慶應義塾大学アート・センターのアート・アーカイヴ資料展 XX《影どもの住む部屋II―瀧口修造の〈本〉―「秘メラレタ音ノアル」ひとつのオブジェ》レビュー
土渕信彦
去る1月20日(月)、慶應義塾大学アート・スペースで開催されている展覧会《影どもの住む部屋II―瀧口修造の〈本〉―「秘メラレタ音ノアル」ひとつのオブジェ》を拝見してきました。以下にレポートします(会場は撮影可で、SNSへのアップも可能です)。
図1
図2
この展覧会は慶應義塾大学アート・センターのアート・アーカイヴ資料展 XXとして、同センターが所蔵する瀧口修造の「手づくり本」30冊余り、および手づくり本の断片・素材を展示するものです。ちなみに「影どもの住む部屋」のⅠは2018年1月~3月にアート・アーカイヴ資料展XVI「影どもの住む部屋―瀧口修造の書斎」として開催されています。
今回の展示の対象と展示の趣旨については、カタログ(リーフレット集。図3)で次のように述べられています。
「出版社や印刷所のプロセスを経ていない、瀧口自身の手仕事による本であり、雑誌の切り抜き、銀紙、ラベル・シール、手書きのメモ等、いわゆる断片の寄せ集めによって構成され、完成されているようにも、未完成であるようにも見える本である。」
「脆弱に綴じられ、時にはそれすら放棄された本と呼ぶには余りにもはかない「手づくり本」を通して、瀧口は何を行おうとしていたのか。本展では、「永遠運動の発明」(「仮説の運動」)へと向けられた行為の連続としての詩を求めた瀧口の制作における思考を、「行為を内蔵してしまったもの」(「アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々」)としての〈本〉を通じて見出すとともに、アーカイヴにとって資料とは何かについて考える。」
図3
なお、タイトルの「秘メラレタ音ノアル」という一句は、マルセル・デュシャン初期(1916年)の有名なオブジェ「秘めた音で」(図4)を連想させますが、実はカタログで引用されている「行為を内蔵してしまったもの」と同じく、瀧口の「アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々」に出てくる言葉です。この文章は、加納光於と大岡信が40部製作(共作)した箱のオブジェ「アララットの船あるいは空の蜜」に触発されて執筆されたもので(非売5部中の1点が瀧口旧蔵で、現在は富山県立美術館蔵。図5)、スパイラル綴じの小型ノートに青インクで浄書された手づくり本が5部制作され、加納光於、大岡信、白倉敬彦、馬場駿吉の各氏にそれぞれ1部贈呈されました。残りの1部は瀧口自らの旧蔵で、もちろん本展で展示されています(図6)。壁面に貼られた内容頁のコピーを見ると贈呈された他の4部よりも訂正箇所が多いようなので、最初に書かれた試作版かもしれません。
図4
図5
図6
展示室に一歩足を踏み入れると、まず目を奪われるのが、周囲の壁面4面を覆いつくすように貼られているイメージの数々でしょう。これは展示されている「手づくり本」すべての各頁をコピーしたもので(一部の白紙の頁を除く)、なかなか壮観です(図7,8)。
図7
図8
展示室の中央には平台が3台設えられています。手前の平台に「手づくり本」が並べられ、奥の平台(2台1組)の展示ケースにはその素材や手稿などが広げられています(図9~11)。
図9
図10
図11
展示されている「手づくり本」は次のとおりです。
01 Henri-Pierre Roché Souvenir sur MARCEL DUCHAMP
02 OBORO-OMBORO
03 LOST DIARY OF MATHIAS GRÜNEWALD OR PAINTER’S HANDBOOK
04 BLOTTING PAPER IS SOMETHING, ET CETERA…
05 見える本
06 黒い本
07 Klee
08 UN LIVRE BLANK PLUS OU MOINS
09 PREMIERS ROTO-DESSINS ESSAIS
10 Marcel Duchamps:Fifty Years Later by Francis Steegmuller
11 PARIS-EXPRESS
12 MAX WALTER SVANBERG ☆Obsédé par la femme ☆Six poémes
13 MARCEL DUCHAMP―POPS GRADDADA
14 星は人の指ほどの―
15 THE TWIN NEWYORKERS ON MARSEL DUCHAMP
16 ANTHOLOGIE
17 EN LISANT ANDRÉ BRETON
18 CINÉMA‘films d’AVANT GARD
19 1939 Rrose Sélavy 1966
20-Ⅰ 余白の蛇:7つの詩と絵
20-Ⅱ 余白の蛇:7つの詩と絵
21-Ⅰ Rrose Sélavy
21-Ⅱ Rrose Sélavy
22 A swift Requiem: MARSEL DUCHAMP 1887-1968
23 執筆記録
24 ELIXIR:ガウディの夢
25 Étant donné Rrose Sélavy 1958-1968 or Growth and Making of To and From Rrose Sélavy
26 CHROMATOP[O]IEMA JUNZABURO NISHIWAKI YOSHIKUNI IIDA
27 アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々
28 檢眼図傍白
29 LIBERTY PASSPORT for KAZUO OKAZAKI
30 1960
31 [「手づくり本」素材]
これらの30冊余りのなかには、手作り本ないし本のオブジェとして、過去の展覧会や雑誌記事などで紹介されたことのあるものも、もちろん展示されています。例えば上記の02~06, 08, 09, 20, 24, 27, 28などです(ただし、有名な《扉に鳥影》は展示されていません)。
初めて拝見するものもかなり多く含まれています。そのなかで、上記の07,18,19は、記録、推敲、構想などのために出来合いのクロッキー帳やノートが用いられたものと思われますし、16や17は、瀧口が1966年5月にみすず書房から出版した《余白に書く》の束見本が用いられているようです(図12)。厚さから判断すると16は特装版、17は普及版かと思われます。14,21,26は他の詩人や作家の本(ないしそのコピー)を紙製の袋に収めたものです。
図12
「これらも瀧口の手作り本なのだろうか?」と、いささか怪訝に思い、改めてカタログを参照すると、「凡例」には次のように記されています。
「本展における「手づくり本」とは、一部の例外を除き、表紙にラベルが貼られ、仮綴じにされたものである。ラベルの貼られていない瀧口のドローイングなどが施されたスケッチ・ブックをここでは除外した。「手づくり本」の素材とした物の中にも「手づくり本」と呼び得る物、または「手づくり本」と定義した中にも限りなく素材に近い物がある。」
この要件からすると、表紙にラベルが貼られていないものや、仮綴じではないもの、手づくりの袋に収納されたものなどは、例外ということになるのかもしれません。いずれにしろ、30点余りも拝見することができるのですから、幅広に対象が選ばれているのは、むしろ歓迎すべきことでしょう。奥のケース内に展示されている素材や断片も(図13,14)、瀧口の姿、とりわけ欧州旅行から帰国してからの1960~70年代の姿を生々しく想起させ、実にインパクトがあります。
図13
図14
展示された資料のそれぞれに、A5サイズのリーフレット1葉が作成され、3000字前後にも及ぶ解説テキストが、それぞれの薄い用紙をびっしりと埋め尽くしています。このリーフレット31葉に加えてリスト頁(図15)が1葉あり、さらに別刷の各資料の切手大カラー図版シール集(A4シート1枚。図16)もあります。各リーフレットの中央部に図版シールを貼るとリーフレットが完成し、合計32葉が、(無綴じで手づくり風の)本展のカタログとなります。なお、カタログの表紙に当たる頁(図17)はNo.31の「素材」の解説リーフレットの裏面に印刷されています。会場にて1人1セット、無料で配布されています。
図15
図16
図17
各リーフレットの解説は6名による分担執筆ですが、各対象の「手づくり本」についてのみならず、造形の仕事全般や生涯について目配りされ、著作も丁寧に読み込まれて執筆された力作が揃っており、今後の研究の基本資料となるものと思われます。デュシャンに関する各「手づくり本」の解説には、「瀧口修造とマルセル・デュシャン」と題されたテキストが、重複して掲載されていますが、デュシャンに関するものはもともと点数が多いので、やむをえません。
なお、自著『幻想画家論』(新潮社刊の元版。図18)をデュシャンに献呈したこと、および自作のロトデッサンをデュシャン(並びに機械で描くメタマティック・デッサンを手掛けているティンゲリー)に贈呈したことについて、解説で触れられていないようですが、「手づくり本」やロトデッサン(図19,20)について考えるうえで重要と思われますので、ここに補っておきます。詳細はこのブログの連載「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第6回、第7回をご覧ください。
図18
図19
図20
こうした展示やカタログは、瀧口修造アーカイヴが活発な活動を継続している証ですし、比較的年若い世代のアーキヴィストの意欲が掻き立てられている様子も見て取れ、瀧口修造にこだわってきた者として、たいへんうれしく、また心強く思います。こうした展覧会が開催されたことを率直に喜びたいと思います。ぜひご覧になるようお勧めします(月~金曜日の11:00~18:00。土・日祝は休館)。
展示のレビューは以上です。瀧口の仕事に関心を持つ者にとって必見の、素晴らしい展覧会ですが、カタログなどに関して、気になる点が無いわけではありません。以下に3点挙げておきます。
第1に体裁について
リーフレットの用紙は印刷が透けるほど薄くて腰が弱く、またA5の判型にテキストが小さな活字で印刷されているため、(小さな虫眼鏡が用意されていますが)会場で判読するのはほぼ不可能で、展示リストや解説の用をなしません。トレーシングペーパーやパラフィン紙を用いる瀧口の手法を踏襲したのか、カタログで指摘された「手づくり本」の「はかなさ」を演出するためかは分かりませんが、せっかくの解説テキストが、ほとんど読まれないということにもなりかねませんし、「はかなさ」ばかりに着目すると、既存の在り方を覆そうとするラディカルな強靭さを、見落とす危険性もあります。無料で頂ける資料に注文を付けるようで恐縮ですが、体裁には過度に凝らず、コピー用紙表裏に印字したDTPでも構わないので、とにかく普通に判読できるようにしていただきたいものです。
第2に内容について
各「手づくり本」の解説テキストは、冒頭に「本とは〇〇〇である」という命題が置かれる形で統一されていますが、これは「各展示資料が本である」ということを暗黙裡に前提とするものではないでしょうか。しかしながら、「手づくり本」の要件とされた「ラベルを貼る」ことや「仮綴じにする」ことについての考察は見当たりませんし、そもそも「手づくり本」とは何であり、瀧口にとってどういうものであったのかが解説されておらず、実のところ各展示資料は、「手づくり本」であるかはもちろん、「本」であるかさえも分からない、ないし結論が出ていないものと言わざるをえません(30冊余りの比較、分類、タイプ分けも試みられていません)。こうした対象それぞれに「本とは〇〇〇である」という命題を一律に与えるのは、(好意的に見れば「本」であることの可能性をさまざまに示そうとしたのかもしれませんが)展示対象が「本」であると、予め枠をはめることになりかねないように思われます。多様の解読や位置付けの可能性のあるはずのアーカイヴ資料についての解説なのですから、「展示資料1,2,3,……は〇〇〇であり、したがって瀧口(ないし閲覧者)にとって、本と呼べる可能性がある」という記述に止めるのが適当のように思われます。
第3に叙述法について
リーフレットの解説テキストには、美術館の展示作品解説や新刊書などの書評などでしばしば採用されている、「私達は○○する」「鑑賞者は○○する」という記述が散見されますが、来館者は「手づくり本」を自由に手に取って内容を閲覧・鑑賞することができないのですから、執筆者と同じ立場に立つのは元々不可能です。これから閲覧を希望する外部の人間に対してインフォメーションを提供する形の、「展示資料1,2,3,……は○○です」という記述が相応しいように思われます。これに関連して、こうした展示やカタログと同時に(あるいは先立って)、瀧口修造アーカイヴの目録が作成・公開され、各「手づくり本」が「瀧口修造コレクション」と名付けられている資料全体の中で、どういう位置付けにあるのか示されていることが望ましいのではないでしょうか。
気になる点を指摘するばかりでは申し訳ないので、以下に「手づくり本」の要件とされている「ラベルを貼る」および「仮綴じにする」ことについての私見を述べ、30冊余りの分類も試みておきます。
「ラベルを貼る」ということは、1960~70年代の瀧口に顕著な、特徴付けるといってもよい行為で、今回展示されている「手づくり本」以外に、瓶のオブジェ(図21)や箱などにも例があります。一般にラベル貼るということは、ある対象を他から区別してその位置付けを明確にすることと思われますが、ここで、他との差異こそが言語の本質であることを想起すると、ある対象にラベルを貼るとは、意識の(深層から表層のあいだの)ある審級で分節が生じている、ないし生じつつある対象に対して、他との差異を明確化・意識化すること、すなわちある対象そのものを言語化することと考えられるのではないでしょうか。デュシャンに触発されながら、オブジェと言語との関係をめぐってさまざまな考察を巡らしていた瀧口にとって、「ラベルを貼る」ことは、オブジェが言語化されていることを端的に示す、最も基本的な行為であるように思われます。
図21
さらに、こうしたオブジェの言語化(および「手づくり諺」に典型的な、言語のオブジェ化)の場として想定されていたのが、瀧口の「オブジェの店」であるとするなら、「ラベルを貼る」ことを要件の一つとする「手づくり本」は、(「影どもが住む部屋」というよりはむしろ)「オブジェの店」を開く構想に深く関わっているように思われます。なお、この構想については、「透明な部屋―瀧口修造の「オブジェの店」を開く構想の余白に」(「瀧口修造:夢の漂流物」展カタログ、世田谷美術館・富山県立近代美術館、2005年2月。図22)をご覧ください。
図22
「手づくり本」のもう一つの要件とされている「仮綴じにする」ことについては、すでに別のところで述べたことがありますので、ここでは瀧口が自らの装幀について述べた「仮綴じ風」ということが、「ラベルを貼る」ことと同様に、「オブジェの店」を開く構想と密接に関連している点を指摘するに止めます。詳細は「瀧口修造の装幀と手作り本に関する一考察 特に「仮綴じ風」をめぐって」(「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展カタログ、千葉市美術館、2011年11月。図23)をご覧ください。
図23
ここで、改めて今回展示されている「手づくり本」を検討すると、概略、次の4通りに分類されるように思われます。なお当然のことながら、どこに分類すべきか判断が難しい、あるいは複数の分類にまたがる「手づくり本」もあります。
① 水彩(ないし水彩の吸着)、焼け焦がし、ロトデッサン、コラージュなど、造形的な操作が施された、ハンドブックないし手鏡風のもの(02, 03, 04, 05, 06, 08, 09, 30の8点)
② マルセル・デュシャンに関する手稿や切り抜きなど(01, 10, 11, 13, 15, 19, 21, 22, 25, 28の10点)
③ 詩画集、リバティ・パスポート、切り抜きなど、他の作家との交流に関わるもの(12, 14, 20-Ⅰ, 20-Ⅱ, 24, 26, 27, 29の7点)
④ 読書・映画の記録、執筆記録、企画案のノートなど(07, 16, 17, 18, 23の5点)
かなり長くなり、展覧会レビューの枠もはみ出してしまったようですので、このあたりで筆を擱きます。
(つちぶち のぶひこ)
●「アート・アーカイヴ資料展 XX:影どもの住む部屋II―瀧口修造の〈本〉―「秘メラレタ音ノアル」ひとつのオブジェ」
会期:2020年1月20日 (月) - 2月21日 (金)
会場:慶應義塾大学アート・スペース
住所:東京都港区三田2-15-45 慶應義塾大学三田キャンパス南別館1F
電話番号:03-5427-1621
開館時間:月曜~金曜、11:00–18:00
休館日:土・日・祝
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"I-12"
インク、紙
イメージサイズ:31.3×25.5cm
シートサイズ :35.4×27.1cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2012年04月06日|植田実/美術展のおこぼれ29「ジャクソン・ポロック展」
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●箱根のポーラ美術館で開催中の《シュルレアリスムと美術 ダリ、エルンストと日本の「シュール」》展に瑛九の油彩、フォトデッサン、コラージュなど6点が展示されています(~4月5日)。
詳しくは1月4日の土渕信彦さんのレビューをお読みください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
土渕信彦
去る1月20日(月)、慶應義塾大学アート・スペースで開催されている展覧会《影どもの住む部屋II―瀧口修造の〈本〉―「秘メラレタ音ノアル」ひとつのオブジェ》を拝見してきました。以下にレポートします(会場は撮影可で、SNSへのアップも可能です)。


この展覧会は慶應義塾大学アート・センターのアート・アーカイヴ資料展 XXとして、同センターが所蔵する瀧口修造の「手づくり本」30冊余り、および手づくり本の断片・素材を展示するものです。ちなみに「影どもの住む部屋」のⅠは2018年1月~3月にアート・アーカイヴ資料展XVI「影どもの住む部屋―瀧口修造の書斎」として開催されています。
今回の展示の対象と展示の趣旨については、カタログ(リーフレット集。図3)で次のように述べられています。
「出版社や印刷所のプロセスを経ていない、瀧口自身の手仕事による本であり、雑誌の切り抜き、銀紙、ラベル・シール、手書きのメモ等、いわゆる断片の寄せ集めによって構成され、完成されているようにも、未完成であるようにも見える本である。」
「脆弱に綴じられ、時にはそれすら放棄された本と呼ぶには余りにもはかない「手づくり本」を通して、瀧口は何を行おうとしていたのか。本展では、「永遠運動の発明」(「仮説の運動」)へと向けられた行為の連続としての詩を求めた瀧口の制作における思考を、「行為を内蔵してしまったもの」(「アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々」)としての〈本〉を通じて見出すとともに、アーカイヴにとって資料とは何かについて考える。」

なお、タイトルの「秘メラレタ音ノアル」という一句は、マルセル・デュシャン初期(1916年)の有名なオブジェ「秘めた音で」(図4)を連想させますが、実はカタログで引用されている「行為を内蔵してしまったもの」と同じく、瀧口の「アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々」に出てくる言葉です。この文章は、加納光於と大岡信が40部製作(共作)した箱のオブジェ「アララットの船あるいは空の蜜」に触発されて執筆されたもので(非売5部中の1点が瀧口旧蔵で、現在は富山県立美術館蔵。図5)、スパイラル綴じの小型ノートに青インクで浄書された手づくり本が5部制作され、加納光於、大岡信、白倉敬彦、馬場駿吉の各氏にそれぞれ1部贈呈されました。残りの1部は瀧口自らの旧蔵で、もちろん本展で展示されています(図6)。壁面に貼られた内容頁のコピーを見ると贈呈された他の4部よりも訂正箇所が多いようなので、最初に書かれた試作版かもしれません。



展示室に一歩足を踏み入れると、まず目を奪われるのが、周囲の壁面4面を覆いつくすように貼られているイメージの数々でしょう。これは展示されている「手づくり本」すべての各頁をコピーしたもので(一部の白紙の頁を除く)、なかなか壮観です(図7,8)。


展示室の中央には平台が3台設えられています。手前の平台に「手づくり本」が並べられ、奥の平台(2台1組)の展示ケースにはその素材や手稿などが広げられています(図9~11)。



展示されている「手づくり本」は次のとおりです。
01 Henri-Pierre Roché Souvenir sur MARCEL DUCHAMP
02 OBORO-OMBORO
03 LOST DIARY OF MATHIAS GRÜNEWALD OR PAINTER’S HANDBOOK
04 BLOTTING PAPER IS SOMETHING, ET CETERA…
05 見える本
06 黒い本
07 Klee
08 UN LIVRE BLANK PLUS OU MOINS
09 PREMIERS ROTO-DESSINS ESSAIS
10 Marcel Duchamps:Fifty Years Later by Francis Steegmuller
11 PARIS-EXPRESS
12 MAX WALTER SVANBERG ☆Obsédé par la femme ☆Six poémes
13 MARCEL DUCHAMP―POPS GRADDADA
14 星は人の指ほどの―
15 THE TWIN NEWYORKERS ON MARSEL DUCHAMP
16 ANTHOLOGIE
17 EN LISANT ANDRÉ BRETON
18 CINÉMA‘films d’AVANT GARD
19 1939 Rrose Sélavy 1966
20-Ⅰ 余白の蛇:7つの詩と絵
20-Ⅱ 余白の蛇:7つの詩と絵
21-Ⅰ Rrose Sélavy
21-Ⅱ Rrose Sélavy
22 A swift Requiem: MARSEL DUCHAMP 1887-1968
23 執筆記録
24 ELIXIR:ガウディの夢
25 Étant donné Rrose Sélavy 1958-1968 or Growth and Making of To and From Rrose Sélavy
26 CHROMATOP[O]IEMA JUNZABURO NISHIWAKI YOSHIKUNI IIDA
27 アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々
28 檢眼図傍白
29 LIBERTY PASSPORT for KAZUO OKAZAKI
30 1960
31 [「手づくり本」素材]
これらの30冊余りのなかには、手作り本ないし本のオブジェとして、過去の展覧会や雑誌記事などで紹介されたことのあるものも、もちろん展示されています。例えば上記の02~06, 08, 09, 20, 24, 27, 28などです(ただし、有名な《扉に鳥影》は展示されていません)。
初めて拝見するものもかなり多く含まれています。そのなかで、上記の07,18,19は、記録、推敲、構想などのために出来合いのクロッキー帳やノートが用いられたものと思われますし、16や17は、瀧口が1966年5月にみすず書房から出版した《余白に書く》の束見本が用いられているようです(図12)。厚さから判断すると16は特装版、17は普及版かと思われます。14,21,26は他の詩人や作家の本(ないしそのコピー)を紙製の袋に収めたものです。

「これらも瀧口の手作り本なのだろうか?」と、いささか怪訝に思い、改めてカタログを参照すると、「凡例」には次のように記されています。
「本展における「手づくり本」とは、一部の例外を除き、表紙にラベルが貼られ、仮綴じにされたものである。ラベルの貼られていない瀧口のドローイングなどが施されたスケッチ・ブックをここでは除外した。「手づくり本」の素材とした物の中にも「手づくり本」と呼び得る物、または「手づくり本」と定義した中にも限りなく素材に近い物がある。」
この要件からすると、表紙にラベルが貼られていないものや、仮綴じではないもの、手づくりの袋に収納されたものなどは、例外ということになるのかもしれません。いずれにしろ、30点余りも拝見することができるのですから、幅広に対象が選ばれているのは、むしろ歓迎すべきことでしょう。奥のケース内に展示されている素材や断片も(図13,14)、瀧口の姿、とりわけ欧州旅行から帰国してからの1960~70年代の姿を生々しく想起させ、実にインパクトがあります。


展示された資料のそれぞれに、A5サイズのリーフレット1葉が作成され、3000字前後にも及ぶ解説テキストが、それぞれの薄い用紙をびっしりと埋め尽くしています。このリーフレット31葉に加えてリスト頁(図15)が1葉あり、さらに別刷の各資料の切手大カラー図版シール集(A4シート1枚。図16)もあります。各リーフレットの中央部に図版シールを貼るとリーフレットが完成し、合計32葉が、(無綴じで手づくり風の)本展のカタログとなります。なお、カタログの表紙に当たる頁(図17)はNo.31の「素材」の解説リーフレットの裏面に印刷されています。会場にて1人1セット、無料で配布されています。



各リーフレットの解説は6名による分担執筆ですが、各対象の「手づくり本」についてのみならず、造形の仕事全般や生涯について目配りされ、著作も丁寧に読み込まれて執筆された力作が揃っており、今後の研究の基本資料となるものと思われます。デュシャンに関する各「手づくり本」の解説には、「瀧口修造とマルセル・デュシャン」と題されたテキストが、重複して掲載されていますが、デュシャンに関するものはもともと点数が多いので、やむをえません。
なお、自著『幻想画家論』(新潮社刊の元版。図18)をデュシャンに献呈したこと、および自作のロトデッサンをデュシャン(並びに機械で描くメタマティック・デッサンを手掛けているティンゲリー)に贈呈したことについて、解説で触れられていないようですが、「手づくり本」やロトデッサン(図19,20)について考えるうえで重要と思われますので、ここに補っておきます。詳細はこのブログの連載「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第6回、第7回をご覧ください。



こうした展示やカタログは、瀧口修造アーカイヴが活発な活動を継続している証ですし、比較的年若い世代のアーキヴィストの意欲が掻き立てられている様子も見て取れ、瀧口修造にこだわってきた者として、たいへんうれしく、また心強く思います。こうした展覧会が開催されたことを率直に喜びたいと思います。ぜひご覧になるようお勧めします(月~金曜日の11:00~18:00。土・日祝は休館)。
展示のレビューは以上です。瀧口の仕事に関心を持つ者にとって必見の、素晴らしい展覧会ですが、カタログなどに関して、気になる点が無いわけではありません。以下に3点挙げておきます。
第1に体裁について
リーフレットの用紙は印刷が透けるほど薄くて腰が弱く、またA5の判型にテキストが小さな活字で印刷されているため、(小さな虫眼鏡が用意されていますが)会場で判読するのはほぼ不可能で、展示リストや解説の用をなしません。トレーシングペーパーやパラフィン紙を用いる瀧口の手法を踏襲したのか、カタログで指摘された「手づくり本」の「はかなさ」を演出するためかは分かりませんが、せっかくの解説テキストが、ほとんど読まれないということにもなりかねませんし、「はかなさ」ばかりに着目すると、既存の在り方を覆そうとするラディカルな強靭さを、見落とす危険性もあります。無料で頂ける資料に注文を付けるようで恐縮ですが、体裁には過度に凝らず、コピー用紙表裏に印字したDTPでも構わないので、とにかく普通に判読できるようにしていただきたいものです。
第2に内容について
各「手づくり本」の解説テキストは、冒頭に「本とは〇〇〇である」という命題が置かれる形で統一されていますが、これは「各展示資料が本である」ということを暗黙裡に前提とするものではないでしょうか。しかしながら、「手づくり本」の要件とされた「ラベルを貼る」ことや「仮綴じにする」ことについての考察は見当たりませんし、そもそも「手づくり本」とは何であり、瀧口にとってどういうものであったのかが解説されておらず、実のところ各展示資料は、「手づくり本」であるかはもちろん、「本」であるかさえも分からない、ないし結論が出ていないものと言わざるをえません(30冊余りの比較、分類、タイプ分けも試みられていません)。こうした対象それぞれに「本とは〇〇〇である」という命題を一律に与えるのは、(好意的に見れば「本」であることの可能性をさまざまに示そうとしたのかもしれませんが)展示対象が「本」であると、予め枠をはめることになりかねないように思われます。多様の解読や位置付けの可能性のあるはずのアーカイヴ資料についての解説なのですから、「展示資料1,2,3,……は〇〇〇であり、したがって瀧口(ないし閲覧者)にとって、本と呼べる可能性がある」という記述に止めるのが適当のように思われます。
第3に叙述法について
リーフレットの解説テキストには、美術館の展示作品解説や新刊書などの書評などでしばしば採用されている、「私達は○○する」「鑑賞者は○○する」という記述が散見されますが、来館者は「手づくり本」を自由に手に取って内容を閲覧・鑑賞することができないのですから、執筆者と同じ立場に立つのは元々不可能です。これから閲覧を希望する外部の人間に対してインフォメーションを提供する形の、「展示資料1,2,3,……は○○です」という記述が相応しいように思われます。これに関連して、こうした展示やカタログと同時に(あるいは先立って)、瀧口修造アーカイヴの目録が作成・公開され、各「手づくり本」が「瀧口修造コレクション」と名付けられている資料全体の中で、どういう位置付けにあるのか示されていることが望ましいのではないでしょうか。
気になる点を指摘するばかりでは申し訳ないので、以下に「手づくり本」の要件とされている「ラベルを貼る」および「仮綴じにする」ことについての私見を述べ、30冊余りの分類も試みておきます。
「ラベルを貼る」ということは、1960~70年代の瀧口に顕著な、特徴付けるといってもよい行為で、今回展示されている「手づくり本」以外に、瓶のオブジェ(図21)や箱などにも例があります。一般にラベル貼るということは、ある対象を他から区別してその位置付けを明確にすることと思われますが、ここで、他との差異こそが言語の本質であることを想起すると、ある対象にラベルを貼るとは、意識の(深層から表層のあいだの)ある審級で分節が生じている、ないし生じつつある対象に対して、他との差異を明確化・意識化すること、すなわちある対象そのものを言語化することと考えられるのではないでしょうか。デュシャンに触発されながら、オブジェと言語との関係をめぐってさまざまな考察を巡らしていた瀧口にとって、「ラベルを貼る」ことは、オブジェが言語化されていることを端的に示す、最も基本的な行為であるように思われます。

さらに、こうしたオブジェの言語化(および「手づくり諺」に典型的な、言語のオブジェ化)の場として想定されていたのが、瀧口の「オブジェの店」であるとするなら、「ラベルを貼る」ことを要件の一つとする「手づくり本」は、(「影どもが住む部屋」というよりはむしろ)「オブジェの店」を開く構想に深く関わっているように思われます。なお、この構想については、「透明な部屋―瀧口修造の「オブジェの店」を開く構想の余白に」(「瀧口修造:夢の漂流物」展カタログ、世田谷美術館・富山県立近代美術館、2005年2月。図22)をご覧ください。

「手づくり本」のもう一つの要件とされている「仮綴じにする」ことについては、すでに別のところで述べたことがありますので、ここでは瀧口が自らの装幀について述べた「仮綴じ風」ということが、「ラベルを貼る」ことと同様に、「オブジェの店」を開く構想と密接に関連している点を指摘するに止めます。詳細は「瀧口修造の装幀と手作り本に関する一考察 特に「仮綴じ風」をめぐって」(「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展カタログ、千葉市美術館、2011年11月。図23)をご覧ください。

ここで、改めて今回展示されている「手づくり本」を検討すると、概略、次の4通りに分類されるように思われます。なお当然のことながら、どこに分類すべきか判断が難しい、あるいは複数の分類にまたがる「手づくり本」もあります。
① 水彩(ないし水彩の吸着)、焼け焦がし、ロトデッサン、コラージュなど、造形的な操作が施された、ハンドブックないし手鏡風のもの(02, 03, 04, 05, 06, 08, 09, 30の8点)
② マルセル・デュシャンに関する手稿や切り抜きなど(01, 10, 11, 13, 15, 19, 21, 22, 25, 28の10点)
③ 詩画集、リバティ・パスポート、切り抜きなど、他の作家との交流に関わるもの(12, 14, 20-Ⅰ, 20-Ⅱ, 24, 26, 27, 29の7点)
④ 読書・映画の記録、執筆記録、企画案のノートなど(07, 16, 17, 18, 23の5点)
かなり長くなり、展覧会レビューの枠もはみ出してしまったようですので、このあたりで筆を擱きます。
(つちぶち のぶひこ)
●「アート・アーカイヴ資料展 XX:影どもの住む部屋II―瀧口修造の〈本〉―「秘メラレタ音ノアル」ひとつのオブジェ」
会期:2020年1月20日 (月) - 2月21日 (金)
会場:慶應義塾大学アート・スペース
住所:東京都港区三田2-15-45 慶應義塾大学三田キャンパス南別館1F
電話番号:03-5427-1621
開館時間:月曜~金曜、11:00–18:00
休館日:土・日・祝
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。

"I-12"
インク、紙
イメージサイズ:31.3×25.5cm
シートサイズ :35.4×27.1cm
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2012年04月06日|植田実/美術展のおこぼれ29「ジャクソン・ポロック展」
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●箱根のポーラ美術館で開催中の《シュルレアリスムと美術 ダリ、エルンストと日本の「シュール」》展に瑛九の油彩、フォトデッサン、コラージュなど6点が展示されています(~4月5日)。
詳しくは1月4日の土渕信彦さんのレビューをお読みください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
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