宮森敬子のエッセイ「ゆらぎの中で」第6回
私のドローイング
前回と前々回のエッセイでは、私が20年余行ってきた「樹拓」の作品について、作家の加藤典洋さんの言葉を引用しながら書かせていただきました。生きていらしたら、現在のこの混沌をどう分析されたでしょうか? 残されたものは、ただそれぞれにできる精一杯を、自分のやり方でやり通すしかありません。そんなことを思いながら、加藤さんのメールを読み返していて、とても心に残るものがあったので、紹介させて下さい。
(Mar 18, 2018, 4:52 AM ) “僕は、宮森さんのツリー・ロビングの筆致が、というのもおかしいが、タッチ、肌合いと、その気配が、好きなのです。 今回、パリでは、路上を歩いていて、ウィンドーのエッチングが目にとまり、中に入ったら、ちょうどそのアーティストの展示をやっていると教えられ、見て、製作風景のビデオも見せてもらい、結局、リトグラフィの本、買ってしまいました。もうなくなっている画家で、知らない名前でしたが、フランスのJean Bazaineという画家です。 入ったのはMaeght ギャラリーというところで、オルセーの近くです。 線描のリトグラフィや、淡彩のものなど、どこか、宮森さんのロビングにも通じるものだったかもしれません。”
Jean Bazaine の画集(左)Derriere Le Miroir 197 (1972) (右)Art Catalogue-DLM 170 Derriere le Miroir (1968)
加藤さんはどの本を買ったのかな、と思ってJean Bazaineのリトグラフの本を調べていたら、彼が1904年生まれで、画家のほか、ステンドグラスのデザインや文筆家でもあったことがわかりました。線描や淡彩は軽やかで、私の中では「ドローイング」のように見えます。どこかに、私の感性と共通するところがある作家だとしたら、とても光栄です。そこで、今回は私のドローイングについて、書かせていただこうと思います。
樹拓ばかり取っていると、他に何もしていないようにも思われるのですが、実は絵画を描いている時代から、ドローイングが好きで描いてきました。最近の樹拓を層状に重ねるシリーズの作品の一番下の層にも、複数のドローイングが隠れている場合が多いのです。
ここで、私は「ドローイング」という言葉を何気なく使いました。考えてみると、私は素描、デッサン、エスキースという言葉はほとんど使いません。その違いについて思ったのは、少し前、ときの忘れものブログに紹介されていた大谷省吾さんの文章のなかで、松本竣介の言葉を読んだ時でした。竣介にとって「素描」は「すがき」とも「スケッチ」とも「習作」とも明らかに違っており、まさしく綿密な「計画書」のようなものだったそうです。「素描」という呼び名に対して、明確な意識のされ方があったのです。
「素描」はフランス語 Dessin(デッサン)から来ており、辞書には Dessin の英語訳に Drawing(ドローイング) とあるので、一般に「素描」と「ドローイング」は同じ意味で使われることもあるかと思います。私にとって「素描」は、“対象物を主人公として”自分がどこまで対象物自身の空間に迫って行けるか、という過程だという印象があります。一方「スケッチ」は、もう少し自分に近く、とでもいいますか、対象物を“自分の捉え方で”覚書のように残しておく手段だというイメージを持っています。
さらに「落書き」「エスキース」「ドローイング」それぞれのイメージについて、私の持っているイメージを探ってみたいと思います。
まずはこの作品と作品に添えられた自身のコメントから。
Here and There こことそこ 鉛筆、胡粉、和紙、パネル 2003年
“作る前に、「空間」というイメージで何枚も落書きのような「ドローイング」をして、それが「エスキース」となり、その後に制作したものです。” (展示準備のためのメールから引用)
この文章で私が使った「エスキース」という言葉は、作品を創作する前段階でイメージ固めをする“簡単な指針(計画というほどの強さはない)となるもの”の意味です。その指針を作るために、「落書き」のような「ドローイング」を何枚もした、とあります。
つまり、私の中で「ドローイング」は明らかに落書きの類であり、無意識に出てくるイメージを顕在化させるための手段として捉えられています。そこには松本竣介が「素描」に関して宣言したような「決意決心」はありません。ただ、私がドローイングに向かう時、自分の中の無意識と対峙したい、という意志があり、その点が描くこと自体に主体のある「落書き」とは違うと思っています。それらは時に目を背けるようなものであったり、逆に良いエネルギーが次々イメージされるものであったりと様々です。樹拓をとる時にも、無意識の筆致の選択がなされています。そこに切り取られた印に、加藤さんがおしゃっている「気配」のようなものも現れているとしたら、私のドローイングにも「気配」が現れているのでは、と思います。そのような理由もあって、先のJean Bazaineのリトグラフを見た時に、線描水彩に関わらず、彼の気配を感じるドローイングに私には見えたのでした。
ここで、第1回でご紹介した「Rewinding the Time of Life」という作品の最下層に隠されているドローイングについて、少しご紹介したいと思います。
作品「Rewinding the Time of Life」の最下層に隠れているドローイングの一部(2019年) 195cm x 395cm 麻布、和紙、木炭、チョーク、胡粉
この作品は、二人の女性アーティスト(75歳のアーティストと51歳のダンサー)とのコラボレーションという形で、完結しました。それぞれの人生の様々な瞬間の記憶に取材し、それらを一つのものとして、思い、一旦手放し、ドローイングという形で再現しています。それぞれの記憶、経験の喜び、驚き、痛みなど、和紙の層で隠れてしまうということを前提に、全てを好きなように描きました。そこには、それぞれの記憶に寄り添う生の自分と、それを観ている自分の二つの存在があります。
最後に、近年のドローイングから何枚か紹介させていただき、次回は、さらに過去の絵画について書かせていただけたら、と思っています。
ドローイング各種(2019年)約 18cm x 20cm 紙に色鉛筆、鉛筆、アクリル
(みやもり けいこ)
■宮森敬子 Keiko MIYAMORI
1964年横浜市生まれ 。筑波大学芸術研究科絵画専攻日本画コース修了。和紙や木炭を使い、異なる時間や場所に存在する自然や人工物の組み合わせを、個と全体のつながりに注目した作品を作っている。
●宮森敬子のエッセイ「ゆらぎの中で」は毎月17日に更新します。
●本日のお勧め作品は、百瀬寿です。
百瀬寿 Hisashi MOMOSE
"Square lame' - G, Y, R, V around White"
2009年
シルクスクリーン
42.5x42.5cm
Ed.90
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
私のドローイング
前回と前々回のエッセイでは、私が20年余行ってきた「樹拓」の作品について、作家の加藤典洋さんの言葉を引用しながら書かせていただきました。生きていらしたら、現在のこの混沌をどう分析されたでしょうか? 残されたものは、ただそれぞれにできる精一杯を、自分のやり方でやり通すしかありません。そんなことを思いながら、加藤さんのメールを読み返していて、とても心に残るものがあったので、紹介させて下さい。
(Mar 18, 2018, 4:52 AM ) “僕は、宮森さんのツリー・ロビングの筆致が、というのもおかしいが、タッチ、肌合いと、その気配が、好きなのです。 今回、パリでは、路上を歩いていて、ウィンドーのエッチングが目にとまり、中に入ったら、ちょうどそのアーティストの展示をやっていると教えられ、見て、製作風景のビデオも見せてもらい、結局、リトグラフィの本、買ってしまいました。もうなくなっている画家で、知らない名前でしたが、フランスのJean Bazaineという画家です。 入ったのはMaeght ギャラリーというところで、オルセーの近くです。 線描のリトグラフィや、淡彩のものなど、どこか、宮森さんのロビングにも通じるものだったかもしれません。”

加藤さんはどの本を買ったのかな、と思ってJean Bazaineのリトグラフの本を調べていたら、彼が1904年生まれで、画家のほか、ステンドグラスのデザインや文筆家でもあったことがわかりました。線描や淡彩は軽やかで、私の中では「ドローイング」のように見えます。どこかに、私の感性と共通するところがある作家だとしたら、とても光栄です。そこで、今回は私のドローイングについて、書かせていただこうと思います。
樹拓ばかり取っていると、他に何もしていないようにも思われるのですが、実は絵画を描いている時代から、ドローイングが好きで描いてきました。最近の樹拓を層状に重ねるシリーズの作品の一番下の層にも、複数のドローイングが隠れている場合が多いのです。
ここで、私は「ドローイング」という言葉を何気なく使いました。考えてみると、私は素描、デッサン、エスキースという言葉はほとんど使いません。その違いについて思ったのは、少し前、ときの忘れものブログに紹介されていた大谷省吾さんの文章のなかで、松本竣介の言葉を読んだ時でした。竣介にとって「素描」は「すがき」とも「スケッチ」とも「習作」とも明らかに違っており、まさしく綿密な「計画書」のようなものだったそうです。「素描」という呼び名に対して、明確な意識のされ方があったのです。
「素描」はフランス語 Dessin(デッサン)から来ており、辞書には Dessin の英語訳に Drawing(ドローイング) とあるので、一般に「素描」と「ドローイング」は同じ意味で使われることもあるかと思います。私にとって「素描」は、“対象物を主人公として”自分がどこまで対象物自身の空間に迫って行けるか、という過程だという印象があります。一方「スケッチ」は、もう少し自分に近く、とでもいいますか、対象物を“自分の捉え方で”覚書のように残しておく手段だというイメージを持っています。
さらに「落書き」「エスキース」「ドローイング」それぞれのイメージについて、私の持っているイメージを探ってみたいと思います。
まずはこの作品と作品に添えられた自身のコメントから。

“作る前に、「空間」というイメージで何枚も落書きのような「ドローイング」をして、それが「エスキース」となり、その後に制作したものです。” (展示準備のためのメールから引用)
この文章で私が使った「エスキース」という言葉は、作品を創作する前段階でイメージ固めをする“簡単な指針(計画というほどの強さはない)となるもの”の意味です。その指針を作るために、「落書き」のような「ドローイング」を何枚もした、とあります。
つまり、私の中で「ドローイング」は明らかに落書きの類であり、無意識に出てくるイメージを顕在化させるための手段として捉えられています。そこには松本竣介が「素描」に関して宣言したような「決意決心」はありません。ただ、私がドローイングに向かう時、自分の中の無意識と対峙したい、という意志があり、その点が描くこと自体に主体のある「落書き」とは違うと思っています。それらは時に目を背けるようなものであったり、逆に良いエネルギーが次々イメージされるものであったりと様々です。樹拓をとる時にも、無意識の筆致の選択がなされています。そこに切り取られた印に、加藤さんがおしゃっている「気配」のようなものも現れているとしたら、私のドローイングにも「気配」が現れているのでは、と思います。そのような理由もあって、先のJean Bazaineのリトグラフを見た時に、線描水彩に関わらず、彼の気配を感じるドローイングに私には見えたのでした。
ここで、第1回でご紹介した「Rewinding the Time of Life」という作品の最下層に隠されているドローイングについて、少しご紹介したいと思います。

この作品は、二人の女性アーティスト(75歳のアーティストと51歳のダンサー)とのコラボレーションという形で、完結しました。それぞれの人生の様々な瞬間の記憶に取材し、それらを一つのものとして、思い、一旦手放し、ドローイングという形で再現しています。それぞれの記憶、経験の喜び、驚き、痛みなど、和紙の層で隠れてしまうということを前提に、全てを好きなように描きました。そこには、それぞれの記憶に寄り添う生の自分と、それを観ている自分の二つの存在があります。
最後に、近年のドローイングから何枚か紹介させていただき、次回は、さらに過去の絵画について書かせていただけたら、と思っています。

(みやもり けいこ)
■宮森敬子 Keiko MIYAMORI
1964年横浜市生まれ 。筑波大学芸術研究科絵画専攻日本画コース修了。和紙や木炭を使い、異なる時間や場所に存在する自然や人工物の組み合わせを、個と全体のつながりに注目した作品を作っている。
●宮森敬子のエッセイ「ゆらぎの中で」は毎月17日に更新します。
●本日のお勧め作品は、百瀬寿です。

"Square lame' - G, Y, R, V around White"
2009年
シルクスクリーン
42.5x42.5cm
Ed.90
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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