土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」
8.瀧口修造『16の横顔・ボナールからアルプへ』~前編
瀧口修造『16の横顔・ボナールからアルプへ』
白揚社
21.5×15.3㎝(菊判)
本文185頁 あとがき1頁
奥付の記載事項
16の横顔・ボナールからアルプへ
定価680円 地方定価700円
1955.6.5初版印刷 1955.6.30初版発行
<著者>滝口修造<発行者>中村浩<本文印刷>小泉印刷株式会社<写真製版>広橋精版印刷株式会社<原色版印刷>松本印刷株式会社<製本>小泉製本株式会社<使用材料>日本加工特アート紙<発行所>東京・神田司町1の8 白揚社
電話神田(29)4485・4141 振替 東京25400
図1 『16の横顔・ボナールからアルプへ』
『16の横顔・ボナールからアルプへ』は、前回採り上げた『今日の美術と明日の美術』に続く、瀧口3冊目の評論集で、前著とほぼ同時期の、終戦直後から1950年代前半に発表された雑誌記事を編集したものです。発行所の白揚社では、1952年12月刊行の『現代美術事典』(図2)の編纂に携わった経緯があります。なお、この事典の編纂者は掲載順に、瀧口、福沢一郎、末松正樹、河北倫明、今和次郎、小池新二、原弘、吉田謙吉、金丸重嶺の、計9名です。
図2 『現代美術事典』
前著『今日の美術と明日の美術』が日本美術、展覧会表、詩、写真、映画など幅広い分野を対象にしていたのに対し、本書では西洋の美術家に関するエッセイに絞リ込まれ、19編が4部構成に纏められています。目次頁を下に掲げておきます(図3)。各部の内容について、「あとがき」(図4)で著者自ら次のように解説しています。
「第1部は戦中戦後に世を去った画家たちにささげられ、第2部は現存の画家たちを扱い、第3部では特にピカソをクローズアップし、第4部では彫刻家たちをまとめてある。」
図3 目次
図4 あとがき
実際に取り上げられているのは、タイトルが示すとおり16名の美術家で、第1部がボナール、ピエール・ロワ、クレー、ベラール、モンドリアンの5名(各1篇)、第2部がブラック、ハンス・エルニ、ミロ、レジェ、マーク・トビー、モリス・グレイヴズの6名(トビーとグレイヴズの2名で1篇、他は各1篇)、第3部がピカソのみ(5篇)、第4部はヘンリー・ムーア、カルダー、イサム・ノグチ、アルプの4名(各1篇)です。「あとがき」の冒頭からその直前までの箇所も引用しておきます。
「この本は、第2次大戦が終わって間もなく、ながいあいだ眼と耳を奪われていた私たちがふたたび世界の美術の動きにいきいきとした関心をもちはじめた頃から、諸雑誌にもとめられて書いた作家の横顔を十六人あつめてみたのである。だから「生きているピカソ」のように、戦争中ブランクになっていた芸術家の影像を呼びもどそうとした、著者にとって感慨深いものもある。いずれにしても、その折々の状況における解説者として、時には素朴なルポルタージュの仲介者としての役目をまず果たそうとしたもので、海外との交流がめざましく快復した今日では格別目あたらしくもないだろうが、このように再編集することによって多少の意義が生じてこようかと思う。率直にいって、たのしく読んでいただきたいのが念願である。そしていつも新鮮であるべき平和のために、と著者の微意を書き添えておきたい。[後略]」
作品などの図版も豊富に掲載されています。印刷技術がめざましい進歩を遂げた今日から見ると、やや時代性を感じさせるかもしれませんが、口絵などのカラー図版(図5)だけでなくモノクロの図版(図6)も、当時としてはたいへん美しく感じられたことでしょう。
図5 口絵と扉
図6 モノクロ図版
各論考冒頭部のカットに各作家の肖像とサインの図版が使用されています(図7)。「あとがき」に「装本・レイアウトに苦心を払っていただいた宮桐四郎氏」と記されているとおり、本書が瀧口の自装ではありませんが、肖像やサインをモチーフに用いるデザインは、後に刊行される自装本・装幀本に受け継がれていきますので、瀧口自身の意向が反映されているのは間違いないところでしょう。この点で、後年の自装本の原点と位置付けることもできると思われます。
図7 「ボナールの晩年」冒頭部
さて、本書の際立った特色は、何と言っても第3部がすべてピカソに充てられていることでしょう。特に「あとがき」でも触れられた「生きているピカソ」(図8)は、1947年12月に雑誌「創美」創刊号(図9)に発表された、たいへん印象的な論考で、第2次大戦中に行方知れずだったピカソの消息と生活ぶりが判明した際の驚きや感動が、次のような記述からも伝わってきます。
「[前略]しかしやがてフランスが解放されてみると、彼はあらゆる予想を裏切って、パリのアトリエにこもって、制作に余念がなかったのである。そのあいだ、彼は抗独運動の連中と秘かに会うだけで、ほとんど孤独の生活であった。これは、あの混乱のさなかでは奇蹟的な事実としか思えない。[後略]」
図8 「生きているピカソ」
図9 「創美」(創刊号)
※後半は次回4月23日に掲載します。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"Ⅱ-21"
デカルコマニー
イメージサイズ:15.5×9.3cm
シートサイズ :25.7×19.0cm
※Ⅱ-20と対
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。
*日・月・祝日は休廊。
8.瀧口修造『16の横顔・ボナールからアルプへ』~前編
瀧口修造『16の横顔・ボナールからアルプへ』
白揚社
21.5×15.3㎝(菊判)
本文185頁 あとがき1頁
奥付の記載事項
16の横顔・ボナールからアルプへ
定価680円 地方定価700円
1955.6.5初版印刷 1955.6.30初版発行
<著者>滝口修造<発行者>中村浩<本文印刷>小泉印刷株式会社<写真製版>広橋精版印刷株式会社<原色版印刷>松本印刷株式会社<製本>小泉製本株式会社<使用材料>日本加工特アート紙<発行所>東京・神田司町1の8 白揚社
電話神田(29)4485・4141 振替 東京25400

『16の横顔・ボナールからアルプへ』は、前回採り上げた『今日の美術と明日の美術』に続く、瀧口3冊目の評論集で、前著とほぼ同時期の、終戦直後から1950年代前半に発表された雑誌記事を編集したものです。発行所の白揚社では、1952年12月刊行の『現代美術事典』(図2)の編纂に携わった経緯があります。なお、この事典の編纂者は掲載順に、瀧口、福沢一郎、末松正樹、河北倫明、今和次郎、小池新二、原弘、吉田謙吉、金丸重嶺の、計9名です。

前著『今日の美術と明日の美術』が日本美術、展覧会表、詩、写真、映画など幅広い分野を対象にしていたのに対し、本書では西洋の美術家に関するエッセイに絞リ込まれ、19編が4部構成に纏められています。目次頁を下に掲げておきます(図3)。各部の内容について、「あとがき」(図4)で著者自ら次のように解説しています。
「第1部は戦中戦後に世を去った画家たちにささげられ、第2部は現存の画家たちを扱い、第3部では特にピカソをクローズアップし、第4部では彫刻家たちをまとめてある。」


実際に取り上げられているのは、タイトルが示すとおり16名の美術家で、第1部がボナール、ピエール・ロワ、クレー、ベラール、モンドリアンの5名(各1篇)、第2部がブラック、ハンス・エルニ、ミロ、レジェ、マーク・トビー、モリス・グレイヴズの6名(トビーとグレイヴズの2名で1篇、他は各1篇)、第3部がピカソのみ(5篇)、第4部はヘンリー・ムーア、カルダー、イサム・ノグチ、アルプの4名(各1篇)です。「あとがき」の冒頭からその直前までの箇所も引用しておきます。
「この本は、第2次大戦が終わって間もなく、ながいあいだ眼と耳を奪われていた私たちがふたたび世界の美術の動きにいきいきとした関心をもちはじめた頃から、諸雑誌にもとめられて書いた作家の横顔を十六人あつめてみたのである。だから「生きているピカソ」のように、戦争中ブランクになっていた芸術家の影像を呼びもどそうとした、著者にとって感慨深いものもある。いずれにしても、その折々の状況における解説者として、時には素朴なルポルタージュの仲介者としての役目をまず果たそうとしたもので、海外との交流がめざましく快復した今日では格別目あたらしくもないだろうが、このように再編集することによって多少の意義が生じてこようかと思う。率直にいって、たのしく読んでいただきたいのが念願である。そしていつも新鮮であるべき平和のために、と著者の微意を書き添えておきたい。[後略]」
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各論考冒頭部のカットに各作家の肖像とサインの図版が使用されています(図7)。「あとがき」に「装本・レイアウトに苦心を払っていただいた宮桐四郎氏」と記されているとおり、本書が瀧口の自装ではありませんが、肖像やサインをモチーフに用いるデザインは、後に刊行される自装本・装幀本に受け継がれていきますので、瀧口自身の意向が反映されているのは間違いないところでしょう。この点で、後年の自装本の原点と位置付けることもできると思われます。

さて、本書の際立った特色は、何と言っても第3部がすべてピカソに充てられていることでしょう。特に「あとがき」でも触れられた「生きているピカソ」(図8)は、1947年12月に雑誌「創美」創刊号(図9)に発表された、たいへん印象的な論考で、第2次大戦中に行方知れずだったピカソの消息と生活ぶりが判明した際の驚きや感動が、次のような記述からも伝わってきます。
「[前略]しかしやがてフランスが解放されてみると、彼はあらゆる予想を裏切って、パリのアトリエにこもって、制作に余念がなかったのである。そのあいだ、彼は抗独運動の連中と秘かに会うだけで、ほとんど孤独の生活であった。これは、あの混乱のさなかでは奇蹟的な事実としか思えない。[後略]」


※後半は次回4月23日に掲載します。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。

"Ⅱ-21"
デカルコマニー
イメージサイズ:15.5×9.3cm
シートサイズ :25.7×19.0cm
※Ⅱ-20と対
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●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

E-mail:info@tokinowasuremono.com
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