光嶋裕介のエッセイ「幻想都市風景の正体」

03-奥行きのある立面図
~余白と敷地~


建築図面の中で平面図というものは、
「機能性」を描くための図面であり、
立面図というものは、
「美しさ」を描くための図面である。
この美しさを表現するために、
建築家たちは、遠近法を修正したりしながら
工夫を重ねてきた。
具体的に立面図というものは、
建物を真横から見ることによって
得られるイメージを描いているため、
立面図においては、遠近法が無い。
言うなれば、神の視点で描かれているのだ。
要するに描かれた立面図のようには、
実在する建築を見ることはできない。

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私も自分のドローイングの視点を
設定するために「地平線」を引くことから始めた。
しかし、前回書いたように、
和紙を自ら漉くことによって、
描かれた「地平線」を必要とすることなく、
世界に一枚しかない和紙の
白と黒の差異の中から想像力を
働かせることで、美しい建築の群像劇を
描く道を選択したのである。
この和紙がもつ独自な表情は、
それだけで「奥行き」をもっていること。
この奥行きを意識しながら、
立面図のようでいて、
そうでないドローイングを描いている。

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建築家としての設計活動における実践を
幻想都市を描くことで遠くから補完している
ように思えてならない。
それは、
言語化できない力が拮抗しているからだ。
そのため、ドローイングを描く時の
視点はものすごく大切になってくる。
どこから見える風景を描くのか?
それは、鑑賞者一人ひとりに開かれている。
そのために心がけていることが、
造形の自由な組み合わせと、
人間を描かないことである。何故か?
端的に言って、スケールを特定しないためである。
人間を不在にすることで、描かれた世界の中に
明確なスケールを与えない。
それこそ、
鑑賞者に委ねられた自由な視点を提供したい。
見る「視点」と同じく私が大事にしているのが、
建築と建築がつながるための「支点」だ。
これは、何も思いつきではない。
雑多なものが同居した相互扶助的世界を
表現する上で、あらゆる支点がそれぞれの
建築をつなぎ、支え合っている。
そのため、私の描く幻想都市風景の中には
ある種の「不安定さ」が内在する。
重力に対する不安定さこそ、
あらゆるものがつながり、
支え合うための重要な要素となる。
塔状の造形も、トラスのような構造体も、
岩のような自然物も、あるいは、
氷や砂といったマテリアルも
すべてがドローイングの中では
有機的につながっている。

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建築家の描く人間不在の幻想都市風景は、
鑑賞者という視点を得て、
多様な物語がそれぞれに追記され、
画面の中で溶け合うようにして存在する。
建築群に強度ある思想が宿ると信じて
私は、今宵も和紙の上でペンを走らせる。
こうしま ゆうすけ

光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA(1979-)
建築家。一級建築士。1979年米国ニュージャージー州生。1987年に日本に帰国。以降、カナダ(トロント)、イギリス(マンチェスター)、東京で育ち、最終的に早稲田大学大学院修士課程建築学を2004年に卒業。同年にザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ(ベルリン)に就職。2008年にドイツより帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。
神戸大学で客員准教授。早稲田大学などで非常勤講師。内田樹先生の凱風館を設計し、完成と同時に合気道入門(二段)。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの全国ツアーの舞台デザインを担当。著作に『幻想都市風景』、『みんなの家。』、『建築武者修行』、『これからの建築』など最新刊は『建築という対話』。
公式サイト:http://www.ykas.jp/

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"ベルリン"
2016年 和紙にインク  45.0×90.0cm Signed
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