スタッフSの「佐藤研吾展ギャラリートーク」レポート

読者の皆様こんにちわ。毎回自分の趣味に偏った海外展覧会を紹介している「スタッフSの海外ネットサーフィン」ですが、2018年最後の記事は先週土曜日まで開催していた「佐藤研吾展―囲いこみとお節介」で、実に5回に渡り開催したギャラリートークを紹介させていただきます。

週末も無休で開催した企画展ですが、それでも開催期間はたったの10日。にもかかわらず、開催したギャラリートークの数は5回というハイペースな内容は以下の通り:

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●12月13日「都市と農村と郊外と作ること」中島晴矢(現代美術家)× 佐藤研吾
佐藤さんによる紹介文
交通網が充実し、日本中どこへいってもコンビニやスーパーマーケットが建ち並ぶ状況では都市と農村、さらには郊外というカテゴライズに明確な区分けを見出すことはもはや難しい。三者は相互に入り混じり、連続性を帯びている。
けれども、区分けがもし在るとすれば、それは一人一人の移動によって、複数の場所間を移動することによって、それぞれの場所の差異が感触として分かることがある。
「故郷」、あるいはアイデンティティというのも結局はおそらくのところ、そんな今と昔の比較と差異によって浮かび上がってくる概念かもしれません。
さいきん、私(佐藤研吾)は福島県大玉村と東京を行き来しながら生活しています。そんな日頃の移動の経験は、やはり自分が作ること、作るモノに不可避に影響してきていて、移動していなければ作ることができない必然めいた状況だとも考えています。
一方の中島晴矢さんは美術家として応答するその先に都市と郊外(、ニュータウン)を見据えた作品を制作しています。
専門とするところは、建築(= 佐藤)と美術(= 中島)という異なる方向を向いていますが、佐藤が画廊に立体やドローイング(あと写真)を飾り、中島が建築や都市を直接的なテーマとした作品を作る、というある種倒錯した状況があります。
そんな異なる場所の対象へ向かい、また倒錯したアウトプットをしながら、実は二人は中学高校の同級生でもあります。なので、そのアウトプットの倒錯さと共通した部分あたりを意識しながら、話なせばいいなと。

トーク後の佐藤さんのfacebookより
DSC_0553<個展「囲いこみとお節介」、今日から無事に始まりました!:
午後1時からの中島晴矢さんとのトークは、平日昼間にも関わらず大盛況でした。
いらっしゃっていただいた方々、どうもありがとうございました-!::
トークでは、自分がこの展示の中で作ったモノの説明やその背景、そして自分たちの依って立つ場所の話ができ、自分としてもとても実りが多かった。
自分自身がやっていることを話すときに、今まで中学高校の頃の話は特にせずにすっ飛ばしてきていたわけですが、東京の半ばど真ん中で過ごしていた当時の経験はやはり自分のどこかに横たわっているわけでして。その東京ど真ん中の経験が順番として先に在り、そこから最近の福島とインドまでの距離というものを相対的に測っているのだな、とトークの中で改めて思う。
また、どうしても建築設計での振る舞い方、あるいは都市への向き合い方において、自分がまだその支軸となるモノを持ち得ていないことも話していて痛感する。そしてそんな迷い、振動の様がこの展示で作ったモノ、作り方自体に現れているのかもしれない。
トークの中で「この展示は、近況報告」とつぶやいたように、とにかく続けるしかないのだなと、そしてもちろん、作業を続けるための仕組みを作っていかないといけないのだなと。死ぬまで続けられるかが勝負どころなのだと。
明日からもシャキッとやります。>


●12月14日「群れることについて」岸井大輔(劇作家)× 佐藤研吾
佐藤さんによる紹介文
最近、群像、群造形について考えています。それはモノに限らず人の群像、群れ、群れることもそうです。
群れたモノを作る(「囲い込みとお節介」出展内容)、人と群れながら作る、人の群れを作る(インドと歓藍社の活動)、といういくつかの切り口を考ようとしている(今月出る『SD2018』で小論書いてもいます)ときに、ぜひ話をしてみたいと思ったのが現代劇作家の岸井大輔さんです。
演劇は複数の人が居て成り立つ表現なのだろうと思っています。
劇の中に、あるいは劇場の中に、複数の人が集まって居るのが、演劇というものであり、それはまた、建築を主にやっている自分(佐藤研吾)からすれば何となく羨ましさもある形で、さらにはそんな" 運動" へとつながっていく群れ、集まりに興味があります。
去年、北千住に新たにできた劇場、BUoY アートセンターの工事をやった頃から、そんな演劇への関心が浮上し、また戯曲という、演劇の始まりに位置する制作物が、演劇の現場にどのような「あそび」(=隙間)を作り出しているのか。戯曲と演劇現場の関係は、建築でいう設計と工事現場の関係にも当然似ているところではありますが、そんな現場での「あそび」についても。

トーク後の佐藤さんのfacebookより
DSC_0550<14日夜の、劇作家・岸井大輔さんとのトークイベント、お越しいただいた方々どうもありがとうございました。
一時間という短い時間の中で、岸井さんの高速展開の話にしがみつく感じで話続けましたが、
ヒトモノの複数性、異なるヒトモノが複数あること。九鬼周造『いきの構造』と岡倉天心『茶の本』について(茶の本では均斉性を破ることについて)。ダナ・ハラウェイのフェティシズム論とモノの気配(という危うい観念)、と人権破棄に陥りかねないというクリティカルな指摘。日本建築の柔らかさと隙間としての「遊び」。区界の前例主義とその起源となる明治初期の地租改正事業と、死馬捨場の立地。
など、
書き漏れていることもありそうですが、当方の展示、作ったものについてかなり根っこをエグられたお話でした。>


●12月15日「工作の群れの移動について」佐藤研吾
佐藤さんによる紹介文
今作っているモノについて、今考えていることを話します。
13 日は中島晴矢さんと場所を移動することについて、14 日は岸井大輔さんと複数のヒト・モノが群れることについてを話したいとぼんやりと考えています。
そんな補助線を受けて、15 日は、移動する群れ、について言葉を見つけてみたい。
私(佐藤研吾)が関わっている近年の活動を素材として話します。
インド・シャンティニケタンの家づくり、東京・北千住のBUoY、あと福島の歓藍社あたりを肉として、展示するモノモノに言葉をつけ足せればとも。(全部話してしまうと2 時間では終わらないので、組み立てはもう少し考えます)できればそれらの活動も、群としてなにがしかの地図を描ければ、とも思っています。(その地図とは、海洋民族の島地図のような感じに)でなければ、来年早々に迷うことになるので。

トーク後の佐藤さんのfacebookより
DSC_0555DSC_0569<15日のレクチャー「工作の群れの移動について」にお越しいただいた方々、どうもありがとうございました。
今回の展示での一連の作業の説明から始め、モノの群像への興味を説明したあと、きっかけとなったインド・シャンティニケタンの家づくりの話をしました。聞いていただいた中に、建築家の方々が多かったのでモノの複数性とそのデザインについての話に重きを置いて話してみましたが、その代わりにヒトの複数性についての話は端折り気味だったので、22日のレクチャー(https://www.facebook.com/events/340820976736115/)で話してみたいと思っています。
レクチャー後の質疑では、今回の展示と建築設計との関係、作ったモノのデザインのボキャブラリーと接続し得る歴史の議論になり、それはとても面白かった。
レクチャーに来ていただいた難波和彦先生が自身のブログでそのことについてふれていただいています。以下抜粋。
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[http://www.kai-workshop.com/]
(2018年12月15日(土))
本郷通りを南へ約10分歩いてギャラリー〈ときの忘れもの〉へ18時15分前に着く。
阿部勤設計のRC住宅を転用したギャラリーで、住宅スケールの空間に佐藤研吾のドローイング、木製の小箱によるピンホールカメラのオブジェ、それで撮ったモノクロ写真が展示されている。
18時から佐藤研吾のスライドレクチャー開始。10畳余の部屋に約20人の聴衆。福島での現在の仕事、木製ピンホールカメラを複数配置した空間的なインスタレーション、日本で製作した家具を持ち込みインドで建設した住宅などについて約1時間のレクチャー。
その後、会場との質疑応答。早稲田大の渡邊大志さんから佐藤さんの建築思想に関する質問から始まり、阿部勤さんや美術関係の人からも質問が出る。僕も議論に加わったが、通常の建築家とは異なり職人的アーティストしての活動を展開している点に感心すると同時に、佐藤さんのデザインボキャブラリーのほとんどがモダニズム初期に起源があるように見えるのが気になる。
佐藤さんはその点をあまり自覚していないように思えるがどうなのだろうか。
デザイン思想としてはウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を引き継いでいるようだし、デザイン・ボキャブラリーとしてはデ・スティルやヘリット・リートフェルトやデッサウのバウハウスを想起させる。佐藤さんが自分のデザインについて〈構成〉という言葉を繰り返し使っている点にも引っかかる。
日本ではかつて〈Russian Constructivism〉を〈ロシア構成主義〉と訳して以来、〈構成〉と〈構築〉つまりcompositionとconstructionの使い分けが混乱しているからである。
言語は一種の慣習だから、この種の混乱は今後も続いていくのだろうが、せめて〈構成〉と〈構築〉を一対の概念として意識的に使い分けるべきだと思う。19時半過ぎに終了。
(2018年12月17日(月))
佐藤研吾さんから僕の日記に書いた昨日のギャラリートークの感想に対するコメントメールが届く。
僕は彼のデザインボキャブラリーをデ・スティルのリートフェルトやデッサウのバウハウス起源ではないかと指摘したが、彼自身はチャールズ・レニー・マッキントッシュからの間接的引用だそうである。確かにグラスゴー美術学校の図書室の木組を連想させる面もあるので、なるほどとは思ったが、それが趣味的な好みによる引用ならば、単なる世紀末デカダンに過ぎないだろう。
そうしないためにはF・L・ライトとの関係を含めた歴史的な意味づけが必要ではないかとメールを返信。〈構成〉という言葉についても別の言葉を探したいという回答。
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難波先生にメールでお送りした僕からの返答もブログに書いていただいているので、要点は上記の通りですが、
おそらくライトとマッキントッシュをつなげるには、ウィーン分離派とドイツ工作連盟を間に噛ませることが必要で、その自分なりの実践として、「学校」というヒトの集団形態に可能性を見ているところがあります。ワイマール・バウハウスにへの注目(と、共時代的につながるインドのタゴールの学校)はそこに接続するのですが。
ライトのタリアセンからのパウロ・ソレリのことも併せて、次回のレクチャで話すのを試みたいなと思っています。
上記の受けた指摘のおかげです。>


●12月21日「家郷について、東北と東京あたり」小国貴司(Books 青いカバ店主)×佐藤研吾
佐藤さんによる紹介文
移動することは手間がかかる。移動する前の生活に区切りをつけ、移動した先では生活を新たに始めなければならない。人は裸一貫で動き回ることはかなり難しいので、様々なモノを携えて動く。そんなモノたちを移動先でまた並べ直さなければならない。
東北は寒い。東北の中では南端に位置する福島(大玉村)であっても、東京育ちの私(佐藤)からすれば、最近はもう寒くて寒くて身を縮こませている。けれどもこの寒さの感触が、あー福島に " 帰って" きたな、の観念(あえてこの言葉を持ち出す)を引き出してくれる。そして、かじかむ手で、車から荷物を取り出し、部屋に並べて福島での生活を始める。
「帰る」という言葉が指す場所は、おそらくはその人の先天的なものではないはずだ。場所の移動、取り巻く世界の遷移によって、「帰る」場所は変わるのだろう。
Books 青いカバを営む小国貴司さんとのお話では、そんな「帰る」ということについて考えてみたい。
小国さんは山形で生まれ、福島で幼少期を過ごし、青森で育ち、東京にやって来た。
そして東京の駒込で二年前から新刊と古書を扱う本屋を始めている。本というたくましく生き残り続けるだろうモノに囲まれて、そのモノたちが入って、出ていく、その流れを作っている。
なんとなく、遠くに投げられそうな、面白い話ができる気がしています。

トーク後の佐藤さんのfacebookより
DSC_0818< 21日(金)トークイベント「家郷について、東北と東京あたり」小国貴司(Books青いカバ店主)×佐藤研吾、にきていただいた方々どうもありがとうございました。
東北への、東北からの移動の話に始まり、モノと人の関係、小国さんは青いカバ店内に埋め尽くされる本との関係、佐藤は木工写真機を作るときと運ぶ(携えて移動する)ときの関係の話あたりにまで及びました。
そのあと、両人からそれぞれ一冊の推薦図書を紹介。
佐藤からはつげ義春『つげ義春の温泉』(ちくま文庫)、小国さんからは森敦『月山』(文集文庫か河出書房)を。どちらも元は外の人間が東北に赴いて発した作品で、そんな人がいかに場所に感応するかを、モヤモヤとそしてゆったりと言葉を交わしました。そして古本屋の仕事自体がとても面白そうでした。
古物商は実はこれからやりたいことの一つでもある。
当方のweb site(https://korogaro.net/)のドメインを[korogaro]としているのは、「転がろう」という変転と移動を表しているのですが(しかもLets Goのニュアンス)、別には「ころ画廊」とも書けるわけでして、つまり古物商の標榜でもあるわけです(目下展示をさせてもらっていた画廊・ときの忘れものさんに大変失礼な話ですが)
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(写真はコムラマイcomuramaiさんに撮っていただいたものです)>


●12月22日「次の移動先について」佐藤研吾
佐藤さんによる紹介文
年の瀬なので、来年からの話をしてみたいと思っています。
特に、今回の展示で作ったものの次の展開について。
これまでのトーク、イベントにていろいろ巡った話題を、自分なりにまとめてみようと思っています。

トーク後の佐藤さんのfacebookより
<22日(土)夜のレクチャー「次の移動先を考える」にお越しいただいた方々、そして13日からの個展をご覧いただいたみなさま、どうもありがとうございました。
22日は、先週15日の話に続いて、今回の展示での作業とインド・シャンティニケタンの家プロジェクトに加えて、歓藍社の活動と北千住BUoYの設計施工、そしてIn-Field Studioの話を組み合わせてしゃべりました。
それらを追加したのは、複数のヒトが作業をするということに向けた可能性を広げて見たかったからですが、福島・インド・東京の行き来を念頭に、先週のモノの複数性に接木する形で、ヒトモノが同居、混在する在り方への興味がよりいっそう高まったように実感もしています。

13日中島晴矢さんと東京からの距離の話をし、
14日岸井大輔さんとモノの複数性の話をし、
15日一人で複数のモノの取り合いの話をし、
21日小国貴司さんとヒトとモノの関係と移動の話をし、
22日一人でヒトモノが移動して複数混在する話をした、
という具合でしょうか。もちろんそれぞれもっとアチコチに話は展開しています。

というわけで、来年からも頑張ります。(今年も残りやります)
ひとまず日本の中を南下し、そして1月中頃はインドのシャンティニケタンにまた行ってきます。
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(写真はcomuramaiさん)>


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連日盛況なトークイベントでしたが、12/22の最終日のトークに至っては立ち見でもいいからというお客様が次から次へと来廊され、応接室に収まりきらないお客様が廊下から中を覗き込むという事態にスタッフ一同てんやわんやでした。

ゲストだけではなく、来場者にも上で佐藤さんが書かれたように難波和彦先生をはじめ、香山壽夫先生、阿部勤先生、石山修武先生、植田実先生など建築界の錚々たる方が来廊され、トーク終了後の懇親会も連日大いに賑わいました。

早いもので、今年の営業日も残すところ4日。振り返ればあっという間もない2018年でした。
とはいえ、年が明けたら空けたで1月の瑛九展、3月のアートフェア東京に初出展となるArt Basel Hong Kong等など、来年もときの忘れもののイベントは盛沢山ですので、どうぞよろしくお付き合いください。

それでは皆様、良いお年を。

(しんざわ ゆう)

●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。
sato-15佐藤研吾 Kengo SATO
《囲い込むためのハコ2》  
2018年
クリ、アルミ、柿渋
H115cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

*既に終了しましたが、佐藤研吾展の出品全作品の画像と展示風景は12月16日のブログをご覧ください)。

年末年始ご案内
ときの忘れものの年内営業は12月29日(土)まで。2018年12月30日(日)~2019年1月7日(月)までは冬季休廊いたします。
ブログは年中無休、毎日更新しますのでお楽しみください。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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