中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第25回
福井県大野にCOCONOアートプレイス開館
COCONOアートプレイス「常設展(路地スペース、オモヤギャラリー)/企画展:キムラリサブロー NYアトリエより」
今回の取材先は、福井県大野市である。瑛九の作品の多くは、制作の拠点としていた出身地宮崎県と晩年にアトリエを構えた埼玉県内の美術館に集中している。しかし、これらの土地から遠く離れた大野市に、なぜ瑛九の作品があるのか。2日間の取材で知り得た情報は、ほんのわずかに過ぎないが、福井県勝山市在住のコレクター荒井由泰氏の協力により、たいへん有益な情報を得ることが出来た。順を追って紹介していきたい。
福井県ではじめに訪れた取材した先は、2018年3月にオープンしたCOCONOアートプレイスである。120年前に建てられた明治後期の木造一部二階建ての建物で、長い間、書店兼住宅として活用されていた。しかし、所有者であった宇野家の当主が逝去し、建物は市へ遺贈するかたちとなった。
COCONOアートプレイスの外観。越前大野城の城下町にある。重厚感を宿しながらも、整然と並ぶ細身の柱が軽やかな印象を与えている。
古民家をリノベーションする取り組みは、全国各地で行われているものの、行政機関が介入している事例は、まだそれほど多くはないだろう。伝統を重んじながらも、チャレンジ精神を持つ地域性があるようである。とはいえ、オープンまでの経緯を伺うと、中々一筋縄ではいかなかったようである。大野市教育委員会生涯学習課文化振興室の亀谷聡美氏に詳しく伺った。
遺贈された当初、特に使用目的は定まっていなかったが、ちょうどこのとき市政施行60周年の記念事業の一環として亀谷氏が企画した「市民所有の絵画展―越前おおの 現代アートの礎」展(2014年10月11日~10月26日、会場:越前おおのまちなか交流センター・福井県大野市)が好評を博し、展覧会の閉幕を惜しむ声があがっていたという。そのため、持続的に利用できる展示施設の必要性を感じていた矢先であった。展覧会を開催した前例があったことや、市民の声も重なって、建物の活用方法に関しては、早くに決定したという。
2016年7月に公募型プロポーザルで設計事務所の選定し、工事に着工したのは2017年4月、恐らく完成までの2019年1月の間には、様々な押し問答を繰り返していたことが予想され、亀谷氏は行政の立場でありながら、建築家の意見に寄添って、ギャラリーとしての設備を整えることに身を削っていたと思う。
展示室へ続く入り口。木目や色味の異なる羽目板が乱立したかたちで配置されている。亜麻色の木肌がやがて褐色に変化することを見越した設計で、建築家中西ひろむが長く親しめるように特にこだわったところだという。
「オモヤギャラリー」の展示風景。正面には泉茂の大作があり、オノサト・トシノブ、靉嘔、瑛九、池田満寿夫の作品も一堂に展示されている。
こうして並べて展示してみると、同時代に活躍する芸術家の作品が瑛九の抽象表現と似通う部分が見えてきたと、亀谷氏は語る。
COCONOアートプレイスの展示物は、ほぼ大野市民が所有する作品である。収蔵庫は、この建物内にはなく、大野市が所有する建物の一室に別置しているという。展示替えの前には、亀谷氏がキュレーションして、各個人との出品交渉を進め、展示をするときには、一時保管場所と展示室を往復している。
次に紹介するのは、瑛九の作品である。今回は、全ての作品が個人蔵ということもあり、2011年に開催された「生誕100年記念 瑛九展」(会場:宮崎県立美術館、埼玉県立近代美術館、うらわ美術館)に掲載されている「瑛九 油彩画カタログレゾネ1925-1959」を併せて参照した。こちらは、宮崎県立美術館元学芸員である高野明広、小林美紀の編集によるものであるが、1970年に「福井瑛九の会」の山崎巧、堀栄治が制作した写真アルバム「福井県内にあるEi Q(油)作品目録」、および山田光春が東京、埼玉、栃木、福井、宮崎等に点在していた作品を調査して1977年に制作された「瑛九油絵作品写真集」をベースにまとめられている。とにかく、足で稼ぎ、頭を下げるばかりの根気のいる基礎調査であったと想像するが、たいへん重要な仕事で、今後も継続してゆく必要があると、個人的に思っている。
各記録の作品収録数を見ると、以下のとおりである。
山崎巧、堀栄治編「福井県内にあるEi Q(油)作品目録」1970年:92点
山田光春編「瑛九油絵作品写真集」1977年:482点
高野明広、小林美紀編「瑛九 油彩画カタログレゾネ1925-1959」2011年:555点
朝露に濡れた花畑の中にいるような作品。瑛九《(作品名不詳)》、1959年、油彩・キャンバス、45.5×53.0、左下に「Q/1959」のサインあり。〔レゾネNo.531〕
透明感のある四方に広がる縞模様と気泡のような丸い円は、ビー玉をのぞき込んだ時のイメージと重なる。瑛九《(作品名不詳)》、1957年、油彩・キャンバス、45.5×33.3、左下に「Q Ei/57」のサインあり。〔レゾネNo.400〕
画面全体を使って、色の効果を確かめているような作品。よく見ると、無彩色である黒が円形で、その他の有彩色は、中心部より少し左斜め上の地点から放射線状に細かいストロークで筆を入れている。瑛九《黄に向かう黒》、1958年、油彩・キャンバス、41.0×31.8、左下に「Q Ei/1958」のサインあり。〔レゾネNo.483〕
瑛九《青の中の赤と黒》、1958年、油彩・板、24.2×33.3〔レゾネNo.449、《青の中の赤と黄》〕
瑛九《散歩》、エッチング・紙、1952年制作の後刷り(林グラフィックプレス、ed.1/60、Q Eiスタンプ)
実は、大野市では、1958年3月に第1回の瑛九頒布会を堀栄治が行われている。同年5月に第2回、翌月の6月には第3回、7月には第4回が開かれた。晩年の作品数の多さは、大野市の堀の支えが瑛九の力になっていたと推察される。
こちらは、すべて池田満寿夫の作品である。青い画面の《風の中の船たち》に見られる紙吹雪を散らしたような画面は、1958年の瑛九が制作した一時期の作品を彷彿とさせる。
床面をみると、石がコンクリートから頭を出している。家屋の特徴を残す試みがそこかしこにあるため、来場したときに建物の端々も気に留めてほしい。
回廊の展示風景。北川民次の作品がある。福井県の小コレクター運動で特に手腕を振るっていた堀栄治は、瑛九に執心した人物として知られ、オークションで北川民次の作品ばかり人気があることに憤慨し、「瑛九の作品以外は買わない」と宣言し、所有していた民次の作品30点余を底値で手放したエピソードが残っている。
向かって左は、瑛九《自転車》、水彩・紙、制作年不詳。過去に紹介したように、瑛九は自転車をモチーフにすることが多い。赤と黄の自転車が重なり合うように描かれている。キラキラと輝く新品の自転車から赤さびた自転車へと変わりゆく様を描いたのか。
右は、今回唯一の印画紙による作品である。瑛九《(作品名不詳)》フォトデッサン、制作年不詳で、何れも表面にサインは見当たらない。
こちらは、「ハナレギャラリー」。靉嘔とオノサト・トシノブの作品が展示されている。戦地から復員したあとのオノサト・トシノブの作品を真っ先に落札したのは、先にも紹介した福井の堀栄治等であったという。不遇な立場の芸術家を見ると、いてもたってもいられない性格であったのかもしれない。
ところで、今年3月にオープンして、第1回目に展示された作品は、恐竜をモチーフにした靉嘔の作品シリーズであった。実は、靉嘔と福井は小コレクター運動が行われていた1950年代後半から長い付き合いがあり、恐らく福井で一番作品の所有率の高い作家のようだ。例えば、靉嘔の《そよ風の九頭竜湖》(1989年、シルクスクリーン)という大野市の風景を作品化したものがある。こちらは、大野市が「街角に文化のかおりを」というスローガンを掲げて「BOXギャラリーを作る会」を発足し、街中の公衆電話BOX30ヵ所に実物の作品を掛ける取り組みを行った当時の作品であるという。また、福井で活動をしていた刷り師助田憲亮の存在も大きい。靉嘔は刷り代として助田に作品を託していたため、助田は作品を売却して資金を得ていた。そのため、大野市内に多くの作品が所有されることになり、結果的には、市内で最も著名な芸術家になった。
「蔵ギャラリー」にはキムラリサブロー(木村利三郎)のコーナー。ここが一番広く、企画展示室として使用されているところである。多くの美術館では漢字表記が多い中で、大野市では、キムラリサブロー、リサさんと親しみを込めて呼んでいる。亀谷氏によると、晩年になっても大野市と付き合いがあり、ニューヨークから足を運んでいたようである。大野市長に5点の作品を広げて見せ、その場で気に入った作品3点を選択させて寄贈したという、ユニークなエピソードも残っている。
木村利三郎のご兄弟木村秀夫の協力のもとニューヨークで制作された再晩年の作品が展示された。目が覚めるような鮮やかなシルクスクリーンである。
この地域にみられる二重構造の屋根。積雪が多くて寒さの厳しい地域ならではの建物である。元は2階建てで、2階部分を収蔵スペースにする計画もあったようだが、1階部分の天井を抜いて広い空間が作られた。
引き戸はそのままになっているが、違和感はなく、とくに作品の鑑賞を妨げていない。このギャラリースペースには、キムラリサブローの作品22点が展示されている。
この場所では、地元の造形作家の展示を行う計画もあるようで、今後の活動も楽しみである。
ときにイベント会場にもなるカフェスペースやミュージアムショップもある。
靉嘔の作品が回廊にもかかっている。この後方には映像コーナーがあり、右手側は、ガラス張りで中庭を臨むことができる。
青々と茂る芝生が印象的な中庭。母屋と蔵を繋いで、回遊型の広々とした空間を確保していることが分かる。
大野市民が作品を所持している状況について、亀谷氏に話を伺っていたら、おおよそ次のようなことが分かってきた。①特に置く場所に不自由しているわけではない、②著名な芸術家の作品をコレクションしているという意識よりも、一種の人付き合いとして作品を購入している、③内気な人が多く、作品を積極的に他人に見せる機会がない、④作品に対する思い入れが強く、手放さない
以上のことを反映したメッセージが、建物の名称「COCONOアートプレイス」に秘められている。
建物の名称の「COCONO」については、「COLLECTOR」(収集家)と「COMMUNITY」(共同体)の言葉に「ONO」(大野)を連ねて、「ここの」(此処)という響きでまとめられている。ギャラリーやミュージアムという枠に収まらずに、皆が集う場所でありたい、「ここ(COCO)が大野(ONO)のアートの場である」という意味が込められている。
個人蔵の作品を集めた企画は、一般的に実現するのが難しい。作品を持たない展示施設として国立新美術館を挙げられるが、借用先は公立美術館が圧倒的に多く、個人としても画廊あるいは作家から借りる例ばかりで、複数のコレクターから借りる例はあまりない。これは、作品を所有している市民がいて、その所有者と市の職員との関係が近い大野市独特の風土であるからこそ、実現可能な展覧会のシステムである。
大野市民は世間の評価に関わらず、長いあいだ作品に愛着を持って所有してきたことが伺えて、上記の市民生活をよく留意した上ではじまった事業であることが分かった。一般的な日本の公共美術館が設立された経緯としては、芸術家を含む有識者が建設運動を起こすケースや、80年代の建設ラッシュに便乗して美術作品の展示スペースを施設するケースがほとんどである。しかし、大野市は、他の地域と明らかに異なり、すでに地域住民が作品に親しみを持っているばかりか、作品を保有している人もいる。
他の地域に見受けられる小規模な市立のギャラリーであっても、展覧会を持続的に行うために、専門員もしくは学芸員資格を持つキュレーターと複数の事務職員が常駐するところが増えてきている。展示を行うとなれば、所蔵先との出品交渉の他にも、必然的に日々の建物の維持管理・運営とイベントの企画、広報活動も併せて行う必要もある。おそらく、大野市の様々な要望に応えるために人的な確保は必要になってくると思う。
とまれ、大野市には、戦後の美術家の生活を支えたコレクターや、作品をたのしむ豊かな心を持つ人がいた。久保貞次郎がはじめた小コレクター運動は、いくつかの都市部を中心に地域的な広がりを見せたが、最も定着した地域はここ福井県大野市である。通常は「市民-行政-芸術家」という構造であるが、大野市は「芸術家-市民-行政」という画期的で模範的な構造も併せ持つ。このような垣根を超えて互いに助け合う関係性については、展示施設を持つところは学ぶところが多いかもしれない。
なお、この取材には、大野市教育委員会生涯学習課文化振興室中村りえ子氏・亀谷聡美氏、荒井由泰氏、黒原繁夫氏にご協力をお願いした。皆さんに感謝を申し上げたい。
***
ちょっと寄道…
向かって左が福井を案内してくださった勝山市在住のコレクター荒井由泰氏。右がCOCONOアートプレイスになる前の住人黒原繁夫氏。勝山市と大野市は隣接していながら、それぞれ異なる町の発展の仕方をしている。両者は、アートを通じて、それぞれの土地のモノを生かした交流ができる場を創出したいと考えている。共に過去の福井県で行われた美術関係の資料を持参されて、やる気十分といった様子であった。
黒原氏は、元は福井放送のテレビ制作に携わっており、ナム・ジュン・パイクが1986年福井県の永平寺を訪れて「メイド・イン・永平寺」を制作したときの様子を記録化している。そのときの映像などは、韓国の「ナム・ジュン・パイク・アートセンター」にも収められている。「またテレビ制作をしたい」、「アートプロジェクトを観に行っている」と静かに語る黒原氏。新たな芸術家支援の取っ掛かりをつかむべく探っているところだ。
荒井氏は、既に「アートフル勝山」というコレクターや芸術家を招いた展示会等の活動を行っており、今年、大野市がアートを活用した事業をはじめたことで、勝山と共にさらなる人の集客につながることを実施したいと考えていた。荒井氏は、ときの忘れもののブログにエッセイ を度々寄稿しているため、参照してほしい。黒原氏はナム・ジュン・パイクだが、荒井氏は、1984年福井県に訪れたバルティスを白山平泉寺まで案内したという。
福井に誰もが知っている巨匠が2人も訪れているというのは、驚くべきことである。作品を制作する人にとって、何か惹かれるものがあるのかもしれない。土地のモノを生かし、世界からも注目される街づくりを目指してほしいと思う。
この場所は、新しく2018年4月にオープンした交流館「popolo.5」にある発酵食料理の「つばめ食堂」である。健康と美容に効果があり、女性の来店が多いという。
大野市内の蕎麦屋「そば処 梅林」に入ると、店内に靉嘔とキムラリサブローの作品がかかっていた。おろし蕎麦と醤油カツ丼をセットでいただくのが、おすすめだという。福井では、おろし蕎麦ともう一品つけるのが地元ならではの食べ方のようである。
何気なく泊まった大野市内の天保元年創業の旅館「俵屋」に鶴群像図屏風が置かれていた。描かれている69羽の鶴は、ひとつとして同じ姿はなく、羽毛の色・模様が一羽ずつ異なっている。19世紀後期狩野派の絵師によるものだろうか。以前は両替屋、問屋(魚・酒)、呉服屋なども営んでいたが、いつどのようにして入手したのかは不明であると女将さんは語る。この日、朝方はあいにくの雨で、城下町の散策は出来なかったが、宿泊先で思いがけずに鶴の大作が見られて、すっかり気分が舞い上がってしまった。
続きは、また次回に持ち越したい。
(なかむらまき)
●企画展のお知らせ


「常設展 (路地スペース、オモヤギャラリー)/企画展:キムラリサブロー展 NYアトリエより」
会期:企画展2018年7月21日~10月14日【終了】/常設展一部展示替えあり
会場:COCONOアートプレイス
休館:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
時間:9:00~17:00
大野市には優れた絵画がたくさんあります。家の玄関や居間に、店先や学校に、さりげなく飾られていたり、押し入れや倉庫に大切に保管されていたりします。/これらの絵画は、1950年代から展開された「小コレクター運動」により購入したものをはじめとし、その後の画家と大野人の繋がりの中で手に入れたものも少なくありません。/暮らしに美術を根付かせるとともに、実力がありながら不遇な位置にいる画家を支援するという目的をもった「小コレクター運動」は、大野市内に広くゆきわたり、市民と芸術とのかかわりを深いものにしました。
市民が所有している絵画の多くは、いわゆる“現代アート”と呼ばれるものです。四方を山で囲まれた小さな町の人たちが、風景や人物などの具象画ではなく、素人目には難解な抽象画を、臆することなく手にしたその心意気は、大野という土地の文化的風土と、大野人の気象によるところだと思われます。
「古いものを守り生かしながら、新しいものも取り入れ果敢に挑戦する。」
本ギャラリーは、歴史の中で育まれてきた大野人ならではの結の心を未来へと受け継ぐため、アートを通じて様々な形で表現し、広く内外に示していきます。
【「ギャラリー紹介文」より】
出品作家:靉嘔/池田満寿夫/瑛九/泉茂/エメット・ウィリアムス/オノサト・トシノブ/北川民次/キムラリサブロー
~~~~
●今日のお勧め作品は、瑛九です。
瑛九 Q Ei
《いじわる》
1953年
エッチング
イメージサイズ:36.2×26.8cm
シートサイズ :44.8×30.8cm
サインあり
※1954年に発表された作品のファーストステートです。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

福井県大野にCOCONOアートプレイス開館
COCONOアートプレイス「常設展(路地スペース、オモヤギャラリー)/企画展:キムラリサブロー NYアトリエより」
今回の取材先は、福井県大野市である。瑛九の作品の多くは、制作の拠点としていた出身地宮崎県と晩年にアトリエを構えた埼玉県内の美術館に集中している。しかし、これらの土地から遠く離れた大野市に、なぜ瑛九の作品があるのか。2日間の取材で知り得た情報は、ほんのわずかに過ぎないが、福井県勝山市在住のコレクター荒井由泰氏の協力により、たいへん有益な情報を得ることが出来た。順を追って紹介していきたい。
福井県ではじめに訪れた取材した先は、2018年3月にオープンしたCOCONOアートプレイスである。120年前に建てられた明治後期の木造一部二階建ての建物で、長い間、書店兼住宅として活用されていた。しかし、所有者であった宇野家の当主が逝去し、建物は市へ遺贈するかたちとなった。

古民家をリノベーションする取り組みは、全国各地で行われているものの、行政機関が介入している事例は、まだそれほど多くはないだろう。伝統を重んじながらも、チャレンジ精神を持つ地域性があるようである。とはいえ、オープンまでの経緯を伺うと、中々一筋縄ではいかなかったようである。大野市教育委員会生涯学習課文化振興室の亀谷聡美氏に詳しく伺った。
遺贈された当初、特に使用目的は定まっていなかったが、ちょうどこのとき市政施行60周年の記念事業の一環として亀谷氏が企画した「市民所有の絵画展―越前おおの 現代アートの礎」展(2014年10月11日~10月26日、会場:越前おおのまちなか交流センター・福井県大野市)が好評を博し、展覧会の閉幕を惜しむ声があがっていたという。そのため、持続的に利用できる展示施設の必要性を感じていた矢先であった。展覧会を開催した前例があったことや、市民の声も重なって、建物の活用方法に関しては、早くに決定したという。
2016年7月に公募型プロポーザルで設計事務所の選定し、工事に着工したのは2017年4月、恐らく完成までの2019年1月の間には、様々な押し問答を繰り返していたことが予想され、亀谷氏は行政の立場でありながら、建築家の意見に寄添って、ギャラリーとしての設備を整えることに身を削っていたと思う。


こうして並べて展示してみると、同時代に活躍する芸術家の作品が瑛九の抽象表現と似通う部分が見えてきたと、亀谷氏は語る。
COCONOアートプレイスの展示物は、ほぼ大野市民が所有する作品である。収蔵庫は、この建物内にはなく、大野市が所有する建物の一室に別置しているという。展示替えの前には、亀谷氏がキュレーションして、各個人との出品交渉を進め、展示をするときには、一時保管場所と展示室を往復している。
次に紹介するのは、瑛九の作品である。今回は、全ての作品が個人蔵ということもあり、2011年に開催された「生誕100年記念 瑛九展」(会場:宮崎県立美術館、埼玉県立近代美術館、うらわ美術館)に掲載されている「瑛九 油彩画カタログレゾネ1925-1959」を併せて参照した。こちらは、宮崎県立美術館元学芸員である高野明広、小林美紀の編集によるものであるが、1970年に「福井瑛九の会」の山崎巧、堀栄治が制作した写真アルバム「福井県内にあるEi Q(油)作品目録」、および山田光春が東京、埼玉、栃木、福井、宮崎等に点在していた作品を調査して1977年に制作された「瑛九油絵作品写真集」をベースにまとめられている。とにかく、足で稼ぎ、頭を下げるばかりの根気のいる基礎調査であったと想像するが、たいへん重要な仕事で、今後も継続してゆく必要があると、個人的に思っている。
各記録の作品収録数を見ると、以下のとおりである。
山崎巧、堀栄治編「福井県内にあるEi Q(油)作品目録」1970年:92点
山田光春編「瑛九油絵作品写真集」1977年:482点
高野明広、小林美紀編「瑛九 油彩画カタログレゾネ1925-1959」2011年:555点




瑛九《散歩》、エッチング・紙、1952年制作の後刷り(林グラフィックプレス、ed.1/60、Q Eiスタンプ)
実は、大野市では、1958年3月に第1回の瑛九頒布会を堀栄治が行われている。同年5月に第2回、翌月の6月には第3回、7月には第4回が開かれた。晩年の作品数の多さは、大野市の堀の支えが瑛九の力になっていたと推察される。

床面をみると、石がコンクリートから頭を出している。家屋の特徴を残す試みがそこかしこにあるため、来場したときに建物の端々も気に留めてほしい。


右は、今回唯一の印画紙による作品である。瑛九《(作品名不詳)》フォトデッサン、制作年不詳で、何れも表面にサインは見当たらない。

ところで、今年3月にオープンして、第1回目に展示された作品は、恐竜をモチーフにした靉嘔の作品シリーズであった。実は、靉嘔と福井は小コレクター運動が行われていた1950年代後半から長い付き合いがあり、恐らく福井で一番作品の所有率の高い作家のようだ。例えば、靉嘔の《そよ風の九頭竜湖》(1989年、シルクスクリーン)という大野市の風景を作品化したものがある。こちらは、大野市が「街角に文化のかおりを」というスローガンを掲げて「BOXギャラリーを作る会」を発足し、街中の公衆電話BOX30ヵ所に実物の作品を掛ける取り組みを行った当時の作品であるという。また、福井で活動をしていた刷り師助田憲亮の存在も大きい。靉嘔は刷り代として助田に作品を託していたため、助田は作品を売却して資金を得ていた。そのため、大野市内に多くの作品が所有されることになり、結果的には、市内で最も著名な芸術家になった。




この場所では、地元の造形作家の展示を行う計画もあるようで、今後の活動も楽しみである。



大野市民が作品を所持している状況について、亀谷氏に話を伺っていたら、おおよそ次のようなことが分かってきた。①特に置く場所に不自由しているわけではない、②著名な芸術家の作品をコレクションしているという意識よりも、一種の人付き合いとして作品を購入している、③内気な人が多く、作品を積極的に他人に見せる機会がない、④作品に対する思い入れが強く、手放さない
以上のことを反映したメッセージが、建物の名称「COCONOアートプレイス」に秘められている。
建物の名称の「COCONO」については、「COLLECTOR」(収集家)と「COMMUNITY」(共同体)の言葉に「ONO」(大野)を連ねて、「ここの」(此処)という響きでまとめられている。ギャラリーやミュージアムという枠に収まらずに、皆が集う場所でありたい、「ここ(COCO)が大野(ONO)のアートの場である」という意味が込められている。
個人蔵の作品を集めた企画は、一般的に実現するのが難しい。作品を持たない展示施設として国立新美術館を挙げられるが、借用先は公立美術館が圧倒的に多く、個人としても画廊あるいは作家から借りる例ばかりで、複数のコレクターから借りる例はあまりない。これは、作品を所有している市民がいて、その所有者と市の職員との関係が近い大野市独特の風土であるからこそ、実現可能な展覧会のシステムである。
大野市民は世間の評価に関わらず、長いあいだ作品に愛着を持って所有してきたことが伺えて、上記の市民生活をよく留意した上ではじまった事業であることが分かった。一般的な日本の公共美術館が設立された経緯としては、芸術家を含む有識者が建設運動を起こすケースや、80年代の建設ラッシュに便乗して美術作品の展示スペースを施設するケースがほとんどである。しかし、大野市は、他の地域と明らかに異なり、すでに地域住民が作品に親しみを持っているばかりか、作品を保有している人もいる。
他の地域に見受けられる小規模な市立のギャラリーであっても、展覧会を持続的に行うために、専門員もしくは学芸員資格を持つキュレーターと複数の事務職員が常駐するところが増えてきている。展示を行うとなれば、所蔵先との出品交渉の他にも、必然的に日々の建物の維持管理・運営とイベントの企画、広報活動も併せて行う必要もある。おそらく、大野市の様々な要望に応えるために人的な確保は必要になってくると思う。
とまれ、大野市には、戦後の美術家の生活を支えたコレクターや、作品をたのしむ豊かな心を持つ人がいた。久保貞次郎がはじめた小コレクター運動は、いくつかの都市部を中心に地域的な広がりを見せたが、最も定着した地域はここ福井県大野市である。通常は「市民-行政-芸術家」という構造であるが、大野市は「芸術家-市民-行政」という画期的で模範的な構造も併せ持つ。このような垣根を超えて互いに助け合う関係性については、展示施設を持つところは学ぶところが多いかもしれない。
なお、この取材には、大野市教育委員会生涯学習課文化振興室中村りえ子氏・亀谷聡美氏、荒井由泰氏、黒原繁夫氏にご協力をお願いした。皆さんに感謝を申し上げたい。
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ちょっと寄道…

黒原氏は、元は福井放送のテレビ制作に携わっており、ナム・ジュン・パイクが1986年福井県の永平寺を訪れて「メイド・イン・永平寺」を制作したときの様子を記録化している。そのときの映像などは、韓国の「ナム・ジュン・パイク・アートセンター」にも収められている。「またテレビ制作をしたい」、「アートプロジェクトを観に行っている」と静かに語る黒原氏。新たな芸術家支援の取っ掛かりをつかむべく探っているところだ。
荒井氏は、既に「アートフル勝山」というコレクターや芸術家を招いた展示会等の活動を行っており、今年、大野市がアートを活用した事業をはじめたことで、勝山と共にさらなる人の集客につながることを実施したいと考えていた。荒井氏は、ときの忘れもののブログにエッセイ を度々寄稿しているため、参照してほしい。黒原氏はナム・ジュン・パイクだが、荒井氏は、1984年福井県に訪れたバルティスを白山平泉寺まで案内したという。
福井に誰もが知っている巨匠が2人も訪れているというのは、驚くべきことである。作品を制作する人にとって、何か惹かれるものがあるのかもしれない。土地のモノを生かし、世界からも注目される街づくりを目指してほしいと思う。
この場所は、新しく2018年4月にオープンした交流館「popolo.5」にある発酵食料理の「つばめ食堂」である。健康と美容に効果があり、女性の来店が多いという。


続きは、また次回に持ち越したい。
(なかむらまき)
●企画展のお知らせ


「常設展 (路地スペース、オモヤギャラリー)/企画展:キムラリサブロー展 NYアトリエより」
会期:企画展2018年7月21日~10月14日【終了】/常設展一部展示替えあり
会場:COCONOアートプレイス
休館:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
時間:9:00~17:00
大野市には優れた絵画がたくさんあります。家の玄関や居間に、店先や学校に、さりげなく飾られていたり、押し入れや倉庫に大切に保管されていたりします。/これらの絵画は、1950年代から展開された「小コレクター運動」により購入したものをはじめとし、その後の画家と大野人の繋がりの中で手に入れたものも少なくありません。/暮らしに美術を根付かせるとともに、実力がありながら不遇な位置にいる画家を支援するという目的をもった「小コレクター運動」は、大野市内に広くゆきわたり、市民と芸術とのかかわりを深いものにしました。
市民が所有している絵画の多くは、いわゆる“現代アート”と呼ばれるものです。四方を山で囲まれた小さな町の人たちが、風景や人物などの具象画ではなく、素人目には難解な抽象画を、臆することなく手にしたその心意気は、大野という土地の文化的風土と、大野人の気象によるところだと思われます。
「古いものを守り生かしながら、新しいものも取り入れ果敢に挑戦する。」
本ギャラリーは、歴史の中で育まれてきた大野人ならではの結の心を未来へと受け継ぐため、アートを通じて様々な形で表現し、広く内外に示していきます。
【「ギャラリー紹介文」より】
出品作家:靉嘔/池田満寿夫/瑛九/泉茂/エメット・ウィリアムス/オノサト・トシノブ/北川民次/キムラリサブロー
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●今日のお勧め作品は、瑛九です。

《いじわる》
1953年
エッチング
イメージサイズ:36.2×26.8cm
シートサイズ :44.8×30.8cm
サインあり
※1954年に発表された作品のファーストステートです。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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