倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」

第12回(最終回) 浮遊する永遠 フィルミニの文化と青少年の家


倉方俊輔(建築史家/大阪市立大学准教授)


画:光嶋裕介(建築家)
原画

 とりわけ20世紀の技師の魅力をたたえて、ル・コルビュジエは第一次世界大戦後の世界に登場した。古典的な芸術家ではないスタイルが、人々を引きつけた。作品が単なる個性の発露ではないこと、その場限りの芸ではないこと、新しい原理に根差していること、社会善の言葉で語れること。組織的な科学主義に、孤高の人文主義で対抗しようという古典的な「悪」ではなかったから、一人の心に格好良く映る。集団の頭脳が採用すべき解決策として判を押す。
 この時代の心と頭に響いていたコルビュジエの訴求力を、21世紀にいる私たちが同じ鮮烈さで感じるのは難しいだろう。それまでの社会を停滞とみなせるように発展し、まだ未来を改変する余地があると思えるほどに従来の存在基盤への自信を失い、同時にこの先の時代に自らや人間が適応できることを疑わず、その自らと人間全体との間に絶対的な隔たりを感じないで、新たな共同体が構成できるのだと信じ、そちらに舵を切ることが自らの使命だと思える人間が、その顔が見えるくらいに権力を̶今との比較で言えば̶独占していた時代に彼は、本人が望んだほどに多くはないが、一般解を垣間見させそうなくらいには十分な数の仕事を受けた。
 産み落とされた建築には、実は独善と言えるような決定の数々があったが、それらが次第に楽しまれるようになった。他方で、人々は過去に思い思いに目を向けるようになる。コルビュジエの作品がもつ歴史遺産や周辺環境との連関といった深みは研究され、また少なくともその身体は自由に浮遊が許されるようになった観光者の目的地リストに追加されていった。両者の流れは2016年、一連のコルビュジエの建築の世界文化遺産への登録という形で実を結んだ。フィルミニの一連の建築は、そのようなものである。

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 一帯は「フィルミニ=ヴェール」と呼ばれている。「ヴェール」(vert)とはフランス語で「緑」の意味。マルセイユのユニテ・ダビタシオンの建設を支持した元復興大臣のウジェーヌ・クロディウス=プティが、フィルミニ市長に就任した後に推進した構想に基づく。
 フランスの南東部の都市・フィルミニには、中世から知られる炭鉱があった。後に鉄鋼産業やアルミニウム製品の生産などで工業都市として栄えた。国家の発展に貢献した反面、労働者の生活水準や公害といった解決しなければならない問題も生まれた。そんな汚染された「黒いフィルミニ」に対して「緑のフィルミニ」を構築しようという意志が固有名詞になった。
 位置付けとしては、第二次世界大戦後に企画されたニュータウンの一つだ。戦争によって被害を受けた旧市街から離れた郊外に、人間らしい生活に必要な住宅、レクリエーション施設、交通、緑地が計算され、供給され、採掘場跡という使用価値としてはまっさらな場所が塗り替えられる。20世紀の諸問題を解決するものとして、白紙の上に意志を刻む都市計画の必要性を強調し、当時の世界各地で行われていたプロジェクトに大きな影響を与えたコルビュジエは、そのうちの一つにようやくかかわることができた。
 1954年に計画を依頼され、1956年に初期案を発表した。文化と青少年の家は没年となる1965年に完成し、それと一体となったスタジアムは1968年に竣工を見た。近くの丘の上には集合住宅であるユニテ・ダビタシオンが3棟計画されたが、建設されたのは1棟で、1967年に竣工して住民を迎え入れた。スタジアムの脇に設計したサン・ピエール教会は1973年に工事を開始したが、1978年に3階部分までの建設で中止され、2003年から工事が再開され、2006年に開館した。

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 このうち、コルビュジエの生前に完成した文化と青少年の家が、世界文化遺産を構成する17の建築の一つに登録されている。
 強い形である。上部がせり出した打ち放しコンクリートの壁が112m続いている。長辺側の柱は斜めに伸びて、吊り構造の屋根をケーブルで引っ張っている。構造の原理が形態に直結しているのは、工業都市の再生を力強く象徴する点でもふさわしく感じられるが、実際にはアイデアを転用した結果だ。
 初期案では、これと隣にあるスタジアムの観客席を一体化させていた。せり出した最上部を上下二段の観客席の庇とし、その背後に諸室を設けて、合理的に工費の削減を図ったのだ。その後、施設とスタジアムの管轄部署が異なるという理由で二つを分けざるを得なくなったが、断面形が面白いからと、そのまま残した。根無し草になってしまいそうな形態が、後付けの構法で根拠づけられたことになる。
 竣工時に用意された部屋は、図書館、音楽室、料理教室、子どもの作品の展示室など。要するに「文化センター」である。諸機能を取り揃えた施設によって、民主主義的な地域の文化が育まれる。そんな楽観的な近代主義からつくり出された、第二次世界大戦後の世界各地に典型的な。
 もちろん、必要な機能は時とともに移りゆく。現在では絵画室や彫刻室などが展示室に変わり、スタジアム側の傾斜した壁を正当づける椅子や台としてのひな壇は、フィルミニにおける巨匠の偉業を振り返る展示パネルで埋められている。それでも最上部のガラス窓の向こうにスタジアムの光景が覗くと、設計者がここで異なるアクティビティの出会いを目論んだことは鮮明だ。静かに止まることと思い切り動くこと、機能的な分離と並列を超えた可能性を目指して、形態は跳躍している。
 外から眺めた形態は、スタジアムの空間を取り囲むようなものではない。遠くに見えるユニテ・ダビタシオンや観客席の向こうのサン・ピエール教会と同様、異物として存在している。それぞれが異なる機能を有した物であることを形で示し、見る、見られる関係を促す。
 行為の形態化でコミュニケーションを図る手法は、ドアノブから都市までを通じたコルビュジエの特徴だ。形態への翻訳は独善的であり、彼が世を去れば弟子にも研究者にも再現不可能な個性の発露だが、機能や構造から説明できないことはない範囲にぎりぎり止まっている。その手法はスケールを超越して、軽快にジャンプしている。
 結局、ここにあるのは大地に根差した重厚さではなく、そこから一旦切り離されたリスタートとしての建築だ。ニュータウンという枠組みに忠実であり、そんな世界の理想主義に少なからず貢献したコルビュジエの変わらない近代性がわかる。

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フィルミニの文化と青少年の家
竣工年│1965
所在地│Route de Saint-Just Malmont 42700 Firminy,France
(撮影:倉方俊輔)
文化と青少年の家のエントランスで料金を払い、スタジアム(写真左下)、サン・ピエール教会(写真右下)とともに
観覧できる。ユニテ・ダビタシオンを含むガイドツアーも行われている。

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 技師は「根拠」とされていたものを疑い、分離し、再編する。戯れることだってできる。文化と青少年の家はピロティで既存の地上面から浮き上がり、大地の素材と絡み合っている。
 採石場跡は抽象的な土地とみなされていない。コルビュジエは荒々しい岩肌の上にコンクリートを流し込み、筆先で描くよりも奥深い抽象画を構成した。円形や直線は通常、自然界で目に入らない。人間が使える純粋な形は大地の中に人間が使える床面を設定し、動きを整理して、アクティビティの可能性を増大させる。
 宙に浮いた文化と青少年の家は、その強い形態で地表面と緊張関係を生み出している。また大地という素材がコンクリートと出会い、どちらか一方では得られない光景をもたらす。さらにスタンド側に伸びる廊下や階段は、機能的である以上に、幾何学のヒューマニティーと岩肌の生々しさの双方を強調する役割を果たしている。
 時代の要求や場所性といった目の前の即物性を受け止めながら、そこから浮いて遊ぶ。浮遊することで、同じようには二度とない近代という時代を永遠に刻んだコルビュジエがいる。

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 没後のフィルミニ=ヴェールの展開も、近代に典型的なものだ。1970年代にまちの近代工業は斜陽となり、以後の施設は荒廃した。文化と青少年の家の屋根は雨漏りし、ユニテ・ダビタシオンは維持運営の経費を捻出するために建物の中央に壁が挿入され、半分が使用されなくなる有様だった。
 そうした状態は芸術家や建築家の興味を引く。周辺の民間人の個別の活動が、次第に政治家や行政官の関心を呼び、施設の修復、再活用へという流れは、1980年代以降の世界の潮流と同期する。
 21世紀に入り、かつての工業都市が建築をアイデンティティに観光と定住の魅力を高める中、放棄されていたサン・ピエール教会の聖堂部分がつくられることに。コルビュジエ最後の作品が、没後41年にして完成した。
 生前に描かれたスケッチを可能な限り尊重し、実現性を与えたという内部空間は、浮遊する光が劇的な効果で刻一刻と変化し、写真映えすることで、訪れなければ本当のところはわからないと感じさせ、正統性に根拠づけられているからと人を来させる、21世紀のスペクタクルだ。ガウディのサグラダ・ファミリアがそうであるように。
くらかた しゅんすけ

■倉方俊輔 Shunsuke KURAKATA
建築史家。大阪市立大学大学院工学研究科准教授。1971年東京都生まれ。著書に『東京レトロ建築さんぽ』『ドコノモン』『吉阪隆正とル・コルビュジエ』、編著に『吉祥寺ハモニカ横丁のつくり方』ほか。生きた建築ミュージアム大阪実行委員会委員。

表紙『建築ジャーナル』
2017年の『建築ジャーナル』誌の1月~12月号の表紙を光嶋裕介さんが担当しました。
テーマはル・コルビュジエ。
一年間にわたり、倉方俊輔さんのエッセイ「『悪』のコルビュジエ」と光嶋裕介さんのドローイング「コルビュジエのある幻想都市風景」が同誌に掲載され、ときの忘れものが企画のお手伝いをしました。
倉方・光嶋お二人の連載は今回で終了です。
明日のブログで倉方さんの「連載を終えて」を掲載します。


●BSフジで毎週火曜 に放映される「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」に光嶋裕介さんが紹介され、ユーチューブでも見ることができます。


●今日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
20180118_08
光嶋裕介 《バルセロナ》
2016年 和紙にインク  45.0×90.0cm   Signed
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

◆ときの忘れものは「Arata ISOZAKI × Shiro KURAMATA: In the ruins」を開催しています。
会期=2018年1月9日[火]―1月27日[木] ※日・月・祝日休廊
磯崎新のポスト・モダン(モダニズム)ムーブメント最盛期の代表作「つくばセンタービル」(1983年)に焦点を当て、磯崎の版画作品〈TSUKUBA〉や旧・筑波第一ホテルで使用されていた倉俣史朗デザインの家具をご覧いただきます。他にも倉俣史朗のアクリルオブジェ、磯崎デザインの椅子なども出品します。

◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催中。磯崎新、安藤忠雄らの作品が出品されています。
展覧会については戸田穣さんのエッセイをお読みください。
磯崎新「還元TOWN HALL」磯崎新
「TOWN HALL」
1982年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75  サインあり
*現代版画センターエディション

ギャラリートーク「建築版画の世界」のご案内
植田実(住まいの図書館出版局編集長)× 石田了一(石田版画工房)× 綿貫不二夫(ときの忘れものディレクター)
司会:日埜直彦
日時:1月27日(土曜日)14時から
場所:文化庁国立近現代建築資料館
住所:〒113-8553 東京都文京区湯島4-6-15
入場方法:旧岩崎邸庭園からの入館となりますので、入園料400円(一般)が必要となります。

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が始まりました。
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600会員制による共同版元として1974年に創立した現代版画センターは1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを世に送り出し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、上映会、講演会、パネルディスカッション等を頻繁に開きました。今回の展覧会では45作家、約300点の作品と、機関誌・カタログ等の資料によりその全軌跡を辿ります。
同館の広報誌の記事もお読みください。

現代版画センターエディションNo.8 靉嘔「虹の花」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
靉嘔虹の花
靉嘔 Ay-O
「虹の花」
1974年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
51.0x37.0cm
Ed.200 サインあり
*レゾネ『虹 靉嘔版画全作品集 増補版 1954-1982』(1982年 叢文社)268番では「Flower A」となっている。

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18~24頁にときの忘れものが特集されています。
06駒込玄関ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。