土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」
13.『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』~後編
さて、話を元版に戻します。本書の挟み込みの裏面には、「発表書誌目」も掲載されており(図11)、初出誌のデータが記されています。収録された詩作品26篇と、詩的な評論2篇がそれぞれ発表年代順に収録されたことがわかります。ただし現在では、「TEXTE」と「実験室における太陽氏への公開状Ⅰ・Ⅱ」との、掲載順序が逆転している可能性が浮上しています。すなわち、「発表書誌目」では「実験室における太陽氏への公開状Ⅰ」の初出誌「文学」第2号(第一書房。図12)の刊行時期が、「1930年11月」とされていますが、正しくは「1929年11月」です。また「実験室における太陽氏への公開状Ⅱ」の初出誌「LE SURRÉALISME INTERNATIONAL」(図13)の刊行は、「発表書誌目」の記載どおり1930年1月ですので、Ⅰ・Ⅱともに「TEXTE」の初出誌「詩と詩論」第7冊(1930年3月。図14)より前ということになります。したがって、「実験室における太陽氏への公開状Ⅰ・Ⅱ」は「TEXTE」の前に掲載されるのが適当かもしれないということになります。これは単なる掲載順序の問題にとどまらず、(次に述べる未収録作品も含め)「絶対への接吻」にいたる諸篇の解釈にかかわる、大きな問題と思われます。
図11 「発表書誌目」
図12 「文学」第2号
図13 「LE SURRÉALISME INTERNATIONAL」
図14 「TEXTE」初出(「詩と詩論」第7冊)
さらに重要なのは、本書刊行の際には埋もれており、収録されなかった作品が存在することです。1930年6月~31年1月に発表された「PIRATERIE 1930」「受話器の類焼」「想像と火」、および1933年10月に発表された「不思議な時間のやうに」の4篇です。これらについては、瀧口自身が「(出来れば現行の縮刷版と同じ組みにして)一冊として出版し、いずれは改版の際に包容するのが筋」としていたそうです(鶴岡善久「瀧口修造の詩的実験1927~1937補遺」付記、「現代詩手帖」特集「瀧口修造」、1979年10月。図15)。せっかく上記の復刻版を元版と同じ書肆が刊行したのですから、瀧口自身の意向に沿ってこれらの4篇を追加し、増補版としたらよかったと思います。『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』の書誌として述べておくべきことは、以上です。
図15 「現代詩手帖」特集「瀧口修造」
続いて、やや専門的になりますが、本書に収録された28篇にこの4篇を加えた32篇の、全体の構成や個々の作品の内容について触れたいと思います。すでに本書刊行の前後の頃から、何人かの論者が見解を発表しています(末尾の参考文献1~4)。関心のある方はご覧ください。筆者も別のところで論じたことがありますが(参考文献5)、改めて以下にその要点をご紹介します。
・「LINES」から「地球創造説」までは、シュルレアリスムよりもダダの色彩が強い。言語の客体性が追求されており、詩行であることを示した「LINES」をはじめ、「Étamines Narratives」「断片」など、客体としてのあり方をそのままタイトルとした作品が散見される。
・「地球創造説」で主題性が導入され、「絶対への接吻」までの各篇でも、それぞれ主題が置かれている。「仙人掌兄弟」「DOCUMENTS D’OISEAUX」「MIROIR DE MIROIR」など、師の西脇順三郎の英語の授業でテキストとして使用された、プラトンの「諸対話篇」から主題が採られた作品が散見される。特に「実験室における太陽氏への公開状」は、ブルトン『超現実主義と絵画』を訳していた瀧口が、プラトン『国家』の「洞窟のアレゴリー」を下敷きに、(超現実主義による)新たな視覚性への覚醒を謳ったものと思われる。
・「TEXTES」では自動記述そのもの乃至その過程が主題とされ、改めてその可能性と限界が検証されている。「PIRATERIE 1930」ではブルトン『シュルレアリスム宣言』の狂気の一節を下敷きに、自動記述を遂行する際の狂気や憑依が、また「受話器の類焼」では自動記述によるコミュニケーションの断絶が、それぞれ主題とされている。
・「絶対への接吻」は自動記述への別れを主題としており、慶應義塾大学卒業と就職などの、「現実の問題が幾層にも錯綜するなかで激しい渇望に憑かれた緊迫した時代」(「自筆年譜」1931年の項)に書かれた一篇と思われる。
・これ以降は、抒情詩の色彩が強くなり、「白の上の千一夜」や『妖精の距離』の諸篇など、造形作品と組み合わされることを前提にするようになっていく。
ついでに1927年以前の作品や1937年以降の作品についても、近年の調査研究の内容を簡単にご紹介しておきます。
・富山中学在学中に短歌を創作していたことが、「自筆年譜」や上記の「添え書き」で回想されているが、実際に地方紙や校友会誌に掲載された実作が、富山在住の研究者によって発掘されている(参考文献6,7)。
・初期の「雨」「月」「冬」の執筆時期について、従来、「雨」および「月」2篇の執筆時期は、永井龍男の紹介で「山繭」第11号(1926年6月)に掲載されたのと同時期と考えられていたが(参考文献8)、この2篇は慶應義塾大学文学部予科への入学前後から北海道への移住までの、1922~1923年頃に執筆されていた作品であり、瀧口が書き溜めてきたノートのなかから、再上京後の1926年に再会した永井が選定して、同誌に掲載されたと考えた方が、筋が通る(参考文献9)。
・また、同誌第14号(1926年10月)に掲載された「冬」は、小樽を舞台とする作品で、発表に際して加筆・修正された可能性はあるものの、執筆時期は小樽在住の頃か再び上京して慶應義塾大学に再入学した頃、すなわち1924年~25年頃と思われる(参考文献9)。
1937年以降の作品である「春とともに」について触れておきます。
・「春とともに」は日本文学報国会詩部会が軍艦建造の資金集めのために編集刊行した『辻詩集』(八紘社杉山書店、1943年10月。図16)に掲載された作品で、この詩集への寄稿自体が戦争協力に他ならないと批判されてきた。ただし、北園克衛、山中散生ら200名余りの詩人たちによる軍艦賛美オンパレードなかで、瀧口の作品は戦死した若い兵士を悼む内容であり、異彩を放っている。単なる「戦争協力」と片付けられないものが含まれているように思われる(参考文献10)。
図16 『辻詩集』
以上のとおり、『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』は、瀧口の事実上の処女詩集にして唯一の詩集ですが、限定版だった元版や縮刷版はもちろん、復刻版も品切れとなっているようです。元版および縮刷版の存在感があまりに大きいので、他の形を想定しにくいのも事実ですが、増補改訂版か、あるいは1927年以前や1937年以降の作品も網羅した『瀧口修造詩集成』の刊行を切に望むものです。
参考文献
1.鶴岡善久「太陽への希求 滝口修造・前田耕」、『日本超現実主義詩論』、思潮社、1966年6月
2.入沢康夫「瀧口さんの<転機>についての走り書き」、「現代詩手帖」、思潮社、1968年10月
3.岩成達也「<瀧口修造の詩的実験1927~1937>についての二、三のメモ」、「現代詩手帖」臨時増刊、思潮社、1974年10月
4.巖谷國士「瀧口修造論への序」、『シュルレアリスムと芸術』、河出書房新社、1975年8月
5.土渕信彦「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」、「洪水」6~8号、洪水企画、2010年7月~2011年7月
6.萩野恭一「瀧口修造の短歌」、「洪水」第7号「特集 瀧口修造の息吹」、洪水企画、2011年1月
7.久泉迪雄「瀧口修造―覚書」、「とやま文学」第34号特集「追慕・顕彰瀧口修造」、富山県芸術文化協会、2016年3月
8.鶴岡善久「瀧口修造論―日本シュルレアリスム詩運動の流れのなかで」、『シュルレアリスムの発見』、湯川書房、1979年3月
9.土渕信彦「初期詩篇の再検討―〈雨〉〈月〉〈冬〉は、いつ執筆されたか」、「橄欖」第1号、瀧口修造研究会、2009年7月
10.土渕信彦「瀧口修造―生涯と作品」、「橄欖」第4号、瀧口修造研究会、2018年7月
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"Ⅱ-27"
デカルコマニー
イメージサイズ:13.5×10.5cm
シートサイズ :18.4×12.3cm
※Ⅱ-26と対
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
必見の展覧会、会期終了まであと数日
・昨日は通常の更新日を変更して吉岡知子さんによるレビュー「福原義春コレクション 花開く色彩―駒井哲郎のモノタイプ」の展示に寄せて、を掲載しました。
僅か20点の小展示ですが、世田谷美術館二階の一番小さな部屋で駒井哲郎の史上初めてのモノタイプ展が開催されています。会期は明日24日まで、急いでください。
・台風19号の被害で運休の箱根登山鉄道の復旧は来年秋になるらしい。いくら代行バスがあるとはいえポーラ美術館にたどりつくのは・・と躊躇していたのですが、数日前『シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート』に行ってきました。入り口にモネの睡蓮、ん?と思うや壁の向こうから妙なる響きが。実によく考え抜かれた素晴らしい企画展です。学芸員の努力に敬意を表します。あの印象派のポーラ美術館で開館以来初めての現代美術展が開催されています。会期は12月1日まで、急いでください。
・先日倉俣史朗のシンポジウムの整理券獲得のため、竹橋の東京国立近代美術館に早朝9時半に並びました。ふと切符売り場を見ると年配の方たちが随分と並んでいる。つられて(時間もあるし)いま話題の「窓展 窓をめぐるアートと建築の旅」のチケットを買い、ついでに3階の「鏑木清方 幻の<築地明石町>特別公開」に。画集などではいやほど見ているのでまあこの際だから見ておこうか、くらいの気持ちで入ったのですが、完全にノックアウトされました。まず、よくぞこれほどというくらい保存がいい。そして印刷物ではまったくわからなかった背景の美しさ、名品とはこういうものをいうのですね。44年ぶりの展観です。会期は12月15日まで、少々急いでください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
13.『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』~後編
さて、話を元版に戻します。本書の挟み込みの裏面には、「発表書誌目」も掲載されており(図11)、初出誌のデータが記されています。収録された詩作品26篇と、詩的な評論2篇がそれぞれ発表年代順に収録されたことがわかります。ただし現在では、「TEXTE」と「実験室における太陽氏への公開状Ⅰ・Ⅱ」との、掲載順序が逆転している可能性が浮上しています。すなわち、「発表書誌目」では「実験室における太陽氏への公開状Ⅰ」の初出誌「文学」第2号(第一書房。図12)の刊行時期が、「1930年11月」とされていますが、正しくは「1929年11月」です。また「実験室における太陽氏への公開状Ⅱ」の初出誌「LE SURRÉALISME INTERNATIONAL」(図13)の刊行は、「発表書誌目」の記載どおり1930年1月ですので、Ⅰ・Ⅱともに「TEXTE」の初出誌「詩と詩論」第7冊(1930年3月。図14)より前ということになります。したがって、「実験室における太陽氏への公開状Ⅰ・Ⅱ」は「TEXTE」の前に掲載されるのが適当かもしれないということになります。これは単なる掲載順序の問題にとどまらず、(次に述べる未収録作品も含め)「絶対への接吻」にいたる諸篇の解釈にかかわる、大きな問題と思われます。




さらに重要なのは、本書刊行の際には埋もれており、収録されなかった作品が存在することです。1930年6月~31年1月に発表された「PIRATERIE 1930」「受話器の類焼」「想像と火」、および1933年10月に発表された「不思議な時間のやうに」の4篇です。これらについては、瀧口自身が「(出来れば現行の縮刷版と同じ組みにして)一冊として出版し、いずれは改版の際に包容するのが筋」としていたそうです(鶴岡善久「瀧口修造の詩的実験1927~1937補遺」付記、「現代詩手帖」特集「瀧口修造」、1979年10月。図15)。せっかく上記の復刻版を元版と同じ書肆が刊行したのですから、瀧口自身の意向に沿ってこれらの4篇を追加し、増補版としたらよかったと思います。『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』の書誌として述べておくべきことは、以上です。

続いて、やや専門的になりますが、本書に収録された28篇にこの4篇を加えた32篇の、全体の構成や個々の作品の内容について触れたいと思います。すでに本書刊行の前後の頃から、何人かの論者が見解を発表しています(末尾の参考文献1~4)。関心のある方はご覧ください。筆者も別のところで論じたことがありますが(参考文献5)、改めて以下にその要点をご紹介します。
・「LINES」から「地球創造説」までは、シュルレアリスムよりもダダの色彩が強い。言語の客体性が追求されており、詩行であることを示した「LINES」をはじめ、「Étamines Narratives」「断片」など、客体としてのあり方をそのままタイトルとした作品が散見される。
・「地球創造説」で主題性が導入され、「絶対への接吻」までの各篇でも、それぞれ主題が置かれている。「仙人掌兄弟」「DOCUMENTS D’OISEAUX」「MIROIR DE MIROIR」など、師の西脇順三郎の英語の授業でテキストとして使用された、プラトンの「諸対話篇」から主題が採られた作品が散見される。特に「実験室における太陽氏への公開状」は、ブルトン『超現実主義と絵画』を訳していた瀧口が、プラトン『国家』の「洞窟のアレゴリー」を下敷きに、(超現実主義による)新たな視覚性への覚醒を謳ったものと思われる。
・「TEXTES」では自動記述そのもの乃至その過程が主題とされ、改めてその可能性と限界が検証されている。「PIRATERIE 1930」ではブルトン『シュルレアリスム宣言』の狂気の一節を下敷きに、自動記述を遂行する際の狂気や憑依が、また「受話器の類焼」では自動記述によるコミュニケーションの断絶が、それぞれ主題とされている。
・「絶対への接吻」は自動記述への別れを主題としており、慶應義塾大学卒業と就職などの、「現実の問題が幾層にも錯綜するなかで激しい渇望に憑かれた緊迫した時代」(「自筆年譜」1931年の項)に書かれた一篇と思われる。
・これ以降は、抒情詩の色彩が強くなり、「白の上の千一夜」や『妖精の距離』の諸篇など、造形作品と組み合わされることを前提にするようになっていく。
ついでに1927年以前の作品や1937年以降の作品についても、近年の調査研究の内容を簡単にご紹介しておきます。
・富山中学在学中に短歌を創作していたことが、「自筆年譜」や上記の「添え書き」で回想されているが、実際に地方紙や校友会誌に掲載された実作が、富山在住の研究者によって発掘されている(参考文献6,7)。
・初期の「雨」「月」「冬」の執筆時期について、従来、「雨」および「月」2篇の執筆時期は、永井龍男の紹介で「山繭」第11号(1926年6月)に掲載されたのと同時期と考えられていたが(参考文献8)、この2篇は慶應義塾大学文学部予科への入学前後から北海道への移住までの、1922~1923年頃に執筆されていた作品であり、瀧口が書き溜めてきたノートのなかから、再上京後の1926年に再会した永井が選定して、同誌に掲載されたと考えた方が、筋が通る(参考文献9)。
・また、同誌第14号(1926年10月)に掲載された「冬」は、小樽を舞台とする作品で、発表に際して加筆・修正された可能性はあるものの、執筆時期は小樽在住の頃か再び上京して慶應義塾大学に再入学した頃、すなわち1924年~25年頃と思われる(参考文献9)。
1937年以降の作品である「春とともに」について触れておきます。
・「春とともに」は日本文学報国会詩部会が軍艦建造の資金集めのために編集刊行した『辻詩集』(八紘社杉山書店、1943年10月。図16)に掲載された作品で、この詩集への寄稿自体が戦争協力に他ならないと批判されてきた。ただし、北園克衛、山中散生ら200名余りの詩人たちによる軍艦賛美オンパレードなかで、瀧口の作品は戦死した若い兵士を悼む内容であり、異彩を放っている。単なる「戦争協力」と片付けられないものが含まれているように思われる(参考文献10)。

以上のとおり、『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』は、瀧口の事実上の処女詩集にして唯一の詩集ですが、限定版だった元版や縮刷版はもちろん、復刻版も品切れとなっているようです。元版および縮刷版の存在感があまりに大きいので、他の形を想定しにくいのも事実ですが、増補改訂版か、あるいは1927年以前や1937年以降の作品も網羅した『瀧口修造詩集成』の刊行を切に望むものです。
参考文献
1.鶴岡善久「太陽への希求 滝口修造・前田耕」、『日本超現実主義詩論』、思潮社、1966年6月
2.入沢康夫「瀧口さんの<転機>についての走り書き」、「現代詩手帖」、思潮社、1968年10月
3.岩成達也「<瀧口修造の詩的実験1927~1937>についての二、三のメモ」、「現代詩手帖」臨時増刊、思潮社、1974年10月
4.巖谷國士「瀧口修造論への序」、『シュルレアリスムと芸術』、河出書房新社、1975年8月
5.土渕信彦「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」、「洪水」6~8号、洪水企画、2010年7月~2011年7月
6.萩野恭一「瀧口修造の短歌」、「洪水」第7号「特集 瀧口修造の息吹」、洪水企画、2011年1月
7.久泉迪雄「瀧口修造―覚書」、「とやま文学」第34号特集「追慕・顕彰瀧口修造」、富山県芸術文化協会、2016年3月
8.鶴岡善久「瀧口修造論―日本シュルレアリスム詩運動の流れのなかで」、『シュルレアリスムの発見』、湯川書房、1979年3月
9.土渕信彦「初期詩篇の再検討―〈雨〉〈月〉〈冬〉は、いつ執筆されたか」、「橄欖」第1号、瀧口修造研究会、2009年7月
10.土渕信彦「瀧口修造―生涯と作品」、「橄欖」第4号、瀧口修造研究会、2018年7月
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。

"Ⅱ-27"
デカルコマニー
イメージサイズ:13.5×10.5cm
シートサイズ :18.4×12.3cm
※Ⅱ-26と対
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
必見の展覧会、会期終了まであと数日
・昨日は通常の更新日を変更して吉岡知子さんによるレビュー「福原義春コレクション 花開く色彩―駒井哲郎のモノタイプ」の展示に寄せて、を掲載しました。
僅か20点の小展示ですが、世田谷美術館二階の一番小さな部屋で駒井哲郎の史上初めてのモノタイプ展が開催されています。会期は明日24日まで、急いでください。
・台風19号の被害で運休の箱根登山鉄道の復旧は来年秋になるらしい。いくら代行バスがあるとはいえポーラ美術館にたどりつくのは・・と躊躇していたのですが、数日前『シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート』に行ってきました。入り口にモネの睡蓮、ん?と思うや壁の向こうから妙なる響きが。実によく考え抜かれた素晴らしい企画展です。学芸員の努力に敬意を表します。あの印象派のポーラ美術館で開館以来初めての現代美術展が開催されています。会期は12月1日まで、急いでください。
・先日倉俣史朗のシンポジウムの整理券獲得のため、竹橋の東京国立近代美術館に早朝9時半に並びました。ふと切符売り場を見ると年配の方たちが随分と並んでいる。つられて(時間もあるし)いま話題の「窓展 窓をめぐるアートと建築の旅」のチケットを買い、ついでに3階の「鏑木清方 幻の<築地明石町>特別公開」に。画集などではいやほど見ているのでまあこの際だから見ておこうか、くらいの気持ちで入ったのですが、完全にノックアウトされました。まず、よくぞこれほどというくらい保存がいい。そして印刷物ではまったくわからなかった背景の美しさ、名品とはこういうものをいうのですね。44年ぶりの展観です。会期は12月15日まで、少々急いでください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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