佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」
第3回 Bishnupurのムクリ屋根
この文章を書いている今の筆者は、ウェストベンガル州のシャンティニケタンで期間限定の学校(In-Field Studio)をやってきた直後の帰りの飛行機にいる。本来ならばその体験をここにザッと綴ってその生々しさを定着させるべきなのであろうが、如何せんその期間を全速力で駆け抜けた結果の食傷気味(しかも昨日大きな川エビを食べてしまいそれがどうも具合が悪い)なのである。消化にもうすこし時間がかかりそうなので、ならば付かず離れずと言ったところのシャンティニケタンから南西に100kmほど離れた場所に位置するBishnupur寺院遺跡群に飛んで行ってみたい。

Bishnupur(ビシュヌプル)にはウェスト・ベンガル地域特有と言って良いムクりのある屋根を持つ寺院建築が数多く残る。かつて17世紀頃には王朝があったが、今はその廃墟めいた遺構 が残るだけで、いくつかの小さな農村集落がその遺跡群と共に点在している。
四方の軒先を垂らしたような曲線を描く屋根を持つBishnupurの寺院建築は、雨量の多いこの地域の工夫の成果であるらしい。オーナメントの造形は明らかに木造架構を模しており、屋根の造形は藁葺小屋の有機性からきているものかもしれない。近くの集落の簡易な土壁で作られた民家の屋根も、今は多くがトタンの波板で作られているがなんとその屋根もムクれている。板自体の形を切って加工しているわけではないので、おそらく梁と垂木を載せている外壁上部の形状がすでに彎曲しており、そこに垂木と屋根板材を押し付けて固定しているのであろう。その証拠に軒先端部には針金で下に向かって引っ張りがかけられていた。板材の無かった昔は当然藁葺きでこの形ができていたのであろうが、素材を換えて完全レンガ造の寺院建築にも踏襲されていたのかと思うととても興味深い。建物の素材や架構技術を超えて、 大地と建築造形の間に極めて洗練された関係性を見出すことができるからだ。そしてBishnupurの寺院遺跡群はこのムクリ屋根に呼応するかのように建築全体を変形させ絶妙なバランスを成している。

いくつかの建築の立面は屋根のムクリに合わせて表面材の形状も平行四辺形状に扁平させていた。これは木造架構時点での表現展開というよりもレンガ積造となった後での独自の洗練の形であろう。土着的形状の模倣と踏襲から生まれたデザインが建築全体の力学の系を統序しており、それは構造表現を中軸に据える近代建築のデザインに引けを取らない。むしろBishnupurの建築群のデザインは、構造力学という内的な原理ではなく、水の流れという外側の環境に素朴に応じた造形表現を志向していることを考えれば今の時代にこそダイレクトに突き刺さるデザインである気もするのである。

周囲に民家風の屋根を配して中央にピラミッド状のヴォリュームを据えたこの寺院なんかは明らかに記号的操作であり、密教的な神話的世界の表現にも通底するものがあるのではないか。連続ムクリ屋根の下はそれとは関係なく一続きのボールド天井の内部空間がある。イスラム建築などはドームの内外の機能と形状がハリボテのごとく一致、むしろ外部意匠が内部空間に帰属している。しかしこのベンガルの建築は内部と外部がまるで一致していない。日本の書院造の飾り天井と同じ考えであり、構造から自由になった表現が生んだ内外の乖離である。


Bishnupurの建築群の中でも特に驚いたのが、この双頭の建築である。二つの大きくムクんだ切妻小屋状が横に並んでド真ん中に無骨な直方のヴォリュームが載っている。こじんまりとしていながらも端正で構成的なデザインである。けれども、反対側に回ってみて度肝を抜かれてしまった。ヒンドゥー建築の基本は左右対称、平面的線対称だと思っていたが、この建築は入り口が片側の一つにしかない。反対側にはフェイクのアーチ装飾すらないのである。わざわざ同じ二つの小屋を並べたのに開口部で対称を大きく崩している。中国にこのようなデザインのものがあるかどうかはわからないが、少なくとも日本では近世初頭の書院造の代表である園城寺光浄院に見ることができる。光浄院は九間の会所空間からの変形と周囲の折り重なった動線計画の末にあのような表現が生まれたとも考えられるが、ベンガルの、Bishnupurの建築がいかなる環境下でこのデザインを持ち得たのか想像は尽きない。半ば様式化された寺院建築がそれぞれにトランスフォームしていく様は、まさに人間の生活がそのまま反映される民家の生きた姿と同じものがあり、ベンガルの建築たちの伸びやかさに憧れを抱くのである。
佐藤研吾
「インドの子供と椅子」(40cm×30cm)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰 (http://infieldstudio.net/)。 URL: http://korogaro.net/
◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●今日のお勧め作品は磯崎新のドローイングです。
磯崎新「作品」
1986年
コンテ、パステル、紙
45.8×75.0cm
サイン、年記あり、為書きあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
第3回 Bishnupurのムクリ屋根
この文章を書いている今の筆者は、ウェストベンガル州のシャンティニケタンで期間限定の学校(In-Field Studio)をやってきた直後の帰りの飛行機にいる。本来ならばその体験をここにザッと綴ってその生々しさを定着させるべきなのであろうが、如何せんその期間を全速力で駆け抜けた結果の食傷気味(しかも昨日大きな川エビを食べてしまいそれがどうも具合が悪い)なのである。消化にもうすこし時間がかかりそうなので、ならば付かず離れずと言ったところのシャンティニケタンから南西に100kmほど離れた場所に位置するBishnupur寺院遺跡群に飛んで行ってみたい。

Bishnupur(ビシュヌプル)にはウェスト・ベンガル地域特有と言って良いムクりのある屋根を持つ寺院建築が数多く残る。かつて17世紀頃には王朝があったが、今はその廃墟めいた遺構 が残るだけで、いくつかの小さな農村集落がその遺跡群と共に点在している。
四方の軒先を垂らしたような曲線を描く屋根を持つBishnupurの寺院建築は、雨量の多いこの地域の工夫の成果であるらしい。オーナメントの造形は明らかに木造架構を模しており、屋根の造形は藁葺小屋の有機性からきているものかもしれない。近くの集落の簡易な土壁で作られた民家の屋根も、今は多くがトタンの波板で作られているがなんとその屋根もムクれている。板自体の形を切って加工しているわけではないので、おそらく梁と垂木を載せている外壁上部の形状がすでに彎曲しており、そこに垂木と屋根板材を押し付けて固定しているのであろう。その証拠に軒先端部には針金で下に向かって引っ張りがかけられていた。板材の無かった昔は当然藁葺きでこの形ができていたのであろうが、素材を換えて完全レンガ造の寺院建築にも踏襲されていたのかと思うととても興味深い。建物の素材や架構技術を超えて、 大地と建築造形の間に極めて洗練された関係性を見出すことができるからだ。そしてBishnupurの寺院遺跡群はこのムクリ屋根に呼応するかのように建築全体を変形させ絶妙なバランスを成している。

いくつかの建築の立面は屋根のムクリに合わせて表面材の形状も平行四辺形状に扁平させていた。これは木造架構時点での表現展開というよりもレンガ積造となった後での独自の洗練の形であろう。土着的形状の模倣と踏襲から生まれたデザインが建築全体の力学の系を統序しており、それは構造表現を中軸に据える近代建築のデザインに引けを取らない。むしろBishnupurの建築群のデザインは、構造力学という内的な原理ではなく、水の流れという外側の環境に素朴に応じた造形表現を志向していることを考えれば今の時代にこそダイレクトに突き刺さるデザインである気もするのである。

周囲に民家風の屋根を配して中央にピラミッド状のヴォリュームを据えたこの寺院なんかは明らかに記号的操作であり、密教的な神話的世界の表現にも通底するものがあるのではないか。連続ムクリ屋根の下はそれとは関係なく一続きのボールド天井の内部空間がある。イスラム建築などはドームの内外の機能と形状がハリボテのごとく一致、むしろ外部意匠が内部空間に帰属している。しかしこのベンガルの建築は内部と外部がまるで一致していない。日本の書院造の飾り天井と同じ考えであり、構造から自由になった表現が生んだ内外の乖離である。


Bishnupurの建築群の中でも特に驚いたのが、この双頭の建築である。二つの大きくムクんだ切妻小屋状が横に並んでド真ん中に無骨な直方のヴォリュームが載っている。こじんまりとしていながらも端正で構成的なデザインである。けれども、反対側に回ってみて度肝を抜かれてしまった。ヒンドゥー建築の基本は左右対称、平面的線対称だと思っていたが、この建築は入り口が片側の一つにしかない。反対側にはフェイクのアーチ装飾すらないのである。わざわざ同じ二つの小屋を並べたのに開口部で対称を大きく崩している。中国にこのようなデザインのものがあるかどうかはわからないが、少なくとも日本では近世初頭の書院造の代表である園城寺光浄院に見ることができる。光浄院は九間の会所空間からの変形と周囲の折り重なった動線計画の末にあのような表現が生まれたとも考えられるが、ベンガルの、Bishnupurの建築がいかなる環境下でこのデザインを持ち得たのか想像は尽きない。半ば様式化された寺院建築がそれぞれにトランスフォームしていく様は、まさに人間の生活がそのまま反映される民家の生きた姿と同じものがあり、ベンガルの建築たちの伸びやかさに憧れを抱くのである。

「インドの子供と椅子」(40cm×30cm)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰 (http://infieldstudio.net/)。 URL: http://korogaro.net/
◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●今日のお勧め作品は磯崎新のドローイングです。

1986年
コンテ、パステル、紙
45.8×75.0cm
サイン、年記あり、為書きあり
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