石原輝雄のエッセイ「マルセル、きみは寂しそうだ。」─9
ニューヨークの贈り物
『マン・レイ展』案内状、コーディエ&エクストロム画廊、1963年、28×22.1cm 片面刷り
ニューヨーク・ダダの研究者でマルセル・デュシャンの専門家、マン・レイに関する評論も多く発表しているフランシス・M・ナウマン氏から「ソウルの国立現代美術館で開催されている『マルセル・デュシャン』展で講演を依頼されたので終了後、一週間程度日本を訪問しようと思うが、会えるだろうか?」とメールが入ったのは2月の初めだった。氏との交流は伊藤忠ギャラリーで『マン・レイ: 自由と喜び』展があった1998年からだと記憶する。直接、お会いした事はないが、マン・レイの情報を幾つも頂戴し、こちらからは、わたしの活動を中心に日本の動向などを伝えてきた。日頃から気になっている氏の研究成果やアートマーケットの情報などを直接、教えていただきたいと思い「喜んでお待ちする」と返答した。
フランシス・M・ナウマン
京都とニューヨークとの時差は▲14時間(昼夜逆転ですな)、ゆっくり調べて、この連載で報告している京都国立近代美術館所蔵のレディメード(シュワルツ版、1964年)や、富山県美術館所蔵の限定豪華版『トランクのなかの箱』所収の『罪のある風景』(1946年)など、氏の日本での調査事項に協力する情報を提供した。──レディメードのコンプリートやデュシャンが「スペルマ」で描きマリアに贈った風景画(?)をはるか極東まで旅しても観たいナウマン氏の情熱、同病なのでわたしにもよく理解できる。それで、富山からJRで上洛される予定の氏に「京都駅まで迎えに行きます、これがわたしです」と恥ずかしながらの自写像を送ったところ、折返し、数年前の写真だと断ったうえで教授然とした紳士の肖像写真が返されてきた。知的で男前、それに同世代の印象。これを伝えたら「あの写真は古いんだ、今はこんな様子」とタトゥーを入れた左腕を示すびっくり仰天の画像が送られてきた。彫師と共ににっこり笑うナウマン氏。デュシャンのレディメード『瓶乾燥器』がくっきり描かれている。添えられた説明には「70歳で初めて彫り物を入れました。後悔するとしても人生は残り少ないし、私のプロとしての経験のすべてを捧げてきた芸術家に敬意を払うのに最適なイメージです。もう一方の腕にはマン・レイを入れようか?」とあって、この人は只者じゃないと、わたしはひれ伏した。愛する芸術家に批評の言葉だけじゃなくて、肉体そのものを捧げるなんて、どのようにデュシャンと出会い人生を走ってきたのか、わたしより3歳年上の「○○狂い」の青春に迫ってみたい。──この年齢差、デュシャンとマン・レイと同じなのです。
タトゥーの絵柄は『瓶乾燥器』
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ニューヨーク州北部の小さな町で育ち、芸術作品の実物と接する機会のなかった少年を美術に導いたのは、修道女たちから渡されたレンブラント、ドーミエ、ゴッホ、ゴーギャン、モネ、ピカソなどの複製絵葉書だったようである。母親が理解を示し芸術の歴史を知るためにタイム・ライフ・ライブラリーの購読を勧めてくれてドラクロアやダヴィンチなど毎月初めに送られてくる同書を熱心に読み、自身も後者のような「世界を変えることのできる独創力を備えた技術者、芸術家になろうと決心した」と打ち明ける。そして、彼の回想は1966年早春の土曜日の朝、郵便配達人が運んできた小包を開いた時の衝撃を伝える。本の表紙にあったのは「台所の椅子に取り付けられた普通の自転車の車輪」で、「出版社が誤ってある種の力学ガイドを送ってきたに違いない」と思い、小包を返しに外に出たところ、郵便配達人が隣家の女性と話をしていたので、割り込まずに辛抱強く待った。改めて本を調べると、それまでの本の様式と同じで背表紙には『マルセル・デュシャンの世界』と書いてあり、複製図版の雪掻きや小便器などに芸術作品のようなキャプションが振られている。──18歳の高校1年生だった氏に、この瞬間、知的衝撃が襲い人生は永遠に変わってしまったと云う。
何度も何度もこの本を読み、デュシャンこそが生きている最高の芸術家だと結論を下し、他の人も同じように感じているだろうと思ったのに、最初に通った大学の先生は名前も知らなかったと打ち明ける。マース・カニングハムのダンスパホーマンスで生前のデュシャンを観る機会があったのに逃したエピソードや、自身も芸術家になろうとした心境、自作のための説明文の方が「作品そのものより面白い」と気付いた事、レオ・スタインバーグの授業など興味深い話題と共に、青春期の衝撃から人格の形成に至るデュシャンの影響、「芸術作品間の相互関係よりも、特定の芸術作品が誕生する原因となった事実と状況への関心」の深まりに、同じように青春を過ごしてきたわたしは共感を持った。彼の研究テーマは「ニューヨーク・ダダ」に絞られ、存命だったベアトリス・ウッド(1893-1998)との友情を育み、誇りを持って自身の娘にBeaと名付けるまでの親友となった。デュシャンと恋人関係でもあったベアトリスとの交流から、作家の個性についてより深い洞察を重ね、敬愛するデュシャンの考え方と自身の人生について考えを深めたと云う。
-----
フランシス・M・ナウマン氏の業績は、著作刊行にとどまらず展覧会を組織されてこられたところにあると思う。「芸術的作品をその物理的美しさから賞賛すると同時に半網膜的スタンスを裏切らない事を可能とする運営原則」、宣教師の熱意を持ってわたしたちにデュシャンについて話しかける氏は、18歳の時の衝撃を生涯にわたって持ち続けている人であり、「作品の背後にある革命的な概念がわたしたちの芸術に対する理解を変えただけでなく、西洋美術の未来を変え続け、無数の作品に影響を与え続けていると云う認識」は、芸術家になろうとした人の発言である。氏は同時代の作家に対する共通のテーマに、「反逆、ユーモア、個人的な財政」を上げているが、これも、マン・レイを研究するわたしのアプローチと同じである。2月23日のソウルでの講演は興味深く、若い人たちに素晴らしい影響を与えるだろうと期待した。
----
東京や京都などでの関係者との歓談を楽しみに氏の来日を待っていたところ、17日に「犬の散歩に出かけようとした自宅前で、薄氷に足を滑らせ骨折してしまった。激痛をともない医者から6~8週間、旅行はしないように忠告された」との悪い知らせが入った。病状を心配し直ぐにメールを書いたが、日本以上に韓国の担当者は落胆しただろうと推測される。予定されていた講演はデュシャンの代表作4点を選び、それぞれ専門家が90分間受け持つプログラムで、初回を担当するナウマン氏は『階段を降りる裸体 No.2』を取り上げるつもりだったと云う。結局、スカイプで出演されたと聞いたが、人との出会いが突然に閉ざされ仮想空間だけとなった時、タイム・ライフの本を手にした青春期の衝撃が上手く視聴者に伝わったか心配となった。──いやいや心配はない、その場にはデュシャンの現物がある。わたしも東京国立博物館で拝見したから、取り越し苦労だと思った。
「この薄氷で骨折」
----
「悪い知らせ」と共に、氏の表現でわたしにとっての「良い知らせ」ももたらされた。日本でのいろいろな準備のお礼にと、マン・レイとデュシャンに関する重要なエフェメラを譲ってくださると云う。荷物の紛失を危惧し「会った時に直接渡す」としていたものを、フェディックス便で送ってくれる。40年以上探してきたものだから狂喜した。本稿はこの出会いに至る報告と告白するのが、筋だろうな──
ニューヨークのコーディエ&エクストロム画廊で1963年4月30日から5月18日まで開催された『マン・レイ』展を案内する大判シートで、マン・レイから画廊の照会を受けたデュシャンが画廊主の人柄と施設、雰囲気、ニューヨークでの位置付などを保証し、友情あふれるテキストをしたためたもの。2月22日に届いた小包を開けると、シートは画廊の封筒に入れられており、表には自身の弁護士に宛てたデュシャンの筆跡で「マン・レイ お知らせ」とある。シートの様子は冒頭の写真を見てもらいたいが、『大胆不敵な人生』と緑色のインクで刷られたテキストを、友人の助けを借りてわたしなりに読んでみた(専門家の解釈をお聞きしたい)。
大胆不敵な人生
偽名の人
反逆の人
職人任せの人
署名の人
破壊の人
再制作の人
体調不良の人
そして、最後に更年期障害
動脈硬化と関節硬直の共存
それでもあえての大胆不敵。
コーディエ&エクストロムでのマン・レイ展のために
マルセル・デュシャン 1963
(原文は以下)
LA VIE EN OSE
on suppose
on oppose
on impose
on appose
on depose
on repose
on indispose
et Finalement une dose de Menopause
AVEC osmose sclerose et ankylose
MAIS la chose qui ose.
Pour Man Ray chez Cordier et Ekstrom
MARCEL DUCHAMP 1963
----
銀紙書房『折れた足首の前で』2019.3.20.刊、限定2部18.5×13cm 72頁
75歳のデュシャンが、3歳年下のマン・レイに贈ったメッセージは、二人の長い友情に裏付けされた心温まるもので、互いの健康を気にかけながら、「僕はローズだから、君はオーズだね」と、ウィットにとんだ言葉遊びが伝わってくる。わたしは本当にこのシートが欲しかった。長く探し求めれば、いつか希望は叶う。ナウマン氏の災難には申し訳ないと思いつつ人生の幸せを感じるのだった。「それで」と書くと不謹慎だが、銀紙書房本の原点に戻って、この出会いを限定2部の小冊子にして氏に送った。折返しの返信には「会った事がなく、7,000マイルも離れているのに、わたしたちの友情が記録されて嬉しい」と。
(追記) ナウマン氏が関係した主なマン・レイ展のカタログをあげる。氏は自身の画廊を2001年に開設、現在はニューヨーク西24番地57丁目にあり、隣接するビルには1940年代にペギー・グッケンハイムの今世紀画廊が入居していた。
Man Ray: The New York Years - 1913 to 1921, 1989 at Zabriskie Gallery.
MAN RAY IN AMERICA, 1989 at The Haggerty Museum of Art.
Dada(freedom) + Surrealism(pleasure) = Man Ray,1997 at Andre Emmerich Gallery.
Man Ray in America: Paintings, Drawings, Sculpture, and Photographs from the New York/Ridgefield(1912-1921) and Hollywood(1940-50)Years, 2001 at Francis M. Naumann Fine Art.
Conversion to Modernism: The Early Work of Man Ray, 2003 at Montclair Art Museum.
MAN RAY: Printmaker, 2013 at Francis M. Naumann Fine Art.
MAN RAY: CONTINUED and NOTICED, 2016 at Francis M. Naumann Fine Art.
(いしはら・てるお)
■石原輝雄「マルセル、きみは寂しそうだ。」
第1回(2017年6月9日)『「271」って何んなのよ』
第2回(2017年7月18日)『鏡の前のリチャード』
第3回(2017年9月21日)『ベアトリスの手紙』
第4回(2017年11月22日)『読むと赤い。』
第5回(2018年2月11日)『精子たちの道連れ』
第6回(2018年10月8日)『エロティックな左腕』
第7回(2018年11月2日)『親しげな影』
第8回(2019年2月18日)『コレクターへの鎮魂歌』
~~~
●毎月3日は小松崎拓男さんの連載エッセイ「松本竣介研究ノート」の更新日ですが、今月は筆者の事情により休載です。
●本日のお勧め作品はマン・レイです。
マン・レイ Man RAY
《板上の影》
1972年 ポショワール
イメージサイズ:46.0×36.0cm
額装サイズ:67.5×87.0cm
Ed.140 (E.A.) Signed
*レゾネNo.98 (Studio Marconi)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものでは「第311回企画◆葉栗剛展 」を開催します。
会期:2019年5月24日[金]―6月8日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは毎年アジアやアメリカのアートフェアに出展し、木彫作家・葉栗剛の作品をメインに出品しています。今回は、2014年以来二回目となる個展を開催し、国内未公開作品11点をご覧いただきます。
初日5月24日[金]17時よりオープニングを開催します。
●ときの忘れものは4月28日(日)から5月6日(月)まで休廊します。連休中のお問い合わせには5月7日(火)以降にお返事いたします。
●『DEAR JONAS MEKAS 僕たちのすきなジョナス・メカス』
会期:2019年5月11日(土)~6月13日(木)
会場:OUR FAVOURITE SHOP 内 OFS gallery
〒108-0072 東京都港区白金5-12-21 TEL.03-6677-0575
OPEN 12:00-19:00(ただし展示最終日は17:00まで)
CLOSE: 月・火(祝日を除く)
●『光嶋裕介展~光のランドスケープ』
会期:2019年4月20日(土)~5月19日(日)
会場:アンフォルメル中川村美術館
[開館時間]火・木・土・日曜日 祝日 9時~16時(連休中は全日開館しています)
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。
*日・月・祝日は休廊。
ニューヨークの贈り物

ニューヨーク・ダダの研究者でマルセル・デュシャンの専門家、マン・レイに関する評論も多く発表しているフランシス・M・ナウマン氏から「ソウルの国立現代美術館で開催されている『マルセル・デュシャン』展で講演を依頼されたので終了後、一週間程度日本を訪問しようと思うが、会えるだろうか?」とメールが入ったのは2月の初めだった。氏との交流は伊藤忠ギャラリーで『マン・レイ: 自由と喜び』展があった1998年からだと記憶する。直接、お会いした事はないが、マン・レイの情報を幾つも頂戴し、こちらからは、わたしの活動を中心に日本の動向などを伝えてきた。日頃から気になっている氏の研究成果やアートマーケットの情報などを直接、教えていただきたいと思い「喜んでお待ちする」と返答した。

京都とニューヨークとの時差は▲14時間(昼夜逆転ですな)、ゆっくり調べて、この連載で報告している京都国立近代美術館所蔵のレディメード(シュワルツ版、1964年)や、富山県美術館所蔵の限定豪華版『トランクのなかの箱』所収の『罪のある風景』(1946年)など、氏の日本での調査事項に協力する情報を提供した。──レディメードのコンプリートやデュシャンが「スペルマ」で描きマリアに贈った風景画(?)をはるか極東まで旅しても観たいナウマン氏の情熱、同病なのでわたしにもよく理解できる。それで、富山からJRで上洛される予定の氏に「京都駅まで迎えに行きます、これがわたしです」と恥ずかしながらの自写像を送ったところ、折返し、数年前の写真だと断ったうえで教授然とした紳士の肖像写真が返されてきた。知的で男前、それに同世代の印象。これを伝えたら「あの写真は古いんだ、今はこんな様子」とタトゥーを入れた左腕を示すびっくり仰天の画像が送られてきた。彫師と共ににっこり笑うナウマン氏。デュシャンのレディメード『瓶乾燥器』がくっきり描かれている。添えられた説明には「70歳で初めて彫り物を入れました。後悔するとしても人生は残り少ないし、私のプロとしての経験のすべてを捧げてきた芸術家に敬意を払うのに最適なイメージです。もう一方の腕にはマン・レイを入れようか?」とあって、この人は只者じゃないと、わたしはひれ伏した。愛する芸術家に批評の言葉だけじゃなくて、肉体そのものを捧げるなんて、どのようにデュシャンと出会い人生を走ってきたのか、わたしより3歳年上の「○○狂い」の青春に迫ってみたい。──この年齢差、デュシャンとマン・レイと同じなのです。

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ニューヨーク州北部の小さな町で育ち、芸術作品の実物と接する機会のなかった少年を美術に導いたのは、修道女たちから渡されたレンブラント、ドーミエ、ゴッホ、ゴーギャン、モネ、ピカソなどの複製絵葉書だったようである。母親が理解を示し芸術の歴史を知るためにタイム・ライフ・ライブラリーの購読を勧めてくれてドラクロアやダヴィンチなど毎月初めに送られてくる同書を熱心に読み、自身も後者のような「世界を変えることのできる独創力を備えた技術者、芸術家になろうと決心した」と打ち明ける。そして、彼の回想は1966年早春の土曜日の朝、郵便配達人が運んできた小包を開いた時の衝撃を伝える。本の表紙にあったのは「台所の椅子に取り付けられた普通の自転車の車輪」で、「出版社が誤ってある種の力学ガイドを送ってきたに違いない」と思い、小包を返しに外に出たところ、郵便配達人が隣家の女性と話をしていたので、割り込まずに辛抱強く待った。改めて本を調べると、それまでの本の様式と同じで背表紙には『マルセル・デュシャンの世界』と書いてあり、複製図版の雪掻きや小便器などに芸術作品のようなキャプションが振られている。──18歳の高校1年生だった氏に、この瞬間、知的衝撃が襲い人生は永遠に変わってしまったと云う。
何度も何度もこの本を読み、デュシャンこそが生きている最高の芸術家だと結論を下し、他の人も同じように感じているだろうと思ったのに、最初に通った大学の先生は名前も知らなかったと打ち明ける。マース・カニングハムのダンスパホーマンスで生前のデュシャンを観る機会があったのに逃したエピソードや、自身も芸術家になろうとした心境、自作のための説明文の方が「作品そのものより面白い」と気付いた事、レオ・スタインバーグの授業など興味深い話題と共に、青春期の衝撃から人格の形成に至るデュシャンの影響、「芸術作品間の相互関係よりも、特定の芸術作品が誕生する原因となった事実と状況への関心」の深まりに、同じように青春を過ごしてきたわたしは共感を持った。彼の研究テーマは「ニューヨーク・ダダ」に絞られ、存命だったベアトリス・ウッド(1893-1998)との友情を育み、誇りを持って自身の娘にBeaと名付けるまでの親友となった。デュシャンと恋人関係でもあったベアトリスとの交流から、作家の個性についてより深い洞察を重ね、敬愛するデュシャンの考え方と自身の人生について考えを深めたと云う。
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フランシス・M・ナウマン氏の業績は、著作刊行にとどまらず展覧会を組織されてこられたところにあると思う。「芸術的作品をその物理的美しさから賞賛すると同時に半網膜的スタンスを裏切らない事を可能とする運営原則」、宣教師の熱意を持ってわたしたちにデュシャンについて話しかける氏は、18歳の時の衝撃を生涯にわたって持ち続けている人であり、「作品の背後にある革命的な概念がわたしたちの芸術に対する理解を変えただけでなく、西洋美術の未来を変え続け、無数の作品に影響を与え続けていると云う認識」は、芸術家になろうとした人の発言である。氏は同時代の作家に対する共通のテーマに、「反逆、ユーモア、個人的な財政」を上げているが、これも、マン・レイを研究するわたしのアプローチと同じである。2月23日のソウルでの講演は興味深く、若い人たちに素晴らしい影響を与えるだろうと期待した。
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東京や京都などでの関係者との歓談を楽しみに氏の来日を待っていたところ、17日に「犬の散歩に出かけようとした自宅前で、薄氷に足を滑らせ骨折してしまった。激痛をともない医者から6~8週間、旅行はしないように忠告された」との悪い知らせが入った。病状を心配し直ぐにメールを書いたが、日本以上に韓国の担当者は落胆しただろうと推測される。予定されていた講演はデュシャンの代表作4点を選び、それぞれ専門家が90分間受け持つプログラムで、初回を担当するナウマン氏は『階段を降りる裸体 No.2』を取り上げるつもりだったと云う。結局、スカイプで出演されたと聞いたが、人との出会いが突然に閉ざされ仮想空間だけとなった時、タイム・ライフの本を手にした青春期の衝撃が上手く視聴者に伝わったか心配となった。──いやいや心配はない、その場にはデュシャンの現物がある。わたしも東京国立博物館で拝見したから、取り越し苦労だと思った。

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「悪い知らせ」と共に、氏の表現でわたしにとっての「良い知らせ」ももたらされた。日本でのいろいろな準備のお礼にと、マン・レイとデュシャンに関する重要なエフェメラを譲ってくださると云う。荷物の紛失を危惧し「会った時に直接渡す」としていたものを、フェディックス便で送ってくれる。40年以上探してきたものだから狂喜した。本稿はこの出会いに至る報告と告白するのが、筋だろうな──
ニューヨークのコーディエ&エクストロム画廊で1963年4月30日から5月18日まで開催された『マン・レイ』展を案内する大判シートで、マン・レイから画廊の照会を受けたデュシャンが画廊主の人柄と施設、雰囲気、ニューヨークでの位置付などを保証し、友情あふれるテキストをしたためたもの。2月22日に届いた小包を開けると、シートは画廊の封筒に入れられており、表には自身の弁護士に宛てたデュシャンの筆跡で「マン・レイ お知らせ」とある。シートの様子は冒頭の写真を見てもらいたいが、『大胆不敵な人生』と緑色のインクで刷られたテキストを、友人の助けを借りてわたしなりに読んでみた(専門家の解釈をお聞きしたい)。
大胆不敵な人生
偽名の人
反逆の人
職人任せの人
署名の人
破壊の人
再制作の人
体調不良の人
そして、最後に更年期障害
動脈硬化と関節硬直の共存
それでもあえての大胆不敵。
コーディエ&エクストロムでのマン・レイ展のために
マルセル・デュシャン 1963
(原文は以下)
LA VIE EN OSE
on suppose
on oppose
on impose
on appose
on depose
on repose
on indispose
et Finalement une dose de Menopause
AVEC osmose sclerose et ankylose
MAIS la chose qui ose.
Pour Man Ray chez Cordier et Ekstrom
MARCEL DUCHAMP 1963
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75歳のデュシャンが、3歳年下のマン・レイに贈ったメッセージは、二人の長い友情に裏付けされた心温まるもので、互いの健康を気にかけながら、「僕はローズだから、君はオーズだね」と、ウィットにとんだ言葉遊びが伝わってくる。わたしは本当にこのシートが欲しかった。長く探し求めれば、いつか希望は叶う。ナウマン氏の災難には申し訳ないと思いつつ人生の幸せを感じるのだった。「それで」と書くと不謹慎だが、銀紙書房本の原点に戻って、この出会いを限定2部の小冊子にして氏に送った。折返しの返信には「会った事がなく、7,000マイルも離れているのに、わたしたちの友情が記録されて嬉しい」と。
(追記) ナウマン氏が関係した主なマン・レイ展のカタログをあげる。氏は自身の画廊を2001年に開設、現在はニューヨーク西24番地57丁目にあり、隣接するビルには1940年代にペギー・グッケンハイムの今世紀画廊が入居していた。
Man Ray: The New York Years - 1913 to 1921, 1989 at Zabriskie Gallery.
MAN RAY IN AMERICA, 1989 at The Haggerty Museum of Art.
Dada(freedom) + Surrealism(pleasure) = Man Ray,1997 at Andre Emmerich Gallery.
Man Ray in America: Paintings, Drawings, Sculpture, and Photographs from the New York/Ridgefield(1912-1921) and Hollywood(1940-50)Years, 2001 at Francis M. Naumann Fine Art.
Conversion to Modernism: The Early Work of Man Ray, 2003 at Montclair Art Museum.
MAN RAY: Printmaker, 2013 at Francis M. Naumann Fine Art.
MAN RAY: CONTINUED and NOTICED, 2016 at Francis M. Naumann Fine Art.
(いしはら・てるお)
■石原輝雄「マルセル、きみは寂しそうだ。」
第1回(2017年6月9日)『「271」って何んなのよ』
第2回(2017年7月18日)『鏡の前のリチャード』
第3回(2017年9月21日)『ベアトリスの手紙』
第4回(2017年11月22日)『読むと赤い。』
第5回(2018年2月11日)『精子たちの道連れ』
第6回(2018年10月8日)『エロティックな左腕』
第7回(2018年11月2日)『親しげな影』
第8回(2019年2月18日)『コレクターへの鎮魂歌』
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●毎月3日は小松崎拓男さんの連載エッセイ「松本竣介研究ノート」の更新日ですが、今月は筆者の事情により休載です。
●本日のお勧め作品はマン・レイです。

《板上の影》
1972年 ポショワール
イメージサイズ:46.0×36.0cm
額装サイズ:67.5×87.0cm
Ed.140 (E.A.) Signed
*レゾネNo.98 (Studio Marconi)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものでは「第311回企画◆葉栗剛展 」を開催します。
会期:2019年5月24日[金]―6月8日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものは毎年アジアやアメリカのアートフェアに出展し、木彫作家・葉栗剛の作品をメインに出品しています。今回は、2014年以来二回目となる個展を開催し、国内未公開作品11点をご覧いただきます。
初日5月24日[金]17時よりオープニングを開催します。
●ときの忘れものは4月28日(日)から5月6日(月)まで休廊します。連休中のお問い合わせには5月7日(火)以降にお返事いたします。
●『DEAR JONAS MEKAS 僕たちのすきなジョナス・メカス』
会期:2019年5月11日(土)~6月13日(木)
会場:OUR FAVOURITE SHOP 内 OFS gallery
〒108-0072 東京都港区白金5-12-21 TEL.03-6677-0575
OPEN 12:00-19:00(ただし展示最終日は17:00まで)
CLOSE: 月・火(祝日を除く)
●『光嶋裕介展~光のランドスケープ』
会期:2019年4月20日(土)~5月19日(日)
会場:アンフォルメル中川村美術館
[開館時間]火・木・土・日曜日 祝日 9時~16時(連休中は全日開館しています)
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。
*日・月・祝日は休廊。
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