王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第9回
「開校100年きたれ、バウハウス -造形教育の基礎-」を訪れて
2020年7月17日から9月6日まで、東京ステーションギャラリーで巡回展「開校100年きたれ、バウハウス -造形教育の基礎-」が開催されています。本展は新潟、西宮、高松、静岡と東京の5都市を巡ってきた展覧会で、ミサワホーム、東京国立近代美術館、宇都宮美術館など国内にコレクションとしてあるバウハウス関連資料が300点以上集まった展覧会です。バウハウスのエッセンスを俯瞰できるシラバスのような、あるいはオープンキャンパスに来たような展覧会でした。
展覧会は5章で構成されています。Ⅰ『学校としてのバウハウス』では、バウハウス宣言、教育カリキュラム図にはじまり、バウハウスの出版物や写真資料が並びます。写真は、デッサウ期のもので、予備課程の教室 -ガラスのカーテンウォールがあり、高い天井から吊るされたペンダントライトのある- や、バルコニーで撮られたものがあり、切磋琢磨したであろう学生たちの姿が生き生きと写しだされています。T定規や三角定規が載る製図台や学生が居眠りする姿も、学生時代を似たような環境で過ごした私にとっては懐かしく微笑ましいものでした。Ⅱ『バウハウスの教育』では、予備課程の主な教師による課題の学生作品とバウハウスの色彩論、そして階を跨ぎ、Ⅲ『工房教育と成果』では、各専門課程から生まれたプロダクト、印刷物などの作品が展示されています。課題や各工房で制作された作品は1点1点興味深く、展覧会が予約制にも関わらず鑑賞者の長時間の滞在のためかやや混雑している状態で、バウハウスへの関心の高さが見られました。Ⅳ『「総合」の位相』では、当時のバウハウスの成果が結集した1923年夏のバウハウス展の各種グラフィックや諸工房が協力して制作したインテリアが展示されています。これらは芸術と工芸の壁を取り払い「すべての造形活動の終局の目標は建築的造形である」という理念を表現したものだったといえます。続いて、実験精神溢れる「バウハウスの写真」作品も紹介されています。Ⅴ『バウハウスの日本人学生』では後期のバウハウスで過ごした水谷武彦、山脇巌、山脇道子、大野玉枝の作品と資料が展示されており、中でも水谷がバウハウスを紹介した1930年の「アサヒグラフ」記事と、1936年頃に清家清が受けた水谷の講義ノート(機能主義と合理主義の違いについて書かれている)は、日本の建築のモダンムーブメント初期の熱が垣間見られました。
後にも触れますが、バウハウスは入学する時代や師事する教師によって、随分と異なる学生生活だったことが本展覧会を通じても想像できます。もしタイムマシーンがあったら、どの時代のどの美術学校あるいは共同体に行ってみたいか?なんて想像をしますが、ここでは、いずれも実験的で純粋芸術を探究したカリキュラムとして、Ⅱ章の基礎教育からヨハネス・イッテンの授業と、Ⅲ章の工房教育から舞台工房について、記しておきたいと思います。
参考展示:ヨハネス・イッテン『色彩の芸術』より「色のある影」の体験展示
(赤い光をあてると緑の影が生じる)
1、ヨハネス・イッテンの基礎教育
Ⅱ章の展示室に、イッテンの基礎教育を受けた学生フランツ・ジインガーによる、《男性の裸身》デッサンが展示されています。木炭デッサンといえば、柔らかいタッチで陰影を捉えた、濃淡の諧調豊かな写実性を目指すのが一般的ですが、こちらは真っ黒の力強い太い線で輪郭が描かれ、所々すり込みで表現されています。弾力と高揚感が感じられます。イッテンは、毎朝呼吸調整と精神集中の準備運動をしてから授業を始めたそうですから、こうした準備体操をした学生は心身が凝りや緊張から解放されるのかもしれません。リズミカルに全身の力が無駄なく流れた描画が、デッサンに成果として出ているような気がします。
バウハウスの初期、ドイツ国内各地から集まった入学志望者は経歴と実力に差があり、共通の土台を作る必要があったため、専門課程に進む前段として予備課程と呼ばれる基礎教育が組まれました。のちに、基礎教育と基礎教育の後に学ぶ芸術理論には、当時の前衛の芸術家が教師として迎えられます。その多くがモダニストで、材料、形態、工程といった芸術の根本を追求する態度と思想がバウハウスの中枢のカリキュラムを支えました。
イッテンは芸術教育を語る上で欠かせない存在ですが、バウハウスに召喚される以前に既に小学校教師、複数の美術学校教師を経験しており、ジャン=ジャック・ルソー、ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ、フリードリヒ・フレーベル、マリア・モンテッソーリ ーいずれも0歳から未成年の主体性を尊重し、成長課程に応じて自立を支援する教育を謳った18~19世紀の先人たちー による教育改革運動からも影響を受けていました。彼は著書の中で、教育において人間尊重こそすべてであると考え、授業では学生たちの直感的発見を促し、さまざまな探究的な課題は、学生の個性を啓発し、天賦を発見させることが狙いであったことを実例とともに解説しています。
彼はバウハウスに赴任した当時、戦争の影響で、東洋哲学、ゾロアスター教、原始キリスト教に傾倒していたようです。戦後の政治・経済の不安定で混乱の時代に、学生たちの落ち着きなくさまよう思考を鎮めるため、また自身の修養のため、授業前にお祈りをしたり、讃美歌を歌ったり、発声や準備運動を行っていました。そして授業では、過去の巨匠たちの絵画の画面構成と明暗の分析、木・ガラス・繊維・樹皮・獣皮・金属・石材といった材料の目録作り、静物画、布片材料のモンタージュなどを指導し、それらを通して視覚、観察力や技術だけでなく、触覚や経験によって得た感覚を習得してゆくことが目指されました。
イッテンは邁進してゆく科学や技術に傾倒することなく、内的な思索や精神性を鍛えようとした点で、機械・テクノロジー・エンジニア・工業・産業・新しいメディア・論理を重視し、後のバウハウスのイメージを作ったモホイ・ナジとは相反します。
なお、Ⅲ章の版画工房でイッテン自身のリトグラフが展示されています。
毎日の研究課題に先行して行われた描画の基本練習風景
ヨハネス・イッテン著『造形芸術の基礎』より
参考:準備体操の風景、写真はイッテンがバウハウスを離れた後に開校したイッテン・シューレでのもの
ヨハネス・イッテン著『造形芸術の基礎』より
2、舞台工房
バウハウスに入学した学生は、基礎教育を修了して芸術理論と工房教育へ進みます。中でも舞台工房はグロピウスやパウル・クレーにとって多様な芸術活動から成る総合芸術という点で建築に類するものとして考えられていました。イッテンの推挙でバウハウスに赴任し基礎教育でヌードデッサンを担当していたオスカー・シュレンマーが、1923年に舞台工房の2人目のマイスターに就きました。
Ⅲ章の舞台工房の展示の中で、クルト・シュミットの《メカニック・バレエ》の舞台デザインと、関連資料としてオスカー・シュレンマーの《三つ組みのバレエ》の映像が展示されています。
1920年代、ダダ、シュルレアリスムはじめ同時代の美術動向の多くの芸術家は人形、操り人形、マネキン、オートマトン(機械仕掛けのからくり人形)などの人像を扱う傾向がありましたが、《メカニック・バレエ》は幾何学的形態で構成された人型が踊る作品です。クルト・シュミットはオスカー・シュレンマーとともに新しい舞台の可能性を探究した学生でした。展示されているデザイン画には、パフォーマーが身に纏う人型の表裏が図示されています。一見、立面的にデザインされた二次元要素の強い印象を受けますが、実際のパフォーマンスでは奥行きと幾何学的形態同士の重なりも面白い作品です。
1923年のバウハウス展でも上演された《三つ組みのバレエ》も人像に関連したもので、シュレンマーが舞台工房に就任する以前から長年構想していた作品でした。「演劇の歴史とは人間の形態変化の歴史である」と考えた彼は、新しい抽象演劇では人間が空間や舞台装置に従属するとし、単色の背景を設定し、ダンサーにコスチュームを纏わせ、モダンの演者のモデルとして「歩行する建築」、「オートマトン(技術的組織体/ロボット)」、「マリオネット(手足が間接で曲がる人形)」を提示しました。《三つ組みのバレエ》の3部構成 -黄色の背景の喜劇、ピンク色の背景の儀式、黒い舞台での神秘的幻想的な舞台- のうち、特に3部で登場する渦巻き状の円錐型の衣装を着た女性の踊りと、円盤を纏い立面的な動きをする2人の男性の踊りは美しく、古典バレエを超克する魅力です。そしてその後、シュレンマーは「人間」をテーマにした授業も展開していきました。
なお、Ⅱ章にシュレンマーの基礎教育を受けた学生カール・シールツェックの裸体素描が展示されており、Ⅲ章の版画工房にシュレンマー自身のリトグラフ、Ⅳ章にシュレンマーのグラフィック作品が展示されています。
参考:Experimental Theater / Body and Spirit / Bauhaus:Building the New Artists / The Getty Research Institute
Fig71《三つ組みのバレエ》登場人物と構成の図
Fig73《メカニック・バレエ》再演動画
3、バウハウスの変遷
本展覧会ではバウハウスの教育が主に扱われましたが、ミース・ファン・デル・ローエの「バウハウスは理念だった」という言葉のように、バウハウスはデザイン教育によって社会を変えようとした学校であり思想/運動でもありました。14年という短い期間に3つの場所を移動し、3人が校長に就き、その度に教育プランが検討され、理想と現実の間で舵を切りながら、世界情勢とりわけドイツ国内の状況に沿って更新し続けた学校でした。
ここにまとめた3つの表は、展覧会カタログと関連書籍を参照して作成したものですが、全てを網羅できているものではありません。しかし、例えば展覧会の中で、陶器工房と版画工房の作品はなぜヴァイマール時代のものばかりなのか、なぜ唐突に「バウハウスの写真」としてフォトグラム作品が並んでいるのか、いったいプロダクトデザイン学校なのか建築の学校なのかなど違和感を抱いた時に、背景を確かめる一助になればと思います。
基礎教育の主な教員

バウハウスの教育方針の変遷
(おう せいび)
●「開校100年きたれ、バウハウス -造形教育の基礎-」
会期:7月17日(金) - 9月6日(日)
会場:東京ステーションギャラリー
休館日:月曜日[8月10日、8月31日は開館]
開館時間:10:00 - 18:00
※金曜日は20:00まで開館
※入館は閉館の30分前まで
1919年、ドイツの古都ヴァイマールに、建築家ヴァルター・グロピウスにより開校した造形学校「バウハウス」が、昨年その誕生から100年目を迎えました。ナチスの弾圧を受け1933年に閉鎖されるまで、わずか14年という短い活動期間でしたが、実験精神に満ち溢れたこの学校は、造形教育に革新をもたらし、今日にいたるまでアートとデザインに大きな影響を及ぼしています。(HPより)
■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ。京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。国内、中国、シンガポールで図書館など教育文化施設の設計職を経て、2018年より建築倉庫ミュージアムに勤務。主な企画に「Wandering Wonder -ここが学ぶ場-」展、「あまねくひらかれる時代の非パブリック」展、「Nomadic Rhapsody-”超移動社会”がもたらす新たな変容-」展、「UNBUILT:Lost or Suspended」展。
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載します。次回は10月18日の予定です。
●本日のお勧め作品は草間彌生です。
草間彌生「Woman」
2006年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
76.0x56.0cm Ed.120 サインあり
※レゾネNo.353
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
「開校100年きたれ、バウハウス -造形教育の基礎-」を訪れて
2020年7月17日から9月6日まで、東京ステーションギャラリーで巡回展「開校100年きたれ、バウハウス -造形教育の基礎-」が開催されています。本展は新潟、西宮、高松、静岡と東京の5都市を巡ってきた展覧会で、ミサワホーム、東京国立近代美術館、宇都宮美術館など国内にコレクションとしてあるバウハウス関連資料が300点以上集まった展覧会です。バウハウスのエッセンスを俯瞰できるシラバスのような、あるいはオープンキャンパスに来たような展覧会でした。
展覧会は5章で構成されています。Ⅰ『学校としてのバウハウス』では、バウハウス宣言、教育カリキュラム図にはじまり、バウハウスの出版物や写真資料が並びます。写真は、デッサウ期のもので、予備課程の教室 -ガラスのカーテンウォールがあり、高い天井から吊るされたペンダントライトのある- や、バルコニーで撮られたものがあり、切磋琢磨したであろう学生たちの姿が生き生きと写しだされています。T定規や三角定規が載る製図台や学生が居眠りする姿も、学生時代を似たような環境で過ごした私にとっては懐かしく微笑ましいものでした。Ⅱ『バウハウスの教育』では、予備課程の主な教師による課題の学生作品とバウハウスの色彩論、そして階を跨ぎ、Ⅲ『工房教育と成果』では、各専門課程から生まれたプロダクト、印刷物などの作品が展示されています。課題や各工房で制作された作品は1点1点興味深く、展覧会が予約制にも関わらず鑑賞者の長時間の滞在のためかやや混雑している状態で、バウハウスへの関心の高さが見られました。Ⅳ『「総合」の位相』では、当時のバウハウスの成果が結集した1923年夏のバウハウス展の各種グラフィックや諸工房が協力して制作したインテリアが展示されています。これらは芸術と工芸の壁を取り払い「すべての造形活動の終局の目標は建築的造形である」という理念を表現したものだったといえます。続いて、実験精神溢れる「バウハウスの写真」作品も紹介されています。Ⅴ『バウハウスの日本人学生』では後期のバウハウスで過ごした水谷武彦、山脇巌、山脇道子、大野玉枝の作品と資料が展示されており、中でも水谷がバウハウスを紹介した1930年の「アサヒグラフ」記事と、1936年頃に清家清が受けた水谷の講義ノート(機能主義と合理主義の違いについて書かれている)は、日本の建築のモダンムーブメント初期の熱が垣間見られました。
後にも触れますが、バウハウスは入学する時代や師事する教師によって、随分と異なる学生生活だったことが本展覧会を通じても想像できます。もしタイムマシーンがあったら、どの時代のどの美術学校あるいは共同体に行ってみたいか?なんて想像をしますが、ここでは、いずれも実験的で純粋芸術を探究したカリキュラムとして、Ⅱ章の基礎教育からヨハネス・イッテンの授業と、Ⅲ章の工房教育から舞台工房について、記しておきたいと思います。

(赤い光をあてると緑の影が生じる)
1、ヨハネス・イッテンの基礎教育
Ⅱ章の展示室に、イッテンの基礎教育を受けた学生フランツ・ジインガーによる、《男性の裸身》デッサンが展示されています。木炭デッサンといえば、柔らかいタッチで陰影を捉えた、濃淡の諧調豊かな写実性を目指すのが一般的ですが、こちらは真っ黒の力強い太い線で輪郭が描かれ、所々すり込みで表現されています。弾力と高揚感が感じられます。イッテンは、毎朝呼吸調整と精神集中の準備運動をしてから授業を始めたそうですから、こうした準備体操をした学生は心身が凝りや緊張から解放されるのかもしれません。リズミカルに全身の力が無駄なく流れた描画が、デッサンに成果として出ているような気がします。
バウハウスの初期、ドイツ国内各地から集まった入学志望者は経歴と実力に差があり、共通の土台を作る必要があったため、専門課程に進む前段として予備課程と呼ばれる基礎教育が組まれました。のちに、基礎教育と基礎教育の後に学ぶ芸術理論には、当時の前衛の芸術家が教師として迎えられます。その多くがモダニストで、材料、形態、工程といった芸術の根本を追求する態度と思想がバウハウスの中枢のカリキュラムを支えました。
イッテンは芸術教育を語る上で欠かせない存在ですが、バウハウスに召喚される以前に既に小学校教師、複数の美術学校教師を経験しており、ジャン=ジャック・ルソー、ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ、フリードリヒ・フレーベル、マリア・モンテッソーリ ーいずれも0歳から未成年の主体性を尊重し、成長課程に応じて自立を支援する教育を謳った18~19世紀の先人たちー による教育改革運動からも影響を受けていました。彼は著書の中で、教育において人間尊重こそすべてであると考え、授業では学生たちの直感的発見を促し、さまざまな探究的な課題は、学生の個性を啓発し、天賦を発見させることが狙いであったことを実例とともに解説しています。
彼はバウハウスに赴任した当時、戦争の影響で、東洋哲学、ゾロアスター教、原始キリスト教に傾倒していたようです。戦後の政治・経済の不安定で混乱の時代に、学生たちの落ち着きなくさまよう思考を鎮めるため、また自身の修養のため、授業前にお祈りをしたり、讃美歌を歌ったり、発声や準備運動を行っていました。そして授業では、過去の巨匠たちの絵画の画面構成と明暗の分析、木・ガラス・繊維・樹皮・獣皮・金属・石材といった材料の目録作り、静物画、布片材料のモンタージュなどを指導し、それらを通して視覚、観察力や技術だけでなく、触覚や経験によって得た感覚を習得してゆくことが目指されました。
イッテンは邁進してゆく科学や技術に傾倒することなく、内的な思索や精神性を鍛えようとした点で、機械・テクノロジー・エンジニア・工業・産業・新しいメディア・論理を重視し、後のバウハウスのイメージを作ったモホイ・ナジとは相反します。
なお、Ⅲ章の版画工房でイッテン自身のリトグラフが展示されています。

ヨハネス・イッテン著『造形芸術の基礎』より

ヨハネス・イッテン著『造形芸術の基礎』より
2、舞台工房
バウハウスに入学した学生は、基礎教育を修了して芸術理論と工房教育へ進みます。中でも舞台工房はグロピウスやパウル・クレーにとって多様な芸術活動から成る総合芸術という点で建築に類するものとして考えられていました。イッテンの推挙でバウハウスに赴任し基礎教育でヌードデッサンを担当していたオスカー・シュレンマーが、1923年に舞台工房の2人目のマイスターに就きました。
Ⅲ章の舞台工房の展示の中で、クルト・シュミットの《メカニック・バレエ》の舞台デザインと、関連資料としてオスカー・シュレンマーの《三つ組みのバレエ》の映像が展示されています。
1920年代、ダダ、シュルレアリスムはじめ同時代の美術動向の多くの芸術家は人形、操り人形、マネキン、オートマトン(機械仕掛けのからくり人形)などの人像を扱う傾向がありましたが、《メカニック・バレエ》は幾何学的形態で構成された人型が踊る作品です。クルト・シュミットはオスカー・シュレンマーとともに新しい舞台の可能性を探究した学生でした。展示されているデザイン画には、パフォーマーが身に纏う人型の表裏が図示されています。一見、立面的にデザインされた二次元要素の強い印象を受けますが、実際のパフォーマンスでは奥行きと幾何学的形態同士の重なりも面白い作品です。
1923年のバウハウス展でも上演された《三つ組みのバレエ》も人像に関連したもので、シュレンマーが舞台工房に就任する以前から長年構想していた作品でした。「演劇の歴史とは人間の形態変化の歴史である」と考えた彼は、新しい抽象演劇では人間が空間や舞台装置に従属するとし、単色の背景を設定し、ダンサーにコスチュームを纏わせ、モダンの演者のモデルとして「歩行する建築」、「オートマトン(技術的組織体/ロボット)」、「マリオネット(手足が間接で曲がる人形)」を提示しました。《三つ組みのバレエ》の3部構成 -黄色の背景の喜劇、ピンク色の背景の儀式、黒い舞台での神秘的幻想的な舞台- のうち、特に3部で登場する渦巻き状の円錐型の衣装を着た女性の踊りと、円盤を纏い立面的な動きをする2人の男性の踊りは美しく、古典バレエを超克する魅力です。そしてその後、シュレンマーは「人間」をテーマにした授業も展開していきました。
なお、Ⅱ章にシュレンマーの基礎教育を受けた学生カール・シールツェックの裸体素描が展示されており、Ⅲ章の版画工房にシュレンマー自身のリトグラフ、Ⅳ章にシュレンマーのグラフィック作品が展示されています。
参考:Experimental Theater / Body and Spirit / Bauhaus:Building the New Artists / The Getty Research Institute
Fig71《三つ組みのバレエ》登場人物と構成の図
Fig73《メカニック・バレエ》再演動画
3、バウハウスの変遷
本展覧会ではバウハウスの教育が主に扱われましたが、ミース・ファン・デル・ローエの「バウハウスは理念だった」という言葉のように、バウハウスはデザイン教育によって社会を変えようとした学校であり思想/運動でもありました。14年という短い期間に3つの場所を移動し、3人が校長に就き、その度に教育プランが検討され、理想と現実の間で舵を切りながら、世界情勢とりわけドイツ国内の状況に沿って更新し続けた学校でした。
ここにまとめた3つの表は、展覧会カタログと関連書籍を参照して作成したものですが、全てを網羅できているものではありません。しかし、例えば展覧会の中で、陶器工房と版画工房の作品はなぜヴァイマール時代のものばかりなのか、なぜ唐突に「バウハウスの写真」としてフォトグラム作品が並んでいるのか、いったいプロダクトデザイン学校なのか建築の学校なのかなど違和感を抱いた時に、背景を確かめる一助になればと思います。



(おう せいび)
●「開校100年きたれ、バウハウス -造形教育の基礎-」
会期:7月17日(金) - 9月6日(日)
会場:東京ステーションギャラリー
休館日:月曜日[8月10日、8月31日は開館]
開館時間:10:00 - 18:00
※金曜日は20:00まで開館
※入館は閉館の30分前まで
1919年、ドイツの古都ヴァイマールに、建築家ヴァルター・グロピウスにより開校した造形学校「バウハウス」が、昨年その誕生から100年目を迎えました。ナチスの弾圧を受け1933年に閉鎖されるまで、わずか14年という短い活動期間でしたが、実験精神に満ち溢れたこの学校は、造形教育に革新をもたらし、今日にいたるまでアートとデザインに大きな影響を及ぼしています。(HPより)
■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ。京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。国内、中国、シンガポールで図書館など教育文化施設の設計職を経て、2018年より建築倉庫ミュージアムに勤務。主な企画に「Wandering Wonder -ここが学ぶ場-」展、「あまねくひらかれる時代の非パブリック」展、「Nomadic Rhapsody-”超移動社会”がもたらす新たな変容-」展、「UNBUILT:Lost or Suspended」展。
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載します。次回は10月18日の予定です。
●本日のお勧め作品は草間彌生です。

2006年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
76.0x56.0cm Ed.120 サインあり
※レゾネNo.353
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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