橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」第9回(最終回)
NARA (1983)
角テーブル《NARA、注1》(1983)のテラゾー(人造石)は倉俣自身がデザインしたテラゾーである。テラゾーとは大理石と花崗岩の粉、顔料、セメント等を練り合わせて硬化させたもので、1980年代にはおもに駅のプラットフォームや地下道の床に用いられていた。実際、倉俣がテラゾーに注目したのも、都営浅草線で行われていた工事現場でテラゾーを見たのがきっかけらしい。彫刻家・田中信太郎によると、彼と倉俣がその工事現場を通りかかった際、きらきらと光る現場テラゾーを見て倉俣が感嘆の声を上げたそうだ(注2)。
それがいつ頃の事だったのかは不明だが、倉俣が最初にテラゾーを用いたのは1981年竣工の六本木・アクシスビル地下1階のガラス工芸店《アクアクラフト》のインテリアだから、その少し前だったかもしれない。いずれにせよ、《アクアクラフト》では400ⅹ400mm角のテラゾーブロックが床とディスプレイ台を覆った。倉俣は次のように記している。
「400×400の既製の人造研出し大理石にステンレスのチップを混入し、研出したもの。壁面を用いる商品展示の条件上、床面にひとつの表情を与えることを試み、4~5月前からテストを続けていたこの素材を使ってみました。」(注3)
この文章からすると「壁面を用いる商品展示の条件」が床面への注目を促したように聞こえるが、そうとも限らない。というのも、倉俣が早くから床のデザインの可能性を探っていたことは初期の作例や周囲の話からほぼ明らかだからだ。
たとえば、1970年12月の「シャギーアート展」(東京・日本橋、プラザ・ディック)に出品された倉俣のデザインによるシャギー・カーペットは、50mm厚の長い帯状のカーペットを10mmの段差をつけた階段状にカットしたもので、この上を歩くと人は自分の足に触れる毛足の様子が変わったことに突如気付く。つまりここで試みられているのは「触覚」を素材とする床デザインと解釈できるだろう。
さらに妻の倉俣美恵子氏は、倉俣とともにある蕎麦屋を訪れた際、倉俣が和風にデザインされた床を見て「あ、床もデザインできるんだ」とつぶやいたことを記憶している。2020年代の今はどのデザイナーも床の意匠を軽視しないだろうが、40~50年前に倉俣ほど床に関心を抱いたデザイナーがいただろうか。なぜ、彼はそうだったのだろう、と考えるうちにふと思い出したのが、批評家・多木浩二が倉俣のトポロジー的な空間操作(および空間認識)について記していたことである。それは多木が倉俣の最初の作品集に寄せたエッセイ「零への饒舌」に書かれていたのだが、たとえば、次のようなくだりがある。
「…ある空間のなかにおかれた椅子をどちらからでも座れるようにするのは、椅子についての発想というより、空間を特定の方向をもたないものにすることである。できれば上下の区別もなくしていい―そう考えるならこの操作もやはりトポロジー的構造をもっている。」(注4)
すなわち、ユークリッド幾何学的にはインテリアは床・壁・天井の面が囲む空間とそれらに接する什器に分かれるが、これをトポロジー的に解釈すると床・壁・天井の区別がない1枚の面が囲む空間とその内部にある什器に分かれることになり、倉俣にはそうした空間認識があったということだ。
確かに倉俣の空間は初期から晩年に至るまで特別な方向性がなく、上下の区別もない虚構風景のようである。初期にはハロゲンや蛍光管のまばゆい光や、その光に照らされて輝く透明素材がそうした夢のような風景を生み出していた。であるから、田中とともに工事現場できらきらと光るテラゾーを見たとき、倉俣は瞬時にそれが、床・壁・天井を1枚の面につなげる画期的な素材、すなわち、インテリアをユークリッド幾何学的空間から解放する方途であることを感じ取ったに違いない。
ゆえに、倉俣のテラゾーは自由に形を変え、家具にもインテリアにもなる。そして、セメントの中からステンレスチップやガラス片がつくる点景が輝くのだ。1982年11月に施工された東京・松屋銀座1階の《イッセイミヤケ 銀座松屋》(1983)は、《NARA》と同様のテラゾーが床と壁面とを覆い尽くす虚構風景だ。このテラゾーはさまざまな色をした吹きガラスのガラス屑を混ぜたもので「スターピース」のテラゾーと呼ばれるようになった。倉俣は次のように述べる。「友人たちはいろいろと感想をいってくれます。透明のものを『地獄』とか、カラーグラスのものを「極楽」とか、職人さんは『スターピース』と名付けてくれました。」(注5)
1984年にイッセイミヤケがニューヨークのバーグドルフグッドマンに出店したときも倉俣がインテリアを担当し、このときはアメリカのポップ・アートに因んでコカ・コーラのガラス瓶の破片を混ぜたテラゾーで床と壁面とを覆い尽くした。店の奥のテラゾー壁の裏には光源が置かれてガラスの破片が一層煌めいた。
建築家・伊東豊雄は《イッセイミヤケ 銀座松屋》について「その素材の輝きに目を奪われて、きらめく空間だけが浮上し、形態は一旦背後に潜んでしまう(注6)」と述べている。筆者自身、残念ながら《イッセイミヤケ 銀座松屋》を見たことはないが、この伊東の文がすべてを語っているように思える。そう、きっと「スターピース」のテラゾーでつくられたディスプレイ台は輪郭線を持たず、テラゾー空間の中にそっと消えゆくのだ。後には煌めきだけが残る。倉俣のアシスタントたちが常に「倉俣さんはいつも自分が見たいものをつくった」と語っていたことを思い出した。これもまた、彼の見た夢のつづきなのだ。
(はしもと けいこ)
注1:《NARA》は1983年にミラノで開催された展覧会「Memphis Vol.4」に、同素材の丸テーブル《KYOTO》とともに出品された。《NARA》《KYOTO》という作品名はメンフィス・グループが付けたものである。
注2:2006年4月29日に筆者が行った田中信太郎へのインタビューによる。田中信太郎氏は2019年8月に逝去されました。まだ79歳の若さでした。田中氏には何度も長時間にわたり倉俣氏との思い出を語っていただき、倉俣氏をはじめ若きデザイナーや美術家たちに多大な影響を及ぼした田中氏自身の彫刻も数多く見せていただきました。それがつい昨日のことのように思えます。心から感謝申し上げますとともにご冥福をお祈り申し上げます。
注3:倉俣史朗「アクアクラフト」『ジャパンインテリア』1981年12月号(前掲〔註26〕)、41頁。
注4:多木浩二「零への饒舌」倉俣史朗『倉俣史朗の仕事 The Works of Shiro Kuramata 1967-1974』東京:鹿島出版会、1976年、6-11頁参照。
注5:倉俣史朗「テラゾー〈破片〉倉俣史朗個展」『商店建築』1983年5月号〔vol. 28, no. 7〕、104頁。この〈破片〉展は1983年2月25日-3月16日に東京・銀座松屋7階デザインギャラリーで日本デザインコミッティの主催(担当:黒川雅之)により第302回デザインギャラリー展として開催され、ステンレスチップやガラスが混入されたテラゾーによる家具作品が展示された。
注6:伊東豊雄「倉俣氏の個展に見る欲望と抑制」『日経アーキテクチュア』1983年4月11日号(no. 184)、107頁。
■橋本啓子
近畿大学建築学部准教授。東京都現代美術館、兵庫県立美術館学芸員を経て博士論文「倉俣史朗の主要デザインに関する研究」(神戸大学)を執筆。以来、倉俣を中心に日本の商環境デザインの歴史研究を行う。倉俣に関する共著に『21_21 DESIGN SIGHT 展覧会ブック 倉俣史朗とエットレ・ソットサス』(株式会社ADP、2010)、Deyan Sudjic, Shiro Kuramata, London: Phaidon Press, 2013(Book 2: Catalogue of Works全執筆)、埼玉県立美術館・平野到、大越久子、前山祐司編著『企画展図録 浮遊するデザイン―倉俣史朗とともに』(アートプラニング レイ、2013年)、Atlas of Furniture Design, Vitra Design Museum, 2019(倉俣に関する全項目執筆)など。
*画廊亭主敬白
倉俣史朗を専門とする唯一といっていい研究者・橋本啓子先生に連載していただいた「倉俣史朗の宇宙」は今回で一区切りとなります。
私たちとしてはもっともっと倉俣史朗に関するあれこれを語っていただきたいですが、大学のお仕事が超多忙を極めている中、無理も言えません。橋本先生には厚く御礼を申し上げます。
ときの忘れものは今後も倉俣史朗の紹介、顕彰に努めてまいりますので、きっと再登場していただくことになると思います。
ありがとうございました。
●本日のお勧め作品は倉俣史朗です。
倉俣史朗 Shiro KURAMATA
「Flower Vase #1303」
アクリル、ガラス管
W26.9xD8.0xH26.0cm
撮影:桜井ただひさ
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2016年08月07日|上田浩司さん(MORIOKA第一画廊)逝く
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●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
NARA (1983)
角テーブル《NARA、注1》(1983)のテラゾー(人造石)は倉俣自身がデザインしたテラゾーである。テラゾーとは大理石と花崗岩の粉、顔料、セメント等を練り合わせて硬化させたもので、1980年代にはおもに駅のプラットフォームや地下道の床に用いられていた。実際、倉俣がテラゾーに注目したのも、都営浅草線で行われていた工事現場でテラゾーを見たのがきっかけらしい。彫刻家・田中信太郎によると、彼と倉俣がその工事現場を通りかかった際、きらきらと光る現場テラゾーを見て倉俣が感嘆の声を上げたそうだ(注2)。
それがいつ頃の事だったのかは不明だが、倉俣が最初にテラゾーを用いたのは1981年竣工の六本木・アクシスビル地下1階のガラス工芸店《アクアクラフト》のインテリアだから、その少し前だったかもしれない。いずれにせよ、《アクアクラフト》では400ⅹ400mm角のテラゾーブロックが床とディスプレイ台を覆った。倉俣は次のように記している。
「400×400の既製の人造研出し大理石にステンレスのチップを混入し、研出したもの。壁面を用いる商品展示の条件上、床面にひとつの表情を与えることを試み、4~5月前からテストを続けていたこの素材を使ってみました。」(注3)
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たとえば、1970年12月の「シャギーアート展」(東京・日本橋、プラザ・ディック)に出品された倉俣のデザインによるシャギー・カーペットは、50mm厚の長い帯状のカーペットを10mmの段差をつけた階段状にカットしたもので、この上を歩くと人は自分の足に触れる毛足の様子が変わったことに突如気付く。つまりここで試みられているのは「触覚」を素材とする床デザインと解釈できるだろう。
さらに妻の倉俣美恵子氏は、倉俣とともにある蕎麦屋を訪れた際、倉俣が和風にデザインされた床を見て「あ、床もデザインできるんだ」とつぶやいたことを記憶している。2020年代の今はどのデザイナーも床の意匠を軽視しないだろうが、40~50年前に倉俣ほど床に関心を抱いたデザイナーがいただろうか。なぜ、彼はそうだったのだろう、と考えるうちにふと思い出したのが、批評家・多木浩二が倉俣のトポロジー的な空間操作(および空間認識)について記していたことである。それは多木が倉俣の最初の作品集に寄せたエッセイ「零への饒舌」に書かれていたのだが、たとえば、次のようなくだりがある。
「…ある空間のなかにおかれた椅子をどちらからでも座れるようにするのは、椅子についての発想というより、空間を特定の方向をもたないものにすることである。できれば上下の区別もなくしていい―そう考えるならこの操作もやはりトポロジー的構造をもっている。」(注4)
すなわち、ユークリッド幾何学的にはインテリアは床・壁・天井の面が囲む空間とそれらに接する什器に分かれるが、これをトポロジー的に解釈すると床・壁・天井の区別がない1枚の面が囲む空間とその内部にある什器に分かれることになり、倉俣にはそうした空間認識があったということだ。
確かに倉俣の空間は初期から晩年に至るまで特別な方向性がなく、上下の区別もない虚構風景のようである。初期にはハロゲンや蛍光管のまばゆい光や、その光に照らされて輝く透明素材がそうした夢のような風景を生み出していた。であるから、田中とともに工事現場できらきらと光るテラゾーを見たとき、倉俣は瞬時にそれが、床・壁・天井を1枚の面につなげる画期的な素材、すなわち、インテリアをユークリッド幾何学的空間から解放する方途であることを感じ取ったに違いない。
ゆえに、倉俣のテラゾーは自由に形を変え、家具にもインテリアにもなる。そして、セメントの中からステンレスチップやガラス片がつくる点景が輝くのだ。1982年11月に施工された東京・松屋銀座1階の《イッセイミヤケ 銀座松屋》(1983)は、《NARA》と同様のテラゾーが床と壁面とを覆い尽くす虚構風景だ。このテラゾーはさまざまな色をした吹きガラスのガラス屑を混ぜたもので「スターピース」のテラゾーと呼ばれるようになった。倉俣は次のように述べる。「友人たちはいろいろと感想をいってくれます。透明のものを『地獄』とか、カラーグラスのものを「極楽」とか、職人さんは『スターピース』と名付けてくれました。」(注5)
1984年にイッセイミヤケがニューヨークのバーグドルフグッドマンに出店したときも倉俣がインテリアを担当し、このときはアメリカのポップ・アートに因んでコカ・コーラのガラス瓶の破片を混ぜたテラゾーで床と壁面とを覆い尽くした。店の奥のテラゾー壁の裏には光源が置かれてガラスの破片が一層煌めいた。
建築家・伊東豊雄は《イッセイミヤケ 銀座松屋》について「その素材の輝きに目を奪われて、きらめく空間だけが浮上し、形態は一旦背後に潜んでしまう(注6)」と述べている。筆者自身、残念ながら《イッセイミヤケ 銀座松屋》を見たことはないが、この伊東の文がすべてを語っているように思える。そう、きっと「スターピース」のテラゾーでつくられたディスプレイ台は輪郭線を持たず、テラゾー空間の中にそっと消えゆくのだ。後には煌めきだけが残る。倉俣のアシスタントたちが常に「倉俣さんはいつも自分が見たいものをつくった」と語っていたことを思い出した。これもまた、彼の見た夢のつづきなのだ。
(はしもと けいこ)
注1:《NARA》は1983年にミラノで開催された展覧会「Memphis Vol.4」に、同素材の丸テーブル《KYOTO》とともに出品された。《NARA》《KYOTO》という作品名はメンフィス・グループが付けたものである。
注2:2006年4月29日に筆者が行った田中信太郎へのインタビューによる。田中信太郎氏は2019年8月に逝去されました。まだ79歳の若さでした。田中氏には何度も長時間にわたり倉俣氏との思い出を語っていただき、倉俣氏をはじめ若きデザイナーや美術家たちに多大な影響を及ぼした田中氏自身の彫刻も数多く見せていただきました。それがつい昨日のことのように思えます。心から感謝申し上げますとともにご冥福をお祈り申し上げます。
注3:倉俣史朗「アクアクラフト」『ジャパンインテリア』1981年12月号(前掲〔註26〕)、41頁。
注4:多木浩二「零への饒舌」倉俣史朗『倉俣史朗の仕事 The Works of Shiro Kuramata 1967-1974』東京:鹿島出版会、1976年、6-11頁参照。
注5:倉俣史朗「テラゾー〈破片〉倉俣史朗個展」『商店建築』1983年5月号〔vol. 28, no. 7〕、104頁。この〈破片〉展は1983年2月25日-3月16日に東京・銀座松屋7階デザインギャラリーで日本デザインコミッティの主催(担当:黒川雅之)により第302回デザインギャラリー展として開催され、ステンレスチップやガラスが混入されたテラゾーによる家具作品が展示された。
注6:伊東豊雄「倉俣氏の個展に見る欲望と抑制」『日経アーキテクチュア』1983年4月11日号(no. 184)、107頁。
■橋本啓子
近畿大学建築学部准教授。東京都現代美術館、兵庫県立美術館学芸員を経て博士論文「倉俣史朗の主要デザインに関する研究」(神戸大学)を執筆。以来、倉俣を中心に日本の商環境デザインの歴史研究を行う。倉俣に関する共著に『21_21 DESIGN SIGHT 展覧会ブック 倉俣史朗とエットレ・ソットサス』(株式会社ADP、2010)、Deyan Sudjic, Shiro Kuramata, London: Phaidon Press, 2013(Book 2: Catalogue of Works全執筆)、埼玉県立美術館・平野到、大越久子、前山祐司編著『企画展図録 浮遊するデザイン―倉俣史朗とともに』(アートプラニング レイ、2013年)、Atlas of Furniture Design, Vitra Design Museum, 2019(倉俣に関する全項目執筆)など。
*画廊亭主敬白
倉俣史朗を専門とする唯一といっていい研究者・橋本啓子先生に連載していただいた「倉俣史朗の宇宙」は今回で一区切りとなります。
私たちとしてはもっともっと倉俣史朗に関するあれこれを語っていただきたいですが、大学のお仕事が超多忙を極めている中、無理も言えません。橋本先生には厚く御礼を申し上げます。
ときの忘れものは今後も倉俣史朗の紹介、顕彰に努めてまいりますので、きっと再登場していただくことになると思います。
ありがとうございました。
●本日のお勧め作品は倉俣史朗です。

「Flower Vase #1303」
アクリル、ガラス管
W26.9xD8.0xH26.0cm
撮影:桜井ただひさ
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2016年08月07日|上田浩司さん(MORIOKA第一画廊)逝く
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