コレクションを核に
「関西ゆかりのデモクラートの作家たち」展に寄せて
坂上義太郎(BBプラザ美術館 顧問)
泉茂《逃げたスペード》1955年 銅版 和歌山県立近代美術館蔵
山中嘉一《方形の詩(A)》1957年(1998年再制作)石版 BBプラザ美術館蔵
吉田利次《作品》1951年 銅版 個人蔵
吉原英雄《たわむれ》1956年 油彩 和歌山県立近代美術館蔵
1950年代の日本は、虚脱と飢餓の混乱期を経て、朝鮮戦争動乱の特需景気から、国際社会への復帰という激動の時代だった。
戦災を受けなかった京都、東京の中央画壇から隔絶していた関西で反骨の意気を示した「パンリアル美術協会」、「四耕会」、「デモクラート美術家協会」、「具体美術協会」などの活発旺盛な結社とその作家たちが、見る見る国内外から評価を得、脚光を浴びつつ、日本の戦後美術の動向に大きな影響を与えている。
なかでも、「デモクラート美術家協会」は、瑛九を中心に森啓、泉茂、吉田利次ら若手作家10名により大阪で結成されたグループで、その第1回展は1951年6月に大阪市立美術館で開催している。既成画壇、取り分け公募展組織への批判と反抗から生まれたこのグループは、東京と大阪でそれぞれ展覧会を開き、後に靉嘔、河原温、池田満寿夫、山中嘉一、吉原英雄らが加わった。
今回、当館のコレクションである泉茂、山中嘉一のデモクラート以降の版画作品を核に、デモクラート時代の泉茂、吉原英雄の作品を和歌山県立近代美術館から、吉田利次の作品を関係者からお借りし、会場構成を行った。












さてデモクラートとは、デモクラシーとアートを加えた合成語だ。因みに、デモクラートはエスペラント語で、民主主義を意味する。このグループは、久保貞次郎との交流を契機に果敢な版画制作を行っていたことが大きな特徴ともいえるだろう。
例えば、瑛九が泉茂へ宛た書簡からも、当時の版画制作の過程が窺える。「[前略]僕がことさらに技術について無知なのにかかわらず技術技術といふことを云ふのが馬鹿らしいからです。技術は表現したい精神の強さによって創造されたもので、今あなたがなやんでいるエッチングのやり方にしろ最初の人はすべて発見したものであることを忘れないで下さい。あなたはあまりにもオーソドックスなものになってしまった技術のケンイのまえにふるえて ゐますよ。すべて自分で発見し、カイタクするくらいの意気ごみが必要です。[後略]」(1953年11月20日付消印)
また泉自身も、その頃の思い出について興味深い講演をしている。「[前略]僕はこの時分レジェとエルンスト、これは全然傾向が違うんですけども、その二人が非常に好きで、ピカソとかマチスとかいうのよりも僕自身の内部では何となくもっと見たいと、もっと知りたいというんですか、それから絵のもっている野放図なスケールの大きさみたいなようなもの。それからエルンストは一種の正統的なシュールレアリストとしてのまあ発想。そういうようなもんに非常にひかれておったわけです[後略]」。(1980年3月、講演会「私の美術遍歴」『美術講演会・講座記録集 第2集』1982年3月)
1950年代の版画作品が、シュールレアリスム風の表現へ繋がっていることを裏付けている内容ではないだろうか。
1970年以降は、三角、四角、円といった幾何学的図形や雲形定規のレディメイドの形態を構成し、絵画化している。知的で撓やかな版画や瑛九と共に銅版画制作に腐心していた時代の珍しい泉茂の銅版(原版)を初公開するのも本展の特徴だ。
山中嘉一は、1998年に神戸アートビレッジセンターでシルクスクリーン制作について講演を行っている。「1968年、毎日現代日本美術展にキャンバスに刷ったシルクスクリーン作品を出品したが、『これは版画作品でなく、絵画である』といわれた」。当時は、版画は紙に刷るものだというのが通念だった。その通念を日本で塗り替えたのは、山中が初めてであろう。このように山中は、関西でいち早くシルクスクリーン制作を始め、長年にわたり多くの作品を発表。色彩の「平面性」を追求し続けた山中の水平・垂直のストイックな絵画空間は、独創的である。
昨年、主のいない吉田利次のアトリエを訪れた。<壁>(1948年)、<網を繕う男>(1965年)、<収穫>(1981年)などの油彩作品の迫力に圧倒された。
1960年前後の日本は、政治・経済の変動期でもあった。そんな時代に翻弄されながら、明日を信じて、人間と労働を表現することに心血を注いだ吉田の強固な絵画姿勢に深い感銘を受けた。デモクラートの中でも吉田の存在は、異色といって過言ではないだろう。
私が吉原英雄と出会ったのは、木版画家前田藤四郎の通夜の席だった。吉原は、初対面の私へ、「ここは、私の栄養補給地だった」とポツリ。「アトリエ中央の床が、一筋にてかつているでしょう。獣道ですよ」と話す吉原の眼に涙が。私も貰い泣きしてしまった。その席で、吉原作品について尋ねると、「絵画という静止画像の中でドンデン返しが出来ないか、それが僕のやりたい絵画です」と語ってくれたのが、今も忘れられない。
本展は、大阪から発足したデモクラートが東西の多彩なメンバーで、美術や文学などの在り方を探り、版画の普及にと、相互に切磋琢磨した軌跡を辿るものである。今私は、改めてデモクラート解散後のメンバー各自の活動こそが、真のデモクラートのスタートではなかったのではと考えている。
(さかうえ よしたろう)
*画像提供=BBプラザ美術館
●「関西ゆかりのデモクラートの作家たち~泉茂、山中嘉一、吉田利次、吉原英雄」
会場:BBプラザ美術館
会期:2018年 7月3日(火)~9月17日(月・祝)
前期:2018年 7月3日(火)~8月5日(日)
後期:2018年8月7日(火)~9月17日(月・祝)
開館時間 :午前10時 ~ 午後6時(入館は午後5時30分まで)
休館日: 月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
入館料:一般 400(320)円 大学生以下無料 65歳以上の方半額
※()内は20名以上の団体料金
※7/7(土)は開館記念日として入館無料
■主催:BBプラザ美術館・株式会社シマブンコーポレーション
■協力:大阪芸術大学短期大学部・和歌山県立近代美術館
~~~~
●今日のお勧め作品は、吉原英雄です。
《鏡の前》
1998年
銅版(雁皮刷り)
13.0x10.0cm
Ed.100
サインあり
※アートフル勝山の会エディション
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●『内間安瑆・内間俊子展』カタログ
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 図版:51点、略歴収録
テキスト:内間安樹(長男、美術専門弁護士/ニューヨーク州)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
編集:尾立麗子
編集協力:桑原規子
翻訳:味岡千晶、他
価格:税込800円 ※送料別途250円(メールにてお申し込みください)


●版画掌誌「ときの忘れもの」第04号もぜひご購読ください。
◆ときの忘れものは「内間安瑆・内間俊子展」を開催しています。
会期:2018年7月17日[火]―8月10日[金] ※日・月・祝日休廊
内間安瑆の油彩、版画作品と内間俊子のコラージュ、箱オブジェ作品など合わせて約20点をご覧いただきます。図録も刊行しました(800円、送料250円)。
○水沢勉「版の音律―内間安瑆の世界」(版画掌誌第4号所収)
○永津禎三「内間安瑆の絵画空間」
○内間安瑆インタビュー(1982年7月 NYにて)第1回、第2回、第3回

「関西ゆかりのデモクラートの作家たち」展に寄せて
坂上義太郎(BBプラザ美術館 顧問)




1950年代の日本は、虚脱と飢餓の混乱期を経て、朝鮮戦争動乱の特需景気から、国際社会への復帰という激動の時代だった。
戦災を受けなかった京都、東京の中央画壇から隔絶していた関西で反骨の意気を示した「パンリアル美術協会」、「四耕会」、「デモクラート美術家協会」、「具体美術協会」などの活発旺盛な結社とその作家たちが、見る見る国内外から評価を得、脚光を浴びつつ、日本の戦後美術の動向に大きな影響を与えている。
なかでも、「デモクラート美術家協会」は、瑛九を中心に森啓、泉茂、吉田利次ら若手作家10名により大阪で結成されたグループで、その第1回展は1951年6月に大阪市立美術館で開催している。既成画壇、取り分け公募展組織への批判と反抗から生まれたこのグループは、東京と大阪でそれぞれ展覧会を開き、後に靉嘔、河原温、池田満寿夫、山中嘉一、吉原英雄らが加わった。
今回、当館のコレクションである泉茂、山中嘉一のデモクラート以降の版画作品を核に、デモクラート時代の泉茂、吉原英雄の作品を和歌山県立近代美術館から、吉田利次の作品を関係者からお借りし、会場構成を行った。












さてデモクラートとは、デモクラシーとアートを加えた合成語だ。因みに、デモクラートはエスペラント語で、民主主義を意味する。このグループは、久保貞次郎との交流を契機に果敢な版画制作を行っていたことが大きな特徴ともいえるだろう。
例えば、瑛九が泉茂へ宛た書簡からも、当時の版画制作の過程が窺える。「[前略]僕がことさらに技術について無知なのにかかわらず技術技術といふことを云ふのが馬鹿らしいからです。技術は表現したい精神の強さによって創造されたもので、今あなたがなやんでいるエッチングのやり方にしろ最初の人はすべて発見したものであることを忘れないで下さい。あなたはあまりにもオーソドックスなものになってしまった技術のケンイのまえに
また泉自身も、その頃の思い出について興味深い講演をしている。「[前略]僕はこの時分レジェとエルンスト、これは全然傾向が違うんですけども、その二人が非常に好きで、ピカソとかマチスとかいうのよりも僕自身の内部では何となくもっと見たいと、もっと知りたいというんですか、それから絵のもっている野放図なスケールの大きさみたいなようなもの。それからエルンストは一種の正統的なシュールレアリストとしてのまあ発想。そういうようなもんに非常にひかれておったわけです[後略]」。(1980年3月、講演会「私の美術遍歴」『美術講演会・講座記録集 第2集』1982年3月)
1950年代の版画作品が、シュールレアリスム風の表現へ繋がっていることを裏付けている内容ではないだろうか。
1970年以降は、三角、四角、円といった幾何学的図形や雲形定規のレディメイドの形態を構成し、絵画化している。知的で撓やかな版画や瑛九と共に銅版画制作に腐心していた時代の珍しい泉茂の銅版(原版)を初公開するのも本展の特徴だ。
山中嘉一は、1998年に神戸アートビレッジセンターでシルクスクリーン制作について講演を行っている。「1968年、毎日現代日本美術展にキャンバスに刷ったシルクスクリーン作品を出品したが、『これは版画作品でなく、絵画である』といわれた」。当時は、版画は紙に刷るものだというのが通念だった。その通念を日本で塗り替えたのは、山中が初めてであろう。このように山中は、関西でいち早くシルクスクリーン制作を始め、長年にわたり多くの作品を発表。色彩の「平面性」を追求し続けた山中の水平・垂直のストイックな絵画空間は、独創的である。
昨年、主のいない吉田利次のアトリエを訪れた。<壁>(1948年)、<網を繕う男>(1965年)、<収穫>(1981年)などの油彩作品の迫力に圧倒された。
1960年前後の日本は、政治・経済の変動期でもあった。そんな時代に翻弄されながら、明日を信じて、人間と労働を表現することに心血を注いだ吉田の強固な絵画姿勢に深い感銘を受けた。デモクラートの中でも吉田の存在は、異色といって過言ではないだろう。
私が吉原英雄と出会ったのは、木版画家前田藤四郎の通夜の席だった。吉原は、初対面の私へ、「ここは、私の栄養補給地だった」とポツリ。「アトリエ中央の床が、一筋にてかつているでしょう。獣道ですよ」と話す吉原の眼に涙が。私も貰い泣きしてしまった。その席で、吉原作品について尋ねると、「絵画という静止画像の中でドンデン返しが出来ないか、それが僕のやりたい絵画です」と語ってくれたのが、今も忘れられない。
本展は、大阪から発足したデモクラートが東西の多彩なメンバーで、美術や文学などの在り方を探り、版画の普及にと、相互に切磋琢磨した軌跡を辿るものである。今私は、改めてデモクラート解散後のメンバー各自の活動こそが、真のデモクラートのスタートではなかったのではと考えている。
(さかうえ よしたろう)
*画像提供=BBプラザ美術館
●「関西ゆかりのデモクラートの作家たち~泉茂、山中嘉一、吉田利次、吉原英雄」
会場:BBプラザ美術館
会期:2018年 7月3日(火)~9月17日(月・祝)
前期:2018年 7月3日(火)~8月5日(日)
後期:2018年8月7日(火)~9月17日(月・祝)
開館時間 :午前10時 ~ 午後6時(入館は午後5時30分まで)
休館日: 月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
入館料:一般 400(320)円 大学生以下無料 65歳以上の方半額
※()内は20名以上の団体料金
※7/7(土)は開館記念日として入館無料
■主催:BBプラザ美術館・株式会社シマブンコーポレーション
■協力:大阪芸術大学短期大学部・和歌山県立近代美術館
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●今日のお勧め作品は、吉原英雄です。

《鏡の前》
1998年
銅版(雁皮刷り)
13.0x10.0cm
Ed.100
サインあり
※アートフル勝山の会エディション
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●『内間安瑆・内間俊子展』カタログ
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 図版:51点、略歴収録
テキスト:内間安樹(長男、美術専門弁護士/ニューヨーク州)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
編集:尾立麗子
編集協力:桑原規子
翻訳:味岡千晶、他
価格:税込800円 ※送料別途250円(メールにてお申し込みください)


●版画掌誌「ときの忘れもの」第04号もぜひご購読ください。
◆ときの忘れものは「内間安瑆・内間俊子展」を開催しています。
会期:2018年7月17日[火]―8月10日[金] ※日・月・祝日休廊
内間安瑆の油彩、版画作品と内間俊子のコラージュ、箱オブジェ作品など合わせて約20点をご覧いただきます。図録も刊行しました(800円、送料250円)。
○水沢勉「版の音律―内間安瑆の世界」(版画掌誌第4号所収)
○永津禎三「内間安瑆の絵画空間」
○内間安瑆インタビュー(1982年7月 NYにて)第1回、第2回、第3回

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