石原輝雄のエッセイ「マルセル、きみは寂しそうだ。」─5

『精子たちの道連れ』

展覧会 キュレトリアル・スタディズ(12)
    泉/Fountain 1917─2017
    京都国立近代美術館4階コレクション・ギャラリー
    2017年4月19日(水)~2018年3月11日(日)

Case-5 散種 
    キュレーション: 毛利悠子(アーティスト)
    2018年1月5日(金)~3月11日(日)

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MD5-1『泉』1917/1964 シュヴァルツ版 ed. 6/8


MD5-21月26日20:03


事件発生からの100周年を祝う「恥ずかしながら」の企画展示も、残り1ヶ月となった。紛失犯逮捕がなされないまま、事件捏造の様相も帯びた1950年代を越えて、神格化させ、男性用小便器を途方もない時価総額の頂きに祭り上げた21世紀の昨今。日本では個人情報ばかりが独り歩きして、単純な隠秘ばかりが幅をきかせている。祝祭最終のCase-5を担当する美術家の毛利悠子は、マルセル・デュシャンから数えると曾孫、あるいは玄孫の世代に当たるかと思う。その彼女が受容したデュシャンの芸術は「脳の活動」といったものではなくて具体的な作品。経年変化の過程にある『花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも』(通称《大ガラス》)や『泉』が持つ「物の生命」と対面した感情の発露であると言える。彼女を「デュシャンピアン」と呼ぶ関係者もいるようだが、デュシャンの言説がどこまで咀嚼されたのか、読解に意味があるのかも含め、作家による『散種』と題したインスタレーションの中に、品物だけがポンと置かれている。1950年生まれの藤本由紀夫、61年生まれのベサン・ヒューズ、そして80年の毛利悠子と繋がってきた美術家によるキュレーションを拝見しながら世代間のズレと云うか、「素材としてのデュシャン」と云った扱い方に先行世代として「これは、なんだろう」と戸惑った。

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MD5-3


MD5-4「独身者」のエリア


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MD5-5<境界線>


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MD5-6


MD5-7「花嫁」のエリア


 「日用品と音や光、水などを組み合わせたインスタレーション」で知られ、世界的に注目される毛利悠子の発表なので、2015年の『モレモレ: 与えられた落水』がどんな変化をするのか、いろいろと期待をしながらの拝見だったが、足下に置かれた「検眼図、眼科医の証人」を模したステンレスの形状や、「欲望の磁気発電機」の辺りに置かれた扇風機とスキャナーのチープな仕様に気を取られて、《大ガラス》の三次元的展開への構想には思い至らなかった。もちろん、彼女は会場に掲示したコメントで、その場を「厚みを持った2次元(=3次元)は4次元の射影である」とし、「鑑賞者はすでに《大ガラス》のなかにいる」との手掛かりを与えているので、わたしの方が迂闊なのだけど。コメントには「大ガラスの中味の雑味が目立つのはこの際お許しいただくとして」と、自身の持ち味にも言及した部分があり、個人的な戸惑いを述べるのは礼を失した行いであるのだが、1メートルも越えるような展示壁を挟んで拡がる「独身者」と「花嫁」を繋ぐケーブル間の空洞が、デュシャンが《大ガラス》で「重力の監視人」と「ボクシングの試合」を放置したまま未完成とした心情と解離しているようで、嫌なのだ。──好き嫌いを言っちゃ、お終いなんだけど。

 美術館4階最奥の常設展示室を《大ガラス》に見立て、デュシャンが自作品をミニチュア化して詰めた『トランクのなかの箱』の構造を借用しながら、毛利悠子は『パリの空気』『旅行用折りたたみ品』『泉』の3レディメイドを会場に取り込んだ。実際の『トランクのなかの箱』では《大ガラス》の横に上段から「花嫁」<境界線>「独身者」と対応しながら括り付けられている訳だが、重力から解き放し、併置した3点は、どうも、しまりが悪い(これも好き嫌いだけど)。

MD5-8『パリの空気』(手前)


MD5-9『泉』(手前)


 ──などと感じながら、若い美術家の仕事に包まれ歩いたけど、内実はうわの空だったと告白しておきたい。それは、今回のインスタレーションを特徴づけ、抜き差しならぬ『散種』の概念を撒き散らしてやまない富山県立美術館から貸し出された限定豪華版『トランクのなかの箱』に収められた『罪のある風景』(1946年)が、男性用小便器である『泉』と寄り添うように展示されていた事による。300部程度造られた普及版(『トランクの箱』と称される)の他に、一点毎が異なるオリジナル作品の入った20部(プラス非売品4部)が存在するとされ、会場で対面していたものは、マルセル・デュシャンが愛人であった在米ブラジル大使夫人のマリア・マルティンスに贈った12番本で、奇妙な素描が特別の画材によって描かれている。デュシャンの伝記を著したカルヴィン・トムキンズによると「1989年に行われた化学検査の結果、素描に射精された精液が用いられていることが判明する。」(『マルセル・デュシャン』木下哲夫訳、みすず書房、2003年、362頁)との事で、彫刻家でもあったマリアは、それまでの女性に対する接し方を見失うほどデュシャンにとって特別の存在であったようで、『与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス』 (通称《遺作》)への導入部にあたるとの説もある。それなので、眼が釘付けになって、いつまでも、いつまでも、執拗に見続けた(写真もたくさん撮った)。本作を富山の美術館にもたらした画商の逸話を聞いているものだから、行き場を見いだせないままの精子が死に絶え、同時に体温も消え失せて、あらぬ風景が固定されていく様子が浮かんで、目眩を覚えるほどの衝撃の中にいる。その場所が《大ガラス》の内側であり、公共の美術館の一室であるのだから、声を大にして、近くにいる男にも女にも、そうでない人にも伝えたくてしょうがない。「綺麗だよね」──もっとも、展示品の素材紹介を「体液」と表記するにとどめざるおえなかったのは、致し方ないとはいえ、残念である。

MD5-10『罪のある風景』(1946年)


MD5-11「体液、透明フィルム、黒サテン」


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 デュシャンの精子が飛び出し、膣ならぬ『泉』に侵入する様を視覚的に実感できる配置は、今回のcase-5における出色の風景であり、これだけの接近を許す展示は初めてのように思う。年月を閉じ込め、経年変化したセルロイド上の気泡(?)を含む、歪んだ《大ガラス》越しに『罪のある風景』を見ながら、エロティックなデュシャン像のしたたかさを改めて考えた。幾万の精子たちが夢見た世界、一個体にしか開かれない扉の向こうで、彼の実際の子供へと着床したのかどうかは判らないが、1946年とすれば現在72歳、会いたくもあり、会いたくもないような複雑な気持ちである。今回のCase-5に関連した毛利悠子とのクロストーク(1月26日(金))で、批評家の浅田彰は、キュレーション・タイトルとした『散種』にふれ、難解なフランスの哲学者ジャック・デリダの用語を平明に解説し(展示に合わせたということだけど)、デュシャンとデリダは女性にもてたと前置きしながら、二人の態度は「種をまき子供ができたら責任はとると、認知するとか養育するとかとは別に、自分は対応すると」話されたけど、どうだろう── わたしに撒き散らすというのはそぐわないが(これは、デュシャンとは関係ないけど)、デュシャンの言説や視覚的な作品が、時間と場所を無分別に「意味を繁殖させて通常の意味論から空間を破壊する」。他者の作品や人生に対するデュシャンの寂しげな距離感は、プラトン的世界に生きているコレクターとしては、実践できない態度であり、自己弁護的にデリダの著書『散種』がスイユ社から刊行されたのは、デュシャンが亡くなって4年後の1972年だった事を補足しておきたい。

MD5-12『トランクのなかの箱』(手前)


MD5-13『罪のある風景』(手前)と『泉』


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 さて、蛇足になるのか、そうでないのか判らないが、先のトムキンズによる伝記には、デュシャンの実の娘として1911年生まれの美術家が登場する。場面は1966年の娘宅、デュシャンは『トランクのなかの箱』を手土産に夫人のティーニーを伴い訪ねたと云う。「4人が一堂に会したわけをだれもが知っていながら、イヴォンヌがデュシャンの娘だという事実(それが事実だとして)は、その日もそれ以降も、まったく話題にのぼらなかった。」(455頁)。── 1918年にパリの地下鉄で偶然会った昔の恋人が連れていた幼い娘を実子だと感じたデュシャンの心情、さらに、その後の態度に立ち入るのは難しい。作品をとらえ、実子のようだと指摘するのは簡単だけど、「自由」の代償として「寂しさ」がついて回るのは、子孫と云う「永遠」が掴めなかったということでもあり、わたしのような凡夫には耐えられない事柄であると言える(これこそが、蛇足です)。

 ある科学者は、およそ200万年前、脳の体積が大きくなりすぎて人間の男性は性欲を失い、女性からの働きかけによる「誘導型性欲」によって子孫を残すようになったと指摘する。様々な理由で一般的な機能を発揮しなかった精子の物語、あるいは、発揮したことにしたくなかった物語は、デュシャンの全作品に見られ、《遺作》で横たわる裸體(マリアかも知れない)の性器に収斂していくように思えてならない。

MD5-14『旅行用折りたたみ品』1916/1964 シュヴァルツ版 ed.6/8


MD5-15『パリの空気』1919/1964 シュヴァルツ版 ed.6/8


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 性欲の話題は現役を引退している身なので、このあたりで終わりたいが、毛利悠子が持ち込んだ今作の題名は『めくる装置、3つのヴェール』と名付けられている。彼女は音楽にも関心を持ち、機械のエラーやノイズにも反応する感性の持ち主であるようだが、すでに一定したアウトプットを吐き出す機械といった捉え方からくる偶然への対応は、パソコンやスキャナーの黎明期を生きてきたわたしには幼く思える。

 会場を出て4階ロビーから眼下を望むと、平安神宮の大鳥居から北に続く公園を《大ガラス》に見立てた方が、『散種』にふさわしいような気になった。改装工事の進む向かい側の京都市美術館では大型クレーンが単調な回転運動を続けて、「独身者の機械」のようであるし、遠くに見える応天門は3つの「換気弁」がひっつくのに最適であるし、二条通を<境界線>とすると、左側の派出所など『旅行用折りたたみ品』にドンピシャ。京都国立近代美術館を『泉』とするのは当然として、この場合にも彫刻家・富樫実のモニュメントが切断・撤去されて、独身者の欲望は花嫁に届かないままである。1年間続いた祝祭企画が終わる頃、岡崎公園の北西側にある枝垂れ桜が美しく咲き誇り、『パリの空気』ならぬ、京の花吹雪が風に舞う情景を思い描く。《大ガラス》の内部に居るとしたら、晴天のもと、飲めや歌への大騒ぎでありたい。花見で一杯、酒飲みはこれでなければいけません(ハハ)。

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MD5-17左から平安神宮大鳥居、京都国立近代美術館、京都府立図書館


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 昨年の12月17日、祝祭展示の共同企画者でCase-1のキュレーションを担当された京都工芸繊維大学の平芳幸浩准教授の著書『マルセル・デュシャンとアメリカ』(ナカニシヤ出版、2016年)が、優れた芸術評論に贈られる第27回吉田秀和賞を受賞された。大変喜ばしい事で、氏の静かで楽しいデュシャンへの熱中が、著書だけでなく1年間にわたる展示の期間中、エフェメラ類の充実とともに、わたしたちを包んでくれた。とても嬉しく、心からお礼申し上げたい。

 拙いわたしの報告「マルセル、きみは寂しそうだ。」も今回で終了となる。その間、平芳幸浩氏を始めとしたキュレーションを担当された方々や、美術館のさまざまな関係者のお世話になった。記して感謝の意を表したい「ありがとうございました」。この後、美術館では、1年間を報告する書籍の刊行を予定されていると聞く。そして、今年はマルセル・デュシャン没後50周年の節目の年。さらに、『散種』で予告されたように、ばらまかれ、芽吹き、育った者たちが、新しいデュシャン像や、デュシャン理解の言説を生み出していくだろうと期待する。先行世代としては「アンダーウッド」のスカートをこっそり捲って、デュシャンのサインをカメラに収めるくらいの、細やかな援護射撃を続けたいと思う。そして、もちろん、5回の連載とはいえ続けられたのは、ときの忘れもののブログを読んでいただいた皆様の温かい励ましの賜物、重ねてお礼申し上げたい。「皆様、ありがとうございました」。
いしはら てるお

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「キュレトリアル・スタディズ12:泉/Fountain 1917-2017」
会期:2017年4月19日[水]~2018年3月11日[日]
会場:京都国立近代美術館 4F コレクション・ギャラリー内
時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
   ※毎週金曜・土曜9:30~20:00(入館は19:30まで)
休館:月曜(月曜日が休日に当たる場合は、翌日が休館)、及び年末・年始
   ※展示替期間:2017年6月13日(火)、8月8日(火)、10月24日(火)
企画:平芳幸浩(京都工芸繊維大学美術工芸資料館准教授)、牧口千夏(当館主任研究員)

1917年にマルセル・デュシャンによって「制作」されたレディメイド作品《泉》は、20世紀美術にもっとも影響を与えた作品として知られています。また1960年代のコンセプチュアル・アート以降、デュシャンの《泉》を解釈・解読すること自体が創作行為にもなっています。2017年4月に《泉》が100周年を迎えるにあたって企画されたこのプログラムでは、当館の所蔵作品だけでなく現代の美術家によるデュシャン解読の作例を加え、各回展示替えをしながら本作品の再制作版(1964)を1年間展示するとともに、さまざまなゲストを迎えて《泉》およびデュシャンをめぐるレクチャーシリーズを開催します。

●Case 5: 散種
2018年1月5日(金)~3月11日(日)
キュレーション:毛利悠子(アーティスト)
クロストーク:2018年1月26日(金)午後6時~ 毛利悠子×浅田彰(批評家)
会場:京都国立近代美術館 1階講堂
※先着100名、聴講無料、要観覧券、当日午後5時より1階インフォメーションにて整理券を配布します。
(京都国立近代美術館HPより転載)
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●ときの忘れものは本日11日(日)と明日12日(月、祝日)は休廊です

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログはお勧めです。ときの忘れもので扱っています。
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
埼玉チラシウォーホル600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年~1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約300点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。

○<朝日新聞学芸部編『余白を語る』を買取り均一棚へ。難波田龍起のインタビューを一読(聞き手:米倉守)。
「私は松本竣介を弟と思ってきたが史男を失って竣介と史男が完全に重なってしまっています。そして父親は七十九歳で去り、光太郎は七十三歳で去ったのにみんな八十二歳の私より年長にみえます」
難波田龍起のページをまっさきに開いたのは、昨日、埼玉県立近代美術館でその作品を観てきたばかりだから。「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展、素晴らしかったです! 知らない作家や未知の作品をあんなに浴びたのはひさしぶり。まだちょっと興奮してます
「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展、個人的な備忘録。
菅井汲/スクランブル
岡本信治郎/つばめ
磯崎新/内部風景
難波田龍起/銅版画集『街と人』
北川民次/瀬戸の街
内間安瑆/FOREST BYOBU
ジョナス・メカス/I Leave Chelsea Hotel
関根伸夫/おちるリンゴ(を使った高橋悠治ポスター)
「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展。栗山豊が収集したアンディ・ウォーホル関連の大量の資料を見られたのもうれしかったです。数ヶ月前、栗山豊の作品集『PORTRAITS』が入荷し、その際スクラップブックの存在も知ったのですが、まさかこんなすぐにお目にかかれるとは!
「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展。もうひとつうれしかったのは、展覧会の半券が、すぐそばのディスクユニオン北浦和店の割引券になること! しかもこの日読み始めた幸松肇『世界の弦楽四重奏団とそのレコード』で知ったばかりのシャンペイユSQのラヴェルが見つかり、心の中で雄叫びが(笑)

(20180208/古書ほうろうさんのtwitterより)>

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半~トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでーー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。

光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について(1月28日ブログ)

荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て(1月31日ブログ)

スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)

毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。

倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)

○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号1983年のウォーホル全国展が紹介されています。

○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。

現代版画センターエディションNo.154 木村茂「森の道 I」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
154_木村茂《森の道Ⅰ》木村茂
「森の道 I」
1977年
銅版(作家自刷り)
イメージサイズ:20.0×18.0cm
シートサイズ:約30.5×28.5cm
Ed.75 サインあり

パンフレット_05
出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄
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