普後均のエッセイ「写真という海」第3回
「GAME OVER」
「FLYING FRYING PAN」を作り終えた時、写真においての窮屈な状況から少しは自由になったような気がした。必ずしもモノをモノとして撮らなくてもいいという思い。それに、小さなフライパンに宇宙を見ることも可能であり、フライパンを光のイメージまで変容可能であれば、今ここに存在しない未来の姿も過去のことでも表現できるのではないか。言葉にしても映画にしても表現する領域は限りなく広い。写真だけが現在性にしがみつき、狭い意味での記録にこだわり続けるのであれば、写真という海の豊かさに気がつかずに終わる恐れがある。
1989年、仕事の依頼でカナダ、アルバータ州エドモントンにある商業施設を撮影したことがきっかけになり、「GAME OVER」が生まれた。
この商業施設ウエスト・エドモントン・モールは当時、世界最大のショッピングモールだった。潜水艦で水中を見ることができる「海」があり、人工の波が定期的にやってくる巨大なプールもあれば、アイススケートリンク、ジェットコースターを備えた遊園地、イルカが泳ぎショーも行われる水槽、ヨーロッパの街並みを模したショッピング街、それら全てがガラスで覆われた建物の内部空間に収まっている。極寒の冬でも快適に買い物ができ、スポーツや遊びを楽しみ、施設内のホテルに泊まれば、一歩も建物の外にでることなく何日も過ごすことができるような場所だった。
仕事としての写真を撮りながら、この施設をシェルターと見做したらどのような作品になるのだろうかと考え始めていた。いつか地球上がのっぴきならない状況になり、人々はシェルター内でしか生き延びられない時代になっているという視点からこの施設を見たらどうなるだろうか。巨大なガラスの空間は、一挙に未来の光景に様変わりし、人々の様子は憂いに満ち溢れており、かつての生活を懐かしんでいるようにさえ見えてきた。人々が外の世界を自由に楽しんだのは遠い昔のこと。当時のことを忘れないための設備は整っているものの、あくまで疑似体験するための空間。地球上で頂点に立ちどのようにもできると思い込んでしまったヒトの日々の振る舞いは、まるでゲームのようだった。そしてついにゲーム・オーバー。
この場所を舞台にすれば、映画のようにセットを作らなくても、現実の場を借りながら、未来の世界を表現できる。「FLYING FRYING PAN」の時はモノと場所の関係を解体することが重要なことの一つだったけれども「GAME OVER」は一度壊し、改めて未来の場との関係を構築し直す必要があった。
普後均
「GAME OVER(9)」
1991年撮影(1992年プリント)
C-プリント(ヴィンテージ)
Image size: 37.8x56.8cm
Sheet size: 50.8x61.0cm(20x24inch)
エディション無し
サインあり
普後均
「GAME OVER(37)」
1991年撮影(1992年プリント)
C-プリント(ヴィンテージ)
Image size: 37.8x56.8cm
Sheet size: 50.8x61.0cm(20x24inch)
エディション無し
サインあり
普後均
「GAME OVER(51)」
1991年撮影(1992年プリント)
C-プリント(ヴィンテージ)
Image size: 37.8x56.8cm
Sheet size: 50.8x61.0cm(20x24inch)
エディション無し
サインあり
ちょうど同じ頃に、写真と他のメディア、特に小説とのコラボレーションがどのような効果を生むのかを考えていた。藤原新也が一人で文章も書き写真も撮った「全東洋街道」の優れた作品に影響を受けたからかもしれない。LIFEなどのグラフ誌では写真とストーリーで構成するフォトエッセイという分野がすでに確立していたけれども、時間をかけた旅でしか得られない視点での写真と文章を1冊の本で見て読んだ時の「全東洋街道」の衝撃は今でも忘れられない。写真と文章それぞれが強度を保ちながら呼応し合い、藤原新也の世界を形作っていた。
ウエスト・エドモントン・モールを未来のシェルター空間としての写真とSF小説とのコラボレーションだったら新しい世界を切り開くことができるかもしれない。帰国してからこのプランを池澤夏樹に相談したことで、後の1996年に池澤夏樹の小説と僕の写真によって「やがてヒトに与えられた時が満ちて……….」(河出書房新社)という本にまとまった。
相談したことがきっかけになり、1991年にアリゾナ州トゥーソンにある「バイオスフィア2」という巨大なガラス空間の実験施設と二度目のウスト・エドモントン・モールを取材、撮影することになった。「バイオスフィア2」は密閉空間で男4人女4人の8人が、2年間自足しながら生活するというプロジェクトがあり、実験が始まる直前に内部を撮ることができた。この施設を撮影できたことで近未来的な世界がよりリアリティを増したような気がする。
池澤夏樹との旅の中で確認したことは、小説と写真が説明し補いあうものではなく自立したものにすること、時間軸は未来、僕は二つの施設をシェルターとして撮ることの3点だった。
小説とのコラボレーション「やがてヒトに与えられた時が満ちて…….」にしても写真だけの作品「GAME OVER」にしても僕にとっては実りある試みであったと思う。2011年の原発事故後は、「GAME OVER」が単なる絵空事のフィクションでなはなく、いつでもどこでも起こり得ることを示唆する作品になり、僕自身が驚いている。
(ふご ひとし)
■普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。
●本日のお勧め作品は、鬼海弘雄です。
作家と作品については、大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」第4回をご覧ください。
鬼海弘雄
〈アナトリア〉シリーズ
「22羽のアヒルと冬の気球(トルコ)」
2009年撮影(2010年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:29.1x43.6cm
シートサイズ:40.5x50.5cm
Ed.1/20
裏面にサインあり
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◆普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。
「GAME OVER」
「FLYING FRYING PAN」を作り終えた時、写真においての窮屈な状況から少しは自由になったような気がした。必ずしもモノをモノとして撮らなくてもいいという思い。それに、小さなフライパンに宇宙を見ることも可能であり、フライパンを光のイメージまで変容可能であれば、今ここに存在しない未来の姿も過去のことでも表現できるのではないか。言葉にしても映画にしても表現する領域は限りなく広い。写真だけが現在性にしがみつき、狭い意味での記録にこだわり続けるのであれば、写真という海の豊かさに気がつかずに終わる恐れがある。
1989年、仕事の依頼でカナダ、アルバータ州エドモントンにある商業施設を撮影したことがきっかけになり、「GAME OVER」が生まれた。
この商業施設ウエスト・エドモントン・モールは当時、世界最大のショッピングモールだった。潜水艦で水中を見ることができる「海」があり、人工の波が定期的にやってくる巨大なプールもあれば、アイススケートリンク、ジェットコースターを備えた遊園地、イルカが泳ぎショーも行われる水槽、ヨーロッパの街並みを模したショッピング街、それら全てがガラスで覆われた建物の内部空間に収まっている。極寒の冬でも快適に買い物ができ、スポーツや遊びを楽しみ、施設内のホテルに泊まれば、一歩も建物の外にでることなく何日も過ごすことができるような場所だった。
仕事としての写真を撮りながら、この施設をシェルターと見做したらどのような作品になるのだろうかと考え始めていた。いつか地球上がのっぴきならない状況になり、人々はシェルター内でしか生き延びられない時代になっているという視点からこの施設を見たらどうなるだろうか。巨大なガラスの空間は、一挙に未来の光景に様変わりし、人々の様子は憂いに満ち溢れており、かつての生活を懐かしんでいるようにさえ見えてきた。人々が外の世界を自由に楽しんだのは遠い昔のこと。当時のことを忘れないための設備は整っているものの、あくまで疑似体験するための空間。地球上で頂点に立ちどのようにもできると思い込んでしまったヒトの日々の振る舞いは、まるでゲームのようだった。そしてついにゲーム・オーバー。
この場所を舞台にすれば、映画のようにセットを作らなくても、現実の場を借りながら、未来の世界を表現できる。「FLYING FRYING PAN」の時はモノと場所の関係を解体することが重要なことの一つだったけれども「GAME OVER」は一度壊し、改めて未来の場との関係を構築し直す必要があった。

「GAME OVER(9)」
1991年撮影(1992年プリント)
C-プリント(ヴィンテージ)
Image size: 37.8x56.8cm
Sheet size: 50.8x61.0cm(20x24inch)
エディション無し
サインあり

「GAME OVER(37)」
1991年撮影(1992年プリント)
C-プリント(ヴィンテージ)
Image size: 37.8x56.8cm
Sheet size: 50.8x61.0cm(20x24inch)
エディション無し
サインあり

「GAME OVER(51)」
1991年撮影(1992年プリント)
C-プリント(ヴィンテージ)
Image size: 37.8x56.8cm
Sheet size: 50.8x61.0cm(20x24inch)
エディション無し
サインあり
ちょうど同じ頃に、写真と他のメディア、特に小説とのコラボレーションがどのような効果を生むのかを考えていた。藤原新也が一人で文章も書き写真も撮った「全東洋街道」の優れた作品に影響を受けたからかもしれない。LIFEなどのグラフ誌では写真とストーリーで構成するフォトエッセイという分野がすでに確立していたけれども、時間をかけた旅でしか得られない視点での写真と文章を1冊の本で見て読んだ時の「全東洋街道」の衝撃は今でも忘れられない。写真と文章それぞれが強度を保ちながら呼応し合い、藤原新也の世界を形作っていた。
ウエスト・エドモントン・モールを未来のシェルター空間としての写真とSF小説とのコラボレーションだったら新しい世界を切り開くことができるかもしれない。帰国してからこのプランを池澤夏樹に相談したことで、後の1996年に池澤夏樹の小説と僕の写真によって「やがてヒトに与えられた時が満ちて……….」(河出書房新社)という本にまとまった。
相談したことがきっかけになり、1991年にアリゾナ州トゥーソンにある「バイオスフィア2」という巨大なガラス空間の実験施設と二度目のウスト・エドモントン・モールを取材、撮影することになった。「バイオスフィア2」は密閉空間で男4人女4人の8人が、2年間自足しながら生活するというプロジェクトがあり、実験が始まる直前に内部を撮ることができた。この施設を撮影できたことで近未来的な世界がよりリアリティを増したような気がする。
池澤夏樹との旅の中で確認したことは、小説と写真が説明し補いあうものではなく自立したものにすること、時間軸は未来、僕は二つの施設をシェルターとして撮ることの3点だった。
小説とのコラボレーション「やがてヒトに与えられた時が満ちて…….」にしても写真だけの作品「GAME OVER」にしても僕にとっては実りある試みであったと思う。2011年の原発事故後は、「GAME OVER」が単なる絵空事のフィクションでなはなく、いつでもどこでも起こり得ることを示唆する作品になり、僕自身が驚いている。
(ふご ひとし)
■普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。
●本日のお勧め作品は、鬼海弘雄です。
作家と作品については、大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」第4回をご覧ください。

〈アナトリア〉シリーズ
「22羽のアヒルと冬の気球(トルコ)」
2009年撮影(2010年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:29.1x43.6cm
シートサイズ:40.5x50.5cm
Ed.1/20
裏面にサインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆普後均のエッセイ「写真という海」は毎月14日の更新です。
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