「インポッシブル・アーキテクチャー」展
富安玲子(埼玉県立近代美術館 同展担当チームメンバー)
「インポッシブル・アーキテクチャー」、すなわち「不可能な建築」と称する展覧会の会場に流れる不思議な熱量をどう表現すればよいだろう。本展で取り上げたプロジェクトは、すべてが何らかの理由で「提案」「計画」にとどまった、アンビルドのプロジェクトである。
開催年度の4月というタイミングで本展チームに加わって、末席からこの野心的な企画が形になっていく様を眺めていた私が、常日ごろ親しんできたいわゆる美術展とは少々異質な熱気の在りかを探りながら、本展のさわりをご紹介したい。(以下、全て敬称略)
■はじまり
本展はそもそも当館の建畠晢館長が10年以上も温めてきた企画の一つであった。建築の歴史は当然のように、建ったもの、実現した建築によって語られてきたが、実際にはそれより遙かに多くの建たなかったもの、実現されなかった建築案が存在している。通常は、そのような実現されなかった建築は「アンビルド」の語で表現することが多いが、本展で敢えて「インポッシブル・アーキテクチャー」を採用したのは、ポッシブルとインポッシブルを対立ではなく相互に補完的な概念として捉えることで、建てられなかった建築を、可能性と批評性を内包する存在として位置づけようとする姿勢の表明でもあった。本展において「インポッシブル・アーキテクチャー」として再定義されたそれらのあり方を知ることは、ポシブルとなった建築からだけでは見えてこない、想像力豊かな「もうひとつの建築史」を浮き上がらせることになる、という目論見である。
建畠館長によれば、発案の時点から1919-20年に発表されたウラジーミル・タトリン設計の「第3インターナショナル記念塔」(*1)を出発点として近代から現代に至る約100年間に生まれたプロジェクトを扱う展覧会にするという、起点だけが決まっていた企画案に着地点を与えたのが、2013年の国際コンペによって採用が決まったザハ・ハディドの設計案を一転、廃案にしてしまった新国立競技場にまつわる騒動だったという。そして、監修にこの全体の枠組みを共有する東北大学の五十嵐太郎教授を迎えて展覧会は具体化していった。
*1.
制作:野口直人建築設計事務所
《第三インターナショナル記念塔》模型(1:500)
2019年
設計:ウラジーミル・タトリン(1919-20年)
個人蔵
■内容
本展にはおよそ190点が出品されているが、プロジェクトによって出品される内容や点数が異なっている。プロジェクトの性質やオリジナルの発表手法による違いが、現在に残された資料や痕跡の違いにも反映されていて、そのバリエーションの豊かさもインポッシブル・アーキテクチャーならではの個性に満ちている。
出品作を全て紹介する紙幅はないが、建築が実現するか案で終わるかが決する舞台として一般にも連想しやすいコンペ出品作周辺を、まずは例として見てみよう。
川喜田煉七郎による日本人初の国際コンペ入賞(4等)作となった「ウクライナ劇場国際設計競技応募案」(1930年)は、オリジナルの模型や図面は現在では伝えられておらず、展示ではわずかに「ハリコフ国立劇場の応募案」として応募図面が掲載された当時の雑誌と、それら遺された資料の研究成果である最近の制作による模型とによって紹介しているのだが、特にコンペで高く評価された舞台機構の部分模型を、本展のために東北大学五十嵐太郎研究室が詳細な解説を添えて制作した。
同じコンペ出品作でも、コンペ主催者の思想への異議申し立て、ひいては社会的な問題提起として、いわば落選覚悟で出品したプロポーザルもある。
日本におけるその先駆は前川國男が東京帝室博物館の新本館建設のためのコンペに出品した作品だろう。コンペの開催は1930年に発表されたが、「日本趣味を基調とする東洋式」を求める規定に反発した前川は、ル・コルビジュエの元で学んだ最先端のインターナショナル・スタイルで挑み、さらに上野公園周辺の都市デザインにも言及した。現在では戦災によってオリジナルの資料は全て失われており、僅かに雑誌に掲載された図面をもとに、今回、京都工芸繊維大学の松隈洋研究室が模型の制作と「上野周辺図」の復元に取り組んだ。
また、世界的な建築家であり著書『UNBUILT/反建築史』をはじめとする著述家、思想家としても知られる磯崎新が、1986年に実施された現在の東京都庁舎のための指名コンペに出した「東京都新都庁舎計画」もその一つとして良く知られている。彼は、明らかにシンボリックな超高層建築を要求している募集要項に対して、超高層を否定し、縦割り行政から横のネットワークへの移行を促した、巨大な吹き抜け空間を市民のための「大広間」として持つ含意豊かな低層プランを提示した。本展では、アトリエの所員に指示するためのアイデアスケッチや、当時としては珍しかったCGによる図面、また事後制作になる断面模型などでその世界観に迫る。
その約30年後のコンペでCGと模型による新たな時代のプロポーザルを窺わせるのは、藤本壮介による2012年の国際コンペ1等案《べトンハラ・ウォーターフロンント・センター》である(*2)。セルビアの首都ベオグラードの商業・展示施設の建物に、都市計画への提案も含めた「浮遊する雲」のイメージを提示した。すでに当たり前に使われるようになったCG(出力)ではその世界観を端的に表現している。
*2. 藤本壮介
《べトンハラ・ウォーターフロンント・センター設計競技1等案、完成予想図》
コンピューター・グラフィックス
2012年
そしてコンペにまつわる作品というだけでなく、本展の出品作の中でも大きな関心を寄せられているのがザハ・ハディド・アーキテクツ+設計JV(日建設計、梓設計、日本設計、オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ・ジャパン設計共同体)による「新国立競技場案」(2013-15年)だろう。国際コンペで堂々と1等を獲得し、五輪招致活動においてもアピールポイントとして喧伝され、設計の全ての準備を終えた後になって白紙撤回された、現代日本のある側面をも象徴するようなインポッシブル・アーキテクチャーである。プロポーザルでのCG動画から、4000枚に及ぶ設計図面や風洞実験用の模型などで現実世界に落とし込まれていく様子も非常に生々しく、本来実現されるべきものがインポッシブルとされた時の荒涼とした、しかし熱の残る景色を現場で体験していただきたい。
また、コンペではないが計画途中で頓挫したプロジェクトも見てみよう。
本展の起点となった「第三インターナショナル記念塔」はソビエト連邦成立期に国家プロジェクトの一つとして計画されたが、ロシア革命下の混乱の中で放棄されていった。ちなみに本展のために新たに模型を制作した野口直人(野口直人建築設計事務所)によれば、タトリン自身による図面は不完全で、必ずどこかで「辻褄合わせ」が必要なのだそうだ。
1970年の大阪万博で国際的な注目を浴びた空気膜構造の第一人者、村田豊は、時のソビエト連邦から「ソビエト・青少年スポーツ施設」の設計を依頼された。このプロジェクトが立ち消えになった経緯は知られていないが、本展では気候の調査結果まで含む美しい手書きの全図面を展示する。加えて、注目していただきたいのは小さなモニターで上映している当時のスナップ写真(*3)のスライドショーである。今では失われたオリジナル模型を様々なアングルから事務所内で撮影した写真で、素材の質感や時代の明るい雰囲気まで伝わるのではないだろうか。
*3.村田豊
《ソビエト青少年スポーツ施設》模型写真
1972年
個人蔵
どの作品にも見どころが詰まった本展だが、その他のインポッシブル・アーキテクチャー、中でも今度はコンペや発注というところから離れて、そもそも実現の可能性を度外視している提案のありようも見てみたい。
まず、技術やデザインなどの当時の水準を超えて、理想や可能性を語った一群がある。
建築案というよりSFに近いファンタジーとしてのプランとしてブルーノ・タウトの書籍『アルプス建築』(1919-20年)を、また発表当時の技術では実現不可能だったプランとして、ミース・ファン・デル・ローエの「ベルリン、フリードリヒ通り駅の摩天楼のコンペ案」(1922年頃)をバナー複製で、日本国内における戦前の一連の詩情あふれる表現主義建築案をオリジナル図面や当時の雑誌、再現模型などで、それぞれ紹介している。
また建築を専門としない私が今回もっとも興味を引かれたのが、社会のあり方を提案する建築家の姿だった。
社会思想家でもあるようなヨナ・フリードマンによる「可動建築/空中都市」(1956年~)は人類の生活様式を変える提案だが、その出品を打診する担当学芸員からのメールに、彼は快諾と共に、技術革新を取り入れた最新のプランである「バイオスフィア:ザ・グローバル・インフラストラクチャー」(2017年)の紹介を逆提案してきた。手書きの図版が入ったPDFを出力した紙を、壁に貼るだけという簡素な展示方法は、老大家自らの指定である。
コンスタン(・ニーヴェンホイス)の国境を越えて繋がる建築のメッセージ性は、近頃話題のトランプ大統領によるメキシコ国境の壁建設案との落差がすさまじい。本展ではコラージュ作品「ニューバビロンのセクターの眺望」(1971年)の大きなバナー複製と共に、版画によるポートフォリオ「ニューバビロン」(1963年)を展示している。
実現を目指していない建築の最たる姿が、印刷物などのメディアにのせてイメージを大量に世の中に発信した、アーキグラムやスーパースタジオの活動だろう。アーキグラムが自ら発行した雑誌に掲載された図版が他の雑誌に再掲載されることで、世の中に大きく広がっていく。本展では「アーキグラム特集」を組む雑誌を紹介する。
思考実験としての建築というものも新鮮だった。「全ては建築である」と言い放ったハンス・ホラインのドローイング「超高層建築」(1958年)とコラージュ「プロジェクト・ゴールデンスマート」(1968年)、優れた教師としても知られるジョン・ヘイダックの図面「ダイヤモンドハウスB」(1963-67年)やドローイング「犠牲者たち」(1984年)、さらに、ダニエル・リベスキンドの鮮烈なドローイング(本展に出品されるのは版画)「マイクロメガス」(1979年)などは、想像力を挑発して止まない。
一方で、近年の建築家からは失われがちだという大胆な発想力で切り込む、美術家の作品にも注目していただきたい。山口晃「新東都名所 東海道中『日本橋 改』」(2012年)(*5)と会田誠は、景観論争が盛んな日本橋について、一見冗談のような、しかしオーセンティシティや原風景、観光資源としての建築の問題をえぐり出す提案をした。
また、先行する荒川修作とマドリン・ギンズは、フランスのエピナールの架橋プロジェクト「問われているプロセス/天命反転の橋」(1973-1989年)(*4)で、橋ひいては建築物に求める機能に根本的な問い直しをしている。全長13メートルに及ぶ「橋」模型の展示は、本展の数多いハイライトの一つであろう。
*4.荒川修作+マドリン・ギンズ
《問われているプロセス/天命反転の橋》
1973-1989年
エステート・マドリン・ギンズ蔵
©2019 Estate of Madeline Gins. Reproduced with permission the Estate of Madeline Gins.
*5.山口晃
《新東都名所 東海道中「日本橋 改」》
2012年
個人蔵
他にも、当館の設計者・黒川紀章をはじめ数多くの建築家とプロジェクトを様々な作品で紹介している。展示室では作家の国内外を問わず、ゆるやかな年代順に作家ごとに並ぶよう配置してあるが、いずれも一筋縄ではいかない作品ばかりである。
インポッシブル・アーキテクチャーとなることで、可能性をその身内に潜ませたまま現在形であり続けるプロジェクトが発する熱量を、確かめにおいでいただきたい。
■おわりに
様々なインポッシブル・アーキテクチャーを紹介する本展だが、当初は紹介を予定していながら準備段階で泣く泣く諦めたものも多い。アジアや中東、南米などいわゆる後発国とされている地域・国でのインポッシブル・アーキテクチャーも、美術家によるより多様な提案もそうだ。私自身が本展にかかわった期間は実質1年に満たない短い間だが、積み残したこれらを紹介する展覧会が、いつかポッシブルになることを楽しみにしている。
(とみやす れいこ)
■富安玲子(とみやす・れいこ)
神奈川県在住。立教大学文学部史学科卒業後、マリー・ローランサン美術館の学芸員を長く勤めた。2018年度は埼玉県立近代美術館の「インポッシブル・アーキテクチャー」展チームに加わる。
■展覧会データ


展覧会名:インポッシブル・アーキテクチャー展
会場:埼玉県立近代美術館
ウェブサイト:http://www.pref.spec.ed.jp/momas/
展覧会サイト:http://www.pref.spec.ed.jp/momas/index.php?page_id=386
会期:2019年2月2日(土)~3月24日(日)
*会期中一部展示替あり。2月26日(火)より後期展示。
開館時間:10:00 ~ 17:30 (入場は17:00まで)
休館日:月曜日
監修:五十嵐太郎(東北大学教授)
主催:埼玉県立近代美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会
協賛:ライオン、大日本印刷、損保ジャパン日本興亜
協力:Estate of Madeline Gins / Reversible Destiny Foundation、JR東日本大宮 支社、FM NACK5
■巡回情報
本展は下記に巡回します。
●新潟市美術館 2019年4月13日~7月15日
●広島市現代美術館 2019年9月18日~12月8日
●国立国際美術館 2020年1月7日~3月15日
~~~~~
●ホームページのトップの誌面を刷新し、中央列最下段に「作品紹介」のコーナーを新設しました。
安藤忠雄から六角鬼丈まで「主な取扱作家」38作家(各3~5点)の127作品を一挙掲載したのに続き、26日は山田正亮の油彩、アントニン・レーモンドのドローイング、磯辺行久のワッペンのオブジェの3点を、28日にはジョエル・シャピロ、槇文彦、マン・レイのそれぞれ珍しい版画作品を追加掲載しました。すべて在庫がありますので、ご注文いただけます。
画面をスクロールすると全点をご覧いただけますし、ご興味のある画面をクリックすると当該作品のページ(詳細なデータ入り)にリンクします。
作品紹介の更新は毎週4回(火曜・木曜・金曜・土曜)を予定しています。
安藤忠雄
「ピノー美術館」
2003年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:36.0x86.0cm
シートサイズ:65.5x90.0cm
Ed.15 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは今年も<ART FAIR TOKYO 2019>に出展し、「倉俣史朗展」を開催します。
VIPプレビュー:2019年3月7日(木)
一般公開:2019年3月8日(金)~10日(日)
会場:有楽町駅前・東京国際フォーラム ホールE & ロビーギャラリー
ときの忘れものブースナンバー:G128
公式サイト:https://artfairtokyo.com/
出品作家:倉俣史朗+磯崎新・安藤忠雄
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

富安玲子(埼玉県立近代美術館 同展担当チームメンバー)
「インポッシブル・アーキテクチャー」、すなわち「不可能な建築」と称する展覧会の会場に流れる不思議な熱量をどう表現すればよいだろう。本展で取り上げたプロジェクトは、すべてが何らかの理由で「提案」「計画」にとどまった、アンビルドのプロジェクトである。
開催年度の4月というタイミングで本展チームに加わって、末席からこの野心的な企画が形になっていく様を眺めていた私が、常日ごろ親しんできたいわゆる美術展とは少々異質な熱気の在りかを探りながら、本展のさわりをご紹介したい。(以下、全て敬称略)
■はじまり
本展はそもそも当館の建畠晢館長が10年以上も温めてきた企画の一つであった。建築の歴史は当然のように、建ったもの、実現した建築によって語られてきたが、実際にはそれより遙かに多くの建たなかったもの、実現されなかった建築案が存在している。通常は、そのような実現されなかった建築は「アンビルド」の語で表現することが多いが、本展で敢えて「インポッシブル・アーキテクチャー」を採用したのは、ポッシブルとインポッシブルを対立ではなく相互に補完的な概念として捉えることで、建てられなかった建築を、可能性と批評性を内包する存在として位置づけようとする姿勢の表明でもあった。本展において「インポッシブル・アーキテクチャー」として再定義されたそれらのあり方を知ることは、ポシブルとなった建築からだけでは見えてこない、想像力豊かな「もうひとつの建築史」を浮き上がらせることになる、という目論見である。
建畠館長によれば、発案の時点から1919-20年に発表されたウラジーミル・タトリン設計の「第3インターナショナル記念塔」(*1)を出発点として近代から現代に至る約100年間に生まれたプロジェクトを扱う展覧会にするという、起点だけが決まっていた企画案に着地点を与えたのが、2013年の国際コンペによって採用が決まったザハ・ハディドの設計案を一転、廃案にしてしまった新国立競技場にまつわる騒動だったという。そして、監修にこの全体の枠組みを共有する東北大学の五十嵐太郎教授を迎えて展覧会は具体化していった。

制作:野口直人建築設計事務所
《第三インターナショナル記念塔》模型(1:500)
2019年
設計:ウラジーミル・タトリン(1919-20年)
個人蔵
■内容
本展にはおよそ190点が出品されているが、プロジェクトによって出品される内容や点数が異なっている。プロジェクトの性質やオリジナルの発表手法による違いが、現在に残された資料や痕跡の違いにも反映されていて、そのバリエーションの豊かさもインポッシブル・アーキテクチャーならではの個性に満ちている。
出品作を全て紹介する紙幅はないが、建築が実現するか案で終わるかが決する舞台として一般にも連想しやすいコンペ出品作周辺を、まずは例として見てみよう。
川喜田煉七郎による日本人初の国際コンペ入賞(4等)作となった「ウクライナ劇場国際設計競技応募案」(1930年)は、オリジナルの模型や図面は現在では伝えられておらず、展示ではわずかに「ハリコフ国立劇場の応募案」として応募図面が掲載された当時の雑誌と、それら遺された資料の研究成果である最近の制作による模型とによって紹介しているのだが、特にコンペで高く評価された舞台機構の部分模型を、本展のために東北大学五十嵐太郎研究室が詳細な解説を添えて制作した。
同じコンペ出品作でも、コンペ主催者の思想への異議申し立て、ひいては社会的な問題提起として、いわば落選覚悟で出品したプロポーザルもある。
日本におけるその先駆は前川國男が東京帝室博物館の新本館建設のためのコンペに出品した作品だろう。コンペの開催は1930年に発表されたが、「日本趣味を基調とする東洋式」を求める規定に反発した前川は、ル・コルビジュエの元で学んだ最先端のインターナショナル・スタイルで挑み、さらに上野公園周辺の都市デザインにも言及した。現在では戦災によってオリジナルの資料は全て失われており、僅かに雑誌に掲載された図面をもとに、今回、京都工芸繊維大学の松隈洋研究室が模型の制作と「上野周辺図」の復元に取り組んだ。
また、世界的な建築家であり著書『UNBUILT/反建築史』をはじめとする著述家、思想家としても知られる磯崎新が、1986年に実施された現在の東京都庁舎のための指名コンペに出した「東京都新都庁舎計画」もその一つとして良く知られている。彼は、明らかにシンボリックな超高層建築を要求している募集要項に対して、超高層を否定し、縦割り行政から横のネットワークへの移行を促した、巨大な吹き抜け空間を市民のための「大広間」として持つ含意豊かな低層プランを提示した。本展では、アトリエの所員に指示するためのアイデアスケッチや、当時としては珍しかったCGによる図面、また事後制作になる断面模型などでその世界観に迫る。
その約30年後のコンペでCGと模型による新たな時代のプロポーザルを窺わせるのは、藤本壮介による2012年の国際コンペ1等案《べトンハラ・ウォーターフロンント・センター》である(*2)。セルビアの首都ベオグラードの商業・展示施設の建物に、都市計画への提案も含めた「浮遊する雲」のイメージを提示した。すでに当たり前に使われるようになったCG(出力)ではその世界観を端的に表現している。

《べトンハラ・ウォーターフロンント・センター設計競技1等案、完成予想図》
コンピューター・グラフィックス
2012年
そしてコンペにまつわる作品というだけでなく、本展の出品作の中でも大きな関心を寄せられているのがザハ・ハディド・アーキテクツ+設計JV(日建設計、梓設計、日本設計、オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ・ジャパン設計共同体)による「新国立競技場案」(2013-15年)だろう。国際コンペで堂々と1等を獲得し、五輪招致活動においてもアピールポイントとして喧伝され、設計の全ての準備を終えた後になって白紙撤回された、現代日本のある側面をも象徴するようなインポッシブル・アーキテクチャーである。プロポーザルでのCG動画から、4000枚に及ぶ設計図面や風洞実験用の模型などで現実世界に落とし込まれていく様子も非常に生々しく、本来実現されるべきものがインポッシブルとされた時の荒涼とした、しかし熱の残る景色を現場で体験していただきたい。
また、コンペではないが計画途中で頓挫したプロジェクトも見てみよう。
本展の起点となった「第三インターナショナル記念塔」はソビエト連邦成立期に国家プロジェクトの一つとして計画されたが、ロシア革命下の混乱の中で放棄されていった。ちなみに本展のために新たに模型を制作した野口直人(野口直人建築設計事務所)によれば、タトリン自身による図面は不完全で、必ずどこかで「辻褄合わせ」が必要なのだそうだ。
1970年の大阪万博で国際的な注目を浴びた空気膜構造の第一人者、村田豊は、時のソビエト連邦から「ソビエト・青少年スポーツ施設」の設計を依頼された。このプロジェクトが立ち消えになった経緯は知られていないが、本展では気候の調査結果まで含む美しい手書きの全図面を展示する。加えて、注目していただきたいのは小さなモニターで上映している当時のスナップ写真(*3)のスライドショーである。今では失われたオリジナル模型を様々なアングルから事務所内で撮影した写真で、素材の質感や時代の明るい雰囲気まで伝わるのではないだろうか。

《ソビエト青少年スポーツ施設》模型写真
1972年
個人蔵
どの作品にも見どころが詰まった本展だが、その他のインポッシブル・アーキテクチャー、中でも今度はコンペや発注というところから離れて、そもそも実現の可能性を度外視している提案のありようも見てみたい。
まず、技術やデザインなどの当時の水準を超えて、理想や可能性を語った一群がある。
建築案というよりSFに近いファンタジーとしてのプランとしてブルーノ・タウトの書籍『アルプス建築』(1919-20年)を、また発表当時の技術では実現不可能だったプランとして、ミース・ファン・デル・ローエの「ベルリン、フリードリヒ通り駅の摩天楼のコンペ案」(1922年頃)をバナー複製で、日本国内における戦前の一連の詩情あふれる表現主義建築案をオリジナル図面や当時の雑誌、再現模型などで、それぞれ紹介している。
また建築を専門としない私が今回もっとも興味を引かれたのが、社会のあり方を提案する建築家の姿だった。
社会思想家でもあるようなヨナ・フリードマンによる「可動建築/空中都市」(1956年~)は人類の生活様式を変える提案だが、その出品を打診する担当学芸員からのメールに、彼は快諾と共に、技術革新を取り入れた最新のプランである「バイオスフィア:ザ・グローバル・インフラストラクチャー」(2017年)の紹介を逆提案してきた。手書きの図版が入ったPDFを出力した紙を、壁に貼るだけという簡素な展示方法は、老大家自らの指定である。
コンスタン(・ニーヴェンホイス)の国境を越えて繋がる建築のメッセージ性は、近頃話題のトランプ大統領によるメキシコ国境の壁建設案との落差がすさまじい。本展ではコラージュ作品「ニューバビロンのセクターの眺望」(1971年)の大きなバナー複製と共に、版画によるポートフォリオ「ニューバビロン」(1963年)を展示している。
実現を目指していない建築の最たる姿が、印刷物などのメディアにのせてイメージを大量に世の中に発信した、アーキグラムやスーパースタジオの活動だろう。アーキグラムが自ら発行した雑誌に掲載された図版が他の雑誌に再掲載されることで、世の中に大きく広がっていく。本展では「アーキグラム特集」を組む雑誌を紹介する。
思考実験としての建築というものも新鮮だった。「全ては建築である」と言い放ったハンス・ホラインのドローイング「超高層建築」(1958年)とコラージュ「プロジェクト・ゴールデンスマート」(1968年)、優れた教師としても知られるジョン・ヘイダックの図面「ダイヤモンドハウスB」(1963-67年)やドローイング「犠牲者たち」(1984年)、さらに、ダニエル・リベスキンドの鮮烈なドローイング(本展に出品されるのは版画)「マイクロメガス」(1979年)などは、想像力を挑発して止まない。
一方で、近年の建築家からは失われがちだという大胆な発想力で切り込む、美術家の作品にも注目していただきたい。山口晃「新東都名所 東海道中『日本橋 改』」(2012年)(*5)と会田誠は、景観論争が盛んな日本橋について、一見冗談のような、しかしオーセンティシティや原風景、観光資源としての建築の問題をえぐり出す提案をした。
また、先行する荒川修作とマドリン・ギンズは、フランスのエピナールの架橋プロジェクト「問われているプロセス/天命反転の橋」(1973-1989年)(*4)で、橋ひいては建築物に求める機能に根本的な問い直しをしている。全長13メートルに及ぶ「橋」模型の展示は、本展の数多いハイライトの一つであろう。

《問われているプロセス/天命反転の橋》
1973-1989年
エステート・マドリン・ギンズ蔵
©2019 Estate of Madeline Gins. Reproduced with permission the Estate of Madeline Gins.

《新東都名所 東海道中「日本橋 改」》
2012年
個人蔵
他にも、当館の設計者・黒川紀章をはじめ数多くの建築家とプロジェクトを様々な作品で紹介している。展示室では作家の国内外を問わず、ゆるやかな年代順に作家ごとに並ぶよう配置してあるが、いずれも一筋縄ではいかない作品ばかりである。
インポッシブル・アーキテクチャーとなることで、可能性をその身内に潜ませたまま現在形であり続けるプロジェクトが発する熱量を、確かめにおいでいただきたい。
■おわりに
様々なインポッシブル・アーキテクチャーを紹介する本展だが、当初は紹介を予定していながら準備段階で泣く泣く諦めたものも多い。アジアや中東、南米などいわゆる後発国とされている地域・国でのインポッシブル・アーキテクチャーも、美術家によるより多様な提案もそうだ。私自身が本展にかかわった期間は実質1年に満たない短い間だが、積み残したこれらを紹介する展覧会が、いつかポッシブルになることを楽しみにしている。
(とみやす れいこ)
■富安玲子(とみやす・れいこ)
神奈川県在住。立教大学文学部史学科卒業後、マリー・ローランサン美術館の学芸員を長く勤めた。2018年度は埼玉県立近代美術館の「インポッシブル・アーキテクチャー」展チームに加わる。
■展覧会データ


展覧会名:インポッシブル・アーキテクチャー展
会場:埼玉県立近代美術館
ウェブサイト:http://www.pref.spec.ed.jp/momas/
展覧会サイト:http://www.pref.spec.ed.jp/momas/index.php?page_id=386
会期:2019年2月2日(土)~3月24日(日)
*会期中一部展示替あり。2月26日(火)より後期展示。
開館時間:10:00 ~ 17:30 (入場は17:00まで)
休館日:月曜日
監修:五十嵐太郎(東北大学教授)
主催:埼玉県立近代美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会
協賛:ライオン、大日本印刷、損保ジャパン日本興亜
協力:Estate of Madeline Gins / Reversible Destiny Foundation、JR東日本大宮 支社、FM NACK5
■巡回情報
本展は下記に巡回します。
●新潟市美術館 2019年4月13日~7月15日
●広島市現代美術館 2019年9月18日~12月8日
●国立国際美術館 2020年1月7日~3月15日
~~~~~
●ホームページのトップの誌面を刷新し、中央列最下段に「作品紹介」のコーナーを新設しました。
安藤忠雄から六角鬼丈まで「主な取扱作家」38作家(各3~5点)の127作品を一挙掲載したのに続き、26日は山田正亮の油彩、アントニン・レーモンドのドローイング、磯辺行久のワッペンのオブジェの3点を、28日にはジョエル・シャピロ、槇文彦、マン・レイのそれぞれ珍しい版画作品を追加掲載しました。すべて在庫がありますので、ご注文いただけます。
画面をスクロールすると全点をご覧いただけますし、ご興味のある画面をクリックすると当該作品のページ(詳細なデータ入り)にリンクします。
作品紹介の更新は毎週4回(火曜・木曜・金曜・土曜)を予定しています。

「ピノー美術館」
2003年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:36.0x86.0cm
シートサイズ:65.5x90.0cm
Ed.15 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは今年も<ART FAIR TOKYO 2019>に出展し、「倉俣史朗展」を開催します。

一般公開:2019年3月8日(金)~10日(日)
会場:有楽町駅前・東京国際フォーラム ホールE & ロビーギャラリー
ときの忘れものブースナンバー:G128
公式サイト:https://artfairtokyo.com/
出品作家:倉俣史朗+磯崎新・安藤忠雄
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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