森本悟郎のエッセイ その後

第43回 澁澤龍彥(1928~1987)と堀内誠一(1932~1987) (2)旅の仲間


澁澤・堀内展を運営委員会で提案したのはフランス文学者で評論家の巖谷國士さんだった。2007年が澁澤・堀内両氏の没後20年に当たること、20年間にわたる80数通の手紙が残されていること、それによって一見異質な二人の深い親交をつまびらかにできること、そして堀内書簡のほとんどは魅力的なイラストレーション入り(その多くは旅先のもの)だという説明に惹かれた。ほかに写真などビジュアル資料を加えることができれば充実した展観となるだろうと考え、澁澤・堀内両家の遺族にそのプランをお伝えした。

澁澤(旧姓前川)龍子さんは元『芸術新潮』の編集者で、家が鎌倉にあることから原稿受け取りなどでよく澁澤家を訪れ、やがて澁澤さんと結婚する。澁澤さんに初めて海外旅行へ出かける決意をさせたのは龍子さんである。夫妻は4度ヨーロッパ旅行をしており、うち2回は途中堀内夫妻も同行している。龍子さんはC・スクエアに何度か来ていて、既知の間柄だったので話は通じやすかった。
展示品集荷に北鎌倉の澁澤邸を訪ねたのは、展覧会を翌月に控えた5月某日。鎌倉文学館で開催中の「澁澤龍彥 カマクラノ日々」展を見、浄智寺の澁澤龍彥墓所を参ってからだった。

01堀内書簡(年ごとにまとめられている)


堀内路子さんも元編集者。以前このブログで井上洋介さんが ’60年に初の絵本『おだんごぱん』を出したと書いた※※が、井上さんを推したのが当時福音館書店の編集者だった路子さんである。路子さんは龍子さんよりも、堀内さんよりも前から澁澤さんとは親交があった。
澁澤書簡と旅にまつわる堀内さんのイラストレーション集荷は澁澤家の1週間後。イラストレーションのコンディションチェックには長女の花子さんに立ち会って貰った。ちなみに花子さんは澁澤夫妻4回目のヨーロッパ旅行の際、堀内夫妻とともに帯同している。翻訳家で、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロベール・ドアノー、ジャック=アンリ・ラルティーグなど写真集の翻訳が多い。
「澁澤龍彥・堀内誠一 旅の仲間」展は ’07年6月25日から7月28日まで開催し、7月1日に巖谷さんを司会に澁澤龍子さんと堀内路子さんのトークイベントを開いた。物故者の展覧会というのも、5週間の会期も、日曜日のイベント開催も異例のことだった。

02展覧会ポスター


03トークイベント(左から、巖谷國士、堀内路子、澁澤龍子)


展示は〈手紙〉〈写真〉〈イラストレーション〉〈書籍〉の4種類で、その中核をなす手紙は2枚の透明アクリル板に挟んで壁面に展示した。手紙につけたキャプションには〈発信年月日〉〈発信者名・受信者名〉を記した。アエログラム(航空書簡)による堀内書簡は表裏にわたって書かれているものが多いため、展示した原本では全文を読むことができない。そこで、すべてをスキャンしてパソコン上で編集し、A3判用紙にプリント。それを冊子仕立てで閲覧できるようにした。また私信ゆえのプライバシーの機微に触れる箇所は、現物はアクリル板に、プリントは編集時に加工して伏せ字とした。
写真は旅先で龍子さんが撮ったもので、オリジナルプリントの額装、拡大したデジタルプリントのパネル装、テレビ画面のスライドショーという3種類の展示方法を採用した。イラストレーションはすべて額装して壁面に展示し、関連書籍はアクリルケースに入れてテーブルに乗せた。加えて二人の対照年譜を掲げ、足跡をたどることができるようにした。
展示作業を了えてみると、当初想像していたよりはるかにビジュアルな構成になっていて、美術展として愉しむこともできることがわかった。

04会場風景-1(会場入口から)


05会場風景-2(写真はクレタ島クノッソス宮殿の「牛の角を象った玉座」に腰掛ける堀内誠一と澁澤龍彥【撮影:澁澤龍子】。この展覧会のシンボル・イメージである。ケース内は『血と薔薇』のオリジナル、復刻版、文庫版および、澁澤から堀内への責任編集者辞任の通知と詫び状)


06会場風景-3


07会場風景-4

「旅の仲間」という展覧会タイトルについて企画監修をした巖谷さんは、

二人を「旅の仲間」と呼んでみたのは私自身だが、この言葉には二通りの意味がふくまれるように思う。ひとつには、両者の亡くなる年に出た『國文学』誌七月号の澁澤龍彥特集に、堀内誠一の書いた「旅のお仲間」(トルキーン『指輪物語』の瀬田貞二訳から借りた言葉)が頭にあったからだ。つまりそこに回想されているように、二人は一九七七年初夏に南フランスとカタルーニャの旅を、一九八一年夏にギリシアと北イタリアへの旅をともに愉しんだ、文字どおりの「旅の仲間」だったということである。※※※

と解題しているが、その巖谷さん自身についての記述も手紙の中にあり、「旅の仲間」のひとりとして企画に臨んだことが偲ばれる。
この展覧会にはおまけがつく。
展覧会を遡ること3か月前、秋山祐徳太子さんの新著『ブリキ男』出版記念パーティーがあった。そこで秋山さんから晶文社の担当編集者(当時)宮里潤さんを紹介されたので、自己紹介がてらその年の企画展ラインナップについて話した。興味深げにそれを聞いていた宮里さんは、なかでも「旅の仲間」展に興味をもったようだった。図録を作る予算がない当方としては、出版社が本にしてくれればと考え出版を勧めた。後日、書籍化にめどが立ったとのことで、巖谷さん、龍子さん、路子さん、花子さんを紹介した※※※※
二人の手紙は展覧会のちょうど1年後、巖谷さんの詳細な註を付した『旅の仲間 澁澤龍彥│堀内誠一往復書簡』として刊行された(展覧会後に見つかった数通を除き、掲載された手紙の図版はすべて展覧会に際してスキャンしたデータを使っていて、伏せ字も展覧会を踏襲している)。展覧会がそれを見た人たちの〈記憶〉の中だけにとどまるのでなく、このようなかたちで残すことができたのは幸いだった。

08巖谷國士編『旅の仲間 澁澤龍彥│堀内誠一往復書簡』(晶文社、2008年6月)


※その前に矢川澄子さんとヨーロッパ旅行をする計画があったらしいが、離婚により実行されなかった。
※※2016年11月28日「第32回 井上洋介 ⑵ たくさんの抽斗」
※※※巖谷國士「澁澤龍彥と堀内誠一」『ユリイカ 特集*澁澤龍彥』青土社、2007年8月
※※※※https://www.1101.com/editor/2008-09-12.html


もりもと ごろう

森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年名古屋市生まれ。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーC・スクエアキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。現在、表現研究と作品展示の場を準備中。

◆森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。

●今日のお勧め作品は、宇田義久です。
20171028_uda_04宇田義久
"leafisheed 13-3(purple-yellow)"
2013年
板、木綿布、アクリル絵具、ウレタンニス
40.0×18.5×9.0cm
裏面にサインあり


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