夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第十二回(最終回)◇「書斎」も漂流する―知の方舟とles épave(漂着物)

書物が言葉を運ぶ方舟ならば、書斎もまた書物を運ぶひとつの方舟である。エッセイ『書斎の漂流物』、今回は筆者自身が漂流物となって、書斎の佇まいの変遷とともに、この知的航海を振り返ってみたい。「レ・ザパァヴ (les épave)」というフランス語がある。「漂着物」という意味だが、調べてみると意味は、おんぼろ車 漂着物 ボロボロにされたもの 廃船 廃虚 敗残 残骸 海難 漂流物 破壊 荒廃 難破 難破する 難破船…などどれも浮沈を繰り返してきたわが「知の方舟」を表現するのに当てはまりそうである。各時代の書斎は筆者の精神的航海と人生に密接にリンクしている。

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ノアの方舟。書物が言葉を運ぶ方舟ならば、書斎もまた書物を運ぶひとつの方舟である。


わが書斎の歴史は大学時代に始まる。池袋のはずれの家賃三千円の三畳のぼろアパート。時代は1969年、東大安田講堂陥落の年。この超狭小の空間に18歳から22歳まで5年も暮らした。あるとき大学で精神医学を専攻していたころ、同級生15人近く(思い出してみれば、ほぼ女性だった)をこの部屋に招待し、すき焼きパーティをしたことがあった。隣同士の隙間もなく座り、よくこんな人数が入ったかのか不思議。良家のお嬢様が多く、今から思えばこのようなみすぼらしい貧乏下宿に招かれ吃驚していたのではなかろうか。若さゆえとは言え赤面の至りである。岩波文庫の赤帯(外国文学)、青帯(哲学・歴史など)、黄帯(日本の古典文学)、緑帯(日本の近現代文学)…と片っ端から東西のクラシックを読破したのもこのころ。「この男には読むことが一切であり、書物があたかも性愛の対象だった」(「黄金仮面の王」マルセル・シュオブ-解説種村季弘 コーベブックス 1972年)のかもしれない。河出書房新社のドストエフスキー全集を手に入れ、書簡、日記のたぐいまですべて読みつくした。三畳時代は書斎の揺籃期であった。

この後、会社に入り長崎、福岡、東京などを転々、最後は仙台で早期退職。この時代、特に前半は仕事が忙しく、ゆっくり本と戯れることも少なく、いわば書斎の「暗黒時代」であった。

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仙台時代の寮の書斎。仕事の合間に古書店を巡る日々。マニアックな古本レコード屋『S』や、仙台のブックカフェのはしり『火星の庭』や倉庫型古書店『万葉堂』など。本当の意味での書斎はここから始まった。『聊斎志異』など中国の不思議な怪異譚の世界にはまったのもこのころ。


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書斎の書棚から。パリのパサージュについて書かれた『PARIS CAPITALE DU XIXe SIECLE, LE LIVRE DES PASSAGES』(WALTER BENJAMIN , Les Éditions du Cerf 1989年)と著者ベンヤミン。「蒐集家の意識のなかでは一冊一冊の本の一番重要な運命は、自分自身との邂逅、自分自身の収集品との邂逅です。真の蒐集家にとっては、一冊の古書を手に入れることは、その本が生まれかわることです。…切り取ること、引抜くことはそれぞれ新たな新生の手順なのです。古い世界を新しくする…」(『蔵書を荷解きする』ベンヤミン 「『パサージュ論』熟読玩味」鹿島茂 青土社 1996年)。ベンヤミンの著作は旅をするときの必携書物であった。


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書斎の書棚から。絵本『海の小娘』(若き日の横尾忠則と宇野亜喜良が本のページの始めと終わりからそれぞれ絵物語を展開、本の真ん中でそれぞれの作品が出会い重なる凝った作りになっている。 朝日出版 1962年)。東京・井の頭公園隣接のアパートに住んでいたころ、吉祥寺にあった絵本専門店で入手。棚に二冊あったが1冊で我慢したのは同好の士への武士の情け。


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寺山修司関連資料の棚。一時期、演劇や実験映像、短歌などへの関心から寺山修司関連の文献や資料を徹底的に蒐集したことがあった。『にっぽん劇場写真帖』(室町書房 1968年)をはじめとする初期の希少本、音楽、映像なども含め600点ぐらい。今では書棚の片隅にひっそり。


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仙台の寮時代の書棚(一部)


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仙台の寮のテラスで読書。テーブルと椅子はパリで使われていたもの。


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仙台時代によく読んでいたのがヘンリー・ミラー。蔵書のなかでも大きな位置を占めている作家の一人。写真は美しい装丁の『Order and Chaos chez Hans Reichel』(Henry Miller A-Z限定26部特装版署名入り Published by Loujon Press, Tucson, Arizona 1966) 。「根が生の流れの中にあれば、人は蓮のごとく水面に浮び、花を開き、実を結ぶであろう。…彼の内部にある生命は生長発展となって発現するであろう。しかも生長発展は、無限の課程である。凋落も死も生長の一部であるがゆえに、彼は枯れることをおそれない」(ヘンリー・ミラーの言葉『セクサス』大久保康雄訳 ヘンリー・ミラー全集解説 新潮社 1966年)


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東京・阿佐ヶ谷時代の書斎。とても落ち着く空間だった。2011年3月11日の大地震と原発事故がなかったら、ここでずっと過ごしていたかもしれない。「室内は芸術の避難場所であり、この室内の真の居住者は蒐集家である。(『パリ-19世紀の首都』ベンヤミン ―「『パサージュ論』熟読玩味」 鹿島茂 青土社 1996年)


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東京・阿佐ヶ谷時代の書斎。1DKの狭い空間に天井まで届く書棚をぎっしりと本が占有。このころに、シュルレアリスムの文献など書物コレクションの原型がほぼ完成。


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阿佐ヶ谷時代によく読んでいたグスタフ・ルネ・ホッケの蔵書のうち『迷宮としての世界』のドイツ版原書(中央 DIE WELT ALS LABYRINTH ,GUSTAV RENE HOCKE ,ROWOHLT 1957年)


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阿佐ヶ谷時代、よく読んでいた建築家キースラー関係の本と山口勝弘の「不定形美術ろん」(学芸書林 1967年)キースラーの構想した建築物は軟体動物のような不定形な姿で知られる。


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建築家前川國夫設計の阿佐ヶ谷住宅。ここに住みたかったが、すでに取り壊しが決まっていて阿佐ヶ谷住宅に隣接するアパートを探し出し住んでいた。昭和の空気がそこに保存されていた。喧噪の都会にあって、そこだけ時間の流れが止った昭和のサンクチュアリ(聖域)であった。


会社を退社後移り住んだ阿佐ヶ谷の9年(1993年から)は、書斎の黄金時代。古書店との蜜月が続く。阿佐ヶ谷北口にあった『銀星舎』や名曲喫茶『ヴィオロン』、阿佐ヶ谷南の『書源』など。『銀星舎』の主人とは今でも交流が続いている。会社を辞めた直後の3年間、当時明治学院大学で教鞭をとっていた巖谷國士氏のゼミ(院ゼミ、4年ゼミ、3年の仏語<ランボー「イリュミナシオン」講読>)に参加。埼玉県立近代美術館であった澁澤龍彦展を訪れていた巌谷氏に頼み込んでゼミに入れてもらい、3年間皆勤賞で出席した。ゼミは他大学の学生や社会人も受け入れ、素晴らしい講義と学者としての懐の深さに敬服。今でも感謝の気持ちを忘れることはない。

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パリ7区の屋根裏部屋のアパルトマン時代の「ポータブル」ミニ書斎。わずか7平方メートル。フランスでは9平方メートル以下に人が住むと違法?になるらしい。カナダ半年、モロッコ2か月 パリ2年(2012年から2013年) 海外を漂流した臨時書斎。 どこに行っても現地で集めた蔵書は、書棚を眺めてみると国内に残した書斎を縮小した形となっているから不思議だ。長い間に形成された嗜好がそうさせるのか。「パリは風景となってかれに開かれ、部屋となってかれを閉じ込める」(「新しい天使」 ベンヤミン著作集13巻 1994年 晶文社)


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パリ7区のアパルトマン7階からの眺め。わずか7平方メートル、エレベーターなし。食料や水の買い出しは大変だった。


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パリ時代に入手したボードレールの『パリの憂鬱』の豆本(『LE SPLEEN DE PARISⅠ、Ⅱ』 BAUDELAIRE ,ÉDITION DE L’ABEILLE D’OR 1930年)。「完全な遊歩者にとって、情熱的な観察者にとって、数の中に、波打つものの中に、運動の中に、うつろい易いものと無限なるものの中に住いを定めることは、涯しもない快楽である」(「ボードレール全集4」―『現代生活の画家』 阿部良雄訳 筑摩書房 1987年)


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パリの屋根裏部屋時代に入手したフーリエ全集(Oeuvres completes de Ch. Fourier ,Édition Antropos Paris, 1966年 後ろの美しいブルーの本)。モンマルトル墓地にあるにあるフーリエのお墓にもお参りした。「恋愛と食こそそういう有益なものなのだということがわかるだろう。この二つを人間にとって今よりもっと大切なものにし、このうえなく強力な熱狂の動因に基礎をおいて宗教的統一の絆をつくりあげるには、両者を神のように崇めるべきなのだ」(「愛の新世界」シャルル・フーリエ 福島知己訳 作品社 2006年)


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2011年からほぼ3年、海外に滞在。途中阿佐ヶ谷から福岡へ荷物を移した時の仮の書斎


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2013年、パリ7区の屋根裏部屋を引き払い、京都へ。京町屋に転居。


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ノヴァーリスは書斎のそれぞれの時代を問わず、愛読している。『断片』(ノヴァーリス 第一書房 1939年)と、美しい装丁の函入り(第一書房 1931年版)。「我等は目に見えるものよりも、目に見えざるものと、より近く結ばれている」(『断片』)。


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京都の町屋時代の書斎。奥には坪庭があり、真っ白な山茶花や椿、姫林檎の花が咲いた。


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森山大道や石元泰博、中平卓馬などの写真集。写真集のコレクションは書斎作り初期のころから進めていた。


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京都の町屋の書斎(2013年から2016年)天井が高く、和とモダンの趣のある書斎。『実験映画の夕べ』などプライベートサロンを何度か催した。書斎の第二期黄金時代。一番愛着深い空間だ。


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京都の町屋の書斎(2013年から2016年)。ここで過ごした日々が懐かしい。 


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京都の町屋時代を終え、2016年から平安神宮近くの家に転居。現在の書斎。あらためて書棚を見回してみると、シュルレアリスム関連の本、資料が圧倒している。


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京都(現在の書斎、一階)。書庫は二階にあるが、蔵書の重みで床が抜けないか心配。書斎の第三期黄金時代になるか。それでもなお書斎は膨張し続ける。
最近は「和」の世界にどっぷり漬かりつつある。能を物語、文学として「読む」と、現代にも通じる精神世界が浮き上がってくると感じることがある。現世に執着する死者が霊となって生者と対話する能舞台。世阿弥らの描く妄執、物狂(ものぐるひ)の情念世界に共感を覚える。観世元雅の「弱法師(よろぼし)」は親から捨てられ盲目となった俊徳丸が乞食坊主となってさすらい、ついに親と対面する。心眼で周囲の障害物がいっさい消え去り、「見るぞとよ、見るぞとよ」と輝く難波の海の彼方に西方浄土を見る。「すべての美しい風景は心のうちにある」(『能を読む 元雅と禅竹―夢と死とエロス』梅原猛、観世清和監修 角川学芸出版 2013年)のである。筆者のように旅から旅に明け暮れた遁世者(トンゼモノ)には、能の世界は心に深く浸透する。

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梅原猛、観世清和監修のシリーズ『能を読む』(角川学芸出版)。


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「日本の伝統音楽」「にっぽんの子守唄」のレコード。フリージャズや実験音楽も聴いてきたが、最近は雅楽や能、声明(しょうみょう)、土着的な民謡など日本の音楽のルーツにつながるものに惹かれる。


ここまで知の大海を「漂流」し、現在の書斎にたどり着いて感じたことは、はるか時空を超えた古人(いにしえびと)との出会いと対話の楽しみであったように思う。偉大な人々を書斎に召還し、ゆっくり語り合う知の愉悦。書棚の書物は時代とともに一部は入れ替わり、増殖していった。ただ、植物を愛着をこめて育てるように書斎の書棚にしばしば手を伸ばし、二重三重になって書棚の背後に隠れた本を入れ替えたり手入れを怠ると、書斎はあっという間に「知のモルグ(死体置き場)」になってしまう。書斎は「生きている」のだ。

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新居に移ってから入手したアンドレ・ブルトンの手書きテキストとイブ・タンギーの絵による本『VOLIERE(鳥かご)』(Andre BRETON & Yves TANGUY,Pierre Matisse New York 1963年)の一部。


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京都の某「変態骨董屋」の片隅で奇跡の発見。つい最近超格安で入手したロシアバレエの公演プログラム『BALLETS RUSSES』(L’édition Artistique 1928年 公演チケット入り)。表紙デザインが美しく秀逸。ネットで調べたところ十万近い価格。こういうものが意外なところから出てくるのが京都の奥深さ。


いつかは訪れるであろうコレクションの解体と再生。書斎の主が不在になれば、書斎はその引力の中心点を失って崩壊する。アンドレ・ブルトンや瀧口修造らの知の巨大な宇宙が形成されていた書斎でさえ、本人がいなくなれば一気に消え去ってしまう。一般の市井人の書斎などあっけない。蒐集した書物や作品も実は所有しているようで所有していないのだ。人生が時間を借りているように、所有物も生きている間、借りているに過ぎない。
書斎はいつの日か解体され、散り散りになった愛する本たちは、また見知らぬだれかの手にわたって、新たな書斎の一部となる。そして次の世代の知の箱舟=書斎が形成されるのである。書斎の解体は寂しいことではあるが、菅原道真の
「東風吹かば
匂いおこせよ
梅の花
主なしとて
春な忘れそ」の歌を思い起こしたい。

「遊民の最後の旅は死であり、その目標は新しさである。『未知の底に 新たなるものを見いだすために』」(『ベンヤミン著作集6』-『ボードレール』 晶文社 1992年)。さて、この沈没船のような書斎でしばしやすらう書物たちは主なきあと、いったいどこへ漂流していくのだろうか。

―『書斎の漂流物』(完)―

よるの ゆう

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)-モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論Ⅲ』で、『北朝鮮1987-消えゆく夢幻の風景』、昨年12月の同展『記憶論Ⅳ』では写真とシュルレアリスムをモチーフにした写真インスタレーション『路上のVOLIERE(鳥かご)―路傍に佇む女神たち』を展示。京都市在住。

*画廊亭主敬白
京都の石原輝雄さんの推薦で連載をお願いした夜野悠さんですが、毎回実に濃厚な香りただよう書斎の漂流物の数々をご紹介していただきました。
まさにあっという間の一年(12回)で、今回で最終回だなんてとても残念です。
実は亭主も担当の秋葉もときの忘れもの全員がまだ夜野さんとお目にかかっていません。一年の間にはその機会もあるだろうとのんびりしていたのがそもそもの間違い、夜野さん、ご挨拶もせずたいへん失礼しました。
ほんとうにありがとうございました。京都でお会いできるのを楽しみにしています。

●男性陣はNY、留守を守るのは社長以下女性陣。終日来廊者もなく静かに・・・暮れようとしたそのときドアを開けて入ってきたのはイランの彫刻家夫婦とその父親、もちろん初めてです。奈良のどこかに彫刻を設置に来日し、宿泊した大阪のホテルに飾ってあった絵がいたく気に入り、さっそくスマホピコピコして検索したら、当然のことながら(エヘン)googleトップにでたのは「ときの忘れもの」。
めでたくお買い上げいただきました。とても穏やかで仲の良いご家族でした(トランプさんに見せてあげたい)。
ということで本日のお勧め作品は、百瀬寿です。
01_Square-Y_and_P_by_S_and_G百瀬寿
"Square - Y and P by S and G"
1984
53.0×53.0cm
Ed.150 サインあり

02_Square-Golds_Metallic_G_and_B百瀬寿
"Square - Golds, Metallic G and B"
1984
53.0×53.0cm
Ed.150 サインあり

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