エルンストの『七つの微生物』(1975年版)


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エルンストの『七つの微生物』(1975年版)から


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エルンストの『七つの微生物』(1975年版)から


エルンストと言えば、毎年のようにオマージュ瀧口修造展を企画していた佐谷画廊の故佐谷和彦氏のことを思い出す。筆者の当時の自宅近くの阿佐ヶ谷に近い荻窪に、銀座からギャラリーを移してから、たびたび散歩の途中でばったり会い、善福寺川沿いのベンチに座って佐谷さん手持ちのビールをご馳走になった思い出も。「同じフィールドにいる人間同士だね」とにこやかに佐谷さんが話していたのが懐かしい。家から近かったこともあり、佐谷画廊をたびたび訪ねた。その時に見せてもらったエルンストのオリジナルのフロッタージュ『博物誌』(1926年 ジャンヌ・ビュシェ刊)は圧巻だった。200万円という価格を聞いて「見るだけ」であったが、眼福にあずかった。エルンストは『絵画の彼岸』の中で、フロッタージュについて「床板に手あたり次第に紙をあて、黒鉛でその上をこすることによって」得られた幻覚的なイメージの蒐集に憑りつかれたと述べている。床板から生まれる妄想的イメージの数々…。「人間の顔、様々な動物、…岩山、海、洪水」。筆者も子供のころ、眠りに落ちる前、天井の壁のシミに人の顔や奇怪な動物、妖怪のようなものを見て、恐れおののいた思い出がある。エルンストはそれを客観化し、自ら持つ幻視、瞑想能力を強化することによって世界の原初的なイメージを紙の上に定着した。

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『博物誌』(1926年)のフロッタージュ


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『博物誌』(1926年)のフロッタージュ


2005年12月、エルンストのお墓参りをしようとパリのペール・ラ・シェーズ墓地を訪れた。お墓の場所がわかりにくく、なかなか見つからなかったが、集合墓地の一角にようやくエルンストのお墓を見つけた。あのシュルレアリスムの巨人のお墓にしてはあまりにも小さく、質素すぎて少なからずショックを受けた記憶がある。エルンストのお墓は約40センチ四方のプレートで覆われた小さなもの。黒の御影石に金文字で「MAX ERNST 1891-1976」とだけ刻まれている。近くには無縁墓となったのか、蓋が外れ、中が見えるほど放置されたものもあった。もしビル・ゲイツ並みの富豪だったらエルンストの彫刻(エルンストとドロテア・タニングが一緒に写った作品 写真<13>)でお墓を建ててあげたいと思ったものである。エルンストは「作品こそがわが墳墓」と言うかもしれないが…。

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ペール・ラ・シェーズ墓地の質素なマックス・エルンストのお墓


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マックス・エルンストと妻のドロテア・タニング。ペール・ラ・シェーズ墓地にこのエルンストの彫刻がお墓としてあったなら…>


パリの古書店を巡るたびにエルンストの署名本を入手したいと念じていたが、2010年、パリ5区にあった古書店で、ついに手に入れることができた。献呈署名本で、タイトルは『Écritures』(Éditions Gallimard 1970年初版)。本の扉に「a Jaqueline Bour entre deux verre du champagne」(「二つのシャンペングラスの間で…」)と書かれており、つがいの鳥が対話でもしているかのような不思議な絵文字が添えられている。

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献呈署名本『Écritures』(1970年)


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献呈署名本『Écritures』(1970年)と、本の扉に描かれたエルンストの絵入りサイン。対話する鳥の絵文字。怪鳥ロプロプの「幼鳥」だろうか。古代文字のような絵文字で構成された作品は『マクシミリアナ、または天文学の無法な演習』(1964年)がある。


エルンスト関係の蔵書の中でも稀少書の部類に入るのがポール・エリュアールとの共作『不滅者の不幸』(LES MALHEURS DES IMMORTELS, ÉDITION DE LA REVUE FONTAINE 1945年版 初版は1922年)。神保町の仏古書を扱うT書店のバーゲンセールで入手した「宝物」。1800部刊行されたうちの「1番」で、T書店の店主は「1番という番号からして、もしかしたらエルンストの手元にあったものかもしれない」と言っていた。手放すのを惜しんでか「この本は将来、家宝になりますから」と筆者に手渡すとき念を押して話したのを記憶している。

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『不滅者の不幸』(1945年版) 


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『不滅者の不幸』(1945年版)から


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『不滅者の不幸』(1945年版)から


エルンストの友人ポール・エリュアール邸の壁に描いた絵を集めた美しい装丁の本もお気に入りの一冊だ。『MAX ERNST PEINTURES POUR PAUL ELUARD』(Éditions Denoël 1969年)。エルンストの絵はエリュアールがこの家を去った後、上から塗料や壁材で覆われ、隠されていたが、エリュアールの娘が思い出し発見されたという。

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ポール・エリュアールの家の壁画に描かれた絵を集めた美しい装丁の本『MAX ERNST PEINTURES POUR PAUL ELUARD』(1969年)


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『MAX ERNST PEINTURES POUR PAUL ELUARD』(1969年)から


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『MAX ERNST PEINTURES POUR PAUL ELUARD』(1969年)から


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幻視者マックス・エルンスト


マックス・エルンストはある意味、魔術的想像力で世界を再創造した「宇宙創成者(デミウルゴス)」(「畸型の神 あるいは魔術的跛者」種村季弘 青土社)のような存在であったかもしれない。イメージ同士の衝突による日常から非日常への暗転。ランボーの意識的な錯乱とのアナロジー。黒い地下想像力と「ポエジーの発火」によって描かれた魔的な作品世界。「シュルレアリストとは、これらの《呪われた場所》に近づくことのできた、いわば選ばれた人間である。かれは狂人によって、理性の絶対的な有効性を疑うように強いられる。半ば明晰で半ば錯乱したかれのメッセージは、知性にコントロールされた言葉よりも、ときとして一層真理に近づく」(「シュルレアリスムとカフカ」 マヤ・ゴート 審美文庫 金井裕訳)。「見ること」を究極的に極めたマックス・エルンストは偉大な幻視者の系譜に連なる一人であったと言ってもよいだろう。

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マックス・エルンスト関係の蔵書の一部

 
作成日: 2016年9月22日(木)
よるの ゆう

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)-モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論Ⅲ』で、『北朝鮮1987-消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。

●本日のお勧め作品は、マックス・エルンストです。
エルンスト「緑の蜥蜴」
マックス・エルンスト
兵士のバラードより<ジャン・ピエールは緑の蜥蜴>
1972年  カラー石版
イメージサイズ:22.6×18.3cm
シートサイズ:38.3x29.0cm
H.C ⅩⅡ/ⅩⅠⅩ
Signed

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