「映像の中の建築・モニュメント」前編
クリスト・レイ像
――シリル・コラール監督『野性の夜に』(1992年 フランス映画)

井上真希


 1996年10月末、リスボンのコメルシオ広場近くから出るフェリーで、テージョ川の対岸、アルマダへ渡った。カシーリャス港で下船してバスに乗り、目指すは丘の上に建つクリスト・レイ(Cristo Rei)、“王なるキリスト”の像だ。
 リスボン側から見ると、長い吊り橋「4月25日橋」のたもと付近で存在感を放つその姿は、屹立する台座上の十字架のようでもあったが、近づくにつれて、リスボン一帯を包み込むように両手を広げ、見守るように顔をやや俯けて立つキリスト像だと分かる。その胸元では、人類への愛を象徴する聖心(聖なる心臓)が茨の冠をかぶって血を滴らせつつ、愛の炎を噴き出している。イエス・キリストの聖心に捧げられたカトリックの記念像なのだ。
 台座は4本の柱が上部でつながり、東西南北の方位を向いた4つの門の形をなしている。高さは82メートルで、展望台がある。その上に立つキリスト像は28メートルで、合わせて高さ110メートルのモニュメントが海抜133メートルの丘の上に築かれている。
 台座とその中に造られたノッサ・セニョーラ・ダ・パス(平和の聖母)礼拝堂の設計は建築家アントニオ・リノ(1914-96)、キリスト像の原型制作は彫刻家フランシスコ・フランコ・デ・ソウザ(1885-1955)。
 この像の構想は1934年に遡るという。かつての植民地ブラジルが独立100周年を記念してリオデジャネイロのコルコバードの丘に1931年に建立したクリスト・ヘデントール(Cristo Redentor)、“救世主キリスト”像(高さ:台座8メートル、像30メートル)を、リスボン総大司教が訪れ、触発されたのがきっかけだった。台座の設計は1938年になされたが、計画が動き出したのは第2次世界大戦後で、1950年の建設開始から完成までに9年の歳月を要している。

 初めて私がクリスト・レイ像を目にしたのは、シリル・コラールが監督・脚本・原作・音楽・主演をつとめた映画『野性の夜に』(1992年)の中のワンシーンだ。彼は自分が両性愛者でHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染し、AIDSを発症していることを原作の自伝的小説(1989年刊)に赤裸々に綴っていた。
 AIDSも今でこそ感染原因や症状が広く知られ、治療法も格段に進歩を遂げて、薬の服用さえ続ければ命を落とすことはなくなっているが、1980年代初頭のニューヨークで流行が始まってしばらくの間、世間は同性愛者のみの病としてことさら関心を示さなかった。治療法が研究されるようになったのは1985年にハリウッド・スターのロック・ハドソンがAIDSであることを公表して以降だ。『野性の夜に』の中で主人公がのんでいると話すAZT(アジドチミジン)が初のAIDS治療薬として承認されたのは1987年であり、現在のような3~4種類の抗HIV薬を組み合わせた多剤併用療法が確立されるのは1996年を待たねばならなかった。
 そこに至るまでに、ミシェル・フーコー(1984年)、ロック・ハドソン(1985年)、ロバート・メイプルソープ(1989年)、キース・ヘリング、マヌエル・プイグ、ジャック・ドゥミ(1990年)、フレディ・マーキュリー(1991年)、アンソニー・パーキンス、ジョルジュ・ドン(1992年)、ルドルフ・ヌレエフ(1993年)、デレク・ジャーマン(1994年)などの著名な作家やアーティストをはじめ、多くの人々がこの世を去った。

 1992年10月、忍び寄る死の恐怖に脅かされながらも愛の意味を知り、生きていることのすばらしさを実感する主人公を描いた『野性の夜に』がフランスで公開されると、多くの観客の心をさまざまに揺さぶらずにはおかなかった。1993年度セザール賞7部門にノミネートされ、4部門(最優秀作品賞、最優秀新人監督作品賞、最優秀新人女優賞、最優秀編集賞)の授賞が決まったが、シリル・コラール自身はそれを知ることなく、授賞発表3日前の3月5日に亡くなっている。
 日本ではその年の6月にユーロスペースの配給で公開され、渋谷のスペイン坂上にあったミニシアター「シネマライズ」(設計:北川原温)で公開後まもないある日、観る機会に恵まれた。
 物語のはじまりは1986年春。パリの病院でAIDSの定期検査を受ける主人公ジャン(シリル・コラール)の腕には、2週間ほど前から小さな紫色の斑点ができている。“死に至る病”に冒された彼は10歳以上年下の少女ローラ(ロマーヌ・ボーランジェ)と出会い、愛を交わす。病を告白した後もローラはさらに深く激しい愛を捧げるが、ジャンはどうしても同性愛やドラッグへの欲望を抑えられない。心を病んだローラが苦悩の末に執着を断ち切ったことを悟ったジャンは、車を駆ってポルトガルへ。リスボンの4月25日橋を渡る彼。続いて現れるのが、空から撮られたクリスト・レイ像だ。
 126分の作品の中でわずか10秒ほどのそのシーンは、シリル・コラールが求めた永遠の世界への入り口のように感じられ、今も脳裏に焼き付いている。

井上真希前編2Photo by Deensel [CC BY 2.0]

井上真希前編1Photo by Mirko Scaramuzzi [CC BY 3.0]
いのうえ まき

■井上真希 Maki Inoue
翻訳家。1960年北海道生まれ。複合文化施設Bunkamuraを経て2000年に独立。
訳書にルイ・ノゲイラ著『サムライ――ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』(
晶文社刊)、ケニーゼ・ムラト著『バダルプルの庭』(清流出版刊)など。著書に『ル
ナ+ルナ――山本容子の美術旅行』(山本容子との共著。講談社刊)。
近年は別名義にて映画の字幕翻訳や書籍・雑誌の校閲も手がける。

このエッセイは『井上真希のレジスタンス日記』からの再録です。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2019年05月11日|栗田秀法「THE BODY―身体の宇宙―」
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