静謐な輝き―野口琢郎の箔画

島 敦彦


 金属の薄片を、箔という。とりわけ金は、叩いて薄く延ばせる性質(展性と延性)に極めて優れているために、金箔として流通し、日本では古来、仏像や建築、屏風や襖絵、工芸品などに、西洋でも宗教画の背景や額縁、祭壇の装飾などに、幅広く使われてきた。洋の東西を問わず、荘厳さや崇高さを演出する際には欠かせない色材である。
現代美術でも、イヴ・クライン(1928-1962)やジェイムズ・リー・バイヤーズ(1932-1997)、村上隆(1962-)ら、退色しない金の華麗な威光を活用した作品は少なくない。また、卑近なところでは、金箔付きのソフトクリームや金箔を散らした料理など食材にも用いられるし、人間に箔が付けば、その人の値打ちが上がる。いずれにしても、金箔を筆頭に独特な輝きを放つ箔は、稀少で高価であるだけでなく、非日常的で特別な感情を呼び覚ます効果がある。
 野口琢郎は、箔画を作る。箔画という言葉は、野口独自の造語で、そうした分野があるわけではない。漆を塗った木製パネルに箔を付着させることで画が成立するわけだが、表面に箔が付着しさえすれば、画がりっぱになるわけではない。たとえば、俵屋宗達(1570-1643)の《風神雷神図屛風》や尾形光琳(1658-1716)の《燕子花図屏風》は、金箔地の存在によって、時空を超えた世界観を示して、どこか近寄りがたい神々しい絵画空間を構築しているが、野口の箔画はそうした異次元の空間とは違って、むしろ日々の生活の中で感じる風情や感情をひっそりと残している点が魅力である。金箔・銀箔のみならず、銀箔をあえて硫化させて青味や赤味を帯びさせたカラフルな箔もふんだんに貼り込まれる。幾何学的な抽象性を帯びながらも、具体性を示唆する画面構成は、独特のリズムを刻んで、観る人を楽しませてくれる。
 野口琢郎は、1975年京都に生まれた。実家は、西陣の織物に織り込む平金糸を製造する老舗「箔屋野口」で、幼い頃から父親で四代目の当主である野口康の仕事を見て育った。であるから、箔は、野口自らが選んだ素材というよりも、すでに彼の身近にあり、特別な存在ではなかった。絵を描くのが大好きで、美術を専門にする京都市立銅駝美術工芸高等学校を卒業後、京都造形芸術大学で油絵を学ぶ。しかし、何を描くにしても、コンセプトを明確にすることを求められる大学の授業に馴染めず、在学中は写真部に所属し、写真に没頭した。そんなわけで、卒業制作はモデルを使って撮影した写真作品を提出したという。
 伝統工芸に限らず、家族経営による老舗の子供は、家を継ぐかどうか、ある年齢になると選択を迫られる。野口の兄は、東京で仕事を始めたために家を継がなかった。結果的に、野口琢郎が、箔屋五代目を担う可能性が出てきた。しかし、西陣織はもとより京都の伝統産業の多くが、後継者不足で、経営面でも窮地に陥りがちな状況であった。家業を継ぐ勇気がなかなか持てなかった。とはいえ老舗の息子として、西陣織の世界に一度は飛び込まねばと思い直し、1997年から三年弱、中小企業がいくつも分業体制で動いているさまざまな作業工程を飛び回って、いわば丁稚奉公のように勉強した。
 しかしその後も目標をなかなか見定められない中、もともと日本大学の写真科で学んだ経験を持つ父の勧めもあり、日本を代表する写真家東松照明(1930-2012)の助手を1年ほど経験する。もっとも、東松は当初から養子になるならいいけれど、弟子は取らないと固辞していた。しかし野口は、運よく試用期間を与えられ、特別に許可を得て、長崎を拠点に世界的な写真家の仕事ぶりをつぶさに観察することとなる。
 野口にとって、大学で油絵を描いたことも、西陣織の現場を体験したことも、東松と出会えたことも、本当に貴重な経験となった。一見回り道になったかもしれないが、その成果のすべてが目下注力している箔画の制作に活かされたと、野口はしみじみと感じている。初めて京都を離れ、長崎で一人暮らしをしたことも、生まれながら身近にあった箔を見直す契機になったに違いない。創作への意欲が湧いてきたのである。
 2001年から、本格的に箔画の制作に取り組み始めた。2002年に京都文化博物館で開催された公募展「第1回アミューズ・アーティスト・オーディションin京都」に初期の代表作《ウデへの妖精》(2002年)を出品し、グランプリを受賞、幸先の良いスタートを切る。
 しかし、この作品に登場する人物表現は、野口が目指す方向ではなかった。ウイーン世紀末の画家グスタフ・クリムト(1862-1918)が描く、金箔を多用する絵画と酷似してくることを避けたい気持ちもあった。クリムトのような豪華絢爛で神聖かつ妖艶な人間像を、野口は求めていなかった。ともかく、野口は人物を描かなくなる。ちなみに、クリムトの父は、金細工職人で、クリムトにとっても金は身近な存在であった。クリムトの二人の弟たちも、それぞれ金細工師と彫刻師になり、クリムトの仕事を手助けしたというから、野口とクリムト二人の親子関係を含めた比較はあらためて考えてみる価値があるかもしれない。
 さて、人物表現から離れた野口の箔画の主題は、一言でいえば、広い意味での「風景(Landscape)」に移行した。最も典型的な作風は、二種類ある。ひとつは、街路の俯瞰図を思わせる多彩なモザイク状の色面構成で、もうひとつは、水平線を挟んだ海景である。
モザイク状の作品は、野口自身がこれまで画集や美術館などで見てきた古今の抽象絵画や装飾のパッチワークともいうべき作風だが、たとえば高層ビル群が遠望できる《東京》(2017年)や大小の円が重なり合う「HANABI」の連作のように、具体的な風景に基づく作風もある。ただ、いずれも写生的な描写ではなく、心に刻まれた印象が幾何学的に形象化されている。しかし、いわゆる抽象絵画が目指されているわけではないという点は、色彩同士が共鳴し合い、隣り合う形象が喧嘩せずに共生する画面と向きあえば、おのずと了解できるだろう。
 箔の輝きも、クリムトのような華やかさとは全く異なる。むしろただでさえ輝いてしまう箔という素材の持ち味をいかに引き出し、どのように飼いならすか、どちらかといえば渋い色調に収束する方向で全体を整えようとしているように見える。その際に重要になる色彩が、灰色であり、石臼で細かく砕いた石炭の微粉末による黒色である。画面の周囲は、概ね黒く縁どられ、内部の道路と思しき区割りも黒で仕切られる。
 海景も重要な連作だ。野口によれば、沖縄で見た海にずいぶん触発され、その記憶がイメージの源泉になっているという。波打ち際に佇むと、誰しもどこか懐かしい感情に包まれる。打ち寄せる波の音に聞き惚れ、寄せては返す波の表情はどれだけ見ていても飽きない。何億年も前の人類の祖先もこうして海を眺めて過ごしたであろうし、そもそも人間は海中から地上に上陸してきた生き物の末裔に過ぎないのであって、野口も私たちもいわば自らのおもかげをそこに重ね合わせて見ているのである。
 海景では、空の色にも海に映る反射光にもヴァリエーションがある。両者が同じような箔の光できらきらと輝く場合もあれば、空が銀箔で海が金箔、空が赤い箔で海が銀箔、などなどさまざまだ。月の光なのか、太陽の光なのか判別できないところも実は面白く、どこかこの世の光ではないように感じられる点が、ひょっとすると海景の見どころなのではないだろうか。
 こうした二種類の傾向に加え、《I wish》(2017年)や《I unleash》(2014年)のように「I」で始まる作品は、題名がまず初めにあり、その言葉に触発されて制作された心象風景というべきもので、抽象性が高いものが多い。
 ところで、箔画の展示について一言添えておきたい。それは、照明の問題である。金箔に限らず、箔を多用した美術品が置かれる環境は、日本ではかつては畳を敷き詰めた和室であり、近代的な照明を想定していない場所であった。それゆえに箔は、障子を通して入る外からのわずかな光を室内に取り込む装置たりえていた。しかし、現代の展示室、特にホワイトキューブの中に箔画が展示された場合、高性能の照明によって陰影が失われ、箔の魅力が減じてしまう恐れがある。
 箔の輝きは、むやみに照明を当てても生じない。光の反射如何によって、画面が生き生きとする場合とそうでない場合との落差が、一般的な絵画よりも大きいのである。野口が制作に際し、いろんな角度から照明を当てながら、箔の形状や表面の処理に神経を使うのはそのためである。ひょっとすると、今後は自作をたとえば他の出品者の油絵などと一緒に並べることを避けねばならないかもしれない。和室に展示というわけにはいかないにしても、箔画のために何らかの設えというか、インスタレーションが必要になるだろう。
 最後に、箔画に限った話ではないが、画面を緻密かつ地道に埋める作品は、総じて全体のイメージが固くなりがちである。パウル・クレー(1879-1940)のような画家も、そうした陥穽に陥らないように工夫を重ねてきたはずだ。伝統工芸の技術を応用する場合、職人芸的な律義さが、絵として魅力を減衰させてしまうことが多々ある。悪い意味で、工芸的になってしまうのだ。野口琢郎は、こうした危険性を十分に察知しつつ、制作にあたっては絵がどうしたら柔軟に構築できるのか、きちっとした仕事の中にも遊びというか、余裕を失わないように注意している。少し私からの注文が多くなったかもしれない。ともあれ、これからも制作に大いに励んでもらいたいものである。
しま あつひこ・金沢21世紀美術館館長)

島 敦彦(しま あつひこ)
1956年富山県生まれ。1980年早稲田大学理工学部金属工学科卒業。1980-1991年富山県立近代美術館、1992-2015年国立国際美術館に勤務。2015-2017年愛知県美術館館長。2017年4月から、金沢21世紀美術館館長。榎倉康二、内藤礼、小林孝亘、OJUN、畠山直哉、オノデラユキの近作展のほか、「瀧口修造とその周辺」(1998年)、「絵画の庭̶ゼロ年代日本の地平から」(2010年)、「あなたの肖像̶工藤哲巳回顧展」(2013-2014年)を担当した。

野口琢郎展カタログのご案内
野口琢郎展_表紙600野口琢郎展カタログ
2018年
ときの忘れもの発行
24ページ
テキスト:島敦彦
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
本体価格800円(税込) 
※送料別途250円
(メールにてお申し込みください)


●今日のお勧め作品は、野口琢郎です。
6野口琢郎
Quiet hope
2017年  箔画/木パネル、漆、金・銀箔、石炭、樹脂、アクリル絵具
110.0×200.0cm  Signed

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

ときの忘れものは第303回企画◆野口琢郎展 を開催しています。
会期:2018年9月20日[木]―9月29日[土] 11:00-19:00 会期中無休
9月22日(土)17時よりレセプションを開催しますので、ぜひお出かけください。
展覧会カタログを刊行しました(テキスト:金沢21世紀美術館館長・島敦彦さん)。
作家は会期中毎日在廊します
野口展


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
12