倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」

第11回 投げ出された自由 チャンディーガルのキャピトル・コンプレックス


倉方俊輔(建築史家/大阪市立大学准教授)


画:光嶋裕介(建築家)
原画

 コンクリートはあらゆることを可能にする。インド・チャンディーガルの議事堂の大きな樋のようにめくれ上がった庇は、真正面から眺めると消え入るほどに薄っすらした板柱に支えられているが、そのコンクリート面にいくつもの小さな彫刻が施されていることに、真横に回った時に気づくことになる。
 曲線の中で蛇が身を巻いている。別の窪みでは、牛を思わせる縁取りの内側が手の形に変貌していて、文字をもつ前の人間による洞窟画みたいだ。理性の限界を最初からあざ笑うそんな自然さは、人類の発生をゆうに越えてしまう。麦穂のような三葉虫のような彫り込みにも遭遇する。化石が時に見られるのは、若き日のル・コルビュジエが罵ったアカデミーの建築家が過去の様式や手の込んだ装飾とともに用いる天然の大理石の特権だが、ここで使われている素材に自然に混じり込むはずはないから、これら魅力的な発見物は、意図的に鉄筋コンクリートの型枠に付けて転写された図像である。
 数mmを追った眼のスケールを100m単位に一挙に移動させよう。大きな庇の上では円錐状の形が、天空の測定器のように突き出している。中間くらいのスケールでは、議事堂の正面で最も目立っているのが色鮮やかなエナメル焼き付けの絵画で、コルビュジエがアトリエで腕を振るった原画を元に、フランス政府からの寄付という形で段取りをつけて実現させたものだが、植民地の軛を脱して独立したインドが今後の国家全体の象徴でもあるとして取り組んだ新州都の議事堂の扉に、頼まれてもいない自分の絵を塗りたくる姿勢は、人としていかがなものだろう。1938年にアイリーン・グレイのカップ=マルタンの別荘《E.1027》の無垢な白の入り口をフレスコ画で汚した時からすると、許可はとっているから大人になったとは言える。
 先ほど絵と書いたが、作者の思いが平板に透けて見えてしまうこれらは、イラストと呼んだ方が適切かもしれない。先の彫り込み、蛇や牛などのいくつかはここにも登場する。上半分は別の生命体へのメッセージのような図柄で、廃墟と化したとき、建物は天体の運行と関係した何かとして認識されるに違いない。
 小さな彫刻も大きなシルエットも、その機能からは出てこない。モダニズム建築も結局は、機能的に見える形が取り付いたものが多いので、必要がない装飾というだけなら驚かない。だが、これらは近代的だったり、機械的だったりといった、未来を牽引するイメージですらない。
 コルビュジエは逆に過去へ、原始へと向かったのではないか。20世紀も後半に差し掛かり、西洋の成長主義の落日をいち早く理解したかつての近代化の牽引者は、アジアの大地に根を張った。晩年の営為は、1960年代末からのヒッピームーブメントの東洋思想への傾倒、さらには21世紀のアジアの時代を予言しているのだ…と言えたら良いのだが、突き出た円錐状のシルエットから火力発電所の冷却塔を連想するのは容易で、隣の三角錐との間にわざと走らせている空中歩廊はロシア構成主義の本歌取りだから、むしろ古き良き成長主義のイメージだ。
 とはいっても、後年のポストモダニズムのように形の意味を、例えば皮肉であるとは断言できない。あるいは本気かもと思い、宙ぶらりんになる。意図が簡単に透視できない。コルビュジエは二流の画家、一流の建築家なのである。インド・チャンディーガルのキャピトル・コンプレックスが単純な近代主義を逸脱しているのは理解できるとして、これから自分の力で近代化に向かおうというこの国で、彼は何を試みたかったのだろう?

11-1


11-2


11-3


11-4
チャンディーガルのキャピトル・コンプレックス
竣工年│1955・58・62
所在地│Sector-1,_Chandigarh,_India
(撮影:倉方俊輔)
見学には現地で許可を得る必要がある。
2005年に撮影された内外の写真やチャンディーガルの様子は『ル・コルビュジエのインド』(彰国社)に詳しい。

*****

 インドのパンジャブ州は、1948年のパキスタン独立で失った州都を新たに建設する必要があった。設計は最初、アメリカ人の都市計画家アルバート・メイヤーと建築家マットヒュー・ノヴィッキー―コルビュジエのアトリエで仕事をしたこともある―に依頼されていた。しかし、デザインが始まってまもない1950年春、ノヴィッキーが飛行機事故で急逝してしまう。代わりの建築家を求めて、チャンディーガル計画の主任技師は、イギリスのマックスウェル・フライとジェーン・ドリューに接触し、彼らの推薦で同年秋、パリのコルビュジエのアトリエを訪ねたのだった。
 少ない俸給に同意し、1951年春に初めてインドを訪れたコルビュジエは、マイヤーの田園都市的なコンセプトを「輝く都市」に似たシンボリックなものに変更する。第二次世界大戦中の政治的判断を巡って疎
遠になっていた従兄弟のピエール・ジャンヌレに声をかけ、現地に駐在してもらった。彼とフライ、ドリューが市街施設の設計を担当した。コルビュジエは都市の「頭」にあたるキャピトル・コンプレックスのデザインに専念する。
 設計が終わり、高等裁判所は、そのうちで最も早く1955年に完成した。合同庁舎が1958年に竣工する。高等裁判所と向き合う形となる議事堂は1962年に完成。総督公邸の計画は却下された。屋外スペースに影の塔、幾何学の丘、殉教者のためのモニュメントが建設され、開かれた手のモニュメントがコルビュジエ没後の1986年に完成した。

 これら建築は、要求される機能を満たしている。合同庁舎は中廊下型の平面の中に必要な諸室を収容する。インドの強い日差しに対応したものと説明されるブリーズ・ソレイユは、特に広場に面した側において雄弁で、この長大な建築に退屈を与えないようにしている。規則的なブリーズ・ソレイユは行政の正確さを暗示し、中ほどはピッチを変えながら集積回路のような情熱を秘め、再び凪いで人間のスケールをはるかに超えるエントランスのピロティから連続し、吹き抜ける風の軽快さに呼応した下部となる。コンクリートの地肌は荒い。施工精度の悪さが、建築が労働の積み重ねであり、その価値のありなしの決定者は別次元の設計行為だという本質を明瞭にして、気候風土に根ざしたテクノクラートの本部であるという合同庁舎の理想に、個々の機能が集積した形状を通じた象徴性で応じている。
 裁判所におけるコンクリートは、また違う姿だ。最初から、遠目に見られることを意識した形に向かっている。連続ヴォールトによるキャノピーがそれである。裏側にはスロープが走る。外部空間がふんだんに用意されたヒューマンなスペースが続いている。そこまで抜ける通路は超人的なスケールだ。緑と黄と赤に塗られた板柱。数百mを隔てて、議事堂と挨拶を交わすには、これくらい大きな声でなくてはならないだろう。なぜ、ここまで両者は離れているのか。チャンディーガルのキャピトル・コンプレックスは、ヒマラヤ山脈が遠くに霞む広大な平野の中に、人知の場所を打ち立てることが使命だからである。少なくともコルビュジエは、それが地理的な広がりの中の建築の使命だと感じたからである。複数の建物と屋外スペースのデザインが共同することで初めて達成できるほどの大事業。コルビュジエはモデュロールを手掛かりに、コンクリートという素材によって、極小から極大までを入れ子にして連続的に造形した。どんな白いカンバスにも怖気づかない、この男の本領発揮ではないか。

*****

 あらゆることが可能になったときに、人は何をすべきか。チャンディーガルのキャピトル・コンプレックスを覆っているのは、多様な細部の存在にもかかわらず、シンプルさである。抑制による多様性、決定を投げ出す決定から、一つの方向に向いた成長主義の帰結とはまるで異なる作品性が生まれている。そうした強靭さを欠いては、広大な地理と悠久の時間に飲み込まれてしまうというゼロの誘惑が迫る亜大陸で。
 方向性は議事堂の内部に顕著だ。新たな独立国に必要な権威という性格に対し、幾何学のモニュメンタリティで応えている。意味や機能の決定から投げされた自由としてのグリッドの柱と円形の議事堂は、後期のコルビュジエの象徴と言えよう。
くらかた しゅんすけ

■倉方俊輔 Shunsuke KURAKATA
建築史家。大阪市立大学大学院工学研究科准教授。1971年東京都生まれ。著書に『東京レトロ建築さんぽ』『ドコノモン』『吉阪隆正とル・コルビュジエ』、編著に『吉祥寺ハモニカ横丁のつくり方』ほか。
生きた建築ミュージアム大阪実行委員会委員

表紙
『建築ジャーナル』
今年の『建築ジャーナル』誌の1月~12月号の表紙を光嶋裕介さんが担当することになりました。
テーマはル・コルビュジエ。
一年間にわたり、倉方俊輔さんのエッセイ「『悪』のコルビュジエ」と光嶋裕介さんのドローイング「コルビュジエのある幻想都市風景」が同誌に掲載されます。ときの忘れものが企画のお手伝いをしています。
月遅れになりますが、気鋭のお二人のエッセイとドローイングをこのブログにも再録掲載します。毎月17日が掲載日です。どうぞご愛読ください。

●今日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
20171217_07
光嶋裕介 《パリ》
2016年 和紙にインク
45.0×90.0cm   Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆埼玉県立近代美術館の広報紙 ZOCALO の12月-1月号が発行され、次回の企画展「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が特集されています。館内で無料配布しているほか、HPからもご覧いただけます。

●書籍のご案内
版画掌誌5号表紙600
版画掌誌第5号
オリジナル版画入り美術誌
ときの忘れもの 発行
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 価格:120,000円(税別) 
A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
B版 : 限定35部 価格:70,000円(税別)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別) *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
ときの忘れもので扱っています。

国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展―挑戦―」25万人を突破、明日が最終日です(12月18日[月]まで)。
展覧会については「植田実のエッセイ」と「光嶋裕介のエッセイ」を、「番頭おだちのオープニング・レポート」と合わせ読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12