中村惠一のエッセイ「美術・北の国から」 第3回
NDA画廊と長谷川洋行
大学生活の4年間とその後の美術にかかわる人生を考えるとき、私に最も影響を与えたのは札幌にあったNDA画廊というギャラリーの存在であった。もちろん札幌に行く以前でも美術にも文学にも興味があり、展覧会やシンポジウムに参加したりもした。だが、美術品を買うという行為を含めて、しっかりと美術と付き合った最初はNDA画廊においてであった。札幌駅の南側に大正時代に建てられた「道特会館」という石造のビルの中にその空間はあった。近くには時計台があって、時間がくると鐘の音が聞こえてくるような距離であった。小さな石段を登り大きなガラスの扉を押して入るとタイル貼りのエントランスがあって、その先に木造の廊下が続いていた。そこを進むと右に真紅の扉、左に鮮黄の扉があった。真紅の扉の内側がNDA画廊であり、鮮黄の扉の内側は札幌版画塾であった。

初めて訪問した時は冬、画廊の真ん中にはストーブがあってヤカンの口からは湯気がたっていた。壁面には山本容子の初期の銅版画がかかっていた。直接展示されていた山本容子の銅版画のほか、その時に見たのは一原有徳とスタシス・エイドリゲヴィチウスの版画であった。画廊内部の空間はほぼ正方形、壁面にはクロスが貼られていた。廊下側の隅に机と椅子が置かれていた。机と扉との間には大きな版画ラックがあった。その木製のラックの天板のところで何点の作品と出会ったことだろうか。昨年、小樽の森ヒロコ・スタシス美術館の特別開館があって伺った際に美術館内部にこのラックがあって驚いた。しかも中は当時の記憶のままに作品が入れられていたのだったから、再度驚いたのだった。
画廊内部とラックの天板
画廊主は長谷川洋行(なだゆき)という。横浜生まれで東北大学の美学を卒業、仕事の関係で札幌に住むようになったようだ。長谷川がNDA画廊を開設したのは昭和49(1974)年のこと。もともとデザイン関係の仕事をしていたので「北方デザイン」の意味での「NDA」であったようだ。長谷川は長身で大声、早口だった。気持ちがのった時の会話は機関銃のようだった。若い時期にグループ「具体」から受けた衝撃が忘れられず、東欧の美術に惹かれ、意見が合わなければ徹底して議論するタイプだったので、彼を苦手にする作家やコレクターも多く、敵も多かった。会ったとき私は十代、怖いもの知らずだったので、割と平気だったのかもしれない。NDA画廊にはさまざまな方が来ていた。種村季弘や中野美代子、ヨシダヨシエといった文学者、石井満隆、アネッケ・バルガーといったダンサーなどともNDA画廊で出会った。もちろん長谷川の妻である銅版画家の森ヒロコともここで会った。昭和55(1980)年頃、札幌で私がよく訪問していたギャラリーはクラーク画廊、ギャラリー・レティナ、時計台画廊、大同ギャラリーであったが、NDAとクラーク、レティナは企画画廊であった。そこで出会った美術家や作品たちを記憶をたどって列挙してみたい。谷川晃一、円池茂、元永定正、岡部昌生、安田侃、川口起美雄、ウォルフガング・ゲフゲン、フィリップ・モーリッツ、駒井哲郎、柄澤齊、多賀新、木原康行、小林研三、島州一、平賀敬、小松章三、片山健、二見彰一、北川健次、池田良二、服部冬樹などであった。
元永定正絵本『もこ もこもこ』
平塚市美術館での川口起美雄展ポスター
多賀新『銅版画 江戸柄乱歩の世界』表紙
平賀敬のアヴァンギャルド戯作画展図録
片山健画集『迷子の独楽』表紙
NDA画廊ではほかにも先駆的な展覧会として、スウェーデンのシュルレアリスト、マックス・ワルター・スワーンベリやノーベル文学賞受賞作家であるギュンター・グラスの銅版画展、MCエッシャー展、スタシス・エイドリゲヴィチウスの蔵書票展、森永純のヘドロの写真展などなどが展覧された。おそらく同じ展示を東京で行えば、見る観客の数は大きく違ったであろうし、決して恵まれてはいない札幌のマーケットを相手にNDA画廊は健闘を続けていたように思う。長谷川の行動力は実に別格であった。画廊での企画はもちろん、北見紋別にあった道都大学で教鞭をとる一方、現地にミニホールを伴った自宅を建築、その場所を使っての「オホーツク・ワークショップ」を実現する。前半は石井満隆が、後半は島州一が講師を担当した。今思えば画期的な試みであり、もっと評価されるべき活動であったと思う。大学を卒業して札幌を離れるまでの1年間、妻がNDA画廊に勤務していた。札幌も変化をしようとしている時期で、「道特会館」も建替えをすることになったのだった。我々夫婦が新生活を始める時期にNDA画廊も次のステップを刻むことになった。現在札幌にある「道特会館ビル」はこの時に建替えられたビルであり、NDA画廊はしばらくの休廊を経てこの新ビルに復活をした。もともと東欧圏の美術に興味をもっていた長谷川はスタシスをはじめ東欧圏の美術や文化の紹介に力をいれる。プラティスラヴァ世界絵本原画展の日本開催に尽力した。平成3(1991)年には同展でスタシスがグランプリを獲得している。一方、平成5(1993)年には札幌のNDA画廊を森ヒロコの実家である小樽に移すことになる。「森ヒロコ・スタシス美術館」の開館である。

こうした活動からスロバキアとの関係を深めた長谷川はスロバキア国立オペラ座を日本に招聘、地方でのオペラコンサートを開催するようになる。もちろん巨額の予算は準備できないから、コンサート形式のガラコンサートでピアノの伴奏のみ。移動は長谷川が自らマイクロバスを運転することによって、安い入場料でありながら良質のオペラの上演を実現してみせたのだった。平成28(2016)年のたぶん夏、長谷川から一本の電話が入った。「中村君、僕ももう歳だからさ、オペラの上演を引き継いでくれないかな」というもの。残念ながら私にも私と家族の生活もあり、そうやすやすとは引き受けるわけにはいかなかった。その電話での声が最後に聞いた声になってしまう。11月13日に車の事故にともなう脳内出血で長谷川は亡くなられた。享年80歳であった。
森ヒロコ・スタシス美術館の入口壁画(スタシスによる)
(なかむら けいいち)
■中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)
●本日のお勧め作品は服部冬樹です。

服部冬樹 Fuyuki HATTORI
「90 Minutes JESSICA I ジェシカ」
1991年 Cibachrome
シートサイズ:50.4×40.3cm Ed.3/3
右下・裏にサインあり
*レゾネNo.272(共同文化社「服部冬樹作品集」)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
本日の中村さんの連載、本来なら22日掲載ですが、当方の事情で本日に変更させていただきました。
お詫びするとともに、昨日に続き(ちょっとくどいか)「必見の展覧会、会期終了まであと数日」を再掲します。
・僅か20点の小展示ですが、世田谷美術館二階の一番小さな部屋で駒井哲郎の史上初めてのモノタイプ展が開催されています。吉岡知子さんによるレビュー「福原義春コレクション 花開く色彩―駒井哲郎のモノタイプ」の展示に寄せて、をお読みください。本日24日で終了です、急いでください。
・台風19号の被害で運休の箱根登山鉄道の復旧は来年秋になるらしい。いくら代行バスがあるとはいえポーラ美術館にたどりつくのは・・と躊躇していたのですが、数日前『シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート』に行ってきました。入り口にモネの睡蓮、ん?と思うや壁の向こうから妙なる響きが。実によく考え抜かれた素晴らしい企画展です。学芸員の努力に敬意を表します。あの印象派のポーラ美術館で開館以来初めての現代美術展が開催されています。会期は12月1日まで、急いでください。
・先日倉俣史朗のシンポジウムの整理券獲得のため、竹橋の東京国立近代美術館に早朝9時半に並びました。ふと切符売り場を見ると年配の方たちが随分と並んでいる。つられて(時間もあるし)いま話題の「窓展 窓をめぐるアートと建築の旅」のチケットを買い、ついでに3階の「鏑木清方 幻の<築地明石町>特別公開」に。画集などではいやほど見ているのでまあこの際だから見ておこうか、くらいの気持ちで入ったのですが、完全にノックアウトされました。まず、よくぞこれほどというくらい保存がいい。そして印刷物ではまったくわからなかった背景の美しさ、名品とはこういうものをいうのですね。44年ぶりの展観です。会期は12月15日まで、少々急いでください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
NDA画廊と長谷川洋行
大学生活の4年間とその後の美術にかかわる人生を考えるとき、私に最も影響を与えたのは札幌にあったNDA画廊というギャラリーの存在であった。もちろん札幌に行く以前でも美術にも文学にも興味があり、展覧会やシンポジウムに参加したりもした。だが、美術品を買うという行為を含めて、しっかりと美術と付き合った最初はNDA画廊においてであった。札幌駅の南側に大正時代に建てられた「道特会館」という石造のビルの中にその空間はあった。近くには時計台があって、時間がくると鐘の音が聞こえてくるような距離であった。小さな石段を登り大きなガラスの扉を押して入るとタイル貼りのエントランスがあって、その先に木造の廊下が続いていた。そこを進むと右に真紅の扉、左に鮮黄の扉があった。真紅の扉の内側がNDA画廊であり、鮮黄の扉の内側は札幌版画塾であった。

初めて訪問した時は冬、画廊の真ん中にはストーブがあってヤカンの口からは湯気がたっていた。壁面には山本容子の初期の銅版画がかかっていた。直接展示されていた山本容子の銅版画のほか、その時に見たのは一原有徳とスタシス・エイドリゲヴィチウスの版画であった。画廊内部の空間はほぼ正方形、壁面にはクロスが貼られていた。廊下側の隅に机と椅子が置かれていた。机と扉との間には大きな版画ラックがあった。その木製のラックの天板のところで何点の作品と出会ったことだろうか。昨年、小樽の森ヒロコ・スタシス美術館の特別開館があって伺った際に美術館内部にこのラックがあって驚いた。しかも中は当時の記憶のままに作品が入れられていたのだったから、再度驚いたのだった。

画廊主は長谷川洋行(なだゆき)という。横浜生まれで東北大学の美学を卒業、仕事の関係で札幌に住むようになったようだ。長谷川がNDA画廊を開設したのは昭和49(1974)年のこと。もともとデザイン関係の仕事をしていたので「北方デザイン」の意味での「NDA」であったようだ。長谷川は長身で大声、早口だった。気持ちがのった時の会話は機関銃のようだった。若い時期にグループ「具体」から受けた衝撃が忘れられず、東欧の美術に惹かれ、意見が合わなければ徹底して議論するタイプだったので、彼を苦手にする作家やコレクターも多く、敵も多かった。会ったとき私は十代、怖いもの知らずだったので、割と平気だったのかもしれない。NDA画廊にはさまざまな方が来ていた。種村季弘や中野美代子、ヨシダヨシエといった文学者、石井満隆、アネッケ・バルガーといったダンサーなどともNDA画廊で出会った。もちろん長谷川の妻である銅版画家の森ヒロコともここで会った。昭和55(1980)年頃、札幌で私がよく訪問していたギャラリーはクラーク画廊、ギャラリー・レティナ、時計台画廊、大同ギャラリーであったが、NDAとクラーク、レティナは企画画廊であった。そこで出会った美術家や作品たちを記憶をたどって列挙してみたい。谷川晃一、円池茂、元永定正、岡部昌生、安田侃、川口起美雄、ウォルフガング・ゲフゲン、フィリップ・モーリッツ、駒井哲郎、柄澤齊、多賀新、木原康行、小林研三、島州一、平賀敬、小松章三、片山健、二見彰一、北川健次、池田良二、服部冬樹などであった。





NDA画廊ではほかにも先駆的な展覧会として、スウェーデンのシュルレアリスト、マックス・ワルター・スワーンベリやノーベル文学賞受賞作家であるギュンター・グラスの銅版画展、MCエッシャー展、スタシス・エイドリゲヴィチウスの蔵書票展、森永純のヘドロの写真展などなどが展覧された。おそらく同じ展示を東京で行えば、見る観客の数は大きく違ったであろうし、決して恵まれてはいない札幌のマーケットを相手にNDA画廊は健闘を続けていたように思う。長谷川の行動力は実に別格であった。画廊での企画はもちろん、北見紋別にあった道都大学で教鞭をとる一方、現地にミニホールを伴った自宅を建築、その場所を使っての「オホーツク・ワークショップ」を実現する。前半は石井満隆が、後半は島州一が講師を担当した。今思えば画期的な試みであり、もっと評価されるべき活動であったと思う。大学を卒業して札幌を離れるまでの1年間、妻がNDA画廊に勤務していた。札幌も変化をしようとしている時期で、「道特会館」も建替えをすることになったのだった。我々夫婦が新生活を始める時期にNDA画廊も次のステップを刻むことになった。現在札幌にある「道特会館ビル」はこの時に建替えられたビルであり、NDA画廊はしばらくの休廊を経てこの新ビルに復活をした。もともと東欧圏の美術に興味をもっていた長谷川はスタシスをはじめ東欧圏の美術や文化の紹介に力をいれる。プラティスラヴァ世界絵本原画展の日本開催に尽力した。平成3(1991)年には同展でスタシスがグランプリを獲得している。一方、平成5(1993)年には札幌のNDA画廊を森ヒロコの実家である小樽に移すことになる。「森ヒロコ・スタシス美術館」の開館である。

こうした活動からスロバキアとの関係を深めた長谷川はスロバキア国立オペラ座を日本に招聘、地方でのオペラコンサートを開催するようになる。もちろん巨額の予算は準備できないから、コンサート形式のガラコンサートでピアノの伴奏のみ。移動は長谷川が自らマイクロバスを運転することによって、安い入場料でありながら良質のオペラの上演を実現してみせたのだった。平成28(2016)年のたぶん夏、長谷川から一本の電話が入った。「中村君、僕ももう歳だからさ、オペラの上演を引き継いでくれないかな」というもの。残念ながら私にも私と家族の生活もあり、そうやすやすとは引き受けるわけにはいかなかった。その電話での声が最後に聞いた声になってしまう。11月13日に車の事故にともなう脳内出血で長谷川は亡くなられた。享年80歳であった。

(なかむら けいいち)
■中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)
●本日のお勧め作品は服部冬樹です。

服部冬樹 Fuyuki HATTORI
「90 Minutes JESSICA I ジェシカ」
1991年 Cibachrome
シートサイズ:50.4×40.3cm Ed.3/3
右下・裏にサインあり
*レゾネNo.272(共同文化社「服部冬樹作品集」)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
本日の中村さんの連載、本来なら22日掲載ですが、当方の事情で本日に変更させていただきました。
お詫びするとともに、昨日に続き(ちょっとくどいか)「必見の展覧会、会期終了まであと数日」を再掲します。
・僅か20点の小展示ですが、世田谷美術館二階の一番小さな部屋で駒井哲郎の史上初めてのモノタイプ展が開催されています。吉岡知子さんによるレビュー「福原義春コレクション 花開く色彩―駒井哲郎のモノタイプ」の展示に寄せて、をお読みください。本日24日で終了です、急いでください。
・台風19号の被害で運休の箱根登山鉄道の復旧は来年秋になるらしい。いくら代行バスがあるとはいえポーラ美術館にたどりつくのは・・と躊躇していたのですが、数日前『シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート』に行ってきました。入り口にモネの睡蓮、ん?と思うや壁の向こうから妙なる響きが。実によく考え抜かれた素晴らしい企画展です。学芸員の努力に敬意を表します。あの印象派のポーラ美術館で開館以来初めての現代美術展が開催されています。会期は12月1日まで、急いでください。
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TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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