frgmのエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」第42回
「私家版」について思うこと
前回、回想録製本の話を書き、「私家版」という邦題のフランス映画があったことを思い出した。サーの称号を持つ、上流階級に属するイギリス人の主人公は、かつ有能な編集者。担当するフランス人作家が持ち込んだ自伝的小説により、30年前に自死したチュニジア人の恋人の死の原因が、その作家にあったことを知り復讐を企てる。1996年の映画ということだが、私は生徒の一人から教えてもらい、ずっとあとになって見た。
主人公エドワードの復讐の方法が、実際に存在しない本を作るということにあったから、ルリユールに携わっている人や本好きな人達には知られていたかもしれない。細かいあらすじは検索をしていただければ、いくらでも出てくるので、ここでは詳細に触れないが、大筋としては、フランス人作家ニコラが持ち込んだ小説には、実は元になった小説が存在し、ニコラがそれを剽窃したというということを、エドワードは周到な準備で周囲に信じ込ませ、裁判に持ち込む。映画はニコラの自殺が伝えられるところで終わる。
「私家版」創元推理文庫
この原稿を書くにあたり、映画を再見し原作についても調べてみた。著者はローザンヌ大学歴史学教授のジャン=ジャック・フィシュテル、1993年の発表という。大学教授で作家といえば、ウンベルト・エーコを思い出す。エーコの小説ほどではないが、印刷や製本についてのペダンチックな内容が展開する。原題は”Tiré à part”と言い、直訳すれば「別刷り(されたもの)」ということになるか。「私家版」は苦肉の意訳かもしれない。というのは、西欧の文芸書では、特に稀覯本ではないものの、限定版として出すことも多く、奥付を見ると詳しく明記されている。何番までをどのような紙で、何番から何番までをこの紙で印刷した、ということが書かれている。使った活字についての記述がある場合もある。こういった記録の範囲外で刷られたものが、(le) tiré à part=別刷りされたものであるなら、これは「個人が自分の費用で出版して、狭い範囲に配布する書籍。」とは言えない気がする。
奥付の例

それはさておき、この映画の見所は、ひとつひとつ積み上げられていく、エドワードが行う復讐のプロセスにある。最初に見た時はストーリーを知らず、その展開自体がサスペンスとして面白く感じたが、今回の再見では細部の面白さを改めて確認した。
古い文芸誌の記事から、一作だけ残して亡くなった作家を見つけ出す。遺族から情報を得たり、出版社が1944年のドイツ軍によるロンドン空襲で社主もろとも消滅したことを確認するところから、計画は出発する。その出版社の本を古書店で入手し、本を解体し、紙を特定する。背の匂いを嗅いで、使われているにかわの種類を調べる。紙を光にかざして、透かし(water mark)を調べる…と洋書に親しんだ人には、その意味が分かるという点で馴染み深い場面ばかりだ。後半の裁判の場では、英国出版協会の鑑定人が証言に立ち、使われている紙や活字などから、エドワードの贋作を正真正銘の戦前の出版であると断言する。
西欧と日本では本の文化が違うとは言え、こういう映画が佳作として世に現れるところに彼我の差を感じるのは私だけか。静謐な映像が続く中で、きっちりと検証された本にまつわるあれこれが展開していく。サスペンスとしても緻密な構成を持つこの作品は、私の好きな映画の一つとなった。
(文:平まどか)

●作品紹介~平まどか制作



「病める舞姫 」
土方巽著
1983年 白水社刊
・パッセカルトン 山羊オアシス革・ヘビ革総革装
・金箔押し装飾
・手染め見返し
・タイトル箔押し:中村美奈子
・制作年 2016年
・221x158x26mm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ルリユール用語集
ルリユールには、なじみのない用語が数々あります。そこで、frgmの作品をご覧いただく際の手がかりとして、用語集を作成しました。
本の名称
(1)天
(2)地
(3)小口(前小口)
(4)背
(5)平(ひら)
(6)見返し(きき紙)
(7)見返し(遊び紙)
(8)チリ
(9)デコール(ドリュール)
(10)デコール(ドリュール)
額縁装
表紙の上下・左右四辺を革で囲い、額縁に見立てた形の半革装(下図参照)。
角革装
表紙の上下角に三角に革を貼る形の半革装(下図参照)。
シュミーズ
表紙の革装を保護する為のジャケット(カバー)。総革装の場合、本にシュミーズをかぶせた後、スリップケースに入れる。
スリップケース
本を出し入れするタイプの保存箱。
総革装
表紙全体を革でおおう表装方法(下図参照)【→半革装】。
デコール
金箔押しにより紋様付けをするドリュール、革を細工して貼り込むモザイクなどの、装飾の総称。
二重装
見返しきき紙(表紙の内側にあたる部分)に革を貼る装幀方法。
パーチメント
羊皮紙の英語表記。
パッセ・カルトン
綴じ付け製本。麻紐を綴じ糸で抱き込むようにかがり、その麻紐の端を表紙芯紙に通すことにより、ミゾのない形の本にする。
製作工程の早い段階で本体と表紙を一体化させ、堅固な構造体とする、ヨーロッパで発達した製本方式。
半革装
表紙の一部に革を用いる場合の表記。三種類のタイプがある(両袖装・額縁装・角革装)(下図参照)【→総革装】。
革を貼った残りの部分は、マーブル紙や他の装飾紙を貼る。
夫婦函
両面開きになる箱。総革装の、特に立体的なデコールがある本で、スリップケースに出し入れ出来ない場合に用いる。
ランゲット製本
折丁のノドと背中合わせになるように折った紙を、糸かがりし、結びつける。背中合わせに綴じた紙をランゲットと言う。
全ての折丁のランゲットを接着したあと、表装材でおおい、装飾を施す。和装本から着想を得た製本形態(下図参照)。
両袖装
小口側の上下に亘るように革を貼る形の半革装(下図参照)。
様々な製本形態
両袖装
額縁装
角革装
総革装
ランゲット製本
●本日のお勧め作品は、瑛九です。

瑛九《バイオリン》
フォトデッサン
26.6x21.1cm
都夫人のサインあり(裏面)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

「私家版」について思うこと
前回、回想録製本の話を書き、「私家版」という邦題のフランス映画があったことを思い出した。サーの称号を持つ、上流階級に属するイギリス人の主人公は、かつ有能な編集者。担当するフランス人作家が持ち込んだ自伝的小説により、30年前に自死したチュニジア人の恋人の死の原因が、その作家にあったことを知り復讐を企てる。1996年の映画ということだが、私は生徒の一人から教えてもらい、ずっとあとになって見た。
主人公エドワードの復讐の方法が、実際に存在しない本を作るということにあったから、ルリユールに携わっている人や本好きな人達には知られていたかもしれない。細かいあらすじは検索をしていただければ、いくらでも出てくるので、ここでは詳細に触れないが、大筋としては、フランス人作家ニコラが持ち込んだ小説には、実は元になった小説が存在し、ニコラがそれを剽窃したというということを、エドワードは周到な準備で周囲に信じ込ませ、裁判に持ち込む。映画はニコラの自殺が伝えられるところで終わる。

この原稿を書くにあたり、映画を再見し原作についても調べてみた。著者はローザンヌ大学歴史学教授のジャン=ジャック・フィシュテル、1993年の発表という。大学教授で作家といえば、ウンベルト・エーコを思い出す。エーコの小説ほどではないが、印刷や製本についてのペダンチックな内容が展開する。原題は”Tiré à part”と言い、直訳すれば「別刷り(されたもの)」ということになるか。「私家版」は苦肉の意訳かもしれない。というのは、西欧の文芸書では、特に稀覯本ではないものの、限定版として出すことも多く、奥付を見ると詳しく明記されている。何番までをどのような紙で、何番から何番までをこの紙で印刷した、ということが書かれている。使った活字についての記述がある場合もある。こういった記録の範囲外で刷られたものが、(le) tiré à part=別刷りされたものであるなら、これは「個人が自分の費用で出版して、狭い範囲に配布する書籍。」とは言えない気がする。


それはさておき、この映画の見所は、ひとつひとつ積み上げられていく、エドワードが行う復讐のプロセスにある。最初に見た時はストーリーを知らず、その展開自体がサスペンスとして面白く感じたが、今回の再見では細部の面白さを改めて確認した。
古い文芸誌の記事から、一作だけ残して亡くなった作家を見つけ出す。遺族から情報を得たり、出版社が1944年のドイツ軍によるロンドン空襲で社主もろとも消滅したことを確認するところから、計画は出発する。その出版社の本を古書店で入手し、本を解体し、紙を特定する。背の匂いを嗅いで、使われているにかわの種類を調べる。紙を光にかざして、透かし(water mark)を調べる…と洋書に親しんだ人には、その意味が分かるという点で馴染み深い場面ばかりだ。後半の裁判の場では、英国出版協会の鑑定人が証言に立ち、使われている紙や活字などから、エドワードの贋作を正真正銘の戦前の出版であると断言する。
西欧と日本では本の文化が違うとは言え、こういう映画が佳作として世に現れるところに彼我の差を感じるのは私だけか。静謐な映像が続く中で、きっちりと検証された本にまつわるあれこれが展開していく。サスペンスとしても緻密な構成を持つこの作品は、私の好きな映画の一つとなった。
(文:平まどか)

●作品紹介~平まどか制作



「病める舞姫 」
土方巽著
1983年 白水社刊
・パッセカルトン 山羊オアシス革・ヘビ革総革装
・金箔押し装飾
・手染め見返し
・タイトル箔押し:中村美奈子
・制作年 2016年
・221x158x26mm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ルリユール用語集
ルリユールには、なじみのない用語が数々あります。そこで、frgmの作品をご覧いただく際の手がかりとして、用語集を作成しました。
本の名称

(2)地
(3)小口(前小口)
(4)背
(5)平(ひら)
(6)見返し(きき紙)
(7)見返し(遊び紙)
(8)チリ
(9)デコール(ドリュール)
(10)デコール(ドリュール)
額縁装
表紙の上下・左右四辺を革で囲い、額縁に見立てた形の半革装(下図参照)。
角革装
表紙の上下角に三角に革を貼る形の半革装(下図参照)。
シュミーズ
表紙の革装を保護する為のジャケット(カバー)。総革装の場合、本にシュミーズをかぶせた後、スリップケースに入れる。
スリップケース
本を出し入れするタイプの保存箱。
総革装
表紙全体を革でおおう表装方法(下図参照)【→半革装】。
デコール
金箔押しにより紋様付けをするドリュール、革を細工して貼り込むモザイクなどの、装飾の総称。
二重装
見返しきき紙(表紙の内側にあたる部分)に革を貼る装幀方法。
パーチメント
羊皮紙の英語表記。
パッセ・カルトン
綴じ付け製本。麻紐を綴じ糸で抱き込むようにかがり、その麻紐の端を表紙芯紙に通すことにより、ミゾのない形の本にする。
製作工程の早い段階で本体と表紙を一体化させ、堅固な構造体とする、ヨーロッパで発達した製本方式。
半革装
表紙の一部に革を用いる場合の表記。三種類のタイプがある(両袖装・額縁装・角革装)(下図参照)【→総革装】。
革を貼った残りの部分は、マーブル紙や他の装飾紙を貼る。
夫婦函
両面開きになる箱。総革装の、特に立体的なデコールがある本で、スリップケースに出し入れ出来ない場合に用いる。
ランゲット製本
折丁のノドと背中合わせになるように折った紙を、糸かがりし、結びつける。背中合わせに綴じた紙をランゲットと言う。
全ての折丁のランゲットを接着したあと、表装材でおおい、装飾を施す。和装本から着想を得た製本形態(下図参照)。
両袖装
小口側の上下に亘るように革を貼る形の半革装(下図参照)。
様々な製本形態





●本日のお勧め作品は、瑛九です。

瑛九《バイオリン》
フォトデッサン
26.6x21.1cm
都夫人のサインあり(裏面)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆frgmメンバーによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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