芳賀言太郎のエッセイ
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」
第28話 ガリシアのアルケミスト
10/30(Thu) Triacastela – Montan (7.8km)
10/31(Wed) Montan – Portmarin (33.3km)
セブレイロ峠を越え、ガリシア州に入ったとたん、急に緑が多くなった。山々の緑は濃く、巡礼路も木々によって覆われている。ガリシア州は年間を通して降雨量が多く、自然が豊かである。今朝も雨がしとしとと降り、日本の梅雨のような感じもする。
トリアカステーラからサリアまでの巡礼路は2つある。一つはリオカボ峠(Alto de Riocabo:標高905 m)を越える山の道、もう一つはオリビオ川沿いを行き、由緒あるサモス(Samos)修道院を経由する谷の道である。前者は18kmと距離が短いが標高差があり、後者は比較的平坦ではあるが23kmと距離が長いのが特徴である。
私は前者を選んだ。最初はサモス修道院に行くつもりであったが、二つの道が分かれるところでなんとなく右の道を選んでしまった。アスファルトの道を歩くのが嫌だっただけかもしれないが、なんとなく右のトレッキングルートのような山道に魅かれるものを感じたのである。
道
途中で不思議な看板の出ている建物を見つける。アルケミストの家。アトリエ兼ギャラリーのようだ。主人はアントニオ。他に3人の若者とともに共同生活を営んでいる。鉱石を砕き、その粉末でキャンバスに絵を描く。アルケミー:錬金術と、ミスリル:伝説上の金属をかけて、アルケミスリルと看板には書いてあった。カルマの部屋と名前の付けられた特別な部屋に案内される。彼の小さな祈りの部屋である。空間にエネルギーを感じ、心が満たされる。この特異な場所に惹かれ、1日泊めてもらえるようお願いする。インゲン豆の収穫を手伝い、自給自足の共同生活の一端に触れる。言葉は不自由ではあるが、若い人たちと仲良くなり豊かな時間を過ごす。夜は満天の星空、地球を感じる。ひょっとするとこれが現代の修道院なのかもしれない。
看板
アルケミストの家
ギャラリー
カルマの部屋
工房
工房2
サリアは12世紀末、それまでは要塞を中心とした小さな集落であったこの地に、レオン王アルフォンソ9世が開いた町である。アルフォンソ9世は1230年にサンティアゴ巡礼へと旅立ち、その途上このサリアの町で亡くなったそうだ。
旧市街のメインストリートであるマヨール通りを上り詰めた所に、12世紀から13世紀にかけて建てられたサン・サルバドール教会がある。西側の入口はゴシック様式だが、北側の入口はロマネスク様式である。教会のすぐ側には、12世紀に建造されたとされるサリア城があるが、今日現存するのは高さ14mの塔のみである。
近くには、13世紀に創建されたかつての救護院、マグダレナ修道院がある。ロマネスク様式の部分も残されているが、全体としてはゴシック様式であり、ファサードと塔が18世紀のバロック様式であるため、外観からは比較的新しい建物の印象を受ける。
建物内に人は少なく、修道院らしい神聖な雰囲気を保っていた。回廊には植木鉢なども置かれ、修道士たちの生活を実感できる修道院である。
サリア
壁画
町の巡礼路
ここでサンティアゴ・デ・コンポステーラまで残り114km。巡礼証明証をもらう場合は徒歩で100km以上歩くことが条件になるので、これまではバスやタクシーを併用しながらの巡礼者もこの町からは歩くことが必要となる。そのため、ここからは巡礼者の数もグンと増える。また、この町から歩き始める人も多い。だからサリアにはアルベルゲの数も多く、現代のサンティアゴ巡礼の拠点の趣がある。巡礼者にも若い人が増える。サリアからの100kmあまりの巡礼は、学生の旅行にはちょうどいいようである。
道3
こちらの100kmモホンもまた記念の落書きで埋め尽くされていた。その下にはメッセージを記した小石が積まれ、ちょっとしたモニュメントのようになっている。記念撮影をする人も多いのだろう。
残り100km
道4
バル
アクセサリー
ポルトマリンは、現在は丘の上に位置しているが、かつてはミーニョ川のたもとにあった。1960年代に下流でベレサール・ダムが建設された際に現在の位置に移転した経緯を持つ。
ポルトマリンという名前が示す通り、最初はローマ時代にミーニョ川の港として開かれた。中世にはサンティアゴ巡礼の経由地として栄え、12世紀の初めに架けられた石橋や、12世紀から13世紀にかけて建てられたサン・ニコラス教会が存在する。ダム建設の際に教会は移築されたものの、石橋はダム湖に沈み、現在は水位の下がった時にのみ見ることができる。サン・ニコラス教会は新しい町の中心にある公園に置かれ、今も教会堂として用いられている。しかし、私にはなんとなくモニュメントのような感じがしてしまう。むしろ湖に沈んだ石橋の方がはるかに建築物としての存在感があったのではないか。ゲニウス・ロキ(地霊)を失った建築は、もはや建築ではなく、記念碑になってしまうのではないか。もちろん、記念碑として存在することに意味もある。しかし、移築されずそのまま湖底に沈んでいた方が、サン・ニコラス教会はより強烈な存在感を人の心に残したのではないだろうか。
ポルトマリン 入り口
ポルトマリン
ポルトマリン 街中
サン・ニコラス教会
教会内部
祭壇
歩いた総距離1445.0km
(はが げんたろう)
■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年神奈川県川崎生まれ。芝浦工業大学工学部建築学科にて建築を学び、BAC(Barcelona Architecture Center)にてDiplomaを取得。大学を卒業後、世田谷村・スタジオGAYAに6ヶ月ほど通う。
2017年立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程修了(神学修士)。
現在は立教大学大学院キリスト教学研究科研修生。
2012年に大学を休学し、フランスのル・ピュイからスペインにかけてのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
2016年には再度サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路を訪れ、フランスのヴェズレーからロードバイク(TREK1.2)にて1800kmを走破する。
立教大学大学院では巡礼の旅で訪れた数々のロマネスク教会の研究を行い、修士論文は「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路における聖墳墓教会」をテーマにした。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路にある数多くの教会へのフィールド・ワークを重ね、スペイン・ロマネスク教会の研究を行っている。
◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
●今日のお勧め作品は難波田龍起です。
難波田龍起
「コラージュ」
1974年
紙にグワッシュ、コラージュ
16.9×14.9cm
サインあり
裏にサインと年記あり
難波田龍起
「作品」
1975年
色紙に水彩
イメージサイズ:22.0×20.0cm
シートサイズ:27.0×24.0cm
サインあり
裏に年記あり
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「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」
第28話 ガリシアのアルケミスト
10/30(Thu) Triacastela – Montan (7.8km)
10/31(Wed) Montan – Portmarin (33.3km)
セブレイロ峠を越え、ガリシア州に入ったとたん、急に緑が多くなった。山々の緑は濃く、巡礼路も木々によって覆われている。ガリシア州は年間を通して降雨量が多く、自然が豊かである。今朝も雨がしとしとと降り、日本の梅雨のような感じもする。
トリアカステーラからサリアまでの巡礼路は2つある。一つはリオカボ峠(Alto de Riocabo:標高905 m)を越える山の道、もう一つはオリビオ川沿いを行き、由緒あるサモス(Samos)修道院を経由する谷の道である。前者は18kmと距離が短いが標高差があり、後者は比較的平坦ではあるが23kmと距離が長いのが特徴である。
私は前者を選んだ。最初はサモス修道院に行くつもりであったが、二つの道が分かれるところでなんとなく右の道を選んでしまった。アスファルトの道を歩くのが嫌だっただけかもしれないが、なんとなく右のトレッキングルートのような山道に魅かれるものを感じたのである。

途中で不思議な看板の出ている建物を見つける。アルケミストの家。アトリエ兼ギャラリーのようだ。主人はアントニオ。他に3人の若者とともに共同生活を営んでいる。鉱石を砕き、その粉末でキャンバスに絵を描く。アルケミー:錬金術と、ミスリル:伝説上の金属をかけて、アルケミスリルと看板には書いてあった。カルマの部屋と名前の付けられた特別な部屋に案内される。彼の小さな祈りの部屋である。空間にエネルギーを感じ、心が満たされる。この特異な場所に惹かれ、1日泊めてもらえるようお願いする。インゲン豆の収穫を手伝い、自給自足の共同生活の一端に触れる。言葉は不自由ではあるが、若い人たちと仲良くなり豊かな時間を過ごす。夜は満天の星空、地球を感じる。ひょっとするとこれが現代の修道院なのかもしれない。






サリアは12世紀末、それまでは要塞を中心とした小さな集落であったこの地に、レオン王アルフォンソ9世が開いた町である。アルフォンソ9世は1230年にサンティアゴ巡礼へと旅立ち、その途上このサリアの町で亡くなったそうだ。
旧市街のメインストリートであるマヨール通りを上り詰めた所に、12世紀から13世紀にかけて建てられたサン・サルバドール教会がある。西側の入口はゴシック様式だが、北側の入口はロマネスク様式である。教会のすぐ側には、12世紀に建造されたとされるサリア城があるが、今日現存するのは高さ14mの塔のみである。
近くには、13世紀に創建されたかつての救護院、マグダレナ修道院がある。ロマネスク様式の部分も残されているが、全体としてはゴシック様式であり、ファサードと塔が18世紀のバロック様式であるため、外観からは比較的新しい建物の印象を受ける。
建物内に人は少なく、修道院らしい神聖な雰囲気を保っていた。回廊には植木鉢なども置かれ、修道士たちの生活を実感できる修道院である。



ここでサンティアゴ・デ・コンポステーラまで残り114km。巡礼証明証をもらう場合は徒歩で100km以上歩くことが条件になるので、これまではバスやタクシーを併用しながらの巡礼者もこの町からは歩くことが必要となる。そのため、ここからは巡礼者の数もグンと増える。また、この町から歩き始める人も多い。だからサリアにはアルベルゲの数も多く、現代のサンティアゴ巡礼の拠点の趣がある。巡礼者にも若い人が増える。サリアからの100kmあまりの巡礼は、学生の旅行にはちょうどいいようである。

こちらの100kmモホンもまた記念の落書きで埋め尽くされていた。その下にはメッセージを記した小石が積まれ、ちょっとしたモニュメントのようになっている。記念撮影をする人も多いのだろう。




ポルトマリンは、現在は丘の上に位置しているが、かつてはミーニョ川のたもとにあった。1960年代に下流でベレサール・ダムが建設された際に現在の位置に移転した経緯を持つ。
ポルトマリンという名前が示す通り、最初はローマ時代にミーニョ川の港として開かれた。中世にはサンティアゴ巡礼の経由地として栄え、12世紀の初めに架けられた石橋や、12世紀から13世紀にかけて建てられたサン・ニコラス教会が存在する。ダム建設の際に教会は移築されたものの、石橋はダム湖に沈み、現在は水位の下がった時にのみ見ることができる。サン・ニコラス教会は新しい町の中心にある公園に置かれ、今も教会堂として用いられている。しかし、私にはなんとなくモニュメントのような感じがしてしまう。むしろ湖に沈んだ石橋の方がはるかに建築物としての存在感があったのではないか。ゲニウス・ロキ(地霊)を失った建築は、もはや建築ではなく、記念碑になってしまうのではないか。もちろん、記念碑として存在することに意味もある。しかし、移築されずそのまま湖底に沈んでいた方が、サン・ニコラス教会はより強烈な存在感を人の心に残したのではないだろうか。






歩いた総距離1445.0km
(はが げんたろう)
■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年神奈川県川崎生まれ。芝浦工業大学工学部建築学科にて建築を学び、BAC(Barcelona Architecture Center)にてDiplomaを取得。大学を卒業後、世田谷村・スタジオGAYAに6ヶ月ほど通う。
2017年立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程修了(神学修士)。
現在は立教大学大学院キリスト教学研究科研修生。
2012年に大学を休学し、フランスのル・ピュイからスペインにかけてのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
2016年には再度サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路を訪れ、フランスのヴェズレーからロードバイク(TREK1.2)にて1800kmを走破する。
立教大学大学院では巡礼の旅で訪れた数々のロマネスク教会の研究を行い、修士論文は「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路における聖墳墓教会」をテーマにした。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路にある数多くの教会へのフィールド・ワークを重ね、スペイン・ロマネスク教会の研究を行っている。
◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
●今日のお勧め作品は難波田龍起です。

「コラージュ」
1974年
紙にグワッシュ、コラージュ
16.9×14.9cm
サインあり
裏にサインと年記あり

「作品」
1975年
色紙に水彩
イメージサイズ:22.0×20.0cm
シートサイズ:27.0×24.0cm
サインあり
裏に年記あり
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