清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第2回

 瀧口修造の著作の中でも最も欲しいと思ったのが「マルセル・デュシャン語録」(To and From Rrose Sélavy)である。瀧口によるデュシャンへの追悼文「急速な鎮魂曲」(美術手帖1968年12月号)や「余白考」(東野芳明著「マルセル・デュシャン」序文1977年美術出版社刊)などの文章に魅了され、デュシャンへの関心もにわかに高まっていたので1点でもコレクションと言えるような作品を持ちたい願望もあった。

01「急速な鎮魂曲」
美術手帖1968年12月号


02東野芳明著「マルセル・デュシャン」
1977年美術出版社刊


 「瀧口修造書誌」(鶴岡善久編)には1968年に私家版としてA版50部(実際は60部、うち非売10部)、B版500部刊行と記載されていたが、それから12年経て今や現代美術を代表する作家たちのオリジナル作品が収録されたA版の方は容易に見つかるとは思えないし、どんな値段が付くのか予想もつかなかった。発売元もわからず、おそらく画廊が取り扱っているだろうと思い、瀧口の「自筆年譜」の記述から1960年に最初の個展が催された南天子画廊へ電話で問い合わせた。在庫があるとの返事で届いたのは何とデュシャンのメモ集で通称「ホワイト・ボックス」と呼ばれる「A l'infintif」(不定法で)だった。忠実に複製された79点のメモ類を収めた白いプレクシグラスの箱の上部に、あの有名な「大ガラス」の下半分に描かれている「水車のある滑溝」の部分がシルクスクリーンで刷り込まれたデュシャン署名入りの魅力的な作品である。画廊の方がこのメモ集を「デュシャン語録」と取り違えたのは明らかだったが、これを買うほどの資金の余裕はないのですぐに返送した。

03「A l'infintif」(不定法で)Joseph Cornell Marcel Duchamp._.in resonance1998年刊より


03_1同左


03_1_通称「大ガラス」(彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも)ロベール・ルベル著「マルセル・デュシャンについて」1959年刊より (2)


 次に1962年に第3回個展「私の心臓は時を刻む」を開催していた南画廊に問い合わせたところ、画廊主宅へ直接連絡してくれと言う。怪訝に思いながらご自宅に電話すると夫人の志水陽子さんが出てこられた。1冊在庫があると言われ、値段を聞くと予想以上の高額だった。私は正直に即金で払える額と瀧口ファンであることを伝えるとかなり値引きしていただき、運よく入手することができたのである。その頃は画廊についての情報など知るよしもなく、後になってわかったことだが、南画廊は積極的に海外の前衛美術や日本の若い作家たちを紹介するなど現代美術を扱う草分け的な存在として知られ、画廊主の志水楠男は傑物の画商として戦後の美術界に大きな功績を残し、瀧口修造とも親交があったが本人の急逝によって1979年11月に閉廊していた。私が南画廊に電話した時は、まだ陽子夫人が代表として事後処理にあたっておられたのではないかと思われる。そして、「デュシャン語録」A版の発売元が当の南画廊だったのである。(「志水楠男と南画廊」1985年刊より)

04瀧口修造第3回個展「私の心臓は時を刻む」カタログ


05同カタログ


06「志水楠男と南画廊」刊行会
1985年刊


07同左「展示マルセル・デュシャン語録について」の記事


 何しろこの「デュシャン語録」は、1958年にスペインのポルト・リガトでのたった一度の二人の遭遇が機縁となり、10年という歳月を経て瀧口がデュシャンへのオマージュとして友人たちの協力を得て全精力を注いで制作にあたり、この日本で生まれた類例のない「本」だったのである。デュシャンがかつてレディ・メイド(既製品)に署名した女偽名のローズ・セラヴィが瀧口によってオブジェの店名として時空を超えて甦り、二人の自由な精神の交流と友情の証としてTo and From Rrose Sélavyの表題となった。デュシャンの思考の痕跡である機知に富む文章やメモ類の中から瀧口が周到に選んで日本語に訳し、言葉のオブジェとして活字化したものを本冊としている。さらに豪華な付録としてデュシャンおよびデュシャンから大きな影響を受けたジャスパー・ジョーンズ、ジャン・ティンゲリー、荒川修作のオマージュ作品など5点が、1枚ずつトレーシングペーパーに包まれアクリルケースに入れられて本冊と共にグレーのクロス装による堅牢な夫婦箱に収められている。

08マルセル・デュシャン語録(A版)
*佐谷画廊の第7回オマージュ瀧口修造「マルセル・デュシャン
と瀧口修造」カタログから引用


09「マルセル・デュシャン語録」本冊より


10マルセル・デュシャン語録(A版)付録
*佐谷画廊の第7回オマージュ瀧口修造「マルセル・デュシャン
と瀧口修造」カタログから引用


 そして、この「本」の添え書きにあたる「ローズ・セラヴィに」と題する文章は、デュシャンの作品と人生にまつわる様々な謎や解釈にとらわれず、その思想の本質を明快に説いたものであり、アンドレ・ブルトンが1922年に「文学」誌に発表した「マルセル・デュシャン」(アンドレ・ブルトン集成第6巻「失われた足跡」所収・1974年人文書院刊)と呼応するかのような白眉のデュシャン論なのである。みすず書房の編集者であった小尾俊人氏は「これは本であって同時にオブジェである。これで驚かされるのは、本文を、330×260mmの大型の判型のなかに明朝活字18ポイント・三段で組んだということである。とにかく18Pである。それに余白効果の演出の鮮やかさである。これは、きわめて実験的な大胆な試みである。ふつうの商業出版では到底できない。」(「本が生まれるまで」1994年築地書館刊)と述べている。しかし、この「本」の完成を目前にしてデュシャンは亡くなってしまうのである。

11アンドレ・ブルトン集成第6巻
1974年人文書院刊


12小尾俊人著「本が生まれるまで」
1994年築地書館刊


 なお、アルトゥーロ・シュヴァルツ編のカタログレゾネ(The Complete Works of Marcel Duchamp)にも「デュシャン語録」についての記載があり、制作の動機や経緯については雑誌「遊」№5(1973年工作舎刊)に「ローズ・セラヴィ‘58~’68」として瀧口修造がメモと図版で詳述しているので紹介しておきたい。

13アルトゥーロ・シュヴァルツ編「マルセル・デュシャンカタログレゾネ」より


14「遊」No.5 1973年工作舎刊より


せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか

◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20170420_takiguchi2014_I_05瀧口修造
「I-05」
墨、紙
イメージサイズ:26.0×19.6cm
シートサイズ :35.5×25.2cm


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