小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第10回
クワガタムシ 02
森のなかにクワガタムシが潜んでいる木を何本記憶しているか。その数でほぼ捕れる数はほぼ決まる。
樹木の皮がめくれていたら、その境にゆっくりと指を這わす。指を割れ目にできるだけ食い込ませる。注意深く感触をみる。異物に指が当たったら、クワガタムシの可能性が高い。
クワガタムシは夜行性なので昼間は木の陰や皮の割れ目に潜り込み、隠れていることが多い。だから昼間から樹液を吸っていることはほとんどない。学校の図書館の本には、昼間は土に潜って寝ていると書かれていたけど、正しくない気がする。何より土を掘って見つけ出すことはかなり効率が悪い。木の根元に限ってもかなり広く、そこを掘り返すとなると無駄な労力となることは子供でもわかる。だから基本的に土は掘り返さない。
樹液がでているあたりや皮の境にいなかったら、次にすることは決まっている。木の幹を思い切り蹴飛ばすのだ。木の上の方の幹や枝にとまっているクワガタムシを落とすためだ。といっても、回し蹴りではない。そんなことをしたら痛すぎて足がいくつあってもたりない。飛び蹴りだ。走りながら木に近づいて、タイミングを見計らって飛び跳ねて足の裏で「ドン」と押す感じだ。
子供がそんな蹴りをしたくらいで木が揺れるものだろうか、たとえ揺れたとしても、そんなことでクワガタムシが落ちてくるものなのか。そう思われがちだが、冗談みたいに落ちてくる。詳しい理由はわからない。樹木の表面に昆虫の爪は引っかかりにくいのかもしれない。
蹴飛ばすときには暗黙のルールがある。一人で蹴飛ばすこと。そう決まっている。クワガタムシが落ちて来たら蹴飛ばした者の所有となるからだ。何人かで蹴同時に飛ばして、仮に一匹だけ落ちてきたら、分けることができなくなる。つまり喧嘩になりやすい。ささやかな少年たちのトラブル回避の知恵といえる。そもそも最初に誰が考えたのだろうか。
それでも落ちてこなかったら、次は2人で蹴飛ばす。木がさらに大きく揺れる。一匹落ちてきたら最初に蹴飛ばした者のもの。2匹落ちてきたら一匹ずつ分ける。もっと落ちてきたら、じゃんけん。ほかは基本的にすべて第一発見者が所有者となる。
小林紀晴
「Winter 08」
2014年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20
標高1000メートル近い山里の夏は短い。
お盆が終わると急に涼しくなり、秋風が吹く。するとどういうわけか白樺の木の存在感が急に増す。青い葉がザワザワと鳴るからだろうか。小学校の夏休みも同時に終わる。8月17日とか18日から二学期が始まるのだ。
もう山には入らない。そんな気分ではなくなる。急速にクワガタムシに対する興味も薄れていく。自分でも不思議なのだが、これは毎年変わることのない。
そう感じるのは、結末がすぐそこまで来ていることに気がつき、身構え始めるからかもしれない。あれほど熱を上げて採集したクワガタムシが一匹、また一匹と死んでいくからだ。次第に動きが鈍くなり、やがてその続きのように動きを止める。あたかも電池が切れたように映る。ほとんどがそんな死に方をしていく。
完全に動かなくなったものをそっと水槽からつまみ出す。そして庭の片隅に埋める。それを繰り返す日が何日も続く。
ふと夢から覚めたような感覚がやってくる。
何故夏のあいだ、あれほど熱狂して山へ入っていたのか。貪欲に捕ることを繰り返したのか。そんな自分の姿が信じられなくなっていくのだ。
9月の半ばまでに、すべてのクワガタムシは水槽のなかからいなくなる。だからといって、たまらない寂しさがやってくるわけでもない。ただ、夏は死んだのだ、という思いが身体の奥から突き上げてくる。
(こばやし きせい)
■小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。
●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
●本日の瑛九情報!
~~~
瑛九のほぼ全てのリトグラフ作品を所蔵し、1974年から2010年まで、実に7回もの瑛九展を開催してきたのが山形県酒田の本間美術館です。

瑛九「旅人」
リトグラフ
本間美術館所蔵
瑛九ファンなら誰でも(とは言いませんが)知っている本間美術館の瑛九展開催記録が宮崎県立美術館開館記念「魂の抒情詩ー瑛九展」図録(1996年)にも、宮崎県立美術館、埼玉県立近代美術館、うらわ美術館の三館で開催された「生誕100年記念 瑛九展」図録(2011年)所収の<没後の展覧会歴>からもすっぽり抜け落ちてしまったのは不思議というほかありません。
神奈川県立近代美術館(1951年 カマキン)よりも、ブリヂストン美術館(1952年)よりも、国立西洋美術館(1959年)よりも早い、戦後間もない1947年(昭和22年)に開館したのが本間美術館でした。
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」とうたわれた日本最大の地主だった本間家は戦後の農地解放で解体されましたが、本間家に伝わる文化財を美術館をつくることによって散逸を防いだのでした。伊勢物語などの古美術、有名な雛人形から、瑛九のリトグラフ149点まで、幅広い収蔵品を誇っています。
明日は本間美術館の瑛九展開催記録をご紹介します。~~~
<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日~2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
クワガタムシ 02
森のなかにクワガタムシが潜んでいる木を何本記憶しているか。その数でほぼ捕れる数はほぼ決まる。
樹木の皮がめくれていたら、その境にゆっくりと指を這わす。指を割れ目にできるだけ食い込ませる。注意深く感触をみる。異物に指が当たったら、クワガタムシの可能性が高い。
クワガタムシは夜行性なので昼間は木の陰や皮の割れ目に潜り込み、隠れていることが多い。だから昼間から樹液を吸っていることはほとんどない。学校の図書館の本には、昼間は土に潜って寝ていると書かれていたけど、正しくない気がする。何より土を掘って見つけ出すことはかなり効率が悪い。木の根元に限ってもかなり広く、そこを掘り返すとなると無駄な労力となることは子供でもわかる。だから基本的に土は掘り返さない。
樹液がでているあたりや皮の境にいなかったら、次にすることは決まっている。木の幹を思い切り蹴飛ばすのだ。木の上の方の幹や枝にとまっているクワガタムシを落とすためだ。といっても、回し蹴りではない。そんなことをしたら痛すぎて足がいくつあってもたりない。飛び蹴りだ。走りながら木に近づいて、タイミングを見計らって飛び跳ねて足の裏で「ドン」と押す感じだ。
子供がそんな蹴りをしたくらいで木が揺れるものだろうか、たとえ揺れたとしても、そんなことでクワガタムシが落ちてくるものなのか。そう思われがちだが、冗談みたいに落ちてくる。詳しい理由はわからない。樹木の表面に昆虫の爪は引っかかりにくいのかもしれない。
蹴飛ばすときには暗黙のルールがある。一人で蹴飛ばすこと。そう決まっている。クワガタムシが落ちて来たら蹴飛ばした者の所有となるからだ。何人かで蹴同時に飛ばして、仮に一匹だけ落ちてきたら、分けることができなくなる。つまり喧嘩になりやすい。ささやかな少年たちのトラブル回避の知恵といえる。そもそも最初に誰が考えたのだろうか。
それでも落ちてこなかったら、次は2人で蹴飛ばす。木がさらに大きく揺れる。一匹落ちてきたら最初に蹴飛ばした者のもの。2匹落ちてきたら一匹ずつ分ける。もっと落ちてきたら、じゃんけん。ほかは基本的にすべて第一発見者が所有者となる。

「Winter 08」
2014年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20
標高1000メートル近い山里の夏は短い。
お盆が終わると急に涼しくなり、秋風が吹く。するとどういうわけか白樺の木の存在感が急に増す。青い葉がザワザワと鳴るからだろうか。小学校の夏休みも同時に終わる。8月17日とか18日から二学期が始まるのだ。
もう山には入らない。そんな気分ではなくなる。急速にクワガタムシに対する興味も薄れていく。自分でも不思議なのだが、これは毎年変わることのない。
そう感じるのは、結末がすぐそこまで来ていることに気がつき、身構え始めるからかもしれない。あれほど熱を上げて採集したクワガタムシが一匹、また一匹と死んでいくからだ。次第に動きが鈍くなり、やがてその続きのように動きを止める。あたかも電池が切れたように映る。ほとんどがそんな死に方をしていく。
完全に動かなくなったものをそっと水槽からつまみ出す。そして庭の片隅に埋める。それを繰り返す日が何日も続く。
ふと夢から覚めたような感覚がやってくる。
何故夏のあいだ、あれほど熱狂して山へ入っていたのか。貪欲に捕ることを繰り返したのか。そんな自分の姿が信じられなくなっていくのだ。
9月の半ばまでに、すべてのクワガタムシは水槽のなかからいなくなる。だからといって、たまらない寂しさがやってくるわけでもない。ただ、夏は死んだのだ、という思いが身体の奥から突き上げてくる。
(こばやし きせい)
■小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。
●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。

〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり
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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
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瑛九のほぼ全てのリトグラフ作品を所蔵し、1974年から2010年まで、実に7回もの瑛九展を開催してきたのが山形県酒田の本間美術館です。

瑛九「旅人」
リトグラフ
本間美術館所蔵
瑛九ファンなら誰でも(とは言いませんが)知っている本間美術館の瑛九展開催記録が宮崎県立美術館開館記念「魂の抒情詩ー瑛九展」図録(1996年)にも、宮崎県立美術館、埼玉県立近代美術館、うらわ美術館の三館で開催された「生誕100年記念 瑛九展」図録(2011年)所収の<没後の展覧会歴>からもすっぽり抜け落ちてしまったのは不思議というほかありません。
神奈川県立近代美術館(1951年 カマキン)よりも、ブリヂストン美術館(1952年)よりも、国立西洋美術館(1959年)よりも早い、戦後間もない1947年(昭和22年)に開館したのが本間美術館でした。
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」とうたわれた日本最大の地主だった本間家は戦後の農地解放で解体されましたが、本間家に伝わる文化財を美術館をつくることによって散逸を防いだのでした。伊勢物語などの古美術、有名な雛人形から、瑛九のリトグラフ149点まで、幅広い収蔵品を誇っています。
明日は本間美術館の瑛九展開催記録をご紹介します。~~~
<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日~2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
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