新連載・尾崎森平のエッセイ「長いこんにちは」第1回
こんにちは。美術家の尾崎森平です。この度はときの忘れものさんよりブログの連載のご依頼があり、正直に申し上げてあまり深く考えずにお引き受けしてしまいまして、おそらく私をご存知でない方が殆どの読者様に向けて、どんな書き出しでどんなことを書けばよいのか数日考えあぐねていたのですが、「初対面の方には兎にも角にもご挨拶と自己紹介だ」という当たり前に立ち返りまして、このようにご挨拶と、そして太宰治の「晩年」よろしく長い自己紹介をさせていただく中で、徐々に自作や芸術観についても語らせて頂こうかと考えております。
全12回のブログ。拙文ではございますが、どうぞ最後までお付き合いください。
それでは語り口調を変えて。
僕の生まれは1987年10月21日。東京では後の平成バンドブームを引き起こすあの奥田民生率いるユニコーンが1stアルバム「BOOM」 を世に送り出した記念すべき日に、北は宮城県仙台市の真夜中の分娩室で母・尾崎幸子によって世に送り出された。後に高校生となった僕がTSUTAYAの試聴コーナーで彼らの音楽と出会うのも、ここで運命づけられていたのかもしれない。
僕の生まれた尾崎家は少し変わっている。今は亡き祖父・尾崎志郎は北海道ではよく知られた木版画家で、作品は北海道立近代美術館に収蔵され、地元の水産加工品会社の包装紙の図案にもなっていたりする。伯父・尾崎正志は日本を代表する摺師、そして次男である僕の父・尾崎行彦も版画家という版画に縁の深い家系に生まれた。「蛙の子は蛙」とは言い得て妙で、後に父の鉄拳をくらいながら木版画を教わることとなるのだが(彫刻刀で怪我なんかしてみれば「お前の手の置き場所が悪いからだ!」と叱られるので、怪我したのがバレないようにこっそり絆創膏を貼ったり…)、そんな環境の中では否が応でも美術は日常的なものに映り、当たり前のように生活の中に存在していた。
祖父と父は、祖父の暮らす札幌と我々の住む仙台とで毎年交互に親子展を開催していた。その期間、小さな僕と妹は終日会場に缶詰にされ、することといえば見飽きた二人の絵をひたすら見るか、いよいよフラストレーションが爆発して妹と喧嘩をおっ始めて怒られるかの二つに二つだった。大人になってから振り返れば、そんな退屈つぶしに見た祖父と父の絵によって僕の美意識は培われ、特に祖父の絵からは強い影響を受けていたことに気がつく。祖父が描いたのは北海道の近代化を築いた産業の夢の跡。レンガ造りの工場、鰊番屋、サイロなどのかつては栄華をきわめ、戦後急速に衰退していった北海道を象徴する産業建築物だ。僕は祖父の絵を日常的に思い起こすということはないのだが、何の気なしに車窓から眺めた景色の中でふっと興味を引くものや、テーブルに向かってペンを走らせ絵のアイディアを練っている最中に浮かんでくる「これだ!」という閃きの中に、祖父が描いた“美”の片鱗をみて、まさに“摺り込まれた”祖父からの版画的バトンタッチに思わず笑ってしまう。そうか、ホセ・オルテガ・イ・ガセットのいう“生きている死者”を僕はその瞬間に直に感じているんだなと感慨深くなるのだ。今ではあの退屈でしかたがなかった毎年の展覧会の時間がとても意義深く思え、愛しいものになっている。
はっ…徒然なるままに書いていたら、もう原稿の文字制限まで僅かとなってしまいました。まだ小学生時分の話までしかしていない、というよりも私の作品ではなく祖父の作品紹介となってしまいました。次月はもう少し自作に踏み込んだお話が出来ればと思っております。それではまた。
作品名:LAWSON
制作年:2013
サイズ:486×727×40mm
素材:アクリル絵の具、キャンバス、パネル
(おざき しんぺい)
■尾崎森平 Shinpey OZAKI
1987年仙台市生まれ 。岩手大学教育学部芸術文化課程造形コース卒業。現代の東北の景色から立ち現れる神話や歴史的事象との共振を描く。2016年「VOCA 2016 現代美術の展望ー新しい平面の作家たち 」大原美術館賞 。平成27年度 岩手県美術選奨。2019年4月ときの忘れもの「Tricolore2019―中村潤・尾崎森平・谷川桐子展」に出品。
ホームページ https://shinpeywarhol.wixsite.com/ozaki-shinpey
◆尾崎森平のエッセイ「長いこんにちは」は毎月25日の更新です。
●今日のお勧め作品は、尾崎森平です。
尾崎森平 Shinpey OZAKI
《苦闘するアポローン/愛の歌》
2019年
アクリル、キャンバス、パネル
サイズ:61.0×61.0×4.5cm
サインあり
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
こんにちは。美術家の尾崎森平です。この度はときの忘れものさんよりブログの連載のご依頼があり、正直に申し上げてあまり深く考えずにお引き受けしてしまいまして、おそらく私をご存知でない方が殆どの読者様に向けて、どんな書き出しでどんなことを書けばよいのか数日考えあぐねていたのですが、「初対面の方には兎にも角にもご挨拶と自己紹介だ」という当たり前に立ち返りまして、このようにご挨拶と、そして太宰治の「晩年」よろしく長い自己紹介をさせていただく中で、徐々に自作や芸術観についても語らせて頂こうかと考えております。
全12回のブログ。拙文ではございますが、どうぞ最後までお付き合いください。
それでは語り口調を変えて。
僕の生まれは1987年10月21日。東京では後の平成バンドブームを引き起こすあの奥田民生率いるユニコーンが1stアルバム「BOOM」 を世に送り出した記念すべき日に、北は宮城県仙台市の真夜中の分娩室で母・尾崎幸子によって世に送り出された。後に高校生となった僕がTSUTAYAの試聴コーナーで彼らの音楽と出会うのも、ここで運命づけられていたのかもしれない。
僕の生まれた尾崎家は少し変わっている。今は亡き祖父・尾崎志郎は北海道ではよく知られた木版画家で、作品は北海道立近代美術館に収蔵され、地元の水産加工品会社の包装紙の図案にもなっていたりする。伯父・尾崎正志は日本を代表する摺師、そして次男である僕の父・尾崎行彦も版画家という版画に縁の深い家系に生まれた。「蛙の子は蛙」とは言い得て妙で、後に父の鉄拳をくらいながら木版画を教わることとなるのだが(彫刻刀で怪我なんかしてみれば「お前の手の置き場所が悪いからだ!」と叱られるので、怪我したのがバレないようにこっそり絆創膏を貼ったり…)、そんな環境の中では否が応でも美術は日常的なものに映り、当たり前のように生活の中に存在していた。
祖父と父は、祖父の暮らす札幌と我々の住む仙台とで毎年交互に親子展を開催していた。その期間、小さな僕と妹は終日会場に缶詰にされ、することといえば見飽きた二人の絵をひたすら見るか、いよいよフラストレーションが爆発して妹と喧嘩をおっ始めて怒られるかの二つに二つだった。大人になってから振り返れば、そんな退屈つぶしに見た祖父と父の絵によって僕の美意識は培われ、特に祖父の絵からは強い影響を受けていたことに気がつく。祖父が描いたのは北海道の近代化を築いた産業の夢の跡。レンガ造りの工場、鰊番屋、サイロなどのかつては栄華をきわめ、戦後急速に衰退していった北海道を象徴する産業建築物だ。僕は祖父の絵を日常的に思い起こすということはないのだが、何の気なしに車窓から眺めた景色の中でふっと興味を引くものや、テーブルに向かってペンを走らせ絵のアイディアを練っている最中に浮かんでくる「これだ!」という閃きの中に、祖父が描いた“美”の片鱗をみて、まさに“摺り込まれた”祖父からの版画的バトンタッチに思わず笑ってしまう。そうか、ホセ・オルテガ・イ・ガセットのいう“生きている死者”を僕はその瞬間に直に感じているんだなと感慨深くなるのだ。今ではあの退屈でしかたがなかった毎年の展覧会の時間がとても意義深く思え、愛しいものになっている。
はっ…徒然なるままに書いていたら、もう原稿の文字制限まで僅かとなってしまいました。まだ小学生時分の話までしかしていない、というよりも私の作品ではなく祖父の作品紹介となってしまいました。次月はもう少し自作に踏み込んだお話が出来ればと思っております。それではまた。

制作年:2013
サイズ:486×727×40mm
素材:アクリル絵の具、キャンバス、パネル
(おざき しんぺい)
■尾崎森平 Shinpey OZAKI
1987年仙台市生まれ 。岩手大学教育学部芸術文化課程造形コース卒業。現代の東北の景色から立ち現れる神話や歴史的事象との共振を描く。2016年「VOCA 2016 現代美術の展望ー新しい平面の作家たち 」大原美術館賞 。平成27年度 岩手県美術選奨。2019年4月ときの忘れもの「Tricolore2019―中村潤・尾崎森平・谷川桐子展」に出品。
ホームページ https://shinpeywarhol.wixsite.com/ozaki-shinpey
◆尾崎森平のエッセイ「長いこんにちは」は毎月25日の更新です。
●今日のお勧め作品は、尾崎森平です。

《苦闘するアポローン/愛の歌》
2019年
アクリル、キャンバス、パネル
サイズ:61.0×61.0×4.5cm
サインあり
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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