<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第52回

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止まると翅を閉じるのが蝶、開いたままなのが蛾、という見分け方は果たして正しいだろうか。
ちょっと胡散臭い気もするが、子どものころはそうやって見分けたものである。目の前をひらひらと舞っている蝶か蛾かわからぬものが、どこかに降りた瞬間、翅を閉じているか開いているかに注目する。
蝶だとうれしく、蛾だとがっかりさせられた。
明らかに蝶のほうがランクが上だった。
その見分け方に従えば、写真に写っているのは、蝶である。
翅が閉じている。前脚をちょんと付き、触覚をピンと上げている。
触覚を動かす音が聞こえそうなほど、静かな写真である。
蝶のほかにだれもいない。見ているものの息をひそませるほどの静寂が支配している。
ふと蝶のしたに影があるのに気付く。
体をどけたら何の影なのかわからないような奇妙なかたちの影が、孤独を感じさせる。
蝶には儚く、か弱いイメージがある。
薄い翅、もげそうな脚、翅の動きを支えるには小さすぎる胴体。
この蝶も、よく見ると翅の端が破れている。鱗粉もはげ落ちて模様も鮮明ではないだろう。
生まれ立てではなく、寿命が尽きる手前の蝶なのだ。
それにしても、この蝶はどういう場所にいるのか。
背景の黒いものは何なのか。
いったいどのくらいの大きさの蝶なのか。
これらの疑問を解く手がかりを、写真は一切与えてくれない。
状況については黙秘するつもりなのだ。
告げたいことはただひとつ。
蝶がたったいま舞い降り立った、とそれだけなのである。
とても広い場所のような印象を受ける。
前脚の前にぼんやりと浮かぶ縦線が奥行きをもたらし、遠い地平線を望んでいるような感覚にもなる。
広大無縁な土地を、なにも頼るものなく進んでいく蝶。
強さや逞しさとは無縁の、いのちの囁きのようなもの。
触覚と前脚のシルエットに生きている瞬間が凝縮されている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
~~~~
●紹介作品データ:
植田正治
1970年代~80年代前半
ゼラチンシルバープリント、木製パネル
Image size: 40.6x28.0cm
Sheet size: 53.2x42.9cm
5月13日(土)~5月27日(土)までときの忘れもので開催する「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」に出品します。
■植田正治 Shoji UEDA(1913-2000)
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。
1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005~2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回、近年さらに評価が高まっている。
◆ときの忘れものは「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催します。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊

未発表のカラー写真を含めた約15点をご覧いただきます。
●イベントのご案内
5月13日(土)17時より、写真史家の金子隆一さんによるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

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止まると翅を閉じるのが蝶、開いたままなのが蛾、という見分け方は果たして正しいだろうか。
ちょっと胡散臭い気もするが、子どものころはそうやって見分けたものである。目の前をひらひらと舞っている蝶か蛾かわからぬものが、どこかに降りた瞬間、翅を閉じているか開いているかに注目する。
蝶だとうれしく、蛾だとがっかりさせられた。
明らかに蝶のほうがランクが上だった。
その見分け方に従えば、写真に写っているのは、蝶である。
翅が閉じている。前脚をちょんと付き、触覚をピンと上げている。
触覚を動かす音が聞こえそうなほど、静かな写真である。
蝶のほかにだれもいない。見ているものの息をひそませるほどの静寂が支配している。
ふと蝶のしたに影があるのに気付く。
体をどけたら何の影なのかわからないような奇妙なかたちの影が、孤独を感じさせる。
蝶には儚く、か弱いイメージがある。
薄い翅、もげそうな脚、翅の動きを支えるには小さすぎる胴体。
この蝶も、よく見ると翅の端が破れている。鱗粉もはげ落ちて模様も鮮明ではないだろう。
生まれ立てではなく、寿命が尽きる手前の蝶なのだ。
それにしても、この蝶はどういう場所にいるのか。
背景の黒いものは何なのか。
いったいどのくらいの大きさの蝶なのか。
これらの疑問を解く手がかりを、写真は一切与えてくれない。
状況については黙秘するつもりなのだ。
告げたいことはただひとつ。
蝶がたったいま舞い降り立った、とそれだけなのである。
とても広い場所のような印象を受ける。
前脚の前にぼんやりと浮かぶ縦線が奥行きをもたらし、遠い地平線を望んでいるような感覚にもなる。
広大無縁な土地を、なにも頼るものなく進んでいく蝶。
強さや逞しさとは無縁の、いのちの囁きのようなもの。
触覚と前脚のシルエットに生きている瞬間が凝縮されている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
植田正治
1970年代~80年代前半
ゼラチンシルバープリント、木製パネル
Image size: 40.6x28.0cm
Sheet size: 53.2x42.9cm
5月13日(土)~5月27日(土)までときの忘れもので開催する「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」に出品します。
■植田正治 Shoji UEDA(1913-2000)
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。
1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005~2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回、近年さらに評価が高まっている。
◆ときの忘れものは「植田正治写真展―光と陰の世界―Part I」を開催します。
会期:2017年5月13日[土]―5月27日[土] *日・月・祝日休廊

未発表のカラー写真を含めた約15点をご覧いただきます。
●イベントのご案内
5月13日(土)17時より、写真史家の金子隆一さんによるギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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