小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第9回

吉江淳『川世界』

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吉江淳、『川世界』(Salvage Press, 2016)
表紙


今回ご紹介するのは吉江淳(1973-)の写真集『川世界』(Salvage Press, 2016)です。この写真集は、吉江が生まれ育った群馬県太田市の端を流れる利根川の川岸の風景を、およそ15年間にわたって取り続けた写真をまとめたものです。表紙(図1)にはシルバーの箔押しで地図から引き写された川の輪郭が象られており、周辺の地名を削ぎ落とされた川は、抽象絵画の断片のようにも映ります。

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写真集には、流れゆく水面や、川を含めた流域の景色を捉えたものよりも、川岸に生い茂る草木や、遠景に見える高架道路や橋、川辺の造成地を通過するドラックやバイク、小さな畑、工事現場の標識、何がしかの目的のために建てられた小屋といった川岸にあるものや景色、あるいは川岸から見える景色を捉えたものが多く含まれます。(図2、3、4)縦長の判型のページの下の方に写真が配置されているというレイアウトにより、写真に捉えられている空間の地面の広がりが強く意識されると同時に、景色が捉えられたその時々の空の色や雲の形や広がりが印象に残ります。写真集のページを捲っていくと、一連の写真は確かに川岸で撮影されたものらしいが、一体どのような場所を見ているのだろうが、訝しく不思議に思うような感覚が湧き上がってきます。
このように「川岸の景色を撮った写真を見ていて、そこがどういう場所なのかわからない」という印象を抱くのは、私が利根川流域を訪れたことがない、という単純な事情に拠るものでもありますが、それに加えて「川岸の景色」というものを思い浮かべる時に、自分自身の記憶の中の景色や地形を参照するからなのかもしれません。私が生まれ育った広島市(河川の多いデルタ地帯)や京都市(盆地、宇治川派流地域)、現在生活する東京都(荒川流域)で目にしてきた川岸の景色と、吉江淳の撮った利根川流域の景色は「川岸の景色」としてはあまりにも違っています。西日本の山の稜線と河川に近い場所で育ってきた私にとって、吉江淳が生まれ育った北関東平野を流れる利根川は規模としても景色としても河川のあり方がどうやら随分違うらしいと感じると同時に、風景や地形に対する身体感覚は、生まれ育った環境、幼少期からの経験によって培われるものであることに思い至ります。

吉江は撮影の動機や経緯について次のように語っています。「最初は幼少期の地理的な果てという感覚で撮り始めたのですが、我々生活圏のカスや排泄物といったものが流れ着く場所として、そして日常とは異なった世界がごく身近にあると言う驚きに駆り立てられ堤防を超えました。時に厳しくも静けさに満ちた風景と向き合うのは、自分にとって世界そのものとどう向き合っていくのか考える事だったし、ひいては写真を考える事だったのではないかという気が今はしています。」(Facebook上での投稿より抜粋)

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幼少期の記憶や感覚に誘われるようにして川岸に向かい、川の堤防を日常の生活圏と異界を隔てる境界としてとらえてそれを超え、境界を行き来しながら写真を撮り続けるということは、眼前の景色を記録することにとどまらず、その景色の中で育ち、齢を重ねてきた自身の輪郭を確かめようとする動機に駆られるものでもあったのかもしれません。一連の写真は、風や雨、雪のような自然現象や、工事、時間の経過によって風景がその姿を変えていく有り様をも淡々と描き出しています。(図5、6、7)写真を繰り返し見るうちに、利根川流域という写真に捉えられた地域のみならず、自分が生まれ育ってきた場所が、歳月を重ねるなかでどのように姿を変えてきたのだろうかと、想いを馳せています。
こばやし みか

●今日のお勧め作品は、ヘルベルト・バイヤーです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第1回をご覧ください。
20160925_bayer_untitledヘルベルト・バイヤー
「Untitled」
1930年代(1970年代プリント)
Gelatin Silver Print on baryta paper
37.7×29.0cm
Ed.40(18/40)
裏面にサインあり


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