岡部徳三「ナムジュンパイクの版画制作始末記」
第2回
いちど打ち合わせに日本へきてくださいといったものの、そう簡単にはいかない。当時、円レートが360円であったことを考えればすぐに説明がつきましょう。なにしろ私どもは貧乏な工房でしたから。なんやかやと時を稼ぎながら、打ち合わせと版画制作を同時に進めるというアイデアを彼に了承してもらった。多少滞在期間が延びるにしても、打ち合わせと制作本番を一度にこなせる利点がある。しかし出来上がった版画に彼のサイン入れが必要なので、どうしてもあと一回、彼を日本に呼ばなければならない。鳴呼。
1977年の夏、かれは日本へやってきた。再会は仕事のマネージャーをやってもらう事になった田中順君と、カメラマンの野村光俊君と、それにわたしの3人で、広尾にある彼の実兄の家に招かれたような気がする。なにしろ30年も前の話である。瀟洒な家の狭い部屋で、だいたいの版画の説明をしたあと、内容をどうするか等、あらましのことを、検討し合った。なかでもJhon Cageのビデオの映像をプレイカード(トランプ)の裏に刷る事や、裏から透かして見えるような版画の提案は、彼が淡々と喋るから余計に度肝を抜かれた。当時、日本にも写真からシルクスクリーン版画にする作家はいるが、パイクさんはビデオを正眼に据えて、ときにユーモアをたたえるアーチストであった。「ところでパイクさん、せっかく日本へきたのだから、あなたのお友達と一席設けますけど、どうですか」と尋ねた。すると彼は一瞬身を引くような態度をとったのをわたしは見逃さなかった。やがて「ぼくね、いまね、あまり派手に動きたくないの」という。わたしは日本における彼の友人をいっさい知らない。なにがどうしたのかまったく分からなかった。わたしたちは固睡を飲んで彼のつぎの言葉をまった。
(おかべ とくぞう)
・岡部徳三「ナムジュンパイクの版画制作始末記」第1回
●作品紹介

ナム・ジュン・パイク
「ギンズバーグ I」
1978年
シルクスクリーン5版5色
刷り:岡部徳三・岡部版画工房
62.0x53.8cm
BFK紙
Ed.75


ナム・ジュン・パイク
「アレンギンズバーグ II」
1978年
シルクスクリーン 9版9色、両面刷り、クレヨン描き込み
刷り:岡部徳三・岡部版画工房
51.2x72.1cm
BFK紙
Ed.75
*画像提供:岡部版画出版
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
■ナム・ジュン・パイク Nam June Paik 白南準(1932年7月20日 - 2006年1月29日)
1932年日本統治下の韓国京城(ソウル)に生まれる。1949年朝鮮戦争の戦禍を逃れて香港に移住、その後日本に渡り東京大学文学部美学美術史学科を卒業。西ドイツへ渡りミュンヘン大学で音楽史を学ぶ。ジョン・ケージと知り合い大きな影響を受ける。1961年フルクサス運動の創始者ジョージ・マチューナスと出会い、以後、フルクサス運動の中心的存在として活動。1963年テレビ画面を磁石で操作した世界初のビデオ・アート作品を発表。
1964年アメリカに移住。パフォーマンス「ロボット・オペラ」をシャーロット・モーマンと共演する。1977年ビデオ・アーティスト久保田成子と結婚する。1993年第45回ヴェネチア・ビエンナーレにドイツ館代表として参加、金獅子賞を受賞。1998年京都賞受賞。2000年ニューヨーク、グッゲンハイム美術館で回顧展開催。2006年マイアミの自宅で死去、享年73。

パイク(中央)と岡部徳三(右)


パイク(左)と岡部徳三(右)
■岡部徳三(おかべ・とくぞう 1932~2006)
版画刷り師。東京都出身。1964年岡部版画工房を設立。日本のシルクスクリーン版画刷り師の草分けとして、靉嘔、オノサト・トシノブ、草間彌生、横尾忠則をはじめ、多くの現代作家たちの作品を手がけた。ジョン・ケージやナム・ジュン・パイク、ジョナス・メカスなど版画に縁の無かった作家達にも積極的にアプローチして彼らの版画誕生に寄与し、美学校のシルクスクリーン教室の講師としても石田了一はじめ多くの英才を育てた。
◆「今週の特集展示:白南準(ナム・ジュン・パイク)と文承根(ムン・スングン)」
会期=2017年8月8日[火]―8月19日[土] 11:00-18:00 ※日・月・祝日休廊
白南準(ナム・ジュン・パイク)と文承根(ムン・スングン)の作品約10点をご覧いただきます。
●夏季休廊のお知らせ
ときの忘れものは8月20日(日)~8月28日(月)まで夏季休廊となります。
◆ギャラリートークのご案内
柳正彦が語る<プロジェクトとその記録、クリストとジャンヌ=クロードの隠れたライフワーク>
日時:2017年9月2日(土)16時~
長年クリストとジャンヌ=クロードのスタッフをつとめてきた柳さんが、世界各地で実現された大規模なプロジェクトを紹介しながら、短期間しか存在しない作品を、アーティスト自身がいかに記録に纏めていったかを、参考映像を交えて語ります。
*要予約/参加費1,000円
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com
同時に8月29(火)~9月9日(土)「特集展示:クリストとジャンヌ=クロード」を開催します。
●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

第2回
いちど打ち合わせに日本へきてくださいといったものの、そう簡単にはいかない。当時、円レートが360円であったことを考えればすぐに説明がつきましょう。なにしろ私どもは貧乏な工房でしたから。なんやかやと時を稼ぎながら、打ち合わせと版画制作を同時に進めるというアイデアを彼に了承してもらった。多少滞在期間が延びるにしても、打ち合わせと制作本番を一度にこなせる利点がある。しかし出来上がった版画に彼のサイン入れが必要なので、どうしてもあと一回、彼を日本に呼ばなければならない。鳴呼。
1977年の夏、かれは日本へやってきた。再会は仕事のマネージャーをやってもらう事になった田中順君と、カメラマンの野村光俊君と、それにわたしの3人で、広尾にある彼の実兄の家に招かれたような気がする。なにしろ30年も前の話である。瀟洒な家の狭い部屋で、だいたいの版画の説明をしたあと、内容をどうするか等、あらましのことを、検討し合った。なかでもJhon Cageのビデオの映像をプレイカード(トランプ)の裏に刷る事や、裏から透かして見えるような版画の提案は、彼が淡々と喋るから余計に度肝を抜かれた。当時、日本にも写真からシルクスクリーン版画にする作家はいるが、パイクさんはビデオを正眼に据えて、ときにユーモアをたたえるアーチストであった。「ところでパイクさん、せっかく日本へきたのだから、あなたのお友達と一席設けますけど、どうですか」と尋ねた。すると彼は一瞬身を引くような態度をとったのをわたしは見逃さなかった。やがて「ぼくね、いまね、あまり派手に動きたくないの」という。わたしは日本における彼の友人をいっさい知らない。なにがどうしたのかまったく分からなかった。わたしたちは固睡を飲んで彼のつぎの言葉をまった。
(おかべ とくぞう)
・岡部徳三「ナムジュンパイクの版画制作始末記」第1回
●作品紹介

ナム・ジュン・パイク
「ギンズバーグ I」
1978年
シルクスクリーン5版5色
刷り:岡部徳三・岡部版画工房
62.0x53.8cm
BFK紙
Ed.75


ナム・ジュン・パイク
「アレンギンズバーグ II」
1978年
シルクスクリーン 9版9色、両面刷り、クレヨン描き込み
刷り:岡部徳三・岡部版画工房
51.2x72.1cm
BFK紙
Ed.75
*画像提供:岡部版画出版
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
■ナム・ジュン・パイク Nam June Paik 白南準(1932年7月20日 - 2006年1月29日)
1932年日本統治下の韓国京城(ソウル)に生まれる。1949年朝鮮戦争の戦禍を逃れて香港に移住、その後日本に渡り東京大学文学部美学美術史学科を卒業。西ドイツへ渡りミュンヘン大学で音楽史を学ぶ。ジョン・ケージと知り合い大きな影響を受ける。1961年フルクサス運動の創始者ジョージ・マチューナスと出会い、以後、フルクサス運動の中心的存在として活動。1963年テレビ画面を磁石で操作した世界初のビデオ・アート作品を発表。
1964年アメリカに移住。パフォーマンス「ロボット・オペラ」をシャーロット・モーマンと共演する。1977年ビデオ・アーティスト久保田成子と結婚する。1993年第45回ヴェネチア・ビエンナーレにドイツ館代表として参加、金獅子賞を受賞。1998年京都賞受賞。2000年ニューヨーク、グッゲンハイム美術館で回顧展開催。2006年マイアミの自宅で死去、享年73。

パイク(中央)と岡部徳三(右)


パイク(左)と岡部徳三(右)
■岡部徳三(おかべ・とくぞう 1932~2006)
版画刷り師。東京都出身。1964年岡部版画工房を設立。日本のシルクスクリーン版画刷り師の草分けとして、靉嘔、オノサト・トシノブ、草間彌生、横尾忠則をはじめ、多くの現代作家たちの作品を手がけた。ジョン・ケージやナム・ジュン・パイク、ジョナス・メカスなど版画に縁の無かった作家達にも積極的にアプローチして彼らの版画誕生に寄与し、美学校のシルクスクリーン教室の講師としても石田了一はじめ多くの英才を育てた。
◆「今週の特集展示:白南準(ナム・ジュン・パイク)と文承根(ムン・スングン)」
会期=2017年8月8日[火]―8月19日[土] 11:00-18:00 ※日・月・祝日休廊

●夏季休廊のお知らせ
ときの忘れものは8月20日(日)~8月28日(月)まで夏季休廊となります。
◆ギャラリートークのご案内
柳正彦が語る<プロジェクトとその記録、クリストとジャンヌ=クロードの隠れたライフワーク>
日時:2017年9月2日(土)16時~
長年クリストとジャンヌ=クロードのスタッフをつとめてきた柳さんが、世界各地で実現された大規模なプロジェクトを紹介しながら、短期間しか存在しない作品を、アーティスト自身がいかに記録に纏めていったかを、参考映像を交えて語ります。
*要予約/参加費1,000円
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com
同時に8月29(火)~9月9日(土)「特集展示:クリストとジャンヌ=クロード」を開催します。
●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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