橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」第2回

Cabinet de Curiosite(1989)


 「ときの忘れもの」の綿貫氏から、《Cabinet de Curiosite カビネ・ド・キュリオジテ、図1》の出品が急遽決まったと聞いたとき、あのどこまでも透明な、色の光だけで出来たかのような飾り棚が秋の日差しを受けて瀟洒な回廊を照らし出す光景が頭の中に広がった。それはまるで、ずっと夢の世界の中にいた飾り棚が現実世界への扉を開けて家の内部に赴き、鎮座したかのようだった。
《カビネ・ド・キュリオジテ》は、1989年11月にパリのギャルリ・イヴ・ガストゥ(Galerie Yves Gastou)で開催された個展のために制作され、やはり同展に向けてつくられたサイドテーブル《Blue Champagneブルーシャンパン》(1989)やピンクのアクリルブロックの花瓶(図2)とともに倉俣が本格的に着色アクリルに挑んだデザインである。
倉俣史朗Cabinet
図1
倉俣史朗
Cabinet de Curiosite(カビネ・ド・キュリオジテ)」 
1989年 アクリル 
190.0 x 46.0 x 46.0 cm
撮影:タケミアートフォトス

倉俣史朗Flower Vase #1302図2
倉俣史朗
Flower Vase #1302
アクリル
W11.0xD11.0xH21.0cm
撮影:桜井ただひさ

 倉俣とアクリルとの付き合いは長い。1963年に三愛のインハウスデザイナーとして、銀座4丁目交差点のランドマークとなる三愛ドリームセンターの店舗内装を担当したとき、大きなアクリルのショーケースをいくつもデザインして業界内の話題となった。そして、もっとも知られる彼のアクリル家具といえば、《プラスチックの洋服ダンス》(1968)である。これは、既成の木製の箪笥のパーツを透明アクリルで型抜きして組み立てたもので、収納の意味をなさない丸見えの箪笥として多木浩二を初めとする批評家を驚かせた。見せる収納が定着した今では考えられないかもしれないが、ほんの数十年前までは箪笥にせよ、何にせよ、決まった形式が必ず存在していたから、透明ダンスは非常識以外の何物でもなかったのだ。常識や慣例を逸脱したものに対しては、人々は思考を停止するか、あるいはアヴァンギャルドなものとして認めるかのどちらかだった。倉俣の透明ダンスは後者の反応を得た訳だが、それが彼にとって良かったかどうかは分からない。いつのまにかつくられてしまった「知的操作のデザイナー」という倉俣のイメージは、本人を随分と悩ませたからだ。
 話を《カビネ・ド・キュリオジテ》に戻そう。《ミス・ブランチ》(1988)も展示された1989年のパリの個展のパンフレットには次の倉俣の文章がフランス語に訳されて記された。これを読むと着色アクリルの素材に彼が込めた思いが伝わってくる。

バラの花の椅子〈ブランチ・デュボア〉に加えて
新たに数点製作した。

嘘、忘却、分裂の軌道の中で
この数点の素材は現時点9月5日でまだ
電気炉・真空タンクの中でひっそりと眠っている。
何が生まれるか、私にも解っていない。
かすかな夢の記憶をたよりにすれば
固体と液体の中間、
見えることと見えないことの間
在ることとないことの間
いや中間、間というより型の気体化か?(注1)

 タンクから出てきたものを磨き、濁りひとつない透明な色があらわれたとき、倉俣はどんなにか嬉しかったろう。当時、アクリルの成型はそれぐらい難しかった。《ミス・ブランチ》の制作も数度の失敗を経て1988年11月の東京デザイナーズウィーク’88の展示にぎりぎり間に合った、と聞いたことがある。
 そして、文章に何度も出てくる「間」という文字――これは、「あいだ」と読むのだろうか、それとも「ま」だろうか。倉俣は地口が大好きだったから、どちらでも良い気がする。「間(ま)」といえば、磯崎新が企画し、倉俣も参加した1978-79年のパリ装飾美術館における「間――日本の空間と時間」展も忘れてはならない。倉俣は同展の「はし」の部門の展示において、板ガラスを組み合わせただけのハードエッジ絵画のような作品を出品した。沖健次によれば、これは「はし」を「端=エッジ」に読み替えて、ガラスエッジの鋭利さを最大限に引き出そうとした試みである(注2)。確かに倉俣はガラスの断面が好きだった。1981年の長谷川堯によるインタビュー記事の中で、倉俣は、《硝子の椅子》(1976)を制作したときに、ガラスの断面が自分にとって「独特の表情を持つもの」になったと語っている(注3)。
 しかし、倉俣はアクリルの「断面」について語ったことはない。アクリルの場合は、「固体と液体の中間 見えることと見えないことの間…」なのだ。それが何であるのかは、この個展と同年に手がけられた東京・青山のヨシキ・ヒシヌマのブティック(1989)の着色アクリルのインテリアに関して倉俣が書いた文を読むとより一層明らかになる。

私の内部には空間の臨界点をどこかで無化しようとする意識、無意識の衝動があるらしく、床、壁、天井というインテリアの基本構成要素の存在を“見えなくする”という操作をよくします。このプロジェクトではアクリルの微妙な色とつかみどこのない存在感=あるいは非在感ともいうべき=を表出させたいと考えました。このアクリルたちには“音色”という言葉を想起させる、かろやかで音楽に近い解放感があります。いってみれば、音と物質の中間地帯のような…。(注4)

 そう、《カビネ・ド・キュリオジテ》の色アクリル――それもどこまでも透明に近い色のアクリル――は、「つかみどこのない存在感=あるいは非在感」なのだ。無色の透明アクリルと色のついた透明アクリルはあまりに美しく接着されているために、ピンクや黄緑色をした液体は気化して存在と非存在の「間」を彷徨う。
 さらに、ここに使われている「音色」も倉俣が好んで用いた言葉のひとつだ。1989年に手がけた福岡のホテル・イル・パラッツオ内のバー《オブローモフ》(1989)では色とりどりの着色アクリルがテーブルのトップや脚に使われているが、本人の弁によれば、多くの色を空間に浮遊させることで、「色から音を感じとること、色がはじける音、音が遊ぶ…」(注5)等を目論んだらしい。「音色」の視覚化の試みとでもいうべきか。
 とはいえ、倉俣の「音色」をめぐる思考はそう単純ではない。「音色」という言葉は、早くは1977年4月の『ジャパンインテリア』誌への倉俣による寄稿記事に登場する。毎号、執筆者が異なるコラム「色の空間」のために書かれた記事だが、どういう訳か、掲載された作例は無色透明の《硝子の椅子とテーブル》(1976)だった。しかし、書かれものを読むと「透明」と「色」が倉俣の世界ではつながっていることが見て取れる。というより、やはりこれも倉俣の「間」なのだろう。

   あるとき、屋外で硝子の椅子を撮影していたところ、子どもたちが集まり、<見えない椅子だ>とよろこんでいた。椅子という実体を認めながら、言葉の上では見えないという。このわずかな透き間に実は広大な宇宙を見る思いがする。光が物体にあたり色として表出するのではなく、光そのもののなかに渾然とした色を感じる。日本の言葉に音色というのがある。ぼくのもっとも好きな言葉である。透明な音の世界に色を見、感じるそのことにいちばん魅せられ、視覚的に確認できる安心さと、透いものから色を感じ、色を想う。このふたつの翌深な色の世界にイマージュする(注6)。

 確かに1989年まで彼の色の使い方はペイントされた壁やアルマイト加工の棒等、「光が物体にあたり色として表出する」例がほとんどだった。《カビネ・ド・キュリオジテ》を含む1989年の着色アクリルの作例は、1977年当時、彼がはからずも記した「光そのもののなかに渾然とした色を感じる」という文言をまさに具現化したのだ。
 その「音色」の世界に彼をいざなったのは、子どもたちが喜んで言ったという「見えない椅子だ」という言葉だろうか。倉俣が子どもの造形感覚の純粋さや鋭さを愛してやまなかったことはよく知られている。そして、そうした子どもの感覚は大人になって知識や偏見を植え付けられると自然に消えてしまうと彼は信じていた。それゆえ、倉俣は、自らの幼少時代の記憶をつねづね想い起しては、それを発想の糧にしていたという(注7)。 
 《カビネ・ド・キュリオジテ》にもおそらく彼の子ども時代の記憶が潜んでいる。「驚異の部屋」と訳されるこのフランス語の作品名は、15-18世紀にヨーロッパの王侯貴族が動植物や石等の珍品や標本を陳列した部屋を意味する。倉俣はこの用語を知ったとき、自分の子ども時代の抽斗の中身を想い出したのではないかと思う。1979年に彼は子ども時代の抽斗の想い出について次のように記しているのだ。

数年前、多木浩二氏に抽斗を好んで作る意味を問われたことがあります。子供の時、ごちゃごちゃした抽斗の中に探し求めていたものは、コマやメンコという物理的なものではなく、ひょっとして存在しない何かを探していたようであり、その延長上で抽斗が好きで作っていると答えました。今、この押入れについての記憶を想い出していた時、ふと感じたことは、自分自身の存在であったのではないかという気がしました(注8)。

 ゆらめく色の光りから、子どもたちの声が聞こえては遠ざかっていく。《カビネ・ド・キュリオジテ》は倉俣自身なのだ。
はしもとけいこ) 

注1:1989年11月8日‐11月30日にパリ6区の12, rue BonaparteにあるGalerie Yve Gastouで開催された展覧会のパンフレット用に倉俣がしたためた文章。A4版1枚のパンフレットの表裏には、この文章の仏語版(前田宏訳)のほかにテネシー・ウィリアムズの回想文「『欲望という名の電車』の映画について」、田原桂一撮影による《ミス・ブランチ》の写真、前田宏による《ミス・ブランチ》のスケッチが掲載された。
注2:沖健次「倉俣史朗が追い求めたイメージと素材」21_21 Design Sight編『倉俣史朗とエットレ・ソットサス』ADP(Art Design Publishing)、2010年、114頁。
注3:長谷川堯「倉俣史朗が語る ガラスあるいは浮遊への手がかり」(倉俣史朗へのインタヴュー)『SPACE MODULATOR』1981年2月号(no. 58)、6頁。
注4:倉俣史朗「Boutique YOSHIKI HISHINUMA」『It’s PRACTICE 空間の演出に見る素材の研究21題』INAX、1991年、90頁。
注5:倉俣史朗「オブローモフ」『Hotel IL PALAZZO A City Stimulated by Architecture』六耀社、1990年。
注6:倉俣史朗「連載=色の空間=8 倉俣史朗」『ジャパンインテリア』1977年4月号(no. 217)、51頁。
注7:倉俣が、デザインの発想を自らの子ども時代の記憶から得ていることを記した記事は数多いが、たとえば次の記事がある。倉俣史朗「空感・雑感・実感」『ジャパンインテリア』1976年10月増刊号、137頁。倉俣史朗「日々の仕事の中で」『デザインエイジ』1976年12月号(no. 19)、10-11頁。
注8:倉俣史朗「押入れの中の記憶 押入れでふと思い出したこと」『モダンリビング』No. 2(1979年)、162-163頁。

橋本啓子
近畿大学建築学部准教授。慶應義塾大学文学部英米文学専攻、英国イースト・アングリア大学美術史音楽学部修士課程修了後、東京都現代美術館、兵庫県立近代美術館学芸員を務める。神戸大学大学院総合人間科学研究科博士後期課程において博士論文「倉俣史朗の主要デザインに関する研究」を執筆。以来、倉俣史朗を中心に日本の商環境デザインの歴史研究を行っている。神戸学院大学人文学部専任講師(2011-2016)を経て、2016年から現職。倉俣に関する共著に関康子、涌井彰子ほか編『21_21 DESIGN SIGHT 展覧会ブック 倉俣史朗とエットレ・ソットサス』東京:株式会社ADP、2010年(「倉俣クロニクル」執筆)、Deyan Sudjic, Shiro Kuramata, London: Phaidon Press, 2013(Book 2: Catalogue of Works全執筆)、埼玉県立美術館・平野到、大越久子、前山祐司編著『企画展図録 浮遊するデザイン―倉俣史朗とともに』東京:アートプラニング レイ、2013年(エッセイ「倉俣史朗と美術」執筆)など。

*画廊亭主敬白
倉俣史朗研究者の橋本啓子先生に「倉俣史朗の宇宙」と題してエッセイの連載をお願いしています。次回第3回は12月12日に掲載の予定です。以後毎月12日に更新します。どうぞご期待ください。

●今日のお勧め作品は、倉俣史朗です。
倉俣史朗花瓶倉俣史朗
Flower Vase #1301」(バイオレット)
アクリル
W8.0xD8.0xH22.0cm
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ときの忘れものは倉俣史朗 小展示を開催しています。
会期:2018年10月9日[火]―10月31日[水]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
倉俣史朗(1934-1991)の 美意識に貫かれた代表作Cabinet de Curiosite(カビネ・ド・キュリオジテ)」はじめ立体、版画、オブジェ、ポスター他を展示。
国内及び海外での倉俣史朗展のポスターはベストコンディションのものを出品しています。
また倉俣の作品集、書籍、カタログ、雑誌等も多数用意しました。
同時代に倉俣と協働した磯崎新安藤忠雄の作品も合わせて ご覧いただきます。
ブログでは橋本啓子さんの連載エッセイ「倉俣史朗の宇宙」がスタートしました。
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◆ときの忘れものは「Art Taipei 2018」に出展します。
taipei18ロゴ会期=2018年10月26日[金]~10月29日[月]
会場:Taipei World Trade Center Hall One
ときの忘れものブース:S11
公式サイト:http://2018.art-taipei.com/
出品作家:葉栗剛野口琢郎木原千春作元朋子倉俣史朗安藤忠雄磯崎新光嶋裕介ル・コルビュジエ


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊ですが、次回企画の光嶋裕介新作展(11月8日ー11月18日)は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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