清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」第6回

 1989年は瀧口修造没後10年目にあたり、その記念として私のコレクションだけで小展示をすることを思い立った。きっかけとなったのは、その年の3月に大阪の青井画廊で「オマージュ瀧口修造展」が開かれた事だった。画廊に問い合わせると個人コレクターのもので、展示作品の写真を送ってもらったが「妖精の距離」「デュシャン語録」「檢眼圖」「漂流物標本函」に水彩作品や原稿等、驚くほどの内容で私のコレクションなどその比ではなかった。

1案内状


2展示作品


3同上


4同上


5同上


 それに刺激を受け、ささやかなコレクションながら愛媛で初のオマージュ展をやってみたいと思ったのである。しかし、私一人では自信がなく、尊敬している宇和島市在住の画家で戦前にシュルレアリスムの影響を受け瀧口とも交流のあった三輪田俊助先生にご相談すると賛同と協力のお言葉をいただき決意が固まった。

6三輪田俊助先生(1997年2月22日付愛媛新聞記事)より


7「日本のシュールレアリスム1925~1945」展カタログより(左頁右下・三輪田俊助作品)


 会場については松山市の画廊での開催が念頭にあり、市の中心部に位置する三番町の「タカシ画廊」に目星を付けていた。ここは、以前東京銀座の「画廊轍」の松山店として1983年に「瑛九展」が開催され、独立し移転してからは1985年に「宇樹夢舟銅版画展」を行い、その折に発行されたリーフレットに美術評論家の瀬木慎一が寄稿し瀧口のことに触れていた経緯もあり、この画廊なら引き受けてもらえそうな予感があった。

8タカシ画廊


9「瑛九展」リーフレット


10同上


11「宇樹夢舟銅版画展」リーフレット


12同上


 4月頃だったか、いきなり画廊を訪ねて画廊主の隆彰雄さんに面会した。趣旨を説明すると画廊企画としては無理だが、2日間程度なら無償で場所を提供してもよいとのご返事をいただいた。丁度瀧口の月命日の7月1日と翌2日が土曜日曜にあたり、私も仕事を休まなくて済むのでわずか2日間ではあるがその日に開催することが決まった。
テーマは「滝口修造と画家たち展」として「マルセル・デュシャン語録」A版を中心に画家との共作である詩画集や瀧口のデカルコマニー1点、加納光於とサム・フランシスの版画各1点を展示することにしたが、それが当時のコレクションの全てだった。
すぐに案内状とカタログ的なリーフレットの作成に取り掛かり、案内状のデザインは「デュシャン語録」に収録されている「self-portrait」を用いることにした。印刷費用を安くするためでもあったが、黒と黄色の2色刷りはシンプルでインパクトがあると思った。

13案内状・表


14案内状・裏


 リーフレットは「瀧口修造の詩的実験1927~1937」(1967年思潮社刊)に付いている「添え書き」を参考に黄色い紙を三つ折りにすることにした。序詞として大岡信と加納光於の共作のオブジェの函に寄せて書かれた瀧口の詩「アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々」の冒頭の一節を載せたのは、瀧口自らが詩人と画家の間にあって創作するなかで書くこと描くことの意味を問うキーワードだったからある。そして、開催趣旨と出品リストの他に瀧口の生涯と業績のあらましがわかるように自筆年譜と著作年表から抜粋して略年譜を作成した。友人が営む印刷所に頼んで格安で出来上がったが、折りたたむと長形3号の封筒に納まるサイズで内容ともに自分でも納得できるものだった。

15「詩的実験」添え書き


16リーフレット表紙


17出品リストと序詞


18略年譜と開催趣旨 (2)


18-2即席のポスター


 展示にあたっては、画廊の壁面を埋めるほどの作品数がないので「デュシャン語録」の作品を一点ずつ額装することに決めていたが、三輪田先生が自前の額縁にマットを切って余白を活かした額装をしてくださったのは大変有難かった。瀧口関連の展覧会などでは本冊と一緒に平台に並べて展示されるのが通例だが、それぞれが独立した作品としての存在感を発揮しているようで新鮮に映った。
開催当日の朝、自家用車に作品を積んで画廊へ運び、開廊までに準備する時間は2時間ほどしかないという慌しさだった。詩画集の展示用にレンタルしていたショーケースと長机の搬入や、一人での慣れない飾り付け作業に手間取っているのを見かねて画廊主が手伝ってくださり、ポスターも用意してなかったがリーフレットと案内状を組み合わせて即席に作ってもらい何とかオープンに間に合った。

19展示風景


20同上


21同上


 天童さんから祝電と友人からお祝いの花が届いた。事前に新聞社に案内状を送り告知もされてはいたが、どこからも取材はなく2日間を通して友人の他に訪れた客は少なく、残念ながら目論見に反した結果に終わってしまった。

22毎日新聞(1989年6月17日付)より


 しかし、後日土渕信彦さんから思いがけないお手紙をいただき、そこには次のように記されていた。
 「拝啓 先日は滝口修造と画家たち展のカタログをお送りいただき、どうも有難うございました。何という素晴らしいカタログでしょう!封筒を開けるとすぐあのなつかしい黄色が眼に飛びこんできました。この黄色を見ただけでもう胸が高鳴ってしまいました。そっと頁を開けて出品リストを拝見すると主要な詩画集が網羅されています。愛媛にいらっしゃってここまでお集めになるというのは大変なご努力だっただろうと頭が下がります。また、略年譜もポイントがきっちりと実に的確におさえられており、瀧口修造に対する真のアクチャリテが如実にあらわれています。このように純粋な、瀧口氏に対する敬愛の念が感じられるお仕事に接したのは実に久しぶりであるような気がします。私自身がノアであると言うつもりは全くありませんが、どうやらアララットの山腹に漂着した感のある今の私にとって、このカタログはまさにオリーブの小枝か、あるいは空の蜜のようなものであるといっても過言ではないと思います。文字どおり感激しました。」
 過分な讃辞で恐縮したが、土渕さんからこのように評価されたことは何よりの励みとなり、行ったことが無意味ではなかったと思えた。そして、このことが後に新たな出会いをもたらすことになろうとは予想もできなかった。
せいけ かつひさ

■清家克久 Katsuhisa SEIKE
1950年 愛媛県に生まれる。

清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」全12回目次
第1回/出会いと手探りの収集活動
第2回/マルセル・デュシャン語録
第3回/加納光於アトリエを訪ねて、ほか
第4回/綾子夫人の手紙、ほか
第5回/有楽町・レバンテでの「橄欖忌」ほか
第6回/清家コレクションによる松山・タカシ画廊「滝口修造と画家たち展」
第7回/町立久万美術館「三輪田俊助回顧展」ほか
第8回/宇和島市・薬師神邸「浜田浜雄作品展」ほか
第9回/国立国際美術館「瀧口修造とその周辺」展ほか
第10回/名古屋市美術館「土渕コレクションによる 瀧口修造:オートマティスムの彼岸」展ほか
第11回/横浜美術館「マルセル・デュシャンと20世紀美術」ほか
第12回/小樽の「詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム」展ほか

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
II-10(137)瀧口修造
《II-13》
デカルコマニー、紙
Image size: 7.3x12.6cm
Sheet size: 9.8x13.7cm
※富山近美76番と対

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆清家克久のエッセイ「瀧口修造を求めて」は毎月20日の更新です。

●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12