H氏による作品紹介2
イル・テンポのあった時 ~アキ・ルミ、荒井浩之、植田正治、オノデラユキ、北井一夫、スワヴォミル・ルミャック~
高円寺の駅を降りて南口から歩いて5分、打ちっ放しのコンクリートのビルの2階、雰囲気のある外階段を登って分厚いガラスのドアを開けるとそこが「イル・テンポ」だった。日本で初めての写真専門ギャラリー「ツァイト・フォト・サロン」の姉妹ギャラリーとして1990年にオープン、ツァイトの石原悦郎さんのご夫人石原和子さんが主宰されていた。
よく「ここはついでに来てもらえるような場所じゃないから、わざわざ来てもらえるような展示をしないといけないの」と言っておられたが、私が初めて足を運んだアジェを始め、マン・レイ、ドアノー、ロバート・フランク、ウィリアム・クライン、リー・フリードランダーといった写真史の教科書に載っているような巨匠を始め、植田正治、北井一夫、荒木経惟、森山大道、柴田敏雄らの作品が展示され、ツァイトの別館のような趣きがあった。
また、マイケル・ケンナやジョック・スタージスといった独特の作風を持つ作家の新作が発表される日本でのマザーギャラリーでもあり、2004年に和子さんの健康上の理由から閉廊となった際には、ファンが「これからどうしたら」と一時途方に暮れたというエピソードは有名である。
Lot.4 アキ・ルミ
Les KiKi de Paris No.3
1996年
ゼラチンシルバープリント
I: 14.9x22.3cm
S: 24.4x30.2cm
Ed.20(4/20)
サイン有り
現在はパリを中心に活躍しているオノデラユキさんのパートナーがアキ・ルミさん。最初の頃は二人で合作のようなこともしておられ、その際の名前が「KiKi」(アキとユキ?)だったそうである。この作品はオノデラさんのものとの説明を受けたような気がするのだが記憶が定かではない。現在のお二人の作風とはかなり異なっていて、ファンの方々は少々驚かれるかもしれないが、それが初期作品の面白さというものである。貴重な一品。
Lot.6 荒井浩之
Nanterre-Universite,Nanterre
1997年
ゼラチンシルバープリント
I: 37.2x46.9cm
S: 39.5x51.5cm
サイン有り
Lot.7 荒井浩之
Rte de Barbizon a Fontainebleau
1998年
ゼラチンシルバープリント
I: 26.6x54.7cm
S: 42.6x58.7cm
サイン有り
大作家の展示が続き、そのプライスリストにサラリーマン小コレクターが呆然としているときに、「こんな作品もあるのよ。こんな感じお好きでしょ」と木製のキャビネットから出していただいたのが荒井さんの作品。
それぞれ1997年4月の「記憶のノート」展、1998年の「都市の記憶・前衛都市」展で展示されたもの。現存の若手作家なら大判の作品でもこの値段で買えるのだと感激したのを思い出す。その分部屋に飾るには大きすぎてしまい込んでしまい、Lot.7にはカビをはやしてしまった。大反省である。
Lot.12 植田正治
「昏れる頃」より「スコアボード」
1974年
ゼラチンシルバープリント
I: 14.7×22.4cm
S: 20.2×25.6cm
サイン有り
今では考えられないことだが、1999年当時、植田正治さんが存命中で、再評価される前―『植田正治・写真の作法―アマチュア諸君!』が光琳社出版(当時)から出版されたのが 1999年の3月、哲学者の鷲田清一さんが、ファンだった植田さんの写真をふんだんに使って一般の読者に植田正治の名前を深く刻んだ名著『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』が阪急コミュニケーションズ(これも当時) から刊行されるのが同年の6月、そして植田さんの死去が2000年7月4日-だったため、現在世界中のコレクター並びにキュレーター垂涎のヴィンテージプリントが20万円そこそこで入手できた。まさに僥倖だった。
Lot.27 オノデラユキ
写真集『How to make a pearl』
c2007年
表紙・裏表紙:ゼラチンシルバープリント
26.8x21.2cm
Ed.100
イル・テンポに流れていた時間はかなりゆったりしたものだった。ひっきりなしに電話が掛かってきたり(何本に一本は外国語で応対されていた)、まなじりを決した若者が大きな荷物を持って奥に消えたかと思うとやああって蒼白な顔をして出てくるといったドラマチックな場面に出くわしたツァイト・フォト・サロンとはおもむきが大分異なっていた。
もっとも、ツァイトの石原悦郎さんはそんな時にもあの悪戯っぽい笑顔で「持ち込みはどんな作品でも先ず断ることにしてるの。それで諦めるようならどうしたってダメだから。3回追い返してそれでもまた持ってくるようだったら、その時に初めてウチで展示できるかどうか考える」と怖いことを言われるのだった。「だいたい男の子の方が弱いよね。1回で来なくなっちゃう。その点女の子は強いよね。何度ダメを出しても諦めないで新しいものを持ってくる。そしてそのたびに良くなってる」。「それで今度ウチでやることになったのがこの子」と奥から持ってきてくれたのが、進藤万里子さんの黒々とした「bibo -テーマの不在」のDMだった。
こうした話が聞けるのがツァイトの凄いところだっだのだが、あまり度々だとこちらの心臓が持たない。最初に作品を購入したのがイル・テンポで、月賦を払いに月イチで足を運ばなければならないこともあって、日本橋・京橋よりも高円寺に足が向く方が多かった。
毎月の支払が済むと緊張もほぐれて「コーヒーにしますそれとも紅茶がいい」とお茶の時間になる。お菓子なども出てきて、しばし写真談義となる。「写真てーのは写真を撮るよりも撮った写真について話す方が何倍も楽しーんだ」(荒木経惟『東京は、秋』新版)ということを実感する時間だった。
そんな写真談義のさなかに度々登場したのがオノデラユキさんの名前だった。名前のみならず、初期作品の「白と黒」とか、出世作の「古着のポートレイト」とかのプリント(今からすればバリバリのヴィンテージプリント!)が次々とストレージボックスから出てきて、「買わない?」と言われるのだが、ついさっき分割払いの残金の一部を支払ったばかりの小コレクターにはいかんともしがたい。今から考えれば無理をしてでも買っておけば一財産だったと思うのだが、それができないのが凡庸な小コレクターの悲しさである。
オノデラさんの凄さに気がついたときには作品はもう分割払いでも手に入らなくなってしまっていて、せめてもと手に入れたのが、「真珠の作り方」展に際して限定100部で作成されたオリジナルプリント付きの写真集。表紙と裏表紙に希望の作品を張り込んでもらえるということで、オノデラさんの作品にはちょっと珍しいスナップ風の(とはいえ、写真機の中にガラス玉を入れて光を乱反射させて独特の画像を得るという極めてコンセプチュアルなシリーズの中ではということだが)一枚を選んで装丁していただいた。
限定100部といっても、同じ図柄のものは少ない(ほぼない?)と思われるので、実際には一点モノといってよい作品である。現在では作品が2m×3mといった美術館サイズになってしまい、個人コレクターの手には負えなくなってしまったオノデラ作品のオリジナルを、小品とはいえ手にしていただける貴重なチャンスだと思う。
Lot.48 北井一夫
『1970年代日本』原稿 No.5 (岡山 久米)
1974年
ゼラチンシルバープリント
I: 23.6x15.8cm
S: 25.2x20.0cm
サイン有り
Lot.49 北井一夫
『1970年代日本』原稿 No.116 (新潟 桑取谷)
1981年
ゼラチンシルバープリント
I: 15.8x23.6cm
S: 25.2x20.0cm
サイン有り
Lot.50 北井一夫
「北京」より
1999年 Printed in1999
ゼラチンシルバープリント
I: 19.0x28.3cm
S: 25.0x30.3cm
サイン有り
Lot.51 北井一夫
「三里塚」より「泥んこ道」
1969年 Printed in1996
ゼラチンシルバープリント
I: 25.4x37.8cm
S: 35.2x43.0cm
Ed.5(1/5)
サイン有り
Lot.52 北井一夫
「北京」より「楡の木」
1997年 Printed in1998
ゼラチンシルバープリント
I: 28.2x18.9cm
S: 32.2x21.3cm
サイン有り
Lot.53 北井一夫
「北京」より「紅橋交差点」
1998年 Printed in2000
ゼラチンシルバープリント
I: 37.1x55.0cm
S: 50.6x60.5cm
Ed.5(1/5)
サイン有り
Lot.54 北井一夫
「北京」より
ゼラチンシルバープリント
I: 8.7x13.0cm
S: 10.2x14.5cm
サイン有り
Lot.55 北井一夫
「北京」より「西域区後海」no.2
ゼラチンシルバープリント
I: 8.7x13.0cm
S: 10.2x14.5cm
サイン有り
結果的にイル・テンポで一番多く購入したのが北井一夫さんの作品ということになる。第1回木村伊兵衛写真賞の受賞者にして稀代のライカ使いということで、カメラおじさんが関心を持つには充分だったこともあるけれど、何より、最初にお目にかかった生きて動いている写真作家であり、写真家で唯一衝撃を受けたというのがアジェというのが格好良かったし、何よりイル・テンポのアジェ展でアジェのヴィンテージプリントを買う姿を見て信用したのであった。
イル・テンポでの展示には必ずお邪魔したし(黒々と住所が手書きされたDMが必ず届いた)、当時はそこまで高額ではなかったので、毎回購入もできた。「紅橋交差点」は「これまでとちょっと違ったことをやってみたくて」と言っておられたのを聞いて、ちょっと無理気味であったが頑張って購入した。それを石原和子さんから聞き及んだのか、「紅橋交差点」と購入を迷っていた数点を「DM用のプリントですが一応バライタです」とのメッセージを添えてプレゼントしていただいた感激は今も忘れられない。
こうした交流は現存作家さんならではで、そうなるとプリント本体よりも直筆のメモとか一筆添えられたDMの方が大事になったりもする。とはいえそんな貴重なエピソードも墓に持っていってしまっては歴史から消えてしまうので、こうした作品にまつわるあれやこれやも丸ごと含めて次の世代にバトンタッチできればと思うのである。北井さんもきっと喜んでくださると思う。
Lot.74 スワヴォミル・ルミャック
作品
1997年
ゼラチンシルバープリント
I: 33.2x26.9cm
S: 49.3x39.4cm
Ed.20(2/20)
サイン有り
普段はのどかなギャラリーであったが、ときどきとんでもない作品が展示されるのもイル・テンポだった。思えば日本におけるメールヌードの旗手鷹野隆大さんがツァイトでの展示に先立って最初の個展「集合する肉体」を行ったのもここ。
ポーランドの写真家であるルミャックさんがどういった経緯でイル・テンポで展示されることになったかを聞く機会はなかったが、プレスリリースと同時に問い合わせが殺到し、普段はギャラリーで見かけないような若い人が続々と来廊してびっくりされたとのこと。
人体改造をテーマに、いっさいデジタル技術を使わず手作業で作り上げられたその作品は、タトゥーの専門雑誌に掲載されるなど大きな反響を呼び、この1999年の「降霊会のテーブル」展に続き、2004年に「The Love Book」展が開かれた。この展示に際しての作者のコメント「もし物理的な痛みがなかったら、女性は自らの身体に何をなしえたでしょう?」は、数々のイメージと共に現在でもネット上の様々な場所で引用―再引用を繰り返しながらその生命を保っている。(H)
◆ときの忘れものは「H氏写真コレクション展」を開催します。
会期:2019年7月9日(火)~7月13日(土)

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
イル・テンポのあった時 ~アキ・ルミ、荒井浩之、植田正治、オノデラユキ、北井一夫、スワヴォミル・ルミャック~
高円寺の駅を降りて南口から歩いて5分、打ちっ放しのコンクリートのビルの2階、雰囲気のある外階段を登って分厚いガラスのドアを開けるとそこが「イル・テンポ」だった。日本で初めての写真専門ギャラリー「ツァイト・フォト・サロン」の姉妹ギャラリーとして1990年にオープン、ツァイトの石原悦郎さんのご夫人石原和子さんが主宰されていた。
よく「ここはついでに来てもらえるような場所じゃないから、わざわざ来てもらえるような展示をしないといけないの」と言っておられたが、私が初めて足を運んだアジェを始め、マン・レイ、ドアノー、ロバート・フランク、ウィリアム・クライン、リー・フリードランダーといった写真史の教科書に載っているような巨匠を始め、植田正治、北井一夫、荒木経惟、森山大道、柴田敏雄らの作品が展示され、ツァイトの別館のような趣きがあった。
また、マイケル・ケンナやジョック・スタージスといった独特の作風を持つ作家の新作が発表される日本でのマザーギャラリーでもあり、2004年に和子さんの健康上の理由から閉廊となった際には、ファンが「これからどうしたら」と一時途方に暮れたというエピソードは有名である。

Les KiKi de Paris No.3
1996年
ゼラチンシルバープリント
I: 14.9x22.3cm
S: 24.4x30.2cm
Ed.20(4/20)
サイン有り
現在はパリを中心に活躍しているオノデラユキさんのパートナーがアキ・ルミさん。最初の頃は二人で合作のようなこともしておられ、その際の名前が「KiKi」(アキとユキ?)だったそうである。この作品はオノデラさんのものとの説明を受けたような気がするのだが記憶が定かではない。現在のお二人の作風とはかなり異なっていて、ファンの方々は少々驚かれるかもしれないが、それが初期作品の面白さというものである。貴重な一品。

Nanterre-Universite,Nanterre
1997年
ゼラチンシルバープリント
I: 37.2x46.9cm
S: 39.5x51.5cm
サイン有り

Rte de Barbizon a Fontainebleau
1998年
ゼラチンシルバープリント
I: 26.6x54.7cm
S: 42.6x58.7cm
サイン有り
大作家の展示が続き、そのプライスリストにサラリーマン小コレクターが呆然としているときに、「こんな作品もあるのよ。こんな感じお好きでしょ」と木製のキャビネットから出していただいたのが荒井さんの作品。
それぞれ1997年4月の「記憶のノート」展、1998年の「都市の記憶・前衛都市」展で展示されたもの。現存の若手作家なら大判の作品でもこの値段で買えるのだと感激したのを思い出す。その分部屋に飾るには大きすぎてしまい込んでしまい、Lot.7にはカビをはやしてしまった。大反省である。

「昏れる頃」より「スコアボード」
1974年
ゼラチンシルバープリント
I: 14.7×22.4cm
S: 20.2×25.6cm
サイン有り
今では考えられないことだが、1999年当時、植田正治さんが存命中で、再評価される前―『植田正治・写真の作法―アマチュア諸君!』が光琳社出版(当時)から出版されたのが 1999年の3月、哲学者の鷲田清一さんが、ファンだった植田さんの写真をふんだんに使って一般の読者に植田正治の名前を深く刻んだ名著『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』が阪急コミュニケーションズ(これも当時) から刊行されるのが同年の6月、そして植田さんの死去が2000年7月4日-だったため、現在世界中のコレクター並びにキュレーター垂涎のヴィンテージプリントが20万円そこそこで入手できた。まさに僥倖だった。

写真集『How to make a pearl』
c2007年
表紙・裏表紙:ゼラチンシルバープリント
26.8x21.2cm
Ed.100
イル・テンポに流れていた時間はかなりゆったりしたものだった。ひっきりなしに電話が掛かってきたり(何本に一本は外国語で応対されていた)、まなじりを決した若者が大きな荷物を持って奥に消えたかと思うとやああって蒼白な顔をして出てくるといったドラマチックな場面に出くわしたツァイト・フォト・サロンとはおもむきが大分異なっていた。
もっとも、ツァイトの石原悦郎さんはそんな時にもあの悪戯っぽい笑顔で「持ち込みはどんな作品でも先ず断ることにしてるの。それで諦めるようならどうしたってダメだから。3回追い返してそれでもまた持ってくるようだったら、その時に初めてウチで展示できるかどうか考える」と怖いことを言われるのだった。「だいたい男の子の方が弱いよね。1回で来なくなっちゃう。その点女の子は強いよね。何度ダメを出しても諦めないで新しいものを持ってくる。そしてそのたびに良くなってる」。「それで今度ウチでやることになったのがこの子」と奥から持ってきてくれたのが、進藤万里子さんの黒々とした「bibo -テーマの不在」のDMだった。
こうした話が聞けるのがツァイトの凄いところだっだのだが、あまり度々だとこちらの心臓が持たない。最初に作品を購入したのがイル・テンポで、月賦を払いに月イチで足を運ばなければならないこともあって、日本橋・京橋よりも高円寺に足が向く方が多かった。
毎月の支払が済むと緊張もほぐれて「コーヒーにしますそれとも紅茶がいい」とお茶の時間になる。お菓子なども出てきて、しばし写真談義となる。「写真てーのは写真を撮るよりも撮った写真について話す方が何倍も楽しーんだ」(荒木経惟『東京は、秋』新版)ということを実感する時間だった。
そんな写真談義のさなかに度々登場したのがオノデラユキさんの名前だった。名前のみならず、初期作品の「白と黒」とか、出世作の「古着のポートレイト」とかのプリント(今からすればバリバリのヴィンテージプリント!)が次々とストレージボックスから出てきて、「買わない?」と言われるのだが、ついさっき分割払いの残金の一部を支払ったばかりの小コレクターにはいかんともしがたい。今から考えれば無理をしてでも買っておけば一財産だったと思うのだが、それができないのが凡庸な小コレクターの悲しさである。
オノデラさんの凄さに気がついたときには作品はもう分割払いでも手に入らなくなってしまっていて、せめてもと手に入れたのが、「真珠の作り方」展に際して限定100部で作成されたオリジナルプリント付きの写真集。表紙と裏表紙に希望の作品を張り込んでもらえるということで、オノデラさんの作品にはちょっと珍しいスナップ風の(とはいえ、写真機の中にガラス玉を入れて光を乱反射させて独特の画像を得るという極めてコンセプチュアルなシリーズの中ではということだが)一枚を選んで装丁していただいた。
限定100部といっても、同じ図柄のものは少ない(ほぼない?)と思われるので、実際には一点モノといってよい作品である。現在では作品が2m×3mといった美術館サイズになってしまい、個人コレクターの手には負えなくなってしまったオノデラ作品のオリジナルを、小品とはいえ手にしていただける貴重なチャンスだと思う。

『1970年代日本』原稿 No.5 (岡山 久米)
1974年
ゼラチンシルバープリント
I: 23.6x15.8cm
S: 25.2x20.0cm
サイン有り

『1970年代日本』原稿 No.116 (新潟 桑取谷)
1981年
ゼラチンシルバープリント
I: 15.8x23.6cm
S: 25.2x20.0cm
サイン有り

「北京」より
1999年 Printed in1999
ゼラチンシルバープリント
I: 19.0x28.3cm
S: 25.0x30.3cm
サイン有り

「三里塚」より「泥んこ道」
1969年 Printed in1996
ゼラチンシルバープリント
I: 25.4x37.8cm
S: 35.2x43.0cm
Ed.5(1/5)
サイン有り

「北京」より「楡の木」
1997年 Printed in1998
ゼラチンシルバープリント
I: 28.2x18.9cm
S: 32.2x21.3cm
サイン有り

「北京」より「紅橋交差点」
1998年 Printed in2000
ゼラチンシルバープリント
I: 37.1x55.0cm
S: 50.6x60.5cm
Ed.5(1/5)
サイン有り

「北京」より
ゼラチンシルバープリント
I: 8.7x13.0cm
S: 10.2x14.5cm
サイン有り

「北京」より「西域区後海」no.2
ゼラチンシルバープリント
I: 8.7x13.0cm
S: 10.2x14.5cm
サイン有り
結果的にイル・テンポで一番多く購入したのが北井一夫さんの作品ということになる。第1回木村伊兵衛写真賞の受賞者にして稀代のライカ使いということで、カメラおじさんが関心を持つには充分だったこともあるけれど、何より、最初にお目にかかった生きて動いている写真作家であり、写真家で唯一衝撃を受けたというのがアジェというのが格好良かったし、何よりイル・テンポのアジェ展でアジェのヴィンテージプリントを買う姿を見て信用したのであった。
イル・テンポでの展示には必ずお邪魔したし(黒々と住所が手書きされたDMが必ず届いた)、当時はそこまで高額ではなかったので、毎回購入もできた。「紅橋交差点」は「これまでとちょっと違ったことをやってみたくて」と言っておられたのを聞いて、ちょっと無理気味であったが頑張って購入した。それを石原和子さんから聞き及んだのか、「紅橋交差点」と購入を迷っていた数点を「DM用のプリントですが一応バライタです」とのメッセージを添えてプレゼントしていただいた感激は今も忘れられない。
こうした交流は現存作家さんならではで、そうなるとプリント本体よりも直筆のメモとか一筆添えられたDMの方が大事になったりもする。とはいえそんな貴重なエピソードも墓に持っていってしまっては歴史から消えてしまうので、こうした作品にまつわるあれやこれやも丸ごと含めて次の世代にバトンタッチできればと思うのである。北井さんもきっと喜んでくださると思う。

作品
1997年
ゼラチンシルバープリント
I: 33.2x26.9cm
S: 49.3x39.4cm
Ed.20(2/20)
サイン有り
普段はのどかなギャラリーであったが、ときどきとんでもない作品が展示されるのもイル・テンポだった。思えば日本におけるメールヌードの旗手鷹野隆大さんがツァイトでの展示に先立って最初の個展「集合する肉体」を行ったのもここ。
ポーランドの写真家であるルミャックさんがどういった経緯でイル・テンポで展示されることになったかを聞く機会はなかったが、プレスリリースと同時に問い合わせが殺到し、普段はギャラリーで見かけないような若い人が続々と来廊してびっくりされたとのこと。
人体改造をテーマに、いっさいデジタル技術を使わず手作業で作り上げられたその作品は、タトゥーの専門雑誌に掲載されるなど大きな反響を呼び、この1999年の「降霊会のテーブル」展に続き、2004年に「The Love Book」展が開かれた。この展示に際しての作者のコメント「もし物理的な痛みがなかったら、女性は自らの身体に何をなしえたでしょう?」は、数々のイメージと共に現在でもネット上の様々な場所で引用―再引用を繰り返しながらその生命を保っている。(H)
◆ときの忘れものは「H氏写真コレクション展」を開催します。
会期:2019年7月9日(火)~7月13日(土)

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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