石原輝雄のエッセイ「マルセル、きみは寂しそうだ。」─7

親しげな影

展覧会 没後50年 マルセル・デュシャン特集
     京都国立近代美術館4階コレクション・ギャラリー
     2018年10月16日(火)~12月16日(日)

東博から戻って2週間、今度は京近美で同館所蔵のレディメイド(シュワルツ版)を中心としたデュシャンの関連展示『没後50年 マルセル・デュシャン特集』が始まった。一年間続いた『泉』祝祭100年の後だけに、どのような切り口で見せてくれるのか、東博との関連から独自性を発揮できるのか、初日を待って足を運んだ。

MD7-01デュシャンのレディメイドなど、壁面左に森村泰昌作品


 いつもの常設展示室に入るとエコール・ド・パリの藤田嗣治、キスリング、ユトリロ、シャガールピカソなどの作品とマン・レイケルテスアジェなどの写真が並ぶ。見慣れた同館の所蔵品と共に初見となる寄託作品も多く、藤田の油彩9点などは個人や企業の所蔵と思うが程よい大きさで好ましい(欲しいと云う意味になりますが)。丁度、19日(金)から開催される『没後50年 藤田嗣治展』(1886-1968)と連係させた「パリに集まった芸術家たち」と題するコーナーで、デュシャンに至る動線として良い按配。
 丸天井の部屋に入ると、遠近法を意図したかのようにレディメイドが置かれている。前回までの『泉』祝祭100年に引っ張れすぎた感のあった日用品が、それぞれ場所を得て生気を取り戻した印象。肩の力が抜けてとても優しい空間となっている。森村泰昌の大判カラー写真『だぶらかし(マルセル)』(1988)からの視線が過度でなく、わたしにとっての同時代を演出するからだと思った。部屋を見渡すと入り口側にブレッソンやケルテスなどの写真の他、カッサンドルのポスターに加えてトーマス・シュトゥルートによる『メデューズ号の筏』を展示するルーヴル美術館の一室を撮った森村よりも大きいカラー写真が掛けられている。遭難事件を主題に選び「世間の関心」を一心に集めた28歳の画家・ジェリコーへの「賞賛と非難」は、『泉』が登場する100年前の出来事。同年齢の頃のデュシャンは『折れた腕の前に』にサインをし、2年の後には『泉』事件を手配するに至る。「非難」の側と思われるルーヴルの観客にわたしたちを重ねるのは容易く、ここ京都で『泉』に助けを求めるわたしたちに、注意喚起しているのは間違いない。

MD7-02 (左から以下同) トーマス・シュトゥルート『ルーヴル美術館4, パリ』、影(帽子掛け)、『トランクの中の箱』(部分)

MD7-03影(瓶乾燥器)、『三つの停止原器』(部分)


 『泉』の前に100年があり、『泉』の後にも100年があった。今はまた、その続き。改めて指摘する事柄ではないが、レディメイドが並ぶ展示台の前で立ち止まり、30歳前後の才能と出会いたい(わたしたちの時代に100年を越えて問題提起する人間の仕事が生まれているのだろうか)と思案した。美術に関心を寄せる人々も、アイドルを追いかけるファンと同じように、アイドルの重ねる年齢とともに高齢化し時代を後にする。デュシャンピアンも実際のデュシャンと出会った第一世代から、熱く影響を語りかけられた第二世代、そして今は第三・四世代に移って、それぞれのデュシャンをどこに見るのかと云う現実的な場の混乱に、悩みを持っていたのだが、ここ京都に置かれているレディメイドの経年変化が、第二世代のわたしにドンピシャであるのは、他の人に判ってもらえるだろうか。
 東博で見たばかりの『秘めた音で』(1916)のオリジナルと京近美レプリカとの差異、『泉』のジャニス版とシュワルツ版の差異など、1988年に当時「常設展示室7」と呼んだこの場所で出会ったシュワルツ版が原体験となっている身には、回帰する懐かしさに目頭が熱い。『泉』祝祭100年の連続展示の期間には持たなかった感情なので、東博でデュシャンの油彩を観た影響が強く働いているのだと思う。デュシャンの投げかけた禅問答のようなものは、どこか別の場所に置きつつ、家族の物語、人の一生に出会っている感覚。それらが上手く美術史の文脈にからめて展示され、デュシャンも孤高の人ではなくて、時代や友人とともに居ただろうの感を強める。壁に映し出されるレディメイドの影を見ながら、これはレイヨグラフのネガではないかと、幾枚かの写真を撮った。

MD7-04『秘めた音で』オリジナルは全体的に経年変化で黒く、特に麻ひも部分が顕著

MD7-05『泉』欠損あり


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MD7-06影(帽子掛け)

MD7-07影(自転車の車輪)

MD7-08影(旅行用折りたたみ品)


 この後は、常設展示室で影ばかりに目が行った。ある程度の館内撮影は許されているので、影の解釈からデュシャンに接近。パチリ、パチリとやっていると実に気分がよろしい、ひょっとして、写真に撮られる事を想定した展示配置、「インスタ映え」に向くのかしら。これだけを目的とすると、「目頭が熱い」ことからは遠ざかるのだけど、新しいファンは必要なのだろうな。東博の広報などに接すると美術のポピュリズム傾向の顕著さに恐れおののく。見てくれさえすれば「デュシャンの謎」が世界の真実を開くと言いたげ。でも、先日、会ったフランス女性は「デュシャンは単純」と作品への否定的な発言をしておられた。アルコールの席での事柄なれど人それぞれ。わたしの若い友人たちは、「デュシャン大好き、格好良い」と高校生の頃から口に出していたのだけど、これもまた、人それぞれ。

MD7-09影(パリの空気50cc)


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MD7-10デュシャン他、常設展示室


 デュシャンピアンは日本に多い。「禅」との関係なんて、まさしくデュシャン的。侘び寂びの世界、茶と華の道は、デュシャンの物質観、人生観、エロティシズムに繋がる。この点で東博の「日本美術」関連は、「大ガラス」の透明シート印刷などカタログの書容設計は良かったのだけど、展示については消化不良でいただけなかった。花入や器や掛け軸、蒔絵箱などが、デュシャン作品と並陳されていたら、それぞれの良さと弱さが如実に現れて、フィラデルフィアを「聖地」と形容するような「デュシャンしゃん」君では、この緊張には耐えられないだろうと同情した。
 この点で、エコール・ド・パリの同時代作家たちの作品と共に置かれた、京都での展示はあっぱれで、近年のデュシャン解釈の王道を示しているように思われた。展示室のどのあたりからデュシャン特集になるのか判らないのがよろしい。なだらかにキュビスムを抜ける感覚の後にエルンストの油彩やコルビュジエの色彩があり、特集の中にはマン・レイの『糊の時代』とピカビアの『機械的構図』が、『折れた腕の前に』が描く影と共演する一角も---喧騒のニューヨーク・ダダが、アトリエに影を投げかけている様子。雑誌発行時のそれぞれの年齢はデュシャン34、マン・レイ31、年長のピカビアは42だった。

MD7-11影(折れた腕の前に)、ピカビア『機械的構図』、マン・レイ『糊の時代』


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 さて、京近美常設展示の括りは『没後50年 マルセル・デュシャン特集』。自宅に戻りグーグルマップの3D映像を開き、フランス西部の都市ルーアンの大聖堂を望む丘陵に位置するルーアン記念墓地に近づきビューを傾斜させながら、眠っている人の「さりながら死ぬのはいつも他人である」と云う墓碑銘を読んでいる(つもり)。わたしもまた、どこに眠るのか、拡大や縮小を加えながら2018年の画像に、美術館での影を重ねてしまう。50年の節目に意味があるか否かも含め、瀧口修造が残した「しかし限りある生に対して、死のなんと長いことだろう」と云う思いは、冬の近づくノルマンディーでも同じだろう。『泉』祝祭100年、没後50年と続くデュシャン・フィバーの動きが、フェルメールや藤田嗣治や東山魁夷などの展覧会がひしめく秋の日本で、どのように大衆に受け入れられるのかと気になりながら、京博の『京のかたな』展の方がマシかと思ったりした(関係ないけど)。
 油彩の多くが鑑賞出来なくなるフィラデルフィア美術館を気遣(関係ないのは、こちらの方が強いけど、不在期間の182室では『デュシャン家族展』を開催)っていたら、「2019年8月迄に、ほとんどのデュシャン・コレクションが東京、ソウル、シドニーと巡回展示されて不在となるのを心配しないで下さい。『大ガラス』と『遺作』はそのまま留まり、作品の方もいつでも、オンラインで検索が可能です」と現地メディアが伝えている。肉体の伴わない美術鑑賞は、ゲーム感覚の快楽、終わりがなく、死を早めることだろう。

MD7-12『トランクの中の箱』(部分)

MD7-13『ローズ・セラヴィよ、なぜくしゃみをしない』(部分)


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MD7-14『フレッシュ・ウィドウ』(部分)


 どうして、デュシャンの人生を知ってしまうと「禅問答」に身を置きたくなるのだろう。このわたしでさえ、先達の残した言葉に思いをはせる。デュシャン本の読解は頁を広げたり、閉じたりの繰り返しで心もとない---としても。1978年に自由が丘画廊で催された『マルセル・デュシャン小展示』の折のリーフレットに、デュシャンと身近な第一世代の瀧口修造が「なんと近づきがたく、なんと親しげな存在。その全作品・・・を一堂に眺めることは、もういろんな意味で不可能になった」と寄せた言葉を再び広げながら、「微笑みかけるのを待つ」と続く死者への思いが、40年後の京都であるとしても、レディメイドの影に潜んでいると感じてならない。
(いしはら・てるお)

石原輝雄「マルセル、きみは寂しそうだ。」
第1回(2017年6月9日)『「271」って何んなのよ』

第2回(2017年7月18日)『鏡の前のリチャード』

第3回(2017年9月21日)『ベアトリスの手紙』

第4回(2017年11月22日)『読むと赤い。』

第5回(2018年2月11日)『精子たちの道連れ』

第6回(2018年10月8日)『エロティックな左腕』

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●今日のお勧め作品は、マルセル・デュシャンです。
RIMG1350_600瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI『マルセル・デュシャン語録
1968年 A版(限定50部)
各作家のサインあり
発行:東京ローズ・セラヴィ
刊行日:1968年7月28日
販売:南画廊
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TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別、送料別途)


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
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