清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第5回
瀧口綾子夫人の連絡先は自由が丘画廊の実川さんに教えていただいたが、あの書斎のあった新宿西落合の家を出られてから何度目かの転居の後に神奈川県足柄上郡大井町にある実弟の鈴木陽さんの家の近くのアパートに住まわれていた。お手紙によれば「絵画等は郷里の富山県立(近代)美術館に寄託、蔵書は多摩美大図書館に寄贈しました。」とあり、身辺にあって大切に保管していた瀧口の作品や原稿類などの整理にようやく手を付け始めたばかりとの事で、弁護士に相談をしているが著書の出版さえままならないと嘆いておられる状態だった。そうした中で1985年7月に佐谷画廊が第5回オマージュ展として瀧口修造の絵画作品の展示を行った。ドローイング、水彩、バーントドローイング、デカルコマニー、ロト・デッサンなど160点余りが展示されたが残念ながら見に行くことができなかった。
「第5回オマージュ瀧口修造展」カタログ
同上カタログより
だが、購入可能な作品もあるということを聞き、天童さんに依頼してその中から1点のデカルコマニーを選んでもらうことにした。カタログにも掲載されているが、サインは無く1960年代に制作されたモノクロームの作品である。それまでは瀧口の絵画作品が一般に売りに出されるような機会はほとんどなかったのではないだろうか。
デカルコマニー作品(1960年代)
翌年の2月には京橋のM.ギャラリーでも「画家としての瀧口修造展」が開かれることになり、綾子夫人から案内状が届いた。初日には間に合わなかったが所用で上京した折に見に行ったところ、すでにほとんどが売約済みとなっていた。後日、記名帖を見られた綾子夫人からお礼の手紙と共にこのカタログが贈られてきたのには恐縮してしまった。
「画家としての瀧口修造展」案内状
同上カタログ
同上カタログより
土渕さんに初めてお会いしたのは1987年7月1日、佐谷画廊の第7回オマージュ瀧口修造展「マルセル・デュシャンと瀧口修造」の折ではなかったかと記憶している。この展覧会は一画廊の企画としては充実した内容で、デュシャン夫人と綾子夫人から借りてきた作品に加え、「大ガラス」東京版レプリカ制作のために瀧口が遺していた「シガー・ボックス」と呼ばれるメモなどが入った箱とガラスの試作品「チョコレート磨砕器」などが展示されていた。この日、美術評論家の東野芳明さんが画廊の入口に突然現われ、ガラスのドアを一瞬開閉するやいなや立ち去って行ったのを目撃した。酔っているようにも見えたが、東野さんならではのパフォーマンスではないかと私は思った。
「第7回オマージュ瀧口修造展」カタログ
同上カタログより
同上カタログより
その晩には有楽町のレバンテという会場で瀧口修造を偲ぶ「橄欖忌」が催され、佐谷画廊の手配で私にもその案内状が届いていた。実験工房のメンバーで作曲家の秋山邦晴さんが世話人代表となり、瀧口綾子夫人、武満徹、吉岡実夫妻、漆原英子、北代省三、池田龍雄、岡崎和郎、篠原佳尾、岡田隆彦、吉増剛造、阿部良雄、海藤日出男さんなど、これまで写真でしか見たことがない錚々たる顔ぶれの集まりであった。私は佐谷さんや土渕さんの他に知る人もなく、場違いな所へ来たと感じながら来場者を眺めているしかなかった。武満徹さんが入ってきたときは、まるで武術の達人のように見えたし、当時私が最も傾倒していた詩人吉岡実さんにも近寄ることすらできなかった。吉増剛造さんは懇談に加わらず、独り椅子に座ってカタログを見ていた。綾子夫人にもこの時初めてお会いしたのだが、土渕さんの紹介でご挨拶するだけが精一杯だった。
橄欖忌案内状
瀧口綾子夫人(中央)
左より北代省三、武満徹、海藤日出男
左より池田龍雄、漆原英子、吉岡実夫妻、篠原佳尾
左より松澤宥、漆原英子、池田龍雄、岡崎和郎
左より山口勝弘、吉増剛造
翌日は竹芝桟橋の近くにある雅陶堂ギャラリーの「ジョゼフ・コーネル展」を見に行った。
「Crystal Cage(水晶の鳥籠)[ portrait of Berenice ](ベレニスの肖像)」というテーマで、コーネルにとって重要な作品とされているものである。
ジョゼフ・コーネル展案内状
ジョゼフ・コーネル展会場
ベレニスは永遠の若さの象徴としての架空の少女の名前で、このカタログに寄せてサンドラ・L・スター女史は「コーネルが愛してやまなかった物語の主人公たちをもとにし、事実とフィクションを織り混ぜて作り上げられた夢の子供なのだ。」と解説している。それは一つの作品として顕在しているのではなく、「一個のトランクの中に閉じこめたさまざまな素材の風変わりなアッサンブラージュ(集積)として表現した。」ものなのである。さらに、コーネルとデュシャンの関係に触れて、デュシャンの「大ガラス」のための制作メモを収めた「グリーン・ボックス」などから着想を得たのではないかとも述べている。
「ベレニスの肖像」(ジョゼフ・コーネル展」1992年・神奈川県立近代美術館カタログより
グリーン・ボックス(「マルセル・デュシャンと20世紀美術展」2004年国立国際美術館カタログより)
コーネルの作品を見たのは初めてで、他に箱の作品5点とコラージュ作品4点が展示されていた。コーネルの箱を見ると、小学生の頃に夏休みの図画工作の課題で海藻や珊瑚の絵を背景に糸で釣られた色んな魚たちが泳いでいる紙箱で作った水族館や昆虫の標本箱の記憶が蘇る。巧緻を極めた美しいコーネルの作品は童心を呼び覚まし、ノスタルジーを掻き立てる。
第3回ジョゼフ・コーネル展カタログ
同上カタログより
雅陶堂ギャラリー(現・横田茂ギャラリー)は海岸に面した倉庫の4階の一角をギャラリーに転用し、その広い空間を活かした展示と取り扱う作家に特徴があり、画廊主の横田茂さんは古美術商としての経験と現代美術への造詣を併せ持ち、長く残る本物の美術しか扱わないというポリシーを持った方である。
鈴江第3倉庫・4階に横田茂ギャラリー
横田茂ギャラリー
1978年に日本で初めてコーネルの展覧会を行い、そのときのカタログ制作には瀧口も全面的に協力し、序詩と七つの作品に寄せた断片的な詩を発表していて一冊の詩画集のような趣をもたらしている。1982年に第2回展を行い、この時が3回目にあたるが、それを実現した横田さんの功績は賞賛されねばならないだろう。
第1回「ジョゼフ・コーネル展」カタログ
同上カタログより
同上カタログより
この東京でデュシャンとコーネルの展覧会がほぼ同時期に開催され、いずれも瀧口修造へのオマージュとして企画されていたのも不思議な巡り会わせであった。
(せいけ かつひさ)
■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。
●清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造
"I-11"
インク、紙
イメージサイズ:30.5×22.0cm
シートサイズ :35.4×27.0cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「移転記念コレクション展」
会期:2017年7月8日(土)~7月29日(土) 11:00~18:00 ※日・月・祝日休廊
※靴を脱いでお上がりいただきますので、予めご了承ください。
※駐車場はありませんので、近くのコインパーキングをご利用ください。
出品作家:関根伸夫、北郷悟、舟越直木、小林泰彦、常松大純、柳原義達、葉栗剛、湯村光、瑛九、松本竣介、瀧口修造、オノサト・トシノブ、植田正治、秋葉シスイ、光嶋裕介、野口琢郎、アンディ・ウォーホル、草間彌生、宮脇愛子、難波田龍起、尾形一郎・優、他
ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
瀧口綾子夫人の連絡先は自由が丘画廊の実川さんに教えていただいたが、あの書斎のあった新宿西落合の家を出られてから何度目かの転居の後に神奈川県足柄上郡大井町にある実弟の鈴木陽さんの家の近くのアパートに住まわれていた。お手紙によれば「絵画等は郷里の富山県立(近代)美術館に寄託、蔵書は多摩美大図書館に寄贈しました。」とあり、身辺にあって大切に保管していた瀧口の作品や原稿類などの整理にようやく手を付け始めたばかりとの事で、弁護士に相談をしているが著書の出版さえままならないと嘆いておられる状態だった。そうした中で1985年7月に佐谷画廊が第5回オマージュ展として瀧口修造の絵画作品の展示を行った。ドローイング、水彩、バーントドローイング、デカルコマニー、ロト・デッサンなど160点余りが展示されたが残念ながら見に行くことができなかった。


だが、購入可能な作品もあるということを聞き、天童さんに依頼してその中から1点のデカルコマニーを選んでもらうことにした。カタログにも掲載されているが、サインは無く1960年代に制作されたモノクロームの作品である。それまでは瀧口の絵画作品が一般に売りに出されるような機会はほとんどなかったのではないだろうか。

翌年の2月には京橋のM.ギャラリーでも「画家としての瀧口修造展」が開かれることになり、綾子夫人から案内状が届いた。初日には間に合わなかったが所用で上京した折に見に行ったところ、すでにほとんどが売約済みとなっていた。後日、記名帖を見られた綾子夫人からお礼の手紙と共にこのカタログが贈られてきたのには恐縮してしまった。



土渕さんに初めてお会いしたのは1987年7月1日、佐谷画廊の第7回オマージュ瀧口修造展「マルセル・デュシャンと瀧口修造」の折ではなかったかと記憶している。この展覧会は一画廊の企画としては充実した内容で、デュシャン夫人と綾子夫人から借りてきた作品に加え、「大ガラス」東京版レプリカ制作のために瀧口が遺していた「シガー・ボックス」と呼ばれるメモなどが入った箱とガラスの試作品「チョコレート磨砕器」などが展示されていた。この日、美術評論家の東野芳明さんが画廊の入口に突然現われ、ガラスのドアを一瞬開閉するやいなや立ち去って行ったのを目撃した。酔っているようにも見えたが、東野さんならではのパフォーマンスではないかと私は思った。



その晩には有楽町のレバンテという会場で瀧口修造を偲ぶ「橄欖忌」が催され、佐谷画廊の手配で私にもその案内状が届いていた。実験工房のメンバーで作曲家の秋山邦晴さんが世話人代表となり、瀧口綾子夫人、武満徹、吉岡実夫妻、漆原英子、北代省三、池田龍雄、岡崎和郎、篠原佳尾、岡田隆彦、吉増剛造、阿部良雄、海藤日出男さんなど、これまで写真でしか見たことがない錚々たる顔ぶれの集まりであった。私は佐谷さんや土渕さんの他に知る人もなく、場違いな所へ来たと感じながら来場者を眺めているしかなかった。武満徹さんが入ってきたときは、まるで武術の達人のように見えたし、当時私が最も傾倒していた詩人吉岡実さんにも近寄ることすらできなかった。吉増剛造さんは懇談に加わらず、独り椅子に座ってカタログを見ていた。綾子夫人にもこの時初めてお会いしたのだが、土渕さんの紹介でご挨拶するだけが精一杯だった。






翌日は竹芝桟橋の近くにある雅陶堂ギャラリーの「ジョゼフ・コーネル展」を見に行った。
「Crystal Cage(水晶の鳥籠)[ portrait of Berenice ](ベレニスの肖像)」というテーマで、コーネルにとって重要な作品とされているものである。


ベレニスは永遠の若さの象徴としての架空の少女の名前で、このカタログに寄せてサンドラ・L・スター女史は「コーネルが愛してやまなかった物語の主人公たちをもとにし、事実とフィクションを織り混ぜて作り上げられた夢の子供なのだ。」と解説している。それは一つの作品として顕在しているのではなく、「一個のトランクの中に閉じこめたさまざまな素材の風変わりなアッサンブラージュ(集積)として表現した。」ものなのである。さらに、コーネルとデュシャンの関係に触れて、デュシャンの「大ガラス」のための制作メモを収めた「グリーン・ボックス」などから着想を得たのではないかとも述べている。


コーネルの作品を見たのは初めてで、他に箱の作品5点とコラージュ作品4点が展示されていた。コーネルの箱を見ると、小学生の頃に夏休みの図画工作の課題で海藻や珊瑚の絵を背景に糸で釣られた色んな魚たちが泳いでいる紙箱で作った水族館や昆虫の標本箱の記憶が蘇る。巧緻を極めた美しいコーネルの作品は童心を呼び覚まし、ノスタルジーを掻き立てる。


雅陶堂ギャラリー(現・横田茂ギャラリー)は海岸に面した倉庫の4階の一角をギャラリーに転用し、その広い空間を活かした展示と取り扱う作家に特徴があり、画廊主の横田茂さんは古美術商としての経験と現代美術への造詣を併せ持ち、長く残る本物の美術しか扱わないというポリシーを持った方である。


1978年に日本で初めてコーネルの展覧会を行い、そのときのカタログ制作には瀧口も全面的に協力し、序詩と七つの作品に寄せた断片的な詩を発表していて一冊の詩画集のような趣をもたらしている。1982年に第2回展を行い、この時が3回目にあたるが、それを実現した横田さんの功績は賞賛されねばならないだろう。



この東京でデュシャンとコーネルの展覧会がほぼ同時期に開催され、いずれも瀧口修造へのオマージュとして企画されていたのも不思議な巡り会わせであった。
(せいけ かつひさ)
■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。
●清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。

"I-11"
インク、紙
イメージサイズ:30.5×22.0cm
シートサイズ :35.4×27.0cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「移転記念コレクション展」
会期:2017年7月8日(土)~7月29日(土) 11:00~18:00 ※日・月・祝日休廊
※靴を脱いでお上がりいただきますので、予めご了承ください。
※駐車場はありませんので、近くのコインパーキングをご利用ください。

ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分、名勝六義園の正門からほど近く、東洋文庫から直ぐの場所です。
◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。
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